フォーブス家の事件5
「ふふ、マーガレット様の髪はとっても綺麗」
優しく髪を梳きながら、フォーブス夫人は柔らかく笑った。着替えのための別室で、メイドに足を綺麗に拭いてもらって、髪は夫人が整えてくれて、至れり尽くせりである。
「ご夫人自らが結ってくださるなんて」
心地良さに身を委ねながらも、マーガレットが言う。公爵家では母に髪を触ってもらった記憶すらない。だが、立花家では優しい母が可愛らしくしてくれたものだ。
元気にしているだろうか。懐かしく思って少し泣きそうになる。
「あら、痛かったかしら」
すぐに気づいた夫人がてを引っ込めたが、マーガレットは首を横に振る。
「いいえ。とても心地よいですわ」
「良かったわ。私ね、子どもが男の子ばっかり5人でしょう。娘が欲しかったのよ。こうして、髪を可愛くしてあげたり、服を買ってあげたり、憧れたものだわ。今それが叶ったみいで嬉しいわ」
そう言って慈しむようにマーガレットの頭を撫でてくれる。
「ふふ、大袈裟ですのね」
「あら。そんな事ないわよ。だって私、噂のマーガレットお嬢様にはずっとお会いしたかったんだもの」
「わたくしにですの?」
マーガレットは意外に思った。噂のマーガレットお嬢様と言えば、高飛車で、高慢で、我儘な令嬢。そんな小娘に会いたいなんて、変わっていると。
「うちのギルが、あなたに会いに行くのをいつも楽しみにしていたから」
「そんな訳ありませんわ。ギルはいつも面倒そうにしていましたもの」
「そうね。あの子はそう言う態度を取るでしょうね」
フォーブス夫人はふふ、と笑う。
「うちは貧乏貴族でしょう。息子達に残してあげられるものはあまりなくて。だから、それぞれが見識や人脈を広げられるように主人がなるべく連れ出しているの。特に歳の近い子がいるお家に」
「そういうことなんですのね」
てっきり、あわよくば婿入りなどと考えているものだと思っていたが、どうやら社会勉強らしい。貴族であれど地位は低い男爵家、しかも財政が厳しい中息子が5人もいれば、それは親としては心配だろう。
「ギルは、賢い子でしょう?」
「そうですわね。認めますわ」
かなり親バカな発言だが、マーガレットは素直に認めた。17歳を2度生きた後のマーガレットとの会話に難なくついてくる適応力は見事だと言わざるを得ない。
「兄弟の中で、いちばん私に似ているの」
謙遜もなくサラリと言う様子はいっそ好感が持てるほどだ。柔らかい雰囲気ながら、なかなかに大物かもしれないとマーガレットは悟る。
「でもねぇ、欲がないと言うか……。出来ることもお兄ちゃんに遠慮して出来ないフリをするし、気に入ってるおもちゃなんかも弟が欲しがるとすぐ手放しちゃうし」
「あぁ、そんな感じはいたしますわね」
「本当は、もっと出来る子なのよ。勿体ないでしょう?」
「そうですわね。能力があるのに出来ないフリをするのは、怠慢とも言えますわ」
「そうなの。だから強引にでも、あの子をやる気にしてくれる人が必要なのよね」
出来たわ、と鏡に向かって微笑むフォーブス夫人。ツインテールに結われたマーガレットの髪には、赤いポピーの花が飾られた。
***
「それにしてもギルがあんなに思慮深い発言をするなんて、意外でしたわ」
夕食の支度が整うまでの間、マーガレットはギルバートの部屋で偉そうに座っていた。そう広くは無い部屋なので、ギルバートは唯一の椅子を取られて立っている。
「口癖みたいに親父に聞かされてたことを言っただけですよ」
「わたくしを止めたことを含めてよ」
「あのままだと、お嬢様は無意味に敵を作りそうだったんで」
「無意味かしら? お父上はいかにも頼りない気がしたし、農夫も本当のことを言っているか、わかったもんじゃありませんでしたわ」
まだまだ納得のいかないマーガレットに、ギルバートは言い聞かせるような調子で、
「だってお嬢様。まだ――事件は起きてないんですよ」
そう言った。
マーガレットも、「あ」と声が漏れる。
「罪が発生していないうちに断罪はできませんし、俺たちはまだ子どもですから、責任もとれません。大人に任せるしかないんですよ、ああいうのって多分」
