古城と悪魔と吸血鬼8
エンジンの駆動音を殆ど感じさせないのは、列車そのものの性能によるものなのか、それとも座っている席が最高級のものだからだろうか。
高速に流れていく車窓を見ながら、エリオットは多分その両方なのだろうな、とやや現実逃避気味に考えていた。
エルクランの街での調査にて、事件の犯人である吸血鬼を確保した結果、彼はやはりというか帝国に属している白の家門の者では無かった事が判明した。
その為、急遽合流した入管の担当者に引き渡される事となった。また、彼の帝国への入国を手引きした者や、そもそも例の転化の呪法を発動させるアーティファクトの存在を知った経緯などについては別途軍の情報部や公安部が調査する予定だ。
囚われていた住人や本物の支配人についても命に別状はなく、吸血屍にされかけていた住人達はハルベルトの言葉どおり時間はかかるが治療出来るとのことで、こちらはアーティファクトそのものの調査と併せてオカルト関連専門の研究機関である魔塔が対応するらしい。恐らくは怪異専門の銃弾や手錠を作成している軍の研究チームと協力している部署か近しいところが担当するだろう。
そんなわけで一応、特異対の調査としては完了したことになる。
当然、帝都に帰ることになるのだがここでエリオットにとっての悲劇が訪れた。ハルベルトがなんと行きと同様に帰りも高速列車の高級シートのチケットを2人分予約していたのである。彼が言うには元々往復で予約済みだったということなのでエリオットは既に出発する時から帰りの運命を決められていたことになるのだが。
勿論、エリオットは断ろうと頑張ったのだが既にシートがリザーブされているんだからと押し切られ、最終的には物理にモノを言わされずるずると引っ張られて乗せられてしまった。その結果、今に至るのである。
向かい側に腰掛けたハルベルトは、エリオットと同様ソファーのような革張りの広々した座席で優雅に足を組み本を読んでいる。傍のテーブルに置かれたカップにはミルクティーが注がれていた。
ハルベルトの静かな姿を窓ガラス越しに見ながら、エリオットは騒動の後、城の地下から出る道すがら彼から聞いた600年前の顛末について思い返してみる。
血を集め、真の吸血鬼への転化を望んだ城主の令嬢を討伐したのはなんと、出奔し冒険者となっていた彼女の実の兄なのだという。
当時、人の世界を気ままにぶらぶらしていたハルベルトと件の兄である青年は意気投合し、たまたま一緒に旅していた。そこで、吸血鬼が出たという話を聞いてエルクランの街に揃ってやってきたところ、兄と妹は悲しい結末を迎える事となり、ハルベルトはその場面に立ち会うこととなった。
生まれた時から人ではなく、かといって吸血鬼にもなれない、家族にも腫れ物のように扱われていた自分という存在を受け入れられなかった妹。
彼女を人にする方法を探す為に密かに旅に出ていた兄。
許されない罪を犯してしまった妹を、けれどこのまま見逃す事はできない。
いつも腰に刺していた愛用の剣で妹を貫いた兄に対し、ハルベルトは望みを叶えると言った。それは、青年との旅を少なからず楽しんでいたハルベルトからの謝礼のようなものだった。
そこで、兄は自らの命と引き換えに妹を人として死なせて欲しい、と願った。そして、この城で共に眠らせて欲しい、とも。
叶えられた望みの結果、人となった妹の血が皮肉にも転化の呪法を完全なものにした。
術者が術を成す前に亡くなるという矛盾により、誰のものでも無くなってしまった術式は兄妹と共に、気まぐれな悪魔によって部屋ごと封をするように石壁で塞がれた。
術者の亡骸と刻まれた紋様を依代として成立してはいたものの、扱うものもその後力を与えるものもない転化の呪法はやがて、地脈を通じて周囲の森や大地など自然エネルギーに、長い時間を掛けてゆっくりと力を吸収される形で効力を失う筈だった。今回の事件が起きなければ。
犯人である青年吸血鬼の正体や目的、城の地下に眠るアーティファクトをどうやって知り得たのかについてはこれから調査が進められることになる。
それについて、ハルベルトによれば知り得た経緯は元より、青年が多少なりとも転化の呪法を扱えたことの方が疑問だという。恐らく彼を唆したと思われる黒幕は魔術や呪法、アーティファクトといった事柄に対して高度な知識を持ち、そして扱う力を持っているのだろう、と。
