閑話・アレス
アレスは最近、不満を感じていた。
この世界に転生してからというもの、あらゆることが順風満帆に通り過ぎて行ったのに、ここにきて自分ではどうにもならないことが発生したのだ。
それは双子の兄である第二王子、ギルバードが公務中に襲撃され、命を落としたことに起因する。
正直な話、ギルバードが死んだところでアレスは何の感慨も湧かなかった。
兄弟だからと言って仲良くしていたわけでもないし、魔法を極めることを今世の目標としているアレスからすれば、魔力を一切持たないギルバードとの交流など時間の無駄でしかない。
アレスにとって大切なのは、情愛、金銭、称賛といった、どんな形でもいいから自分に何らかの利を与える相手。向こうから近づいてくるならともかく、距離を取ってくるような相手に構うなど、メリットがないと感じたのだ。
(……それなのに)
そんなどうでもいい存在だったはずのギルバードが死んだことで、王家の雰囲気は明らかに暗くなった。
兄王子であるリオンについては問題ない。ギルバードのことを嫌っていたリオンは、弟が死んだことでむしろ清々したと言わんばかりに晴れやかな様子だ。他の弟妹たちにしても、まだ幼いことに加えて、ギルバードとの交流が薄いせいで、ギルバードが死んだと聞かされてもピンときていない。
問題は国王夫妻である両親と、姉である第一王女、ユミリアだ。
アレスにとってのユミリアは、優秀な自分を可愛がってくれる美しい姉で、自分の肯定感を満たしてくれる優しい家族だった。
それがギルバードが死んだと聞かされてからはすっかりと塞ぎ込んでしまい、自分のことで手一杯。とても誰かに優しさを向ける余裕がないといった様子だ。
(ムカつくなぁ)
生来優しい性格をしているだけあってか、魔力を持たないギルバードのことも気を使っているのは薄々感じていたし、そのギルバードが死んでしまって塞ぎ込むのも理解はできる……が、それはアレスにとって関係のない話だ。
(魔力無しの役立たずのくせに、俺の輝かしい異世界ライフの邪魔をするなっての)
自分に何の利も与えず、どうでもいい存在でしかなかったギルバードが、自分の充実した日々に陰りを落とした。そのことがアレスにとって腹立たしいのである。
両親に関しても、ユミリアと同じようなことが言える。二人とも政治の最前線に立つ為政者なだけあって、表立っては不調であることを周囲に悟らせてはいないが、家族間では明らかに気落ちしているのが丸分かりだ。
特にアレスを褒め称える時の熱量が明らかに減った。それがアレスの自己肯定感を傷つけたのである。
(あ~あ。本当に魔力無しってこの世界じゃ価値無いんだな。役に立たないどころか、足を引っ張ってくるなんて)
世間体もあるので面には出さないが、アレスは心の内側で、ギルバードを含めた全ての魔力無しに対して失望の念を向けた。
この世界に転生した当初、アレスはそこまで魔力無しに対して侮蔑の意識を向けていなかった……しかし、周囲から魔法の天才、魔力の寵児と持て囃されれば、どんなに公平性のある人間でも性格が変わる。
それに加えて、これまでの教育では、兵士や魔道具製造など魔法を使った重要な仕事が重要視されており、魔力を持たない、または乏しい人間はゴミ処理や下水道整備など、誰にでも出来る簡単な仕事しかしていないと教えられてきたのだ。
魔力を持つ人間が如何に重宝され、魔力のない人間がどれだけ役に立たないか……それを生まれ変わった時から聞かされたアレスは、今ではすっかり魔力無しに対して侮蔑の感情を宿してしまっていた。
(……まぁいいか。別に悪いことばっかりじゃないし、姉上たちも時間が経てば元の調子に戻るだろ)
そんな楽天的な判断を下し、アレスは届けられた便箋を封を切って、中から手紙を取り出す。
三年前から婚約を交わした公爵令嬢、アリシアからの手紙だ。豊かな金髪と鮮やかな青い瞳が特徴的な美少女で、前世なら絶対に触れることすらできなかったであろう高嶺の花。そんな少女と婚約できたことは、アレスにとって自慢の一つだ。
(非モテの陰キャだった前世とは凄い違いだよなぁ。俺の話をいつも笑顔で聞いてくれる良い子だし、早く結婚して色々やりてぇ~……!)
