◇砂時計が割れた日
そして、そんな大海原に負けじと存在を訴えるモノが────そう、夢刻。飛行船だ。
空気抵抗をなるべく減らした、横に長い気球の下に、申し訳なさそうに機体が付いているようなフォルム。
そして何処か、リゲル摩天楼を彷彿とさせるような見栄えで、私は少々気を落とす。
一見不格好そうに見えるが、またそれも味があるので良い。とフラッペさんは言っている。
分かるのよね。……飛行船への興味が明らかすぎる。
しかし、そんな彼を見て心做しか鼓動が早くなっていることを、リリーナという女の子はまだ知らなかった。
「リリーナ、乗るなら乗っちゃうよ。海は空から見た方が綺麗だって、うちの母さん言ってたよ。」
フラッペは、溢れ出しそうな興奮をなんとか抑え、少々息を切らして言った。
「……あなたの家庭のことは知りませんよ。でも、逆に海風───って此処でしか感じることはできないから。」
「考えさせられることを言うねリリーナは。じゃあ、飛行船の扉締まり始めてるけど、それはそれでいっか。」
「んぁ、それはまずい。」
リリーナ。加えてキーン・フラッペは、この焦るべき状況のなかで、一切の緊張感もない会話をしていた。
そうして、漸く事態を把握し、焦って駆け足で夢刻の扉に触れる距離まで近づいたとき、おそらくきっちり時間通りに、スライド式の扉は完全に閉まってしまった。
私たちが呆然と立ち尽くす中、横目でそれを見ていた乗務員の女性は、知らん顔して顔を背ける。
「あぁ……の、扉ってもう。」
「開きませんよ。それに、時間を守らなければ、此方が上に叱られるので。あなたたちの負けです。」
フラッペの、この期に及んでみたいな気まずく堅い話し方で、一応交渉してみるも、乗務員は一切の迷いもなく言い切った。なんならちょっと煽られたような気もするが、気のせいだよね。
いや、明らか煽ったよね?!とフラッペは言っていた。
「出航するので、少々離れていてください。」
「あっ、すみません。ほら、リリーナ。」
「帰りたい。っじゃなくて、ごめんなさい。」
私たちは、冷淡な乗務員と目も合わせられず、唯言葉を詰まらせて飛行船の出航を見届けるしかなかった。と、そう思っていたのだけれど。
「……ちょっと魔人が出た、ってこともあるのと、今日初運航なので、機体の点検で扉開けますけど。まぁ入りたいならどうぞ。」
乗務員の女性は、私たちの哀れみを感じ取ったのか、まるで何時もの業務内容をこなすかのように、体全身を使って扉を開けた。
私はこのとき、人の暖かみを感じて表情ひとつ変えずに涙を浮かべた。
乗務員の女性もさっきの冷淡な様子とは裏腹に、若干の女の子味を感じさせる動揺の仕方が、私は心に刺さった。いや、もっと心に刺さっているやつが此処に、隣にいた。
「んしょっと。リリーナ、やっと。待ちに待ったわくわくタイムタウン・タイムが始まるね!」
偶々空いていた窓際の座席に座ると、フラッペは開口一番、阿呆みたいなことを言った。
「一日は、待ちに待ったの判定でいいんかな……、しかも遠足みたいな名目で……でも。私もちょっと楽しみ、みたいな節はある。」
「だったらわくわくしてるじゃん!っ、そのハンバーグ貰うね。」
「あ、いやぁ、これ私のお弁当なのに……。」
「リリーナよ。許して、自分母子家庭だから。」
「……それは普通に理由として弱いですね、ほら。自分だってお弁当あるじゃん返してっ……っ!」
フラッペは、足らずリリーナの薄く丸い弁当箱に詰まってる主菜を盗もうとした。
どうやらこの弁当は、昨晩から今朝に掛けて宿泊していた、民泊の女将さんが厚意で二人に作ってくれたものなのだとか。
リリーナは、子を守る鳥のような風格で、フラッペからお弁当だけは死守していた。
もはや、何方が子供なのか。いい歳してなにをしているのだか。
と、出航前から無駄に体力を使った二人だが、暫くして漸く夢刻が動きだすと、刹那の時も経たないうちに、互いの横になった頭を合わせて瞳を閉じてしまった。
《快適な空の旅をお楽しみください。当機は、クラリアート南・タイムタウンポート行きです。》