「エリオット君、何か言いたい事があるんじゃない?」
不意にかけられた声に、思考の淵から現実に引き戻されたエリオットは瞬きを何回か繰り返す。
読んでいる本から視線を外さないままのハルベルトではあるが、意識はエリオットに向いているのだと分かった。
「――そう、ですね。はい」
頬杖をついていた手を膝に置き、エリオットは背筋を伸ばしてちゃんとハルベルトに向き直った。
「特異現象操作室にエルクランの件を持ってきたのはハルベルトさんですね?」
エルクランの街には確かに吸血鬼が居た。しかし実際に街の住人に接し、そして犯人の吸血鬼がその能力で彼らの感情を操作していたと知って最初に上司であるルーカスに伝えられた『吸血鬼の噂がある』という話にエリオットは疑問を持った。ハルベルトの隷属の力で証言が出てくるようなものが噂になる程広まる筈がないのではないか、と。
「つまり最初からあなたは今回の件について分かっていて……最終的に転化の呪法を無効化することが目的だったのではないですか」
あの時。
紋様が描かれた部屋で支配人を見つけた際、ハルベルト曰く遠いとはいえ術者の血縁者であることからも都合良く呪法の制御スイッチのようなものにされていたのではないかという彼を台座から降ろした結果、這い出てきた蛇のような黒いモヤをエリオットは両手でそれぞれ掴んでしまった。
その後、幸いにもエリオットや周囲に被害を及ぼすような事態にはならなかったが、代わりに転化の呪法をなしえるというアーティファクトは永遠にその力を失ってしまったのだった。
正直残っていても仕方がないし、また何か争いの種にならないとも限らないのでエリオットとしては別に良いのでは?という気持ちが無くはないが、貴重な遺物の効力を消してしまったのが自分であるという見方をすれば中々の暴挙ではないかという気もしてくる。
「エリオット君について面白い話を聞いてね。ちょうどいいと思ったのは事実だよ」
ハルベルトの言う面白い話というのは、エリオットの『術が効かない体質』についてだ。そして、それこそがエリオットが特異現象捜査室に所属することになった理由でもあった。
魔力耐性自体は誰でも有しているものだが、ただしその許容値には個人差がある。特異対に配属されるのはその能力が一定以上高い者だと決められていた。入局にあわせて実施された身体検査にて諸々とチェックされた結果、エリオットの魔力耐性値がその基準値を超えていたことから晴れて特異対への所属が決まったのである。
「術が効かないと聞いたけど、君の場合は受け入れていると言った方が正しいね」
「自分では分からないですけれど」
「だからこそ興味深いんだよ。その無知さを含めて私はエリオット君を初めから利用していたことになるのだけれど――さて」
そこでようやく活字から目を離したハルベルトは、パタリと本を閉じると、その長い足を組み直してエリオットを見遣った。
「君は、どうする?」
ハルベルトは彼の言葉通り興味深そうに瞳を細めてエリオットの目を見つめている。
エリオットは挑むような気持ちで閉じていた口を開いた。
「――何も。むしろ、感謝しています」
「へぇ?」
「情報を頂けた事でもっと大事になる前に帝国政府主導で対処する事が出来ました」
ハルベルトはそもそも今回の件を放っておく事もできたし、関わるにしても面倒な帝国政府を通さなくても自らの手でさっくりと解決することが出来る。
それをわざわざまるで人世界のお作法に則るように情報提供からの同行者という体をとってくれた。
おまけに初手から古城ホテルに滞在する流れを作ってくれたり、怪しい場所を示してくれたりそこかしこで正確へと導いてくれている。
手厚いサポートを受け、的確に解決出来たお陰で帝国政府は事件についての主導権を取ることが出来たし、対応が遅れたり何も出来なかった場合に予測される国民の批判を受けることも無かった。それどころか逆に信頼感を向上させることが出来たのだ。
「それに、あなたが介入する事で他国や吸血鬼一族との対話がスムーズに進められるでしょうから」
まして、犯人が他国に属する家門の者である可能性があるなら尚更だ。下手をすれば政治的な対立に発展する恐れもある。
