◆誓った三重奏の音色
*プロローグ
◇ ◇ ◇
「ゲホッゲホッ…………っ。」
僕────アドラス=ステアは時折、あの日の出来事が脳裏によぎっては、地面に這いつくばって咳き込む。
──────────『ヒーロー』。
命を投げ出してでも人々を守り、助ける存在の名称。
しかし、僕はそんな『ヒーロー』になれなかった。
守れなかったんだ。助けられなかったんだ。誰も。
思えばあの日、空は必要以上に蒼かった。
建物と、生命が崩れる轟音。
そして、一生脳裏を焦がして離れないあの、言葉。
目を閉じれば鮮明に蘇る。
手を伸ばしても届くことはない、あの光景が。
それでも、ヒーローになれなかった僕は、今も生きている。
いいや、未だに生きている。と言った方が僕らしいな。
生きて、この世界の片隅で、もう戻らない失ったものを探している。
◆─唯、『生』ことだけ
クラリアート王国、それはかつて存在した「ローヴ王国」の反逆者共が支配したことにより創造された国である。
昔こそ独裁政治が世を支配するのが主流だったが、今となってはあくまで王は象徴だという象徴国王制がとられている。
人々は安泰な日常を過ごせることが当たり前となってきていたが、そんな日常に異変が訪れたのは遡って二ヶ月程前のことだった。
ある日、僕”アドラス=ステア”が住まうアドラス家宛に、一通の手紙が届いたのだ。
しかし僕の家族は殆ど家には居らず、僕でさえ日々討伐依頼をこなす日常に追われている故、ポストを確認する余裕なんてなかった。
僕がこの手紙に気づいたのは、送付日から約二週間後の雨の日。
手紙がポストに投函されるまでには一週間もかからないから、一週間と少しの間は此処に放置されていたということになる。
「ステア〜ギルドから多分”重要何とか”って書かれてるお手紙来てるわよ。」
雨で濡れた洗濯物を手際よく取り込んでいる最中、母さんがふとポストに手紙が投函されていることに気付いた。
「ちょ、ちょっと、母さん。依頼終わりで手めっちゃ汚れてんのに、今渡さないでくれるかな。」
それでも母さんは、僕の言い分を無視して強引に押し付けてくる。全く、相変わらず力強いんだよ。
そんなことが脳裏に過ぎった後に僕は今度、手紙へと目をやる。
ポストの中に水が入り込んでしまったのか、封筒から既に湿っていて、そこに書かれている文字は最初こそ普通に読めたが、後半からは大分滲んでいて常人では絶対に読めないものだった。
まぁでも「重要」って書いてあるくらいだからあとの文字は「依頼」だろうと断定できる。
僕は手紙をスカしていたことへの焦りと、依頼への気怠い気持ちが組み合わさり複雑な心境で手紙を開封した。
そこには、
『《緊急招集》先日未明、リゲル塔にて魔人を確認。街の兵士では太刀打ちできず、多くの犠牲者が出ています。以下の日程に、ギルド依頼課まで。これ以上の被害を抑えるため、迅速な対応を願います。────クラリアート王国依頼課』
文章の下には、手描きの不格好な地図が描かれていた。
そもそも、『リゲル塔』というのは クラリアート王国最南端に位置する、天を遥かに超える高さの、摩天楼だ。
見た目は、……なんというか、高い塔の上にまるで河の粼を感じるような淡い水色の魔晶石が乗っているイメージ。
見た目だけで言えば…そう、100億満点とも言える大絶景だ。
僕はそんな絶景の余韻に浸っていたが、ふと我に返ってしまった。
………あれ、そえば集まる日って……
「……今日じゃね?」
背筋は氷点下を下回った。
そして僕はその手紙を見た後、第三者視点から見たら恐らく那由多よりも遅いスピードで支度をし、家を後にした。
とにかく気怠くて、行きたくなくて。
そう、この時までは何時も通り何事もなく依頼をこなして、以降何事もなく帰れると思っていたんだ。
──────もはやそれが当たり前の生活になっていたから。
手紙を読んでから約二時間後、僕はいつものギルドに顔を出した。
「…んっ!今日も遅刻ね、ステア!!」
僕がギルドの重いドアを力一杯に開いた刹那、とある”少女”は先程まで唇に触れていたグラスをテーブルに「バンッ」と置いて、僕の方に歩み寄ってきた。
