◆月下美人の枯れた唄
「んっ、……あ。あぁ……他の荷物まで砂まみれだこりゃ。」
「目を離した隙にビーチで砂遊びをしてくる魔法かな。」
フラッペは単調な音色でそう問いた。
この人、さっきの緊迫とした雰囲気の余韻さえ忘れてしまうほどに切り替えが早い。
「いやずっと一緒に居ましたよね。砂時計が割れただけです。」
「それってなんか、回り回って凄いよね。」
「んと、……それは楽観的に捉えても。」
「もらっちゃ困るねぇ。」
フラッペは、リリーナの顎を指で弾きながら食い気味に言った。
「────此処で、悲劇のヒロイン、君に問おう。」
「問おうって。そんなことよりタイミスの制御装置のこと、早くフラッペさんのお爺さんに報告した方がいいのでは。」
私がフラッペさんの話を遮って現実を突きつけると彼は、ゆっくりと私の腿に添えていた手を離し、私を土煉瓦の道に降ろしてから、
「いいんだ。なにも、今自分が突きつけられている問題はこれだけじゃあない。リリーナ、君の世話役も頼まれてるんだぜ?どら猫さんに。」
「んん、……どら猫さん、?」
「余計なことは考えなくていい、……それより大丈夫かい。疲れは多少取れた?」
「言っても五分くらいしかおぶられてないです。」
「よし。取れたね、じゃあさっきの質問の続きだけど。────その割れた砂時計とやらを見せて。」
「ちょっとなんで話通じないの……」
文句は言うも、リリーナは言われるがままに鞄から砂時計を取り出す。
「いたっ。……て危なっ。指切れそうだったぁ。」
「切ったら切ったで治癒できるから。っと、サンキュー。」
フラッペは、下半分のビードロが割れた年季のある砂時計を包むように下から摘み、中に砂が残っていないことを確認してから再び私の掌に砂時計を押し戻して言う。
「その砂時計は、砂が入ってないし時計としても機能しない、言ったら役目を失った器だ。そのモノとしての時間が静止してるんだ。」
「……む。でも、壊しちゃったのは私ですけど。これはファリスさんが大切にしてきた砂時計です。」
刹那彼は、まるで私のこの返答を望んでいたかのような笑顔、ではないけれど、なにかを決心した、かの英雄のような顔つきで言う。
「そうだね。じゃあそれが壊れたとどら……、ふぁりすが知ったとき。また彼の心の時間も静止するだろう。今此砂時計を見て解った。リリーナ、君もそうなんだろ?」
フラッペは、私にそれを問うのに大分時間をかけたくせして、説明が抽象的すぎて私は理解しかねる。
だけど、……心の何処かで核心をついたような。
……
………
…………
「私は、……私の一番のヒーローを失った。」
口にするだけでもやっとなのに、私のその告白で眉を垂れ、目に潤いを零すフラッペさんをみて、私まで急に視界が悪くなった。
「強がってただけなんだよ。君にはもう少し、哀しみの余韻に浸る時間が必要だ。」
フラッペが私に問いたこと。それは、君もなにか大事なものを失って、心の時間が止まっているのではないかという、単純だがそれでも世話係としての責務を尽くしてくれているのだと伝わる、優しい言葉だった。
「なら、今日こっちに来たのも、傷心旅行ってことで、立ち直れとは言わないが、羽を広げていってくれ。」
普通、人が急に泣き出したりしたら、自分さえも冷静さを失い、何もできなくなると思う。
だけど、彼は何も言わず、手拭いで目元と頬に流れた涙を拭ってくれた。
さらに、この気の遣える言葉。泣かないわけにはいかなかった。
「……っ、うぐ。じゃあ、……っ。早くフラッペさんのお家に連れてっ……て、」
「可愛いヤツめ。」
「……ギモイッ」
そうして二人は、第三者から見たら何故二人して泣きながら歩いているのかと不思議そうな目で見られながらも、フラッペの祖父宅へ足を運ぶのだった。
◇ ◇ ◇
「お家…………大っきい、それに、近隣の家と比べても異質っていうか。」
「あぁ、……うちはこっちね。」
「………、」
「地味な家でごめんね〜」
「………。」
涙しながら歩みを進めて、暫くの時が経った。
クラ・タイミスはもはや遠方にあって時間は読めたものではないが、まぁ四方八方何方を向いても必ず時計と目が合う故、時間が分からないとかはなかった。
短針はIIとIIIの丁度間を示している。
タイムタウン自体は一見、それほど広大な街のようには見えなかったが、いざ歩いてみるとその広さを実感する。
加えて、何時でも街に入れるゲートは一つしかないから、言ったらかなり不便。
馬車に乗って移動してもよかった。
……よかったのに!!