ただし、今回は『悪魔』という次元の異なる高位存在が関わっている事で、少なくとも形として彼が間に入る形になることから何かあれば相手方は素直に協力するしかない。これで無駄な争いをしないで済む。
それくらいのこと、エリオットもちゃんと理解している。あまり舐めないで欲しいという思いを込めて半目になったエリオットに向かい、ハルベルトが珍しく驚いたような表情を見せた。
「君がそういう考え方が出来るとは正直意外だったよ。もっと青い事を言うのだと思った」
「確かに、被害者の事を考えると分かっていたならどうしてとは思います。でもそれはあなたに対してではなく、自分自身が及ばなかったことに対しての怒りです」
ハルベルトが居なければエリオットはまだ何も知らなかった。それに、常にハルベルトの手助けを受けなければここまでスムーズには捜査を進められなかった。今回のような事件に対応する為の捜査官なのに不甲斐ないとしか言えない。
人の世界の常識にとらわれる必要のないハルベルトが、意図してかどうかは分からないがそれでも帝国にとって一番瑕疵が出にくい形で納めてくれた。
同じ働きが出来るなどと思い上がる気持ちは勿論無いが、それにしても最初から最後まで手の平の上だったという事実によってエリオットは自分の力不足を実感できた。
「だから、貸し一個で我慢します」
最後に、真っ直ぐ顔の前で立てた人差し指をぐっと前に突き出しながら思わずそう付け加えてしまったのは負けず嫌いの強がりだ。
虚をつかれた顔のハルベルトが丸い目でエリオットの顔と人差し指を交互に見る。
「やっぱり真っ青なんじゃないか」
瞬きの間をあけて、もはやお馴染みのようにぷっと噴き出したハルベルトがクックッと手を口元に当て笑いながら肩を揺らした。
「こ、これから成熟出来るってことですからいいんです!」
「うん、実に君らしい。ますます興味深いな、友よ」
上機嫌なハルベルトが、例えるなら大きなカブトムシを見つけた子供のようなキラキラした目をして大仰な仕草で両手を広げる。
「ともって、友ですか!?」
「いや、2人で危機を乗り越えた仲だからもう親友だね」
そんなウィンク付きで言われても困る。
あなたは全然危機なんて無かったじゃないですかとか色々ツッコみたいことはあったが、エリオットが一番聞き捨てならないのは友達発言だ。しかもしれっと親友に格上げされている。決定事項だ。怖い。
正直エリオットとしては、ハルベルトに対して勿論感謝はしているし人柄も嫌いなわけでも無いが、出来ればなるべく関わらずにいたいと思っている。当然口には出来ないが。
エリオットが望むのは平和で平穏な日常なのである。
「それにしても、私に貸しなんて作ったのは君が初めてだよ」
「あ!いや、それは言葉のアヤというか……ッ」
「何に使う?世界征服とかする?」
「本当に出来そうなんでやめときます」
軽やかなハルベルトの笑い声と、エリオットの焦ったような声が室内に響く。
あと1時間もすれば帝都に着くだろう。
車窓の風景は次第に自然から人工物の多いものに変わっていく。
なんだかんだと言いつつもハルベルトと気の置けない会話を交わしながら、エリオットはふと、件の600年前、ハルベルトと『一緒に冒険をした』件の青年も彼にとって友達なのだと考え至った。それなら、ハルベルトが今回の件に最初から関わってきた意味が分かる。
そうであればいいな、と思った。
■■
眠らない大都市、帝都アリア。
もはや朝日の方が近い時間になっても輝き続ける大都会の光を遠くに見る皇宮の奥にて。
天井が高い室内に合わせ縦に長い窓の、よく磨かれたガラス越しに人々の営みを眺めていた青年は、やがて何かを思い出したかのように小さく口元に笑みを浮かべる。
青年、とはいってもその姿をしているというだけで実際には気が遠くなるほどの時間を過ごしているのだが。
「とてもとても面白かったよ。それに、想像以上だ」
君には感謝しなければね。
そう言いながら、青年ことハルベルトは背を預けていた窓際から身を起こし、ジャケットのポケットに両手を入れた格好で室内の中ほどに向かいゆっくりと歩を進める。
細かな模様の入った絨毯の、その円形の模様の真ん中でくるりと軽やかに向きを変えると、北側に配置された大きな執務机に腰掛けている少年を正面から見た。
「大事なおもちゃを貸してくれてありがとう」
青年の言葉に少年がかすかに目を細める。