”シャラン=レーナ”。髪や瞳が綺麗なエメラルドグリーンで、誰しもがその美貌に惹き付けられる魔法使いだ、よく比喩表現で『お人形さんみたい』や『天使様みたい』という明らか盛りに盛りすぎている表現があるが、彼女の場合、もはやその言葉では足りない程の美貌だった。いや、彼女には『女神』が似合うのかもな。
そして彼女は魔法使いだと言ったな。…と言っても、習得を始めてからまだ二年しか経っていない未熟者。しかし、才能はそこらの上級魔法使いよりも遥かに格上だった。
……まぁ、彼女はそんなことも忘れるくらいに気が短くて………
「レーナさん、落ち着いて。」
次に控えめに手を挙げながらそう話すのは、”キル=パルド”だった。彼もかなりの腕が鳴る僧侶だ。
しかし、彼は少し抜けているところがある。世間一般的に言うと、天然ポーカーフェイスだ。それでも、僕たちの命を救ってくれることだって稀では無い。
何より、そのポーカーフェイスが時折魅せる笑顔が、僕たちパーティーの士気をあげることもあるのだ。
「パル?その言葉、また一度聞きたいな♡」
レーナはパルドにそう催促した。
………此奴、目の奥が真黒…笑っていなかった。
「レ、レーナ。ほら、パルドの目をよく見て。ここまで奥底から慈悲深そうな人間っているかい、って痛!」
僕が気を遣おうと、彼女にそう話すも言い終える前に脛を思いっきし蹴られた。
………この腹黒女め。
そしてそんな僕らの言動を周囲は、「可愛いねぇ」やら「目の癒しだな」などまるで小動物の戯れを見るような眼差しで見ていたが、………否!これの何処が仲睦まじく見えるというのか。こんなの只の一方的なドベスティックバイオレンスと言っても過言ではない。
「じゃ、ギルドの人からの話は一通り聞けたから、道中で教えるわね。」
「何で、僕聞けなかったから直接聞いてくるよ。」
「いいの、二回も聞かれたら迷惑でしょ…っ!」
「やめてよぉ、その変な拘り。」
遅れた分際ではあったが、僕は渋々襟を引かれながらギルドを後にした。
◇ ◇ ◇
「リゲルに骨魔人、ねぇ。」
「自分、スケルトンとか見たことなくて…どんな見た目なんですかね……?それと、喋るのでしょうか…声帯とかあるんですかね。」
パルドの着眼点は、何時でも興味深いものがある。連られて僕も考えてしまう
「そんなの私だって見たことないわ。ってそもそも、対処法知ってれば態々ギルドになんて行かなかったもの。」
レーナは呆れてか、無駄に声も出さずに言った。
「じゃ、賭けよか。」
彼女は、先程の希薄な態度とは裏腹に勝負を仕掛けてきた。僕らは只呆然と、頷くことくらいしかできなかった。
「リゲルの骨魔人が、喋るかどうか!勿論、勝った人は負けた人のコインでご飯食べるってことで!」
「その勝負、もらった。僕は喋らないに賭ける。」
「自分は喋るに賭けますかね。だって魔人って言うくらいですから。」
「パルド、分かってるわね!二対一、これでステアの散財は確定!」
レーナは「ニヒッ」と言わんばかりの笑みを浮かべそう言う。
本当、無邪気なやつだ。
リゲル塔に向かう道中、僕らはそんな他愛も無いことを話していた。
「そろそろ暗くなってきたわね。ステア、この辺に宿ってあるかしら?あんた土地勘あるんでしょ〜?」
彼女はふと、僕の名を呼んだ。
「そうだな…この辺りの町はあまり把握できていない。少し待て、探知する。」
僕はそう言って、指の関節を一つ鳴らしてから指を弾く。
「*近辺の建物を感知しろ」
刹那、僕はこの土地が手に取るように頭にインプットされた。
「指、太くなるわよ。」
ふとレーナが僕に忠告をしてきた。
「こればっかりは仕方がないだろ。能力を引き出すには指を鳴らさないといけないからな。」
この世界では、指を鳴らすとその人間の潜在能力が引き出される。まぁ魔法って言った方が通りが良いかな。
指は、一つ二つ三つと鳴らす関節を増やす程、連なって引き出される能力の量も変わってくる。
「よくよく考えるとレーナさん、指鳴らしませんよね。…それでどうして魔法使いに?」
