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踏み出す1歩

作者: 葉月



「井上、これもやっといてー」



こちらの返事も聞かずに、無造作に積まれる書類を見て思わず溜息が漏れる。今日も終電までに帰れるか分からなくなってしまった。

見つめ続けても減らない書類を見るのをやめ、俺はディスプレイと睨めっこを再開した。



大学を卒業し、新卒で入社して早4年。

憧れていたゲーム業界に内定をもらった時は飛び上がるほど嬉しかった。昔から好きだったゲームの開発に携われるという夢と希望に満ち溢れていた。



だが、入社して1ヶ月もすればその夢は脆くも崩れ去った。

配属されたのは、希望していたゲーム開発ではなく、お客様相談室だった。電話対応かと思ったが、アンケート調査やクレーム回収、ゲーム評価のまとめと分析等。常に書類との格闘だった。

初めは、ここで踏ん張ればゲームの評価等を参考に新たなゲームを作れるかもしれないと思っていた。

だが、先輩から浴びせられた「ここから開発への異動はない」の無情な一言で諦めた。



すぐに辞めるのもどうかと思い、電話対応で直接クレーム受けるよりはいいかとポジティブに捉え、何とか続けてきた。

だが、1年も経てば先輩達から自分の担当以外の処理も押し付けられるようになった。俺が断らないのを分かっているからだろうとすぐに気付いた。初めは少量だったが、今となっては残業しないと終わらないまでに増えた。


後輩が入ればまた変わるかと思えば、何故かこの部署には後輩が入ってこない。人手は十分という事なのだろうが、俺の仕事量が減らないのを上司は何も思わないのだろうか。それとも見て見ぬふりをしているのだろうか。




そんな事を考えながら仕事をしていると、何時の間にか退社の時間になっていた。皆が帰り支度をする中、俺は追加された書類を眺める。

「井上、今日も帰らないのか??」

俺が帰り支度をしないのを不思議に思ったのか、先輩が声を掛けてきた。

「まだやる事あるので…」

「……それ、お前の担当だっけ??」

俺が手にしている書類を見て、先輩は首を傾げる。

「あ、いえ…。そういう訳ではないんですが」

「じゃあ他に回せよ。そうしたら帰れる「いいんですよ、村上さ〜ん」え??」


俺たちが話しているところに割り込んできたのは、この仕事を押し付けてきた先輩だった。

「井上に、1日でも早く成長してほしくてやらせているんですよ。井上も経験積めて喜んでいますし」

そう言いながら俺を見る先輩の目は笑っていなかった。同意しろとでも言いたげに俺を睨む。


「む、村上さん……。俺、大丈夫ですから」

俯きながら言う俺に、村上さんはそれ以上何も言わずに「無理すんなよ」と俺の肩を叩いて帰って行く。その後ろをニヤニヤしながら先輩もついて行った。俺はその背中を溜息を吐いて見送った。




気付けば、夜も更け最終まで残り30分になっていた。明日は休みだから、最悪逃してもいいかと思ったが、首を振り最悪の考えを頭から消す。片付いた書類を先輩のデスクに置き、パソコンを閉じて帰る支度をする。

仕事中、何度か見回りに来た警備員に挨拶をしてから会社を出るが、外にはもう誰も歩いてなかった。


「皆飲み歩いているんだろうな……」

本当は俺も飲みに行きたい。友人からも飲みの誘いも受けるが、毎日のように残業しているから断ってばかりだ。今日何度目か分からない溜息を吐きながら駅へ向かった。




駅へ向かうにつれ人も多くなる。俺と同じ仕事帰りの人は、疲れ切っているからすぐに分かる。きっと周りから見たら俺もそう見えているんだろうなと思わずにはいられなかった。

終電の車内は閑散としており、ゆっくり広々と座れた。背もたれに寄り掛かりながら、ぶら下がっている広告を眺める。最近よく見る転職サイトの広告が多い。


「転職…」

そんな勇気があればとっくにやっている。「何がなんでも辞めない」という気持ちはとうの昔に消え去っていた。

だが今の仕事量を考えると、すぐには無理だ。引き継ぎもしなければならないし、今の仕事を終わらせてからではないと難しいだろう。そう考えると気が重い。一気に疲労感が増した気がして、俺は重い腰をあげ降りる準備をする。



改札を抜けると、人はさらに少ない。家までそんな遠くないのに俺の足取りは重かった。

明日は1日寝ていようかと思ったが、冷蔵庫が空っぽな事を思い出す。せめて朝ご飯だけでも買おうとコンビニへ入る。

時間も時間なだけに、めぼしいものは無かったが、適当にパンを手に取りレジへ持って行く。

会計を済ませ、何気なくレジ脇に貼ってあるチラシを見ると「今、楽しいですか??」の言葉が大きく書かれている。




俺は、その言葉から目を離せなかった。




コンビニを出てから、頭の中にチラシの言葉が脳内を埋め尽くしている。チラシの内容はどこにでもあるような転職を促すものだったが、「楽しいですか」の一言が俺に突き刺さっている。

「楽しい…か」

そんな感情で仕事をした事がない。

憧れて入った業種なのに、楽しかった事なんてない。皆が楽しんで仕事をしている訳ではないのは分かるが、一瞬でもそう思える瞬間があるはずだ。それが今の会社にはない。


1歩踏み出してみようかと思うが、具体的な案は出てこない。

疲れた頭ではそれ以上考えられず、取り敢えず休む事を優先し俺は家へと急いだ。



翌日、俺は会社にいた。

本来なら休みなので誰もいないが、他部署で出勤してる人がいるらしく、鍵は空いていた。大きく深呼吸して、俺は自分の席に座る。


寝て起きてスッキリした頭で、俺が決めた事はこの会社を去る事だ。チラシに触発された訳ではないが、きっかけの1つにはなった。

このままズルズルと現状維持が良い事なんてなく、自ら動かなければ変わらないと改めて気付いた。


その為に今日中に、先輩から回された仕事を片付け、自分の仕事も終わらせるつもりで俺はディスプレイと書類、交互に睨めっこをする。お昼を食べる時間も惜しく感じられ、ゼリー飲料とコーヒーだけで済ませつつ作業する手は止めない。


