◆囮の矛先
◆ ◆ ◆
────私、ユーリ=プライシスは、おおよそ自我を確立する前々から、『ヒーロー』に対して強い執着を抱いてた。と言っても、それを自覚したのはほんの数年前なのだけれど。
「ママ!ひーろーのおはなし読んでぇ!」
私は母に、何度も何度も救世主が登場する童話を読んでもらっていた。というか、読ませていた。それはもう、狂ったように。
「………ヒーローは、宣言したこと全て、綺麗事で済まさずに成し遂げ、王国には平和がもたらされましたとさ。めでたし、めでたしっ。」
母の、包容力のある柔らかい声が私の耳を幸せにする。
「ママ…私、キレイゴト?だけじゃないヒーローになって、みんなからいっぱい!チヤホヤされたい!」
「ユーリ。みんなからチヤホヤされたいからっていうのはね、それこそ綺麗事よ。いい?あなたは、損得を考えずに人を助けなさい。」
「うーん。よくわかんないけど、わかった!」
母の腰にも満たない身長で私は、高みを見た。それも、希薄な理由で。
しかし、こんな私が本気で、それを目指すキッカケになった出来事がある。
◆─私がヒーローにならなくちゃ
虫の鳴らす鐘が、波紋のようにに響く夜。
当時九つだった私は、風呂上がりの湿った髪を後ろに纏め寝室にて横になり、何時も母に読んでもらっていた本を自分で読んでいた。
「…ヒーローは、いつでも、遅れて登場するのです。」
カタコトで、抑揚もままならないながら、私は頑張って読んでいたと思う。
そして、何度この世界線に立ちたいと、そう思ったか。
孰れ考えているうちに、この上ない願望や尊敬が脳裏を巡り、握っていた手が湿る。
私は今日も今日とて、何も起こらない平凡な日常に、華やかさを齎してくれるこの本に酔いしれていた。
────そんな時、ふと私の握っていた手に滲む憧れで生成された汗は、冷や汗へと変貌した。
《ドンッ》と、今までにないほどに鈍く、潰れる程に重い音が屋敷全体に響き渡った刹那、母の苦しそうな悲鳴が聞こえ、止んだ。
音の余韻は耳に深く刻まれ、私は本能的に恐れを覚える。
しかし、ヒーローたるもの、こんな些細なことで躊躇してはいけない。と、知らぬ間に『私』が言った。
「あんたが一番、怖いくせに。」
そう会話するように、私は言う。話せるひとを見つけて、安心したかったのかもしれない。
爾後私は、私自身との葛藤を繰り返し、遂には身体が痺れをきたしたのか、衝動的に一歩、二歩と脚は悲鳴の元へ歩み始める。
恐れをなす暇もなく動く身体に抵抗をしたが、結局のところ、これも自分の意思なのだ。
「さっきは随分と、悲鳴を上げていたけれども…そんなに痛かったのかい。」
長い階段を降りている最中、ふと私の耳には”気持ちの悪い””優しい声が響いてきた。
父でもない。第三者の声が。
刹那、私は察した。
”これもう、助からない”。
心に思えば思う程、この上ない恐怖と、復讐心が脳のリソースの大半を持っていく。
強盗か。スパイか。暗殺者か。いずれにせよ、もう遅いことは分かりきっている。
* * *
『あなたは、損得を考えずに人を助けなさい。』
* * *
これじゃあ、まるで損をするから諦めるみたいじゃないか。私、”ママ”が言っていた意味、漸く理解できたよ。
…………声は遠い、でも聞こえる。響いていた。だから多分、大浴場かキッチン………あるいは────────。
私の住んでいた屋敷は大分広かったから、居場所を特定するまでには時間を要した。
「……居ない。……居ない。」
私は、唯一つの”声”を頼りに、該当しそうな場所全て回った。でも何故か、母は見つからない。というより寧ろ、物が倒れた形跡もなければ、あれ以来一つの声も聞こえなくなった。
「ママ………、ママァ……。」
孰れ、『母を助ける』目的を捨て、せめて『母を見つけたい』という思考に陥るようになった。
私は唯、聞こえるはずもない小声で母を求め、トボトボ虚しく歩みを進める。
「お嬢さん、ボクとデートしないかい?」
この行動さえも無謀だと、諦めかけていた時、優しくて、気持ちの悪い声は聞こえた。否、聞こえてしまった。
振り向いたら負け。心にはそう言い聞かせていたが、まさか向こうから私の視界に入ってくるとは思ってもいなかった。
「お!やっぱりぃ、親子なんだねぇ。当たり前だけど、顔もそっくりだ。」
私は、意地でも目を開けなかった。だけど、そんな抵抗する瞼を”其奴”はこじ開け、私は無慈悲な世界を見ることとなる。
