◇異変のもとを図々しく歩くのは。
今日も今日とて、なんの前触れもなく白色の結晶は街々を覆い隠して、驚くほどの静寂を生み出している。
そして言うまでもなく、寒い。
『寒かねぇだろうよ。こんなに暖炉あったけえのに。』
今に至るまでで、一体何度爺ちゃんのその言葉を思い出しただろうか。
あの、”暖かさ”とやらを無意識に追求していたのだろうか。
自分のことだというのに、不思議となにも分からない。
それなのに、家出をした直後から。……いいや違う、爺ちゃんに怒鳴られて自分の無知さを自覚したあの日から、絶えず後悔の念を抱き続けている。
でも、なんとか自分を正当化しようとして、家出をしたという事実に最もらしい理由をつけて。それでも何処か納得がいかなくて。
「ごめんなさい」という、簡単な文字並びでさえ口に出すことができなかった自分に、罰さえ下すことができれば、嫌でも言えたのだろうか。
あの日、自分が家に戻ったとき。
古い玄関には見合わない花瓶に、一輪の月下美人が挿さっていた。
高さの中央で美しいくびれを為す、白を基調に橙の葉模様が瓶全体に螺旋を描いているその花瓶も相まって、何処か異質というか、本当、玄関と比べて場違い感が否めなかったけど。
瓶自体は元々あったものだったから、あとで買ってきたか摘んできたかして、挿したのだろう。
『ただ一度だけ会いたくて』だったっけ。
爺ちゃんが唯一花言葉を知っていた花だ。
母さんと父さんが戻ってこなかった日の夜に買ってきた花だ。
あの日は爺ちゃん、あまりの心配で月下美人の茎が折れるのではないかと思わんばかりの握りようだった。
爺ちゃんらしくないな。なんて心底思いつつ、また会えたことへの喜びは、花言葉を知っていたから余計に、深く感じた。
……なんて過去の感傷と思い出に入り浸っていたら、孰れタイミスをも通過し、唯一意図的に解錠可能な一つの街門が見えた。
家を出る際、時計は英登の三時間前を指していて、今は丁度英登を指しそうなところだ。
かれこれ三時間は歩いたんだ。小さな歩幅で。と自身の根気強さと体力に感心と後悔を、皮肉にも良い塩梅で覚えたそのとき、おそらく自分を呼ぶ声が静寂に響いた。
「……っと。えぇところに。……って、クロックんとこの坊じゃねぇかぁ、友達とピクニックでもすんのか。こんな朝っぱらから。」
道すがら、馴れ馴れしく声を掛けてきた後ろ髪を適当に一本に束ねた大柄な、おっちゃん。
”タイミス=グラージル”。
こんな軽々とした出くわし方だが、何気に彼は、クラリアート王国ロークラリアート地方タイムタウンにおける統率者”タイミス=ディーラン”の一人息子だ。
下手な真似なんて出来ようもないが。当時の怖いもの知らずな自分にとってはそんなの、知ったことではなかった。
「見て分からない。いえでだよ、いえで。」
背伸びをしたかったのか。将又大切なこと故に二回言ったのか。自分は家出、という単語を強調するようにして言った。
「アッハッハァッ。いやぁ良かった。クロックの爺さん、逞しく育て上げたんだなぁ。」
グラージルは博識、というかとても外交的で、此街の住民のことは全て認識しているようだった。
「クロックと、喧嘩したんだろ。」
「喧嘩じゃないけど、喧嘩かな。」
「おめぇんとこの爺さんはな。頭はかってぇし目はほっせぇし何より、言語化がヘッタクソなんだよなぁ。」
自分はあまりの共感に、一見ヘドバンにしか見えない頷きで返した。
「あれ、目が細いはおっちゃんの感想じゃ。」
ふと気づいて聞き返すと、グラージルはまた、笑った。
「んでもなぁ、彼奴にゃ彼奴で、トラウマっつうんがあってな。まだちっせぇおみゃにはわからんと思うが、ま要はおみゃに下手な真似はして欲しくねぇんだと思うぜ。」
「……ありがとうございます。」
あのときは、取って付けたような感謝を述べたが。今考えてみれば、なにが『ありがとうございます』だ。なんて思ったり。
結局、自分の思い通りにならなければ意味を成さないと自己中心的な思考を持ち合わせたばっかりに、もう。戻れなくなったんだ。
「再入街する際は、招待状が必要となります。」
「なんでですか。」
「……規則なので。」
冷淡な声が、耳を刺す。
当時はまだ、子供だけの遠出を規制する法律なんて存在しなかったのと、おそらく受付嬢は面倒事を避けたかったのだろう。あっさり審査は通った。