ふとパルドが彼女に問いかけた。
「そんなの、才能に決まってるでしょ?」
直後レーナは自身の頬に指を当て、得意げにそう答えた。
だが僕は、彼女がこれまでにどれ程必死になって鍛錬を積んできたかを知っている。
◆ ◆ ◆
学園時代、僕はレーナと同じジューニアス帝国学士院に通っていた。僕の知っている彼女は、今の社交的な性格とは裏腹に、一人として友達を作ろうともせず、唯ひたすらに鍛錬だけを積んでいた。
「あいつ、薄情だよな。」
「顔は良いのに、勿体無いなぁ。」
「ずっと黙ってて面白くないわな。」
「こっちから話しかけてやってんのに。」
周囲は常に、そんな彼女を批判していた。
それでも彼女は強く、我慢して、時に涙しながら周りの冷たい視線に打ち勝ち、最高とも言える魔法使いへと成り上がった。
そして、そんな勤勉な姿に僕は魅了されて、彼女をこのパーティに誘ったんだ。
「なぁ、もし行く宛とか探してるなら…うちのパーティーに来ないか?」
「…冷やかしなら帰って。」
最初こそ、彼女は僕に対しても明らかな敵意的視線を送ってきていた。恐らく、いや確実に僕は他の連中と同じ目で見られている。
「その……、な。僕さ、ずっと見てきたんだよ。君が日々、淡々と鍛錬に励む姿。時々批判に耐えられなくて涙してたのだって知ってる。それでも決して諦めなかった、周りが認めずとも、僕が認める。もういい……こんな牢獄、早く逃げ出そう。見返してやるんだ。」
僕は言えること、思っていた胸の内を全て明かした。しかし彼女は、表情筋ひとつ動かさない………と言おうとしたが、
「……っ。」
彼女の唇はほつれ、緩んでいた。
「なぁにそれ、ナンパみたい。」
そして最初こそ可愛げがあったものの今となっては……。
◆ ◆ ◆
「それでステア、宿は見つかったの??」
傲慢な性格へと変貌してしまった。時間って、本当に儚いものだよな。
それでも僕は、彼女が常に素でいられることを非常に喜ばしく思っていたんだ。
「あ、見つかったぞ。」
そんな時、丁度宿を発見した。多分この地域では唯一の宿だろう。
「ありがとう!ステア、それじゃあ皆で行きましょ♪」
僕とパルドは、こんな彼女のふとした心からの笑みに魅了される。何だかんだでこのパーティの癒しだったんだ。
◇ ◇ ◇
「…おぉー!案外広いわね!」
「案外って言うな。結構広いだろ此処、金額も大分弾んだし。まぁ取り敢えずお値段以上の部屋で良かったな。」
町外れにある宿だったから、小さくて古びた建物を想像していたが、それは失礼だったようだ。天井には、大きなシャンデリアがあり、ロビーの左右には僕らでさえ身を引く程の巨大な像が佇んでいた。
「それで、私の部屋は?」
ふとレーナがそんなことを言い出し僕は、もはや低温火傷する程に背筋が凍った。
……そう、あいにく部屋は一つしか取れなかったのだ。
「えぇ…と、じゃ、パルドと僕は野宿ってことで。行こうか、パルド」
「え、……ステアさん?」
僕らは逃げるように早足で宿を後にしようとした。
しかしその時、レーナが僕とパルドの腕を掴んだ。彼女の指は細かったし、力も大して強くなかったから直ぐにでも腕は抜けたのだけれど、……僕らは彼女に引かれるがまま、部屋へと強制連行された。
「部屋がひとつなら言ってよ。私、別に怒らないよ?…そこまで性格悪くないし。」
「少し性格悪いのは認めるんだな。……っいだ!」
「レーナさん、腹黒出てますよ。」
「全く、パルはそれしか言わないしステアは否定から入るし、本当何なのかしら。私じゃなきゃ捨てられてたわよ。………あ、あと着替えの時は部屋から出てね。入ったら上級魔法使うから。」
彼女の頬は、淡く桃色に染まっていて、唇には力が入っていた。
そして何だかんだ、このパーティーことを想ってくれているようで、僕は頭のたんこぶを押さえながら安堵した。
その後僕らは、周辺の店で飲食を済ませ、喧嘩して、風呂に入り、喧嘩して、寝所争いでまた喧嘩して、もう疲れきっていた。
「じゃあ、明日は日が出る前に起きるからな。各自夜更かしは程々にすること!」
僕はそう言って部屋のソファに横たわる。