『全く────。開いている弁当、こぼさないでね。』
二人の物陰から、誰かがそう、呟いた。
◇ ◇ ◇
「────────っどぁ。」
あれ。確か、私ステアさんの家に居たはずなのに。
ステアさんのご家族と、なにか大事な話をした後に、部屋を用意されてるから泊まっていきなよ、みたいに唆されて。でも、急に地震が来て。
でもなんだろう、漠然としない記憶。
リリーナは、上手く開かない瞼を擦って察した。
「いや、夢じゃぁーん。」と。
どうやら、飛行船の突発的な揺れによって起こされたようだった。
私はあまりの眩しさに、目が痛くなる。
白にぼやけた空色に、黄色の光が乗っている。でも悪くはない景色だった。
《間もなく、クラリアート南・タイムタウンポートです。着陸の際に揺れが生じますのでご了承ください。また、忘れ物のないよう────。》
「知らない間に出発して、知らない間にもう着いてる。……んぁ〜、今日は寝れなさそうだなぁ。」
そしてなんというか、無力感というか。脱力感というか。意識がはっきりしていない故、自分が今何をしたいのかさえあやふやだった。
いずれも寝起きなのと、数日前の悲劇が重なってのことなのだろうか。
「あぁ……もう、思い出すだけできっもち悪い。」
「そうかぁ。……ぁあ……起きたて早々、自分は気味悪がられるんだよな。」
「っびっくししたぁ。」
そして、フラッペさんは突如目を見開き(光が入ってきて痛くならないのだろうか)、私の発言の要らないところだけ聞いて、そう解釈した。
本当は起きてたんじゃないか。
「お弁当、食べてる途中で寝ちゃってたのか。蓋閉めてくれてありがとね。」
「ん、なんのはなし?」
フラッペさんは、急に可笑しなことを言うものだから、私はつい変な抑揚をつけて返答してしまった。
この人も寝ぼけているのかな。
てっきり、お弁当の蓋を閉めてくれたのは彼だと思っていたのだけれど。
本当にどうでもいいことなのに、妙に突っかかる。
んでも、そんなこと言ったらキリがない。何せ今、私が直面している問題は幾つかあるから。
「無理に考えたってぇ……脳のリソース使うだけだよね。折角ご飯食べて寝たのに、リフレッシュされなかったら意味がない。うん、そうだ。」
私は脳に、兎に角休めと信号を送らんばかりに、潔く伸びをした。
「あっ。それ、怠惰だ。怠惰って言うんだよそういうの。」
「べ、別にサボろうとかそういうのじゃないですから。」
「いや、サボってもいいと思うよ自分は。リリーナ、あの街に来たときからずぅーーっと、顔色が悪い。なんなら、今だって心から笑えていない。そんな子には休暇というものが必要です。……何があったかはまだ聞かないでおくけど。」
「フラッペさんって、急に考えさせられること言いますよね。」
この人は、なんだかんだで結構、観察力がいい。
自称かの有名なバリスタ(何処で名を馳せているかは知らない)であることにも納得ができる。
言ってしまえば、フラッペさん。彼は人格者なのだろう。
でも、ステアさんには劣っていて欲しいと、何処かで願う私だった。
するとフラッペは、指を鳴らして言う。
「君はさ、悲劇のヒロインなんだよ。」
発言にも驚かされたし、指を鳴らしたから魔法でも打つのではないかと思い込んでしまった。
私の心に刻まれる名言でも残したいのかな、というこじつけ感は否めないが、本当、彼なりの、人間なりの不器用さで少しでも前を向かせようという努力が伝わってきた。
────────でも、
「そうですね。んでも、私程度で悲劇のヒロイン名乗れるなら、あの子は”惨劇”のヒロインかなぁ〜。」
リリーナは、人差し指を今にも解れそうな柔らかい下唇に当てて、上目で言った。
「……もしかしたら、君を励ます方法は無いのかもしれない。」
「なにも励ますだけが、人に前を向かせる方法じゃないです。フラッペさんには頑張って欲しい。」
「あぁそれ自分で言っちゃうんだね。リリーナという女性は計り知れない。」
「落ち込みました。」