吸い込まれるような、淡い白色の髪に周りを照らすような、黄橙の絢爛な瞳。まぁ俗に言う、イケメンってやつだった。
「何故、そんなにボクの顔を睨むの?だってボク、言うほど悪いことはしていないよ。……だってまず、ギルドの医療機関を壊滅させてきたでしょ?あと……まぁ強いて言うなら此処の主を二人殺し────────。」
私は、か弱いながら煮えたぎる感情のままに、自分の出せる最大出力で彼の顔に一撃入れた。
「……んねぇ。鼻血出ちゃったんだけど。ボク達は、今こうして目を合わせ、お話している時点で、既にお友達なんだから。親しき仲にも礼儀ありって言葉、知ってる?」
「私の母を殺しておいて、仲良くなれると思うなよ。ろんりてきに考えれば、そのくらい分かると思うけど。」
私は、九つながら覚えたての難しい言葉で、彼の言い分に対して根っからの否定から入り、少し挑発した。
「あはは。小さい子って、直ぐにムキになってしまうよね。これだから、子供を痛めつけるのは好きなんだ。」
刹那、私の心臓は強く波打つ。そして、まさか自分が論破されるとは当然思わなかったから、私は唖然とした。
「痛めつけるのが好き……って。あなた、普通じゃない。」
「君の家に侵入している時点で既に、普通ではないって、少し冷静になって考えれば分かるのになぁ。やっぱり頭が足りない。」
そう彼は言い捨て、私の肩に置いてあった掌を撫でるように首へ移動させ、強く握り絞めた。
私は未だに、現状を理解することはできなかった。
唯────頭の奥で、カラカラと何かが壊れていくような音がした。
ヒーローって、困難な状況に立ち向かって人を助ける存在、なんかではなく、言ってみれば民衆の生命を確保する為の、単なる『囮』なんだなって。結局は自ら身を投げ出して、傷ついて、失って、死んでしまうんだなって。
そしてそれは、儚い。なんて、美しい言葉で括られる存在ではない。
私は、ヒーローという存在の枠を壊し、”再定義”した。
「痛い?痛い?どう、どんな感じ?」
わざわざ訊かなくても分かるだろ。そもそも、首絞められているのに、喋れるわけないよね。
彼こそ、頭が足りないという言葉に相応しいのではないか。
そして、いい加減…………まずい。
私は、喉を通らないとわかって空気を吸って吐いてを繰り返す。
流石に此処で無駄死にはしたくはない。
せめて、対抗する術さえあれば────────。
* * *
「ユーリ、貴方は何があろうとも、魔法を使ってはいけません。」
雷も伴う篠突く雨の日のこと。
私が興味本位で剣技、魔術に纏わる本に記載されていた詠唱文を音読していたとき、母は引き攣った顔でそれを取り上げ、言った。
私は只々不思議でならなかった。普通、子供が魔法を使えるようになることは、親にとって嬉しいはずだ。家庭によってはケーキで祝うところだってある。
それなのに、ママは。私の母は、何故にこんな心配そうに私の顔を覗くのか。
それに、私は母が魔法を使っているところを見たことがないし、そもそもの話、教えてくれない。
もしや、私に期待していないとか。
嫌いだったりする……?
そう、独りで頭を悩ませ始めたとき、母はテーブルに頬杖ついて言う。
「何で、私は魔法を使ってはいけないの?……って、顔に書いてあるわね。いいわ。理由を今から話す、というか見てて。」
見てて。って何だ?と心で思ったが、私は直ぐに理由が分かった。
「*火よ吹け」
母は、指を二、三本鳴らして言うと刹那、生暖かい火が一瞬燃え上がって、消える。その熱の余韻は私の元へゆらりと辿り着く。
「ほわ。」
その気持ち良さに、ふと謎の声が漏れてしまう。
「ママ、魔法使えたんだね!」
私はそう言って、母に視線を向ける………も、どうやら寝てしまった?ようだった。
しかし、母はおよそ四日間、目を覚ますことなくぐったりとしていた。
二日目からは、流石の私でも焦りを感じ、父にしつこく話しかけるようになった。
「日々の家事育児で、疲れてるのさ。そっとしておき。」
しかし、父はまだ焦りを感じておらず、無責任な言葉を口にしていた。
そんな父も、三日目からはとうとう焦りを感じ始め、僧侶を招いて診てもらうことにした。
「これは……魔力失調による、失神ですね。」
私はそのとき、母の言っていた『魔法を使ってはいけない』意味が漸く分かった気がした。
* * *
「どうした。もう、生きることを諦めてしまった?……それは、本当にやめて欲しい。何せ、人を苦しめることの醍醐味が無くなってしまうからね。お願いだから、少し、あと少し、生きたいって思ってくれないかな。」
