船上の事件7
「ふぅっ! やっと着きましたわね!」
荷物は全部ギルバートに持たせて、軽々とした足取りでマーガレットは地面に降り立つ。
1泊2日の船旅。あれ以降は事件もなく、ハンナと親睦を深めながら楽しくやっていた。以前の船旅は開幕早々に魔女の疑いがかけられ、腫れ物に触るような扱いを受けていたから、今回の旅は大変楽しかった。
事件以降、マーガレットとハンナは生徒たちの関心をかなり集めていた。しかし王子であるアレクサンダーと、その側近である騎士団長の息子、ライナス・ラングトンが遠ざけてくれていたため、平穏そのもので楽しめた。時折ノアがギルバートに絡みに来る程度だ。彼はなんだかギルバートをすっかり気に入っている。ギルバートの方は迷惑この上ない様子だが。
「ええと、まずは寄宿舎に荷物を……。女子寮の寮長に、ハンナと同室のお願いもしに行かないと」
「地図を見なくても、場所がわかるのですね」
迷うことなく歩き出すマーガレットに、ハンナが感心したように言う。そうだ。マーガレットにとっては勝手知ったる島内でも、今日が初めての来訪であった。
「な、なんとなくこっちかと思っただけのことですわ。さ、行きますわよ」
「あ、すみません。私は後見人手続きがあるみたいで」
促すマーガレットに、ハンナが言う。
「後見人?」
「私、両親がいないので身元がはっきりしないんです。なので司祭様が後見人として入学手続きをしてくれたのですが、その、あの事件がありましたので」
「あぁ、それは大変ですわ」
司祭と副学長は迎えの船を待って、一度本土に連行されることになったらしい。それまでは警備兵に拘束されている。
「代わりの後見人はおりますの?」
「私は当てがないのですが、アレクサンダー殿下がなんとかしてくださると」
「あぁ、それならば安心ですわね」
彼とハンナが繋がりを持つのは良い事だ。
そんな話をしているとちょうど、アレクサンダーがライナスを連れてこちらの方へやってくる。
「ここにいたのか、ハンナ。すっかりマーガレットと仲良しなんだな」
爽やかな笑みである。
「はい。寮でも私と同室になってくださると、申し出ていただきまして。場違いなところに来て不安でしたが、今はとても楽しみなんです」
何となくこのメンバーで船内を過したせいか、王子という身分に最初は緊張気味であったハンナも、それなりに打ち解けたようだ。2人の仲睦まじい姿を見ることが出来るのも遠くないだろう。マーガレットはついつい微笑んでしまう。
「それはとても良い考えだな。流石はマーガレットだ」
「いえ、わたくしが頼りたいんですの」
本心というか、事実である。だがアレクサンダーは謙遜と取ったのか、感心したように頷く。
「そうか。そんなハンナ嬢を、少し借りてもいいかい?」
「ええ。ぜひ仲良くしてらして」
これまた本心である。もはや推しカプに対する応援である。
ヒラヒラと手を振って見送るマーガレット。一歩下がって後に続くライナスの背中に隠れがちだが、並んで歩く2人を眺めるのはとてもいい気分だった。しかし。
「……お嬢様」
いつもよりやや低い声で声をかけてくるギルバートに、マーガレットは怪訝そうに振り返る。
「お嬢様はハンナさんを手放しで信用しているみたいですけど」
「あら、ハンナを疑っているというの?」
あまりに予想外の言葉に、マーガレットは驚き困惑する。
「あの子は良い子でしょう? わたくしを何度か庇ってくれましたわ」
「俺もそうは思いますが。でも、人間裏で何を考えているかはわからないですし」
「それは大丈夫よ。だってハンナは地の文でも良い子だったもの」
「地の文って、素性も分からない少女が渡してきた本ですよね。それ、根拠になるんですか」
「それは……でも、あの子はきっと……ハンナだと、思いますのよ」
マーガレットは俯く。確かに論理的に説明はできない。でも、きっとマーガレットがメグであるように、ハンナもあの子なのだと思う。
「わたくしがここにいるのは、あの子の時を戻す力に関係している気がしてならないの」
「それこそ怪しいですよ。だったらなぜ、ハンナさんは何も知らないようにしているんですか」
「今のハンナは、何も知らないのだと思いますわ」
「では、ハンナさんに聞いてみたりはしないんですか。お嬢様のやり直しのこと」
「確かに、ハンナは信じてくれそうですけれど……。今のところは考えておりませんわ。ハンナと王子の物語に、変な影響が出てしまうかもしれませんし。わたくし、あの2人には今度こそ幸せになってもらいたいんですの」
なにしろ恋仲になってしまったら王子に死の運命が、なんて思い兼ねない。あの物語はそんな悲劇なのだ。
「……それがお嬢様の原動力にもなってきるのなら、俺は従うまでですけどね」
ギルバートはそれっきり黙って、寮まで荷物を運んでくれたのだった。
***
時間軸は少し遡る。船内の事件の後にマーガレットを部屋まで送ったあと、そのままギルバートはハンナを送って行った。
その道中で、まずハンナが質問を投げる。
「ギルバートさん。あれ、本心ですよね」
「そう聞こえましたか」
「はい。見ていれば分かります」
「見えるものばかりが真実とは、限らないのでは」
「難しいことを言いますね」
とらえどころの無いかわし方に、ハンナはやや不満げに、しかし深く追求することも無くそう言った。ギルバートはちら、とハンナを見やる。
「俺からも質問があるんです」
「私にですか?」
「あれ、ノーリスクってわけではないですよね」
ハンナは目を見開いた。あれとは当然、副学長を蘇生させた、あの力のことだろう。
「――ごめんなさい。それは、お答えできません」
それまでのどこかふんわりとした雰囲気から一転、やや青ざめた顔になったハンナは感情のこもらない声でそう言った。
「……よく、わかりました」
ちょうどハンナの部屋に着いたので、ギルバートは一礼してその場を去る。
ハンナが力を使うことにリスクがあるという話はマーガレットから聞いていない。
もし何か、代償をハンナが支払うことになるのならば、あのお人好しお嬢様は事件自体を止めようとしただろう。
つまりハンナの一人称で書かれたらしい本に嘘はなかったとしても、あえて記述しないことは有り得るのだ。
レッドラップ商会、異国の商人……司祭も副学長も関わっているのならば、教会や学園もキナ臭い。
この孤島でマーガレットを守るには、まだ集めないといけない情報がたくさんある。
探偵助手は、そう思うのだった。