「っごめん!ごめんって!シュパード《牛型魔物の赤子の肉を炒めてスパイスを絡めた後、ハーブで巻いた料理》あげよっか?」
リリーナは、それを無言で掻っ攫った。
フラッペは…………若干涙目で天井を仰いでいた。
《バリンッ》
夢刻の揺れと同時に、なにかが割れる音がした。
「……また厄介事ですか。」
「いぃや、考えすぎ。オブジェクトの砂時計が落ちて割れちゃったみたい。」
フラッペさんは通路側の座席だったから、割れて砂の漏れた時計が見えていた。
客室は、刹那の出来事に最初こそ騒々しい様子だったが、案外直ぐに落ち着いた。
そうして、機体が空色の水に触れ、丸い窓一面に水飛沫が飛んで、湖へ返るように水滴が落ちていく。
窓を覗いて視線を上げると、高い塀をも超越した高さのなにかが見え、そこから幾匹かの鳥が、日に向かって羽ばたいていくのが垣間見える。
────私の第二章が、今此処に幕を開けたんだ。
と、……そこは格好よく、あざとく言ってみせたかったのだけれど。
「招待状、無くしてしまったんですけど……。」
「なら、入街はお断りさせて頂いております。」
「がーん!!!」
大門前の受付嬢にきっぱり断られ、私はその場で膝から崩れ落ちそうになったが、フラッペさんが両脇を持って私を抱えた。
でも、そんな私を見かねたのか、フラッペは悪い顔をして私をその場に置いて前に出た。
「ん〜そうだなぁ。じゃあさ、”クロークロック爺ちゃん”の紹介ってことにしといてくれるかな。」
「でしたら一度、連絡を取らせて頂きます。」
「急いでくれよ〜?」
「無理だそうです。」
「自分の頭に無理って言葉はない。」
この人を一度でも、紳士に見た私が馬鹿だった……。
「なんでも、『阿呆面な孫がなにも告げずに街から逃げたっつーのが許せんでの。』とのことです。」
「うあぁ……これ言ってるよ、大分怒ってるよ爺ちゃん。」
「爺ちゃん?」
「そ、自分の爺ちゃん。此街に住んでる老いぼれなんだけど。あの人、頭硬いって次元じゃないから。」
だからか、フラッペさんが結構タイムタウンのこと知っていたのにも納得がいく。
にしても、孫がこれだからなぁ……、そのお爺さんってなると、かなり癖がある方なのだろうか。
「余談ですが、年頃の女の子が同伴、とお伝えしたところ、快く迎えてくださいました。」
受付嬢は、腰あたりで低く親指を立てて言った。
え。すご、この受付嬢。やるな。
流石のファリスさんでも平伏すほどのシゴデキだ。
「君、前に自分が言ったこと、覚えててくれたんだ!」
「まぁ、……フラッペ様の要望とあらば。っほら、早く行ってくださいっ!」
彼女が言うと、正面の大門が中心で別れ、それぞれの格子左右に動き、タイムタウンに入れる状態になった。
この街の対魔物・魔人の設備はかなり高度なもので、招待状を認識しない限り、故意に大門を開くのは無理だとされている。
それでも、この街は商人等の出入りが激しいので、時折、東西南北孰れかの門が不定期に開くようになっている。
と、昨日フラッペさんから聞いたのだけれど、見てくれからして誰も入れさせない、という強い人々の意思が伝わってくる。
そうして私たちは、なんとなくの流れで、なんとなくタイムタウンに到着した。
「フラッペさん、……此街だと結構、名を馳せてるっぽいですね。」
「そ。だって何度も言うけど、自分はかの有名なバリスタなんだぜ?」
何度も思うけど、クラリアートでこの人の名前は聞いたことがないし、私も知らないんっ!
それにしても、タイムタウンって名前なだけあって、時計だらけだ。
もはや何処を向いても時計と目が合う気さえする。
どの家にも扉には時計が掛かっている。というか、そもそもの話、建物自体が歪だ。と思ったら、これ────数字の形状をを模倣した設計になっている。
左からⅠ・Ⅰ・Ⅰの形をした家。
これ、火魔法の基本コードと一緒だ。
この家は、左からⅨ・Ⅸ・XI。
こっちは光魔法の派生コードと同じ!
これは、Ⅰ・Ⅰ・Ⅰ・Ⅶ・Ⅶ・Ⅰ……。
あっ、火と重力の融合か!
凄い凄い!楽しいタイムタウン!!