◆ ◆ ◆
「馬車たっか!!、えっ?!たっか!!」
フラッペは、馬が引いている車体に貼られた料金表に額をつけて絶句した。
────恥ずかしいからやめて欲しい。
「相場なんてそんなものです。」
「自分、もう一文無しだぜ?」
「移動費くらい払いますよ……」
「女の子に払わせるなんて以ての外だね。」
「変なところでケチなのやめてください!」
◆ ◆ ◆
「フラッペさん。」
「なに改まって。告白?」
「……自分に酔いすぎでしょ。てゆうか、フラッペさんって此街で生まれ育ったのにどうして馬車の料金表で驚いていたんです?相当な貴族かなんかだったんですか。」
リリーナが小さい顔を傾げて言うと、フラッペはある方向を指さす。
「これ、自分の実家。」
見るとそこには、道中通ってきた民家の一回り、否二回り小さい家が佇んでいた。というか、もはやぽつんと置かれているように愛らしい家だった。
「ごめん。家って言ったけど、ほんとは喫茶店。」
…………だそうだ。
「見ての通り、実家の見てくれからして、特に貴族でも上民でもなんでもないよ。自分の家は。唯──────────。」
フラッペは、続きを言おうとして……止めた。
「唯……?」
「孰れ分かる。」
私は、何気にこの人のことがよく分からない。
質問をすると、毎回抽象的かつ一番重要なことは教えてくれない。私に察して欲しいのだろうか。……だとしたら、結構可愛げがあるかもしれない。
と、一旦今はそんなことはどうでもよくて。
「フラッペさん、手。」
気づくとフラッペさんは、私の手首を無意識に握り締めていた。それも、震えた手で。
「っ、悪い。」
「……フラッペさんがそこまで怯えるって。報告なしに家を出て、どのくらい経つんですか。半月とか、将又数ヶ月とか─────」
「いや、全然十年。」
「そうですか、十ヶ月も……、って。……ん?十、年?……単位間違えてますけど。」
「正確には、十年と半年くらいは経っている。」
フラッペは、自分で言っておいてさらに身体の痙攣は増す。
「そりゃクロークロックお爺さんも怒りますよ……!そもそも、憶えてもらってるだけでもこの上ない奇跡なんですから。」
リリーナは、あまりの驚愕に何時も以上に掠れた淡い声で言った。
「いいですか。まず、お爺さんが出てきたら、『ただいま』って言って駆け込むではなく、まずは『ごめんなさい。長い月日心配をかけてしまって。』と深々と頭を下げないと許して貰えません。」
「……でも、爺ちゃん頭固いからそもそも許してくれるか─────、」
「最初っから図々しく振る舞うより、断然マシです。さぁ、フラッペさんの気持ちが整ってからでいいので、取り敢えずは頑張ってみてください。」
私は、大分食い気味にそう言ってみせた。
こういうのは、不器用な人がやると関係は絶対に悪化する。
だから、私が正しいとは一概に言えないが、ギルド職という人々のメンタルケアも委任される立場の人が手助けをしてあげた方が断然良いに決まっている。
「──────────っ完璧。リリーナ、ありがとう。」
どうやら、決意は固まったようだ。
「私はフラッペさんの隣にいるので大丈夫ですよ。だって、怖いでしょ?」
「よく言うよ。じゃあ、またありがとうだね。」
「和解できることを、只々祈るばかりです。」
私が言うと、フラッペはうん。とだけ言い残して、小さな喫茶店の扉を一つ叩いて、私の方を見る。そうしてもう一つ、二つ叩いてから、彼は若干斜め右後ろに足を引いた。
正直、さっきのフラッペさんと比べて不甲斐なさを感じたが、それでも小さな勇気が私の心には染みた。
「はいどうも、らっしゃい。」
扉を叩いて数十秒後。ガチャ、というドアノブを捻る音と、カランカラン、という鈴の高い音と同時に、のろのろとずり足たてながら店を出る随分と貫禄のある店主─────クロークロックさんの姿があった。
そうして扉が完全に閉まったそのとき、お爺さんとフラッペさんはしっかり目が合った。