そんなアリシアだが、アレスは良好な関係を築けていると思っていた。
この手紙の内容にしても「早くアレスに会いたい」という旨が記されていていじらしさが滲んでいるし、実際に顔を合わせて話をする時だって、いつも笑顔で興味深そうに受け答えしてくれる。血筋も申し分ないし、まさに理想的な婚約者だ。
(他にもアイドルなんて比じゃない美少女とフラグ立ってる感じがするし、ホント異世界転生様様って感じだな)
世話係の美少女メイドに護衛の美少女騎士、国内外の姫君に令嬢、数多くの美少女から好意を向けられているアレスは、将来への展望に大きな未来を抱いていた。
何だったら、王族としてハーレムを築くことすら許されている身分だ。自分に好意を寄せている美少女全員と結婚し、前世から抱き続けた妄想を現実にしたいと、アレスは考えている。
(うん……やっぱりあんな奴、居ても居なくてあんまり変わんないな。俺の異世界チーレム生活に大した支障はない)
気分を切り替えたアレスは、ギルバードのことを記憶の彼方へと追いやり、美少女たちとの戯れに思いを馳せる。
今度はどんなことをすればチヤホヤされるだろう……疑いもしない成功への未来と、それに伴う称賛の好意を想像しながら、アレスは頬を緩めるのだった。
=====
フェリと初めて剣を交えてからしばらく経ち……ギルバードは剣術稽古を再開するようになっていた。
諦めたくても諦めきれなかった剣術の再開は、始めこそ抵抗があったが、すぐに生活の一部として馴染んだ。やはり剣術が好きだったのは事実だし、何よりもフェリから教えられた受け売りが、ギルバードの呪縛を解いた。
少なくとも、ギルバードが積み重ねてきたものは無駄じゃない……そう思い直したギルバードは、フェリという格好の競争相手が近くにいることも相まって、勉強漬けだった王宮にいた時よりも剣術に熱を入れるようになったのである。
「ドーガ、新しい薪を持ってきたよ」
「あぁ、ご苦労だったな」
そんなギルバードは今、ドーガと炭作りに勤しんでいた。
粘土質の土と水を捏ねた物で隙間を塞いだ石組みの窯に火を焚き、調達してきた薪を放り込んで炭化させているのだが、集落では意外なほど需要が高い仕事であることを、ギルバードはこれまでの生活から理解できた。
(日頃の料理から寒い時の暖まで、色んな所に使うからな)
炭は薪と比べると火が付きにくいが長時間燃えて火力が安定する。特に雨が降って木々が湿気っても、炭は天日干しにすれば再利用できるのだ。
今ドーガと作っている炭も、窯が粗雑なので上質とは言えないまでも、自分たちで使う分には問題ない程度の仕上がりである。
作業すれば必然的に煤と泥に塗れて元王子とは思えない有様になるが、盗賊団の生命線とも言える炭を作るのは、物作りが新鮮で存外楽しいことも相まって、ギルバード的にはやりがいを感じていた。
「……ふぁ」
「眠そうだな。フェリと早朝から行動をしているようだが、最近は起きるのが早すぎるのではないか?」
そんな時、不意に欠伸を嚙み殺したギルバードを、ドーガは見逃さなかった。
どうやらドーガには、早朝からフェリと稽古をしていることに気付かれているらしい。ゼニスやザッカスを始めとした住民からも「あまり無理をしすぎるな」と言われることが多いから、彼らもギルバードたちの行動に気付いているのだろう。
「まぁ、その……仕事は朝からあるからね。皆が働いている時に自分がやりたいことをするのも抵抗があるし、自由にできる時間を確保しようとしたら、早起きするしかないから」
「真面目だな。ティモンも少しは見習ってほしいものだが」
呆れたように呟くドーガに、ギルバードは苦笑する。
寡黙で落ち着きがあり、ザッカスが不在の時はリーダーの代理も務める纏め役のドーガとは対照的に、集落内でも比較的若いティモンは明るいムードメーカーのお調子者だ。
良くも悪くも軽い性格で話しやすく、ギルバードも集落に馴染むのに何かと助けられたのだが、その性格が災いする事態になることもしばしばある。
「二日酔いで動けないなど、あれほど酒はほどほどにしろと言ったのだが……あいつはいつも調子に乗りすぎる」
「そうだね。お酒の席だと一番目立ちたがって一気飲みとかするし……まぁ昨日手に入ったのは、珍しく酒精が強いものだったみたいだからだけど」
