古城と悪魔と吸血鬼7
天井が低く、分厚い石壁で囲まれた室内は、ちょっとした音でも思いのほか大きく響く。
「これで貴様は私の僕だ!」
高笑いでもしそうな様子で声を上げた青年と、特になんの感慨も無さそうなハルベルト。そして。
「へ?」
思いがけず注目されたエリオットが、突然の事態に反応に困っていますというのが丸わかりな表情で冷や汗を流しながら何回か瞬きを繰り返した。
「取り敢えず聞くけど、エリオット君大丈夫?」
「??何だかよく分からないですけど、はい」
「な、なぜだ!魅了の術が効かないだと!?」
ハルベルトに問われ、困惑しながらも肯定を返したエリオットに変わった様子は全く見られない。そのあまりにも普通の姿に、青年が驚愕したような声を上げた。
「は!?魅了!?」
青年の台詞の内容に今度はエリオットが声を上げる。術の効果は字面を考えたら嫌でも分かってしまう。ちょっと聞き捨ててはならないにも程があった。どうして誰も彼も人に向けてはならないものをぶつけてくるのか。
「吸血鬼の能力の一つだからね。街の住人にもそれを使って都合よく感情の操作をしてたんじゃないかな」
ハルベルトの解説にへぇと納得すればいいのか青年に怒ればいいのか迷ってしまい忙しそうなエリオットに代わり?ハルベルトが、思い通りにならない状況に苛立ちワナワナ震えて立っている青年に向かい口を開いた。
「そんな粗末なもの彼には意味がない。私の術ですら効かないのだから」
絶妙に煽る台詞に、判断力が鈍っているのもあって簡単に乗せられた青年が、怒りに赤く染まった顔を歪めハルベルトを睨み上げる。
「貴様!なにも、の……ッツ」
しかし数秒後、今度は徐々に顔色を青くしていくではないか。そのリトマス試験紙のような変化にエリオットが横目で何かを疑うようにハルベルトを見遣った。
「何かしたんですか?」
「彼の心に語りかけただけだよ」
そんなどこかの怪しい宗教家みたいなことを良い笑顔で言うハルベルトに対し、青年は冷や汗を垂らしながら後退っている。先程までの尊大な姿とはまるで正反対だ。何を語りかけたのか詳細は分からないが碌なものでないのは確かである。
「ぐぅ……ッ」
よろめいた青年が、ガシャリと音を立ててすぐ近くにあった牢屋の鉄格子を掴んだ。
その時、ちょうど中に入れられていた村人が何かをくぐもった声で呟きながら空中に伸ばした手が青年に触れてしまう。
「このッ虫ケラめ!」
八つ当たり半分に青筋を浮かべた青年が懐から短剣を取り出すのと、エリオットが咄嗟に腰から銃を抜くのはほぼ一緒だった。
「危ない!」
「ッく!」
キンっと硬質音をたてて落とされたナイフが床を転がる。弾のめり込んだ右手の甲を反対の手で抑え、青年が憎々しげにエリオットを見た。
「お見事」
ハルベルトのパチパチという拍手にエリオットが前を向いたまま「どうも」とモゴモゴ口にする。ハルベルトの表情は珍しく素直に感心していることを表しており、ソワソワと気恥ずかしくなったエリオットは意味もなく何回か咳払いをしてしまった。
見た目からして凡庸であるためなにかと侮られやすいエリオットだが、射撃の腕についてはそこそこ自信があった。
これは、幼い頃のちょっとした経験からくるものであるのだが、その話はまた別の機会にするとして、ともかく短剣などエリオットにとっては大きすぎる的だ。勿論銃の性能にもよるが弾が届く距離ならまず絶対に外さない。手に当てたのは外した言い訳などではなく当然ワザとだ。
「くそっ!!」
立ち上がり、エレベーターに乗ろうと身を翻す青年の指が操作板に届く前に、エリオットが今度はボタンを撃ち抜く。弾は目標のちょうど中心に綺麗に命中していた。
もう開かなくなってしまった鉄の格子扉を一度強く叩いた青年が、それを背にし、2人の方を向いて斜めに立つ。
彼の動作は明らかに精彩さを失っており、額には汗が滲んでいるが分かった。
先程エリオットが青年の右手に撃ち込んだ銃弾は、対怪異用に帝国軍の開発部が改良を重ねて作り出した最新型の代物だ。敢えて威力を調節し体内に球が残るようにすることで、そこから特殊なエーテル波を発生して魔力のバランスを崩してしまう。
いまいちピンとこなかったエリオットに、ルーカスが分かりやすく説明してくれたところによると、つまりは酷い船酔いに似た状態になるとのことらしい。
今まさに、2人の目の前の青年は終わらない目眩と吐き気と浮遊感と、更に加えて先程ハルベルトが心に語りかけた碌でもない何かに襲われているところである。
「こういう時『これで終わりだ!』とか言いながら地下室ごと爆破しようとする展開あるよね」
ハルベルトの呑気な言葉にエリオットがギョッとした顔を向ける。
「変なフラグ建てるのやめて下さいよ!」
ここは地下も地下、城のかなり奥にあたる。埋もれてしまえば命は無いし掘り出されるのですら何日かかるか分からない。下手をすれば見つけても貰えないだろう。
そこまで考えて、ハタとエリオットは思い至る。