数時間のフライトを終えた後、自分はクラリアートの中央岬付近で降り立った。
そうして次期に、行く宛てもなく孤児院に引き取られた。
◆ ◆ ◆
「なぁにしてんだ。手ぇ冷えんぞ早く入れ。」
再びカラン。という鈴の音と同時にクローさんは風が入らぬよう若干扉を開けて、屋内に入ることを催促した。
只。気掛かりだったのは、クローさんが今度はフラッペさんの顔を見向きもしなかったという点だった。
◆─かの有名なバリスタ
「───んなもんでな、俺の体重のせいか、馬車の荷台の椅子壊れちまってな。」
「私、それ六回壊したことあります。」
「おぉ、それは流石に故意じゃなけりゃ理由つかないぜリリーナちゃん。」
「うち、家が車大工やってるんですよね。」
「……にしてもじゃねぇか。」
昔の骨董品が万遍なく敷き詰められた、クローさんの好き、で溢れる趣のある店内にて私たちは、なんの挨拶もなしに早々と雑談をしていた。雑談と言っても、ひたすらに彼の過去の栄光とやらを肯定するばかりだったのだが、それは一旦置いておくとして。
フラッペさんはというと、帰郷の挨拶回りをしに行くと言っていたので、これ以上は彼に干渉しても何にもならないという認識はあったので、一人にさせておいた。徒歩では結構遠くの民家や施設にも行くらしいので、帰りは去英時頃になりそうとのことだった。
『こういうのって、来た当日に行かないと失礼ってもんでしょ。』
枯れた月下美人を懐に入れ、そそくさと逃げるようにして店を、実家を後にした彼は一体戻ってくるのだろうか。挨拶回りとか言っていたけど、実際逃げているのと同義だから。
でも。さっきの出来事は、彼の心を大分抉ったと思う。
ずっと謝りたかった人に謝れて、ひと段落着いたと思った矢先の、形上の悲劇だったのだから。
───────カラン。カラン。
「……いらっしゃい。んじゃ、リリーナちゃん。ちっと集中するもんで、話ぃ聞き逃しちまうかもしれんが。」
次から次へと絶え間なく続く、クローさんの栄光話をする声音は、消え入りそうな華奢な鈴の音と食い違うように低いトーンへと切り替わった。
私は若干頭が追いつかなくて、クローさんの動作を目で追うことしかできなかった。
カウンター奥の、角に白く幾つか横線が引いてある樫木の戸棚から、無印の紙袋を取り出し窓際の狭いテーブルに置く。
次に、紙袋の折ってある口を丁寧に解いてから開ける。此処で既に、世間の寒ささえ忘れる暖かい香りが鼻一杯に広がった。
と、薫りの余韻に浸っているうちに、クローさんは一先ず一人分の豆を挽き終えていた。
─────珈琲だ。
知る限りの工程を見ていた私は、孰れクローさんの見方を変えた。一人一人の客に紳士とも言える態度で向き合い、尚且つどの工程も抜かすことなく一つ一つ丹精込めて珈琲を淹れる彼が、実の息子のことを想っていないわけがないと。
それに、月下美人の花言葉を私は知っている。
いつ帰省してきても良いよう、花が枯れる度に買い直していたのだろうか。でなければ、あんな驚嘆とした花茎の持ち方はしない。
只。フラッペさんの言った通り、本当に堅いだけの心根は優しいお爺さんなのだろう。
それに冷静になって考えてみれば、何十年も消息を絶っていた身内が、今日になって突然目の前にいるのだ。
表現し難い感情になるのも仕方の無いことなのだ。
私はもう一度、クローさんの瞳を覗いた。
「ん、……?」
彼の視線に連られて、私は視線を落とす。
「……クローさん。」
「リリーナちゃん、気ぃ短いなぁ。ほんの数十分じゃねぇか。」
「いいや、違くて。その……珈琲って、そのまま出さないんですか。」
クローさんは、片手で輪を作ればその中にフィットしてしまいそうな直径の硝子瓶に珈琲を注ぎ、提供するかと思いきや、固く蓋を締めて背後の戸棚に左詰めで入れた。
「こりぁな、客が持ち帰る為に作ったやつだなぁ。良いことか悪りぃことか分かんねぇが、生憎うちの店には多忙で愛想の悪りぃ奴等がしょっちゅう来るんだ。」
クローさんは、見せる為に一度硝子瓶を出してからそれを覗くように説明し、再び左詰めでしまう。
そして、透明なポットに入っていた残りの珈琲を、客の数ともう一つ用意されているカップに、一つづつ丁寧に入れていく。
そう、珈琲が注がれていくその形はまるで─────
「黄・金・比っ………。」
「リリーナちゃん、案外理解のある子じゃねぇか。」