結局、寝所争いではレーナが勝利し、というか半ば脅しだったけど、パルドと僕はそれぞれソファで寝ることになった。
「レーナ、分かったら返事をだな……って、一番言うこと聞いてたな。」
「本当、寝てれば可愛いんですけどね。」
彼女の寝顔は、もはやキューピットも黙る程の至福だった。枕に顔をつけ口先が尖っていたり、時々口をむにゃむにゃと動かす。これは夜更かしするに最適な理由だよな。
「ステアさん。自分たち、本当に大変ですね。」
「そうだな。……でも楽しい。」
「淡々と日常が進んでいくだけなのに、飽きが来ない。」
「何でだろうな、だって僕ら…喧嘩ばっかしてるじゃん。」
「本当、世の中って不思議ですよね。」
その後僕らは、笑いあった後レーナを見習ってこの静寂な夜を眠り通した。
……やけに耳鳴りがする。それに身体が痙攣している気がする。
「優雅な朝の時間ですよ〜!!」
耳鳴りの原因、そして痙攣の原因は此奴、レーナの仕業だった。
「これのどこが優雅だ。『ゆ』の字もないぞ。……品性の欠片もない起こし方。……っいだ!」
体に乗られ揺さぶられ、耳元で大声を出され、終いにはぶっ叩かれる。一日の始まりが怪我って何だよ。
「じゃ、早速だけど着替えるから出てって。」
彼女はそう言うと、僕が頷くよりも早く部屋からつまみ出した。
「…品性の欠片もない。」
大事なことなのでもう一度言いました。
「まぁまぁ、いつものことですし。」
僕らは部屋前の廊下で、起き抜け直後の回らない口でそんなことを言っていた。
そんな時、ふと偶々廊下を歩いていた子ども達を初めとする家族が、僕らの前で運ぶ足を止めた。
「えっと、…どうかしました?」
「あなた達って、…あのレーナさんがいる冒険者パーティーでしょうか?」
「えっと、冒険者ではなくt…」
「はい。そうですけど何か。」
パルドは左手で僕の口元を押さえながら、まるで「余計なこと言うな」と言わんばかりの視線を送ってきた。ポーカーフェイスだから余計怖いんだよなぁ。
「あの、実はうちの子供が、レーナさんに命を救われたそうで……その時は彼女、急いでたらしくて…お礼するなら今しかないと思いまして。」
なるほど、レーナにお礼、ねぇ。彼女も大分外向的になったものだ。心底嬉しい。
そして、随分とかしこまった親子だな。これは子供も立派に成長しそうだ。
「えぇ、と…レーナは只今取り込み中でして。」
僕が彼女の成長の余韻に浸っていた時、パルドは部屋のドアを指してそう言う。
絶対今呼んだら怒るよな……とか思っていた。
そんな時、まるで操ったかのようなドンピシャなタイミングで、レーナは部屋のドアを開けた。
「あ、あの時の。」
彼女は控えめに会釈をした。
「おねーちゃん、あの時はありがとう!大好き!」
「ま、君はもう少し周りに注意して生活しなさい、分かったわね。」
そう言って、子供の頭を軽く手のひらで触った。
そういった後、僕らはあの家族と別れ、宿を後にした。
「さて、今日にはリゲルに到着する。皆無理するなよ。…ってレーナ。」
「……っん、何っ?」
今の彼女は一目見て分かる。先程の出来事で明らかに気分が高揚していた。
「レーナ、気を抜いていると怪我しますよ。今のあなたは隙がありすぎです。」
まぁ彼女がそんな忠告を聞くはずもなく、道中何回か躓いてパルドに回復してもらう羽目になっていた。
───────浮かれるって、危ねぇ。
◇ ◇ ◇
目の前に佇む壮大な景色。
『リゲル大摩天楼』だ。
「何度見ても飽きませんね。」
「この景色、めっちゃ映える〜」
僕らは、この塔に極悪非道な魔人がいるってのにも関わらず、此様だった。
「あのさ、君達。此処の最上階には、何人何百人もの兵士を惨殺してきた魔人がいるんだ。僕らだって一度も相手をしたことの無い魔人が。一歩間違えれば『死』だって真隣にあるんだからな、気を張れ。」
刹那、真横から吹き込んでいた冷たい風は止み、静寂かつ壮大な雰囲気が場に心からの緊張を齎した。
蒼く、そして白く霞んだ景色に負けじと佇む摩天楼の前。
─────僕らは絆を、生を、勝利を誓い合った。