確かにそうである。公爵家という高い身分で我儘放題の小娘マーガレットではピンと来なかっただろうが、2度の人生を送ってきたからこそわかる。
「ま、あれでも統治を任されてる身分なんですから、何とかしますよきっと」
「むむむ……」
確かに、暴走気味だった。そこは大いに反省点ではあるのだが、若干12歳のギルバートの大人の対応が悔しいマーガレット。
「確かに謎の商人はキナ臭い感じがしますけどね」
「そうよね……」
これで良かったのか。本当に解決したのかスッキリしないのだ。
「時にギル、貴方本当にわたくしを信じてくださってるんですのね。まだなんにも説明していませんのに」
「そりゃそうですよ。なんせ急に、お嬢様の知能指数が上がってましたから」
「あなたを褒めたこと、後悔いたしましたわ!」
淡々と毒を吐くギルバートに、顔を真っ赤にして怒るマーガレット。
――とはいえ、案外頭の回る彼が味方なのはとても心強いとも思った。先程のフォーブス夫人との会話も思い出す。どことなく、誘導された感じも否めない、が。
「こうなったら、とことん巻き込んでやりますわ!」
それにギルバートは前回の人生において、どの事件にも関わっていない。マーガレットを陥れた犯人にはなり得ないということだ。
マーガレットは彼に、包み隠さず話すことにした。これまでに体験した、2度の人生についてを――。
***
マーガレットの語り出す荒唐無稽な話を、ギルバートは黙って聞いていた。マーガレット自身ですら改めて話すと夢物語の妄想のように思える、自分がこれから辿る運命と、立花メグとしての人生。それに、不思議な書籍の話。
「――つまり、お嬢様のこれからの人生が書かれた書籍が、その、ニホンとかいう世界にあったと。……お嬢様って17でお亡くなりになるんですか」
そりゃ大変だ、と呑気にギルバートが言う。本当に信じてくれているのかどうも怪しいが、彼はこんなやつなのだ。
「正確にはハンナ・ベリーという少女の視点で書かれた一人称小説よ。そして、この子は実在するの。わたくしが通う学園に、一緒に入学しますのよ」
「学園というと、学園都市ウィンザンドの――」
「そう、聖ウィンザンド学園ですわ」
ここクロノス王国と不可侵の姉妹関係を結ぶカイロス公国。その間にある孤島ウィンザンドに創られた、都市型の学園である。
マーガレットは嫌な思い出ばかりの学び舎を思い出し、苦い顔をした。
「ハンナが力を自覚したところから始まり、魔女であるわたくしの処刑でお話は終わりますわ」
「本になっているくらいだから、そっちの世界でもお嬢様は有名なんですね」
「それが……そんなことはないんですのよ。あの本、作者名も何もわかりませんの」
『クロノス王国―ハンナの物語―』そんなタイトルだけの、シンプルな本。
読み終わってめくった最後のページ。後書きがないどころか奥付すらなかった。どころか、表紙に戻っても作者名すらない。しっかりしたハードカバーではあったものの、一般に流通している本ではなさそうだった。
「じゃあどうやって手に入れたんです?」
「知らない女の子に、渡されましたの。……可愛らしい子でしたわ。優しい雰囲気で。次に会う時にこの本の話をしましょう、と……」
そう、まるでこの物語のハンナのような。不思議な少女だった。
「結局、叶いませんでしたけれど」
「不思議な話ですねぇ」
「わたくし、あんな人生は二度と送りたくないんですの」
マーガレットは思い出しただけで寒気がした。いくら無実を訴えても、誰も信じてくれなかった魔女の人生。
「送らせませんよ」
ギルバートは気の抜けたような声で頼もしいことを言った。
「俺の家を助けてくれたみたいに、先回りして潰すんでしょう。その、事件とやらを。俺も協力しますから」
マーガレットは胸が熱くなった。信じてくれる人がいる。それだけでこんなにも、嬉しいものなのかと。涙が込み上げてきそうだったが、グッと押えてギルバートの手を握った。
「ありがとう! 信じてくれて」
「礼を言うのは俺の方でしょうに」
ギルバートは珍しく、照れくさそうに笑うのだった。