正直、辞めると決めたのにここまでやる必要はないと思うが、やらずに放置も気が引ける。お人好しだなと自分でも思ったが、性分なら仕方ない。だが、少しは悔しい気持ちもあった。仕事を終え帰り際に、昨日先輩のデスクに置いた書類は自分の手元に回収した。



週明け、俺は朝一で出社した。

先輩は何時も始業時間ギリギリに来るので、書類がない事を見つかる事はない。デスクで書類整理をしていると、後ろから肩を叩かれる。

「おはよう井上君。今日は随分早いな」

「主任、おはようございます」

俺は勢いよく立ち上がり、頭を下げて挨拶する。


主任は笑顔で座るよう促し、自分のデスクへ向かった。

俺は主任が落ち着くのを見計らって、大量の書類を抱えて持って行く。

「主任、終わりましたので確認お願いします」

俺が抱えていた書類の量を見て、主任は驚いて目を見開く。

「おいおい……。こんな量いつの間に終わらせたんだ。そんなに担当していたか??」

「いえ、私の分以外もありますので。それも併せて確認お願いします」

「井上君の分以外って……。どういう事だ??担当外もやって「それと」……ん??」


失礼だとは思ったが主任の話を途中で遮り、俺はスーツの胸元から1枚の封筒を出す。

「こちらの受理もお願いします」

主任に渡した封筒には「退職願」と大きく書かれている。

「………え??」

「今月で退職させて下さい。規則的に難しいのであれば来月末でも構いません」

急な話に、主任はついていけない顔をしていたが俺は涼しい顔をしていた。


「ま、まぁちょっと落ち着いて話そうか……。どうして急に辞めるだなんて…」

「仕事の量、サービス残業の量等色々ありますが、現状を変える為に辞めようかと」

「仕事の量等は言ってくれれば調整は可能だが…」

「私の仕事量は十分です。ただ、担当外の仕事も回されるのは変わらないので辞めます。詳細は私が提出した書類を見えもらえれば分かると思います」

主任は、誰が何のゲームの担当か、アンケート調査をしているか等全てデータで見れる。なので、その担当以外から書類が来ればその意味が分かるだろう。

俺はこれ以上話すよりも見てもらった方がいいと思い、頭を下げて自分のデスクへ戻った。主任はまだ何か言いたげだったが、俺が渡した書類へ目を通しだした。




「おい、井上。俺の書類終わってんだろうな」

先輩が出社早々に、挨拶もそこそこに聞いてくる。

「おはようございます、もう主任に提出済みです」

「はぁ!?お前から出したら意味ないだろ!!あれは俺の仕事なのに!!」

自分の仕事という自覚があるなら、最初からやってほしい。だがそれを口にする前に先輩は主任に呼ばれた。


「井上君から提出された書類に君が担当しているはずの分も入っていたのだが、どういう事か説明してくれるかな??」

「い、いえ……。私は井上が経験を積めるかと思って…」

「つまり、君は自分の仕事を井上君にやらせていたんだね」

「そんな事はないですよ!!私だって担当分はちゃんと「うん、簡単なアンケートの集計はね」……いや、他にも」


主任は首を横に振り、先輩の言葉を否定する。

「今まで気付かなかった私も悪いが、今日見た書類と今までも同じまとめ方だった。つまり、井上君がやっていたのだろう」

「………っそれは」

「この事は上にも伝えておくよ」

主任は話は終わりとでも言うように、その場を離れ部屋を出て行った。先輩はその後ろを恨めしげに睨んだ後、俺に近付いてくる。


「おい井上。お前のせいだぞ」

元はと言えば先輩が原因なのに、何故俺が責められるのだろう。もう辞めると決めた俺は、吹っ切れたように先輩に言う。

「何でですか。俺は言われた通りに仕事しただけです。先輩がサボっただけなのに俺が責められる理由はありません」

「お前、俺にそんな口きいていいと思ってるのか!!」

「俺は何も間違ってません」

ここまで強気に出た事がない俺は、心臓がバクバクしていた。それ以上話すと強気になれないと思ったので、トイレに行くふりをして席を離れた。




それからは、先輩が絡んで来る事もなかったので自分の仕事だけに集中出来た。定時で帰れるのは久し振りだった。帰り際に「井上君」と声を掛けられ、振り向くと主任がいた。

「今朝の話なんだが、考え直してくれないか??」

辞めるのを撤回してほしいと言う事なんだろうが、俺の気持ちは変わらない。


「すみません、俺の意志は変わらないです」

「だが、これ以上業務が偏る事はないぞ」

「いえ、もう決めましたので。お先に失礼します」

引き留めようとする主任に頭を下げて俺はそのまま帰路に着く。




言いたい事を全て言えた訳ではないが、気分はスッキリしていた。

転職先はこれから探さなきゃいけない。忙しくなりそうだが、仕事の忙しさとは別な感覚があった。




今日は新たな1歩を踏み出した祝杯でも上げようかと、お酒を買いにスーパーへ足を向けた。






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― 新着の感想 ―
[良い点] 一歩を踏み出す勇気というものはなかなか付かないですよね。 それでも、ちょっとしたきっかけで踏み出すことができることでしょう。 [一言] 私も凄く今悩んでいます。 仕事量は暇すぎて辛いぐらい…
2023/11/05 18:16 退会済み
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