この、魔人とも思える彼は、取って付けたような感情でそう私に訴えかける。
そして、とにかく生きてさえいれば良いと、もはやヒーローでも何でもない私は、切望する。
武術は習ったことがないから使えない。それは、剣術にも言えたことだ。
対して魔術は…………、いいや、それで万が一失敗したときの代償が大きすぎる。仮にもし成功したとしても、母は助けられない。というか、まず鍛錬が足りていないから威力がない。
為す術がないなら、ヒーローを待てば良いじゃない。
刹那、私の脳裏にはそんなことが横切る。
しかし、いるはずもない。物語に登場した、遅れて登場するヒーローなんかが。
全部、自分で背負い込む必要は無いよ。
否。それこそ、綺麗事だろう。
私は、今の今まで、『ハッピーエンド』しか見たことがなかったから、この出来事は余計、胸を深くえぐった。
でも、もしこの物語が『バッドエンド』の途中ならば、私が変えなきゃ、終われないんだ。
そして、私がヒーローじゃないと言うのならば、必然的に遅れて登場するヒーローを信じる必要がある。
もう、信じるよ。だって、無力な子供には、”信じる”ことしかできないんだから。
けれど、その為には、まず私が手を伸ばす必要がある。
つまり、────────魔法だ。
「……でもママは、火を灯しただけで、倒れちゃったんだよ…………?」
私は、声を出さないで呟いた。
震える手で、見えない空を掴むように宙を掴む。
まるで、そこに誰かが立っていて。
何かを教えてくれているような気がして。
「違う……ママは、ママはあの時、只火を灯しただけじゃなくて、私のココロも…………」
なら、今度は私が灯すんだ。
失うものは、既に失った。もう、頼れるものは『ヒーロー』しかいない。
だからこそ憧れのヒーローに、私は此処にいるよって、教えてあげないと。
指を二、三本。いや、四、五本と鳴らす。母の倍以上だ。危険を伴うのも承知の上。
この先全ては………………ヒーローに託す!!
『火よ、炎よ、ぐれんよ、ばせろ!!!』
聞き耳を立てて、やっと聞こえる声で。私は、そう叫ぶ。
私の声は、夜の闇に小さな光を灯した。
────────ほんの僅かでも、ハッピーエンドに繋げる為に。
◆─綺麗事じゃない、ただの火
心臓が浮く感覚と共に、遠のく意識の中、私の耳には淡く、掠れた声が響く。
そして”その人”は、指なんて鳴らさずに魔法を詠唱して、魔人を圧倒する。
私は、唯純粋に、驚いた。
ヒーローが現れるなんて、机上の空論だと思っていたまさにそのとき。
でも、この人も『囮』なんだよな。
民衆を守る為なら、犠牲になってもいい存在なのかな。
だとしても、この事実は変わらない。
私はこの緑玉の髪の女の子に救われたんだ。
そして数年後私は、そんなレーナを失い、とうとうヒーローと呼べる存在が消えてしまった。
だというのに、ステアさん自身は意識していなかっただろうけど、ずっと、ずっと、彼はヒーローを気取っていた。
そして所詮囮だろう。と、私の本質が彼を見抜けなかったために────────
彼を崖から突き落とした。
しかし、後に分かることとなる。
というか、横目に見るリリーナから伝わってくるんだ。
紛れもない。ステアさんも、リリーナにとっての『ヒーロー』だったのだ。
私が『囮』だという概念を持っていても、彼女は違う。
そんな、基本的なことさえ分かっていなかった。
◇ ◇ ◇
恐らく、大門の前に立っているステアさんが、この事象の元凶であり────警報もされていた魔人なのだ。
彼が門の出口に立ち塞がって、為す術がないまま数分が経過する。
しかしさっきからずっと、彼は糸で無理矢理口角を上げられているような、希薄な笑顔とともに無言で私達二人をまじまじと見つめる。
「……ステアさん、なのは分かるんだけど、何…生きているの?」
リリーナは救世主との再会と、変貌を悲し嘆いていた。それもそのはず、あの活力あった瞳は既に、ハイライトを灯してなく、さらには魔人特有の、鱗が頬にはあった。
して喋らないということは、ステアさんの死体に、何者かが取り憑いた。または魂を吹き込まれたのだろう。
「私、もう魔法使えないし、ステアさんを、傷つけたくない……」
リリーナは、あの日の私のように聞き耳を立てて漸く聞こえる声で呟く。
私はこの言葉を聞いて、実感する。
ステアを初め、レーナ、パルドと、この国に安泰を齎していた人物達は皆、死んでしまったのだと。