「……ナ、リリーナ!」
「っあ!……すみません。」
「膝なんか着いちゃって。んまぁでも、可愛いから良し!」
「キモ。」
「やっぱ可愛くないから却下で!」
フラッペさんは、常日頃忙しそうだね。
そんなことを言い合いながら大門からの大通りを歩んでいると、歪な形の住宅街を抜け、刹那に入り込んできた光とともに夢刻の着陸時に見えた、あの高いなにかが視界の大半を覆う。
「おぉこれって。」
私が言うと、フラッペさんは私の目の前まで駆けて、人差し指を立ててから自慢げに言う。
「言うまでもなく、タイムタウンの象徴────────クラ・タイミス。」
「クラ、って……クラリアート、?」
「ご名答。此街も一応、クラリアートの管轄だから、”クラ”・タイミス。」
言われてみれば。否、言うまでもなく、瞳に映る塔が此街における象徴的存在だということが分かる。
「それにしても、タイムタウン。凄くいいです。だって、嫌でも時計と目が合うから、遅刻とか絶対しないし。」
リリーナは小さい唇故、一見すると表情が分からないが、愛おしく無垢な笑顔で言った。
「時計見たところで、動かなかったら普通に遅刻するぜ。」
「私ってそんなに極端な女ですか?」
「それって言った方がいいかな。」
「言うまでもなく、て顔してます。」
「あえて言わないでおいたのに、自分が言っちゃうんだね。」
「……まぁ?」
「自己肯定感の高い女性は好きだよ。」
「皮肉がお上手なことで?」
「こりゃあどうも。」
絶景とも言える、歪な形状の建物が螺旋階段のように連なるタイムタウンの街並みの中で同化する二人は、内容はないが無駄にテンポのある会話をしていた。
その刹那、再び集った鳥たちは、再び一斉に飛び去った。
────街の象徴であるクラ・タイミスが、思いがけないほどに大きく、そして重いベルの音を奏でたのだ。
また、それと同時に付近の噴水孔が奥から次々と放水を始め、虹が現出した。
でも────、なにより驚いたのが。
「人が、焦ってレストランに駆け込んでる。」
ほんの数秒前のおっとりとした雰囲気とは裏腹に、なにやら皆、思い詰めた様子……ではないけれど、何処か急ぎ足でレストラン、家に駆け込んでいた。
かと言って、全員が全員建物に入るわけではなかった。
付近のベンチや階段に座り、バスケットに被さった布を捲りバケットを取り出す人。
木箱を開けてサンドウィッチを取り出そうとするも、落として膝から崩れる人。
皆、昼食を摂る為に移動したのだろうか。
だとしても、何故一斉に。
「あぁ、そっか。外部の人からしたら、これって異常な光景だよね。これあれだよ。この前言った、時間厳守ってやつ。時計見てみ。」
私は言われるがままに視線を時計塔に移す。
「XII……。」
「クラリアートでも、昼の相場はXII時って大体あるでしょ?」
「私、あまりお昼とか食べないので、」
「だとしても、此処じゃあ守らないといけないんだぜ。規則だからな。ほら、弁当食べたばっかだけど一応レストラン行くよ。」
リリーナは、下唇を突き出して渋々フラッペに腕を引かれるのであった。
◆─枯れる月下美人
「私、タイムタウンって面倒くさいと思う。」
「えぇ……、さっきまで『タイムタウン。凄くいいです……///』とか言ってたのに──っいだ!」
「っ、誇張しすぎです!!」
「失礼失礼。それにしても、此街ってさ、本当時間に厳しいから、少しでも周りから遅れをとると、嫌〜な目で見られるんだね。」
「、ふんっ!」
「態々動作を口に出すんだ。」
「キモイ!」
私たちは、それから飲み物だけ頼んで、周りに変な目で見られぬよう不自然なくレストランに居座り、暫くして店を後にした。(会計のときに、金額が安すぎて結局変な目で見られた)
「フラッペさんのお爺さんの家、北大門から入った方が近くないですか……、っはぁ。」
「仕方ないんだ。招待客の解放ゲートは一つしかないんだよ。それにしても、リリーナ体力ないねぇ。」
リリーナは息を切らして言うが、何気に彼女は今、フラッペに背負われている。
「ちょっと体勢崩しても文句言わんでくれよ。」
「それはもう。はぃ……。」
「それはそうとリリーナ。自分はたった今気づいたのだが、いつもと違うな。此街。」
刹那フラッペは急に体勢を変えるものだから、どうしたのかと訊こうと思ったのだが、文句は言うなと言われた直後故、少し躊躇する。
「…………どっか変ですか?」
「うん。旅人からすれば、一見変わりのないことのように思えるが、周りを見てみて。」
言われてみれば、タイムタウン住みであろう民衆は、皆同じ方向を向いている。
よく目を凝らしてみると────────噴水孔、だろうか。
街を囲むように設置されている噴水孔は、概ね既に閉じている。おそらく時間を知らせる為に、ある一定の時間が経つと解放されるのだろうか。
でも、その中の一つだけ。
不自然にまだ放水されていた。
「あの噴水孔、ですよね。」
「うん。制御機能の不具合だといいけど。」
「ク、クラリアートではよくあることです!私もよく、復旧作業に携わるので……!」
「タイムタウンでは滅多に”ない”ことなんだよ。」
リリーナはなにも言い返せなくなって、フラッペさんの首あたりを強く抱いた。
「あ、あぁっ、リリーナ思い詰めないで!この話は一旦忘れて、一旦爺ちゃんのとこ行こっか!」
「忘れちゃダメです。こういうときって、絶対厄介事ですから。」
「……んーと、じゃ。この話も爺ちゃんにしてみよっか!っ一応、あの人も管理者だったし。」
私が強く、こくりと頷いたそのとき。
タイムタウンでは絶対使うから、持ってけ。とファリスさんに押し付けられた、年季の入った木目の深いの砂時計が、鞄の中で割れた。