私はお爺さんの顔しか見えなかったけど、おそらく。何方も目を見開いていたと思う。
「…………、っえっ、と。爺ちゃん。……十年前、何も言わずに出ていって、」
フラッペは言葉を詰まらせる毎に、深く息を吸ってからもう一度言い直した。
クローさんは左手に、一輪の月下美人を持っていた。
只、若干その花は枯れかけていてお世辞にも綺麗とは言えなかった。もう、随分と前から買って持って、大事にされてきたのだろうか。
でも、だからこそこれは和解の兆しが見えた。と深く安堵したそのとき。
お爺さんは思いがけないことを言ってしまったのだ。
「おぉ……、門にいるんはぁ。こりゃあまた別嬪さんじゃなぁ。」
「爺ちゃん、」
クローさんは、フラッペの言うことに聞き耳など立てず、フラッペを避けてずり足で此方に足を運ぶ。
只────私はそんなお爺さんの細かい動作までしっかりと見た。
左手を強く、ぎゅっと握り締めて、眉間に皺を寄せ、何処か幸福や淋しさの形をした混乱が垣間見えるんだ。
「……こんにちは。」
「嬢ちゃんがぁ、ゲートん姉ちゃんの言ってた同伴の女の子かい。」
「んですね。」
クローさんは、ぎこちないがそれでも伝わる温厚な笑顔で私を歓迎する。
しかし、一向に花束を渡してくれる気配はなかった。
やはり、本当はフラッペさんに渡したかったのだろう。
私は只々、口出しせずその場に立っていることしかできず、偶々地を泳いでいた頭を起こすと、フラッペは周りを何処か懐かしむように見渡すも、決して此方に振り向くことはなかった。
「ほんじゃあ、ずっと外居てもなぁ脚だけ疲れるから、うちで休んでけな。」
「……でも、」
「他に行かなきゃいけないどごでもあるんかい。」
「それは違くて……、」
「んじゃ、兎にも角にも嬢ちゃんたちの気が済むまでゆっくりしてきな。」
私は、特に返答とかはしなかった。
それでも、此処らで引き返したら再びフラッペさの心をナイフで抉り取ってしまいそうだった故、私はクローさんの背を追って、フラッペさんの実家でもあり、喫茶店でもある『クロッキーン堂』に入ろうと、石畳の道を踏んだ。
そして、私は玄関までの短い道のりを歩いて、歩いて、歩いていたら、クローさんは喫茶店の扉真正面でふと止まり─────、
「ちとこれ、持ってろ。」
そう、ぎこちない冷淡な声音でフラッペに呟いてから、素っ気なく店内に入ってしまった。
何度でも言うが、私────リリーナ=ミクシアはギルド職だ。
故に、こういった場合の接し方というものも弁えている。
だから、私はフラッペさんに無理に関わりに行かず、少し一人にしてあげようと軽く会釈をしてから続けて店内に入ろうとしたとき。
ふわぁっと、”微かな風が頬を撫でた”。
というのは比喩表現で、フラッペさんがなにか私に言おうとしていた。
「……自分が料金表見て驚いた理由。ほんっと、此街のことも、爺ちゃんのことも。ちっとも知りやしなかったんだ。勝手に知った気になってたから、タイムタウンの相場を履き違えていたんだ。長らく此街には足を踏み入れなかった。だから、リリーナがタイムタウンの話をし始めたときから、もう。歯止めが効かなかった。」
彼は、心を押し殺しても尚作れない笑顔で訴えかける、というかもはや、既に終わったことのように話した。
しかしまだ、旅は始まったばかり。
それに、此街では羽を広げていってくれと言ったのはフラッペさんではないか。
彼が思い詰めていると、私も堅苦しくなってしまう。
「フラッペさんには、クローさんがあなたを突き放したように見えましたか。」
リリーナは、もはや惰性のように彼にそう問いた。
「わかんないね……、」
フラッペは、そんな彼女の単調な問いに頭を悩ませるどころか考えることをやめていた。
「月下美人の花言葉をご存知ですか。」
「無論知っているさ、”ただ一度、会いたくて”。でも、爺ちゃんは枯らしていたんだぜ……?それって、そういう意味だろ───────っ……。」