「魔法、習ってたんです。多少の数式には触れている。」
「んまぁ、逆にオレは黄金比以外なんも知らねぇがな。────はい、お待たせ。」
また長会話が続くと思ったら、丁度話を切っても悶々としないところで、丁度完成した珈琲を差し出された。
素人の私が言うのも何だが、薫りで既に頬が落ちる感覚を覚える。
「湯気が少なくなっちまうと、深みがなくなって味さえ変わっちまうんで、火傷しねぇように早く飲んじまいな。」
クローさんは私にまだ話したいことがあるのか、カウンター向こうで椅子に座ってから、余計に作った一杯の珈琲を彼自身の方に引き寄せた。
「それでは、私も喫するとしましょうか。」
「飲んで驚け。オレの人生が垣間見える、最高傑作のひとつだぁ。」
言われるがままに、私はカップを唇につけてから味と、それから温度、風味を嗜む。
「……飲んだことある。」
口に入れた刹那、広がった風味の波紋は記憶の何処かに引っかかって、引き出された。
────────クラリアートの売店に、これと全く同じ味の珈琲が、それも硝子瓶で売られていた。
「リリーナちゃんはぁ、バリスタの見込みがありそうだなぁ。」
「私があの街で買っていた珈琲って。」
「んなもん、オレのに決まってんだろ。”かの有名なバリスタ”でお馴染み、クロー・クロックだ。つっても、元名はキーン・クロックだけどな。」
クローさんは、これを機に秘密を幾つか打ち明ける。
そう────、かの有名なバリスタだ。
「フラッペさんも言ってたんです。その肩書き。それも……あたかも自分のもののように。」
私は一旦珈琲を飲むことを止め、口に広がる風味の余韻すら嗜みながら、カップを手で持って回して言う。
すると、ほんの数秒前までは解れていたクローさんの顔はかしこまり、冗談じみた雰囲気ではなくなった。
「……その、リリーナちゃん。彼奴は今、どんな生活してんだ。」
「出会ったの昨日なんで、私に訊かれてもちょっと困っちゃう。」
「昨日?」
流石の彼でも、私の思いもよらぬ発言に、返答に窮する。
「でも私が見ている限りだと、案外楽しそうにしてますよ。今日なんてあの人……私のこと私のこと”守って”くれたんですよ?」
自称裏光討伐者を語る者と私が対峙した際、只前に立ってくれただけのフラッペさんではあったが、まぁ少し話を盛る程度で何ら変わりはない。私の気の持ちようにも影響する故に。
「弱いくせして、独りで突っ走るのには心底手を焼いたが、オレが思ってる以上に逞しく育ったんだなぁ彼奴ぁ。」
昨日の今日で私は、フラッペさんのことを何一つ知らないに等しいが、クローさんがそう言うのならばそうなのかもしれない。
「っつうことで。もういい時間だし、オレぁタイミスの点検行ってくるけど。リリーナちゃんらは、夜どうすんだ。こん街は観光向けじゃねぇから、まともなホテルねぇぞ。」
「大丈夫ですよ。私はその、まともじゃないホテルで暫く滞在します。」
「……、はぁ。暫く滞在すんなら尚更だろ。こん店の一つ階段登ったとこに、フラッペが使ってた部屋があるんでぇ彼奴にはオレの元書斎を使わせるから、そこ使いな。」
クローさんは、無力な子供に手を焼くような表情をし、それを懐かしむように私たちに部屋貸し出してくれた。
「あの、話したいことが二つ、あるんですけど。」
私は一応荷物を纏めて、何時でも部屋に持って行けるよう準備をしながら言った。
「彼処の点検、時間が無駄に厳しいんだよ、無駄に。前の時間のヤツも、早く帰りてぇだろうし、さっさと代わってくるんで、明日聞かせてくれ。」
しかし、そんな呼び掛けも落ちて跳ね返ってくるように、クローさんは一切振り向くことなく重いはずの扉を片手で軽々と開けて出て行った。
「タイミスの秒針のずれ、気づいてくれるかな。」
元はフラッペさんが気づいたと言え、付近の家に置いてあった時計とタイミスとで、ほんの僅かに鐘の鳴る音にずれが生じていたのは分かっていた。
世界における、時間の基準となり中心の街、タイムタウン。
その誤差は許されないのと聞いたことはあったので、多少心配をしている。
本当、何か起きていないことを願うばかりだった。
◆─かくかくしかじか
「たった一日も親交を深めてないのに、私一人だけ置いていって。とんだ命知らずね。」
クローさんに貸し出された、元フラッペさんの部屋にて私は、一人で窓外を見ながら呟く。