昨晩のティモンの醜態を思い出す二人は、話しながらも順調に炭を作っていく。
そうして出来上がった炭を割って使いやすくしていると、ふとギルバードは前から疑問に思っていたことを、何気なく口にした。
「そう言えば、集落の仕事は持ち回りですることが大半だけど、ドーガは毎回炭作りを担当しているよね」
似たような感じで特定の仕事を割り振られている住民にはゼニスがいる。
それは単に、彼女は住民の中で最も料理が得意だからという理由だが、ドーガも似たような理由で炭作りを担当しているのだろうかと、前々から疑問だったのだ。
「盗賊になる前、俺は炭売りをしていたからな。炭の出来栄えの目利きは素人には難しいから、俺が担当しているだけだ」
初めて聞いたドーガの経歴に、ギルバードは目を瞠る。
「でも、炭売りって確か……」
「あぁ……世界的に廃業に追い込まれた仕事だ。シュトラル王国の第三王子が開発した、火起しの魔道具でな」
アレスが開発した魔道具の数々は、世界の文明に劇的な進歩を促した。それは人々の暮らしの利便性が大きく向上したことからも明らかである。
しかしその一方で、用済みとして仕事を追われた人間も数多く現れた。氷作りを生業としていた者、弓矢作りを生業としていた者、そしてドーガのように炭作りを生業としていた者……アレスの魔道具によって利便性が向上する一方で、結果的に生きるための仕事を奪われた者たちへの補償は、殆どされていない。
そうして生まれた失業者たちがどのような末路を辿ったか……それが今、目の前に存在していた。
「俺の家は代々炭作りで家計を支えていてな……特に実家があった村の中では重宝されている方だった。火は人が生きるにあたって必要不可欠、父も母も死んで魔力無しの俺が後を継いでも、村人たちとはそれなりに上手くやれていると思っていた。珍しいことに、魔力が無い者への差別が少ない村だと、信じて疑っていなかった」
「…………」
「だが……火起しの魔道具が村に導入されたあの日、手のひらを返して俺を追い出した村人たちの顔は、生涯忘れることが出来そうにない……」
その話を聞いて、ギルバードは立ち尽くした。
アレスが作り出した魔道具が世界中に大きく貢献している一方で、失業者が増える可能性については、王宮にいた時から気付いていた。しかし魔力を持たない王子の言葉には力などなく、行動しても何も変わらないと、心のどこかで諦めて何もしてこなかったのだ。
(それでも、僕は王族だったんだ……)
たとえ魔力が無くても、王子であれば実態を調べ、民衆の声を国王である父に直接届けることくらいは出来たはず。そうしていれば、何かが変わっていたかもしれない。ドーガがこうして盗賊にまで落ちぶれることもなかったかもしれない。
(ドーガだけじゃない。この集落の中にも、同じような人がいるんじゃ……)
何だったら、世界中にそういう人間が数え切れないほどいるのだろう。
あの時のギルバードは自分のことに手一杯で、周りが見えていなかったのだと、改めて思い知らされる。こうして危惧していた通りの人間が目の前に現れたことで初めて、せめて自分だけでも何かをしていれば状況は違っていたのではないかと、今更どうしようもない後悔の念がギルバードの胸中に渦巻いた。
「……そんな顔をするな」
俯き、何も言えなくなってしまったギルバードの肩に、ドーガは優しく手を置く。
「色々とあったが、結果としてはこれで良かったのだと俺は思っている。そのおかげで俺は、団長たちやお前のような優しい人間と出会えたからな」
「……それは違うよ、ドーガ。僕は自分の事ばかりで、周りの事なんて全然見れてない人間で……」
「だとしてもだ。お前が誰かの痛みを想像できる人間であることくらい、その顔を見れば分かる」
ギルバードは拳を握り、何かを堪えるように顔に力を籠める。
そうしなければ、思わず泣いてしまいそうだった。
「人様に胸を張れる人間からは随分と遠ざかったが、それでも俺はこうなって良かった。……おかげでお前たちと共に居られるからな」
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