「随分と機嫌がいいようだな――大公爵」
少年が口にしたそれは、魔界においてハルベルトを表す称号の一つだ。エリオットに伝えた役人というのも、魔界の統治機構に関与する身として結論的に大まかには間違いではないので嘘をついたわけではない。ただ、恐らく彼が想像しているよりは『少々多く』権限を持っているというだけの話だ。
「ハハ!お互い様だよ。ほら、ちゃんと無事に返しただろ?」
「当然だ」
短い言葉でありながら『傷一つでもつけることは許さない』のだと、その目が語っていた。
いつもなら羽虫ほどにも気に留めない人の集落で起きた瑣末な出来事にハルベルトの遊び心が湧いたのは、ちょうど今と同じ部屋で、同じように顔を合わせていた目の前の少年皇帝からもたらされた街の名前に訪れた事があるのを思い出したからだ。
久方ぶりに旅をするのもいいと思わせるところも含めて何もかも全て皇帝の思惑通りなのだろう。お互いが分かっていることを分かった上で頷いた。貸し与えられた『旅のお供』についても同様だ。
初めはちょっとしたオマケくらいの感覚だったのが早々に裏切られたのは嬉しい誤算である。と、いうことは当人たるエリオットには秘密だ。
いや、敢えて伝えてみて変な顔で文句を言われるのも楽しいかもしれない――そこまで考えたところで、自分の巡らした想像にハルベルト自身が内心で少し驚いていた。
「人のものほど欲しくなるって本当なんだねぇ」
かの面白青年との旅を思い出し、ハルベルトはくつくつと笑みを零す。
勿論本気では無いとはいえ、自分の術が効かないその不可思議な体質ばかりではない。他愛無い会話であっても退屈しない相手など至極珍しい。それどころか自分からついちょっかいをかけたくなる者など他に思い当たるのは、前にいる彼くらいだろうか。
ハルベルトの言葉を聞き、少年のまとう空気に剣呑さが混じるのを感じて眉を上げる。彼がこうも素直に感情を露にする様に思わず感心してしまった。
だからだろうか。余計なことを言いたくなったのは。
「お礼に一ついいことを教えてあげよう。私にはエリオット君が美味しそうに見える」
「……」
「彼が何かしらの力を受け入れるたびにその魂の価値は高くなっていく。特に、我々のような高次の存在にとってはね」
当然、悪魔だけでなく合理的で秩序を愛しだからこそ傲慢な天界の住人にとっても同じように映るだろう。いずれは取り返しのつかない程のものになるかもしれない。
尤も、ハルベルトのように美味しいとなるか、それとも愛でたいとなるか、あるいは壊したいとなるかは個々の感覚によるものなので分からないが。
「それがなんの憂いになる?」
目を伏せ、少年が静かに椅子から立ち上がる。
「全て消してしまえばいい」
当たり前のこと当たり前に言葉にするよう。
やがてゆるりと開かれた瞳は言葉の意味とは裏腹に狂気を思わせる色は無く、どこまでも正気だ。澄んでいると思えるほどに。
皇帝がこれほどまでに己に執着しているなどエリオット本人は知るよしもない。
(いや、『まだ知らない』のか)
奇妙なパラドックスだ。果たしてその時が訪れたらどんな選択をするのだろうか。
月明かりに滲む若き皇帝を見据える。
もしもハルベルトが人であったなら、こうして彼の前に立ち続けることなど到底出来なかっただろう。自然に頭を垂れ膝を折り忠誠を誓っていたに違いない。
この少年は間違いなく、覇王の器だ。
思いがけずそれを再確認したハルベルトは、ますます上向く機嫌を隠しもせず口角を持ち上げ、けれど仕草だけはまるで観念したかのように殊勝に肩をすくめる。
「やれやれ――今日はもう帰るよ。旅のおかげで新しい作品のアイデアもたくさん貰えたし」
作家としてそろそろ原稿を進めなければならない。次はそれこそ吸血鬼と人の恋物語などどうだろう、とハルベルトは考えを巡らす。使い古されたようにも思えるテーマだが、料理の仕方によっては全く新しい印象を持たせることも可能かもしれない。
「じゃあ、またね」
くるりと向きを変えた次の瞬間、室内からハルベルトの姿が消える。
後には、何事もなかったかのようにディスプレイに映されたデータを見る少年帝と、彼が執務を進めていく静かな気配があるだけだった。
こちらのエピソードは今回で一応ラストになります。
次回からはまた新しい話になります。(主人公や世界観等は同一です)