此処が二階だから分かることだけど、此街は時計塔付近だけは卓越して栄えているのに、その周りの街づくりは明確なほどに雑だ。
私は細目で、ひたすら遠くを見渡す。
タイミスが綺麗だなぁとか、外が寒いなぁとか、そんな余計なことすら考えず、只、脳死で。
「自殺ですかー?」
そろそろ現実に戻って、就寝する準備を始めようと、頭の整理をし始めたその刹那。
謎めいた解釈で私に語り掛ける、夜に響く女声が聞こえた。
「あのー、二階からだと死ねないでしょ。骨折れるだけで後悔しますよー。」
図々しく無駄に透き通る声質が、再び私の耳を通り抜ける。
最初こそ、違う人に言っているのだと思い込んでいたが、どうやら音は私に直で向かってきている。
また、”あの”視えない敵なのか。
痛々しい心根を持って、私は視界を下に向ける。
すると、────いたのだ。
一枚の虫が喰っている白いつなぎを着た、何ともみすぼらしいが、建物さえ輪郭を映さない夜でも輝く美貌を持った少女が。
「君、こんな夜にどうしたのー。そして誰に言っているのそれは。」
私は二階の部屋から、建物裏の小路に佇む少女に言い返す。
「逆に誰に言ってると思ってるの?危ないから窓枠から体出さない方が身のためだよー。巷では魔人なんかが調子乗ってるし、怖くて死にたくなるのは分かるんだけどー。」
彼女は紛れもなく、怖いもの知らずというやつなのだろう。
そう半ば呆れかけていると、少女は最後、望み薄だけどそれでも僅かな希望を乗せた声で言う。
「それと……良かったら。匿って欲しい。」
それも、図々しく。
「どうせこっちが本題なんでしょ。」
「……お姉さん、鋭いね。せーかい、なんちゃって、」
少女の口角は微妙に動いた。
でも、格好から見て何か事情があるのか。
上手く笑えてないのはそのせいだろう。
「でも君。私さ、此処の家主じゃなければ、全然部外者なんだよね。」
「どろぼーってやつ?」
少女は上を向いたまま、不格好に首を傾げてみせた。
「留守……的な?」
「……留守だから、どろぼーしてるってこと?」
ちょっと話が噛み合わない。
誤解を解きたいし、事情を訊いて出来る術は為したいと思っている。
でも、喫茶できる部屋に招いてあげたいが、生憎営業時間はとうに過ぎている。
フラッペさんならどうするだろう。ファリスさんならどうするだろう。ユーリちゃんなら、或いはステアさんなら────────。
「いけない。また変なこと考えてる。」
私がどうにかしてあげたいと、行動にすら移さず只黙々と俯いて考えていたそのとき。
「っいたいた。あのさリリーナ。自分って、どっか部屋使っていいとか言われたりしたかい……?」
「……フラッペさん。」
「うん。フラッペさんだけどさ、その……聞いてた、?」
「大丈夫です、聞いてました。んでもでも、私の話も聞いて欲しい。」
私は、少女の方を何度か見て、待っててね。助けるからね。と言わんばかりに視線を送る。
しかし、此処で予想外なことは起こった。
「……もう大丈夫!っ話してくれただけで、ちょいと助かったから。んじゃさようならー。」
少女は被っていたフードをさらに深く伸ばす。
そこには、何かに対しての悪寒が垣間見えた気がした。
「まって!!」
私は、元より出る筈のない声を振り切って出してみる。
すると、運が良かったのか。
少女の肩が一瞬、痙攣した。
「この人ね、此処のお店の息子なの。だから、事情なら分かってくれるよ!」
「どろぼーの割には、情報網が広いんだね。」
「だから私は泥棒じゃないって!」
私が焦って言い返すと、少女は握っても卵ほどな手を、口元につける。
「リリーナ、泥棒、……どういうことだ。」
対して何も知らないフラッペさんは、上目を向いて考え込んでいた。
「あのフラッペさん。」
「待って考えてる。」
「私が言えばいい話ですよね。」
「……それもそうか。」
馬鹿なのかお前は。なんて思わず口走ってしまいそうだったが、此処は大人の余裕を見せて。
「実は、かくかくしかじかで。」
「……リリーナってさ。もしや単純?」
「馬鹿って言わないでおいたのに、フラッペさんはそーゆーこと言っちゃうんですね。」
「それは、なんかごめん。っだがしかし、事情はある程度察したから良いものの、”かくかくしかじか”って言葉は単体で使えるものじゃないよ。」
「まぁ、私って単純なので。」
私は、あざとく言って返した。
「女の子って、やはり複雑。」