フラッペは、悲観の底のまた底で己を責めていたが、ふと。顔を上げ、瞳を大きく開き、息を呑んだ。
──────なにかを想い出したかのように。
◆ ◆ ◆
「ほんとに家の近くだからへーき!」
十数年前の、雪というかもはや、氷が降り積もるような極寒の夜。
自分は起き抜け早々、興味本位で爺ちゃんの止める声を無視して、重い扉を押し倒すように開け、外へ出て、空、地の境目も分からないほどの純白に支配された街中を散策していた。
しかし案の定、迷子になった。
幼い当時の自分にとっては大きすぎたのだ。此街が。
そもそも自分の家は、クラ・タイミスから少し外れた静謐な街並みの一角に存在する。
壁に囲まれている街とはいえ、端から端まで行くのに歩いておおよそ十時間は掛かる。
そんな端と端を決める”壁”に好奇心で溢れ返っていた自分はいつの間にか、到着してしまった。
純粋に、恐れを知らなかったのだと思う。
もし迷ったのが身も心も成熟した今だとすれば、無論建物の隙間から垣間見えるタイミスの聳え立つ方角に淡々と歩みを進めれば解決する話なのだが。
どうにも当時の自分は背が低すぎたみたいだった。
それに街外れとは言えど、人が住み着かなくなって亀裂の入った蜘蛛の巣だらけのほどほどに高い建物は、隙間なく敷き詰めて建っていた。
なにより、廃街路は入り組んでいた。迷路なんてレベルでは到底なかった。
加えてあの日は、自分の膝くらいまでの積雪だったからより、体の自由が利かなかった。
そうして孰れ、去英時のベルが鳴るのと同時に自分は、意識を起こした。
暫く放心状態で付近の廃墟に座り縮まっていたんだ。
気づけば雪は降り止み、点々とした星空が各々の個性を主張していた。
「あっ……。」
なんだっけ、あれ。……そうだ、冬の大三角ってやつだ。
それだけ唯一知ってる。爺ちゃんと観測したんだよな、確か去年だっけ。
そう、確か去年に──────────。
…………
………
……
「寒い。」
「寒かねぇだろうよ。こんなに暖炉あったけえのに。」
「……なんで爺ちゃん。」
「おめぇの爺ちゃんだからだよ。」
日のように暖かく、優しい、暖炉の熱と爺ちゃんの肉声を浴びた。
自分の記憶は積もった雪に足突っ込んで、星を見ていたところからなかったから、もはや此処が天国ではないかと錯覚してしまいそうだったけど。
「んなぁ、聞かせてくれ。」
「……なに、爺ちゃん。」
「お前の家族はほんっとうに、馬鹿なのか。」
なんの前触れもなく爺ちゃんは言うから、自分は何も返せずに只、ベッドシーツの皺をなぞって気を逸らそうとした。
同時に、此処が現実であることも察した。
「思い出せるか、シウスとクラントが死んだ理由。」
両親が亡くなったのは、おおよそ自分の物心がつく前だ。だから当然憶えているわけもなかった。
「雪崩ん事故でぇ、俺に親孝行もできずに逝っちまったんだ。」
「うん……。」
自分が一度頷くだけでいると、刹那爺ちゃんは、初めて聞く声量、感情で叫んだ。
「ごめんなさいって、言って欲しいんだよ!死ぬなら死ぬって言ってから出ていけ!」
十年間、ちっぽけで無知な頭で考えたから分かる。
爺ちゃんは、不器用で優しいんだ。
『死ぬって言って出ていけば、俺が助けに行く』みたいなことを言いたかったのだろうか。
でも、その言葉を真に受けて以降。自分と爺ちゃんの間には深い、雪が積もった。
思えばあのとき怒られた静けさは、雪の夜よりもずっと、怖かった。
そうして、雪が降った日から数週間が経とうとしている。
爺ちゃんはあのときと変わらず、寡黙で、何も言わなかった。
けれど、沈黙は言葉よりも遥かに重く、息苦しかった。
……そして気づけばまた。扉を開けていた。
今度は好奇心ではない。
「──────ほんと、家の近くだからへーき。」
日が昇る前、爺ちゃんに聞こえる筈もない小声で言った後、家の近くの散歩には見合わない量の大荷物を背負い、自分は持てるもの全て持って、家を後にした。
いつか言いたかった言葉も、鞄に詰めて。
◆ ◇ ◆