そう言えばこの空間で生粋の人間といえるのはもしかしなくても自分だけではないのだろうか、と。
ハルベルトは悪魔で、青年は吸血鬼である。
囚われている村人たちは人間だが、ハルベルトによると吸血屍になりかけている状態であるらしい。しかも彼らは身体能力が高いのだとかなんだとか。
「ちょっと聞いていいですか?ハルベルトさん」
「なんだい」
「もしも。もしもですよ?今埋もれたら死ぬのって」
「エリオット君だけだと思うよ」
知ってたけど聞きたくなかった、とエリオットが無の顔で天を仰ぐ。なんということだ。世の中無情である。他に犠牲者が出ないのは良いことなのだが出来れば自分にももう少し優しくして欲しかったと愚痴っておいた。
「貴様ら!また私を無視するな!!」
青年が拳を握りしめ声を上げる。
確かに暫し忘れていたのは事実なので素直に申し訳ない気持ちになってしまうエリオットは少し疲れていた。
「まぁいい……これで終わりだ!」
「ッお前!」
フハハと笑いながら、青年がエレベーターの脇にある壁を握り拳で強く叩く。咄嗟のことに反応の遅れたエリオットがすぐに駆け寄り青年の手をねじり上げるが、既に石レンガは押し込まれたあとだった。
フラグ回収が早すぎる展開に、エリオットが恐る恐る天井を見上げる。同時に勝ち誇っていた顔の青年も上を見上げていたが、いつまでたってもなんの動きも無いようだ。
「コレ、抜いておいたよ」
ハルベルトの軽やかな声に揃って振り向くと、彼の人差し指と親指の間に挟まれた木製の歯車が窺える。
「個人的に爆破オチはあんまり多用するべきでは無いと思うんだよね」
あの歯車がどこの部品かは窺い知れないが、青年の目的に関連する何かにとって重要なものであったことは分かる。その何かが破壊行動であることも。
エリオットがホッと肩の力を抜いたその時、いち早く状況を思い出した青年が勢いよく足を振り上げた。完全に無防備な状態で蹴り上げられ、エリオットの体が数メートル先の壁にぶつかる。
「ッツ!!」
一瞬、息が止まる。
さすが、相手は吸血鬼だ。銃弾の効果もあるが最初の体勢が不安定でなければ骨の数本は折れていたかもしれないなと、エリオットは壁に背をつけ痛む腹を抑えながら思った。
と。
ビシリという音と共に、突然エリオットの背後にあった壁がガラガラと崩れ始める。
「ッうわっ!なんっ!?わ!わ!」
床についた手を軸にし、慌ててゴロンと何回転かして瓦礫をどうにか回避したエリオットがしゃがんだ格好のまま見上げた先には、先程まで壁であったところに空いた穴と瓦礫、そしてその向こうの別の空間が見えた。
「これは……」
小さく呟いたエリオットがゆっくりと立ち上がる。小さな瓦礫や土埃を払いながら穴に近付いてみると、壁の向こうにはそこしか広い四角い形の部屋があるのが分かった。
奥の方は暗くてよく見えないが何か台のようなものがある。部屋の床には、恐らくその台のようなものを起点として、幾何学的な模様に溝が掘られてあり、淡い光がそれをなぞるように瞬いていた。また、模様とは別に室内のあらゆる箇所に、古い血の跡と思われる大小の黒いシミが幾つもあるのがこれまた異様な雰囲気を醸し出している。
「どけ!!」
背後からの怒声に、エリオットは穴の先を覗くため少し前屈みになっていた体勢を瞬時に起こした。先程のように遅れを取る気はもうない。
冷静さを失い向かってくる青年の力をそのまま応用したエリオットは逆に勢いを相手に返すようにして身を翻した。
ダンっと流れるように綺麗に石の床に叩きつけられ呆然としている青年が再び動き出さないうちに両腕を背中に回し手錠をかける。
勿論、こちらも通常のものではなく、怪異専用に開発されたものだ。しかも今回は、任務に赴く前の帝都にて支度中にノリでオマケしてくれたハルベルトの魔力込み特別バージョンである。まず間違いなく青年に抵抗は出来ないだろう。
「!お前ッまさか政府、の……ぐっ」
「中央捜査局だ。大人しく観念しろ」
案の定動けない彼は、元々の青白さを更に悪化させた結果ゾンビ並みに土気色となった顔を床につけ苦しげに唸っていた。
「さすが特別捜査官どの。これで一応ひと段落だね」
「ハルベルトさんのお陰です。ところでこの、壁の向こうの部屋は一体――」
「これこそ転化の呪法そのもの」
ハルベルトの言葉に目を見開いたエリオットが、促されるようにして顔を壁穴の先に向ける。
同じように体を斜めにし、崩れた壁の向こう側に視線を投げたハルベルトがスッと目を細めた。少しの間、2人は静かに幾何学模様の描かれた室内を見つめる。
「600年前の遺物だ」
そのハルベルトの言葉にエリオットはこれまで聞いた情報を頭の中で整理して思考を巡らす。横目にハルベルトを見遣るとパチリと目があった。
「もしかして、これが吸血鬼伝承の元になった事件で使われたっていう術ですか?」
「そうだよ。部屋自体がアーティファクトになってる。それなりに力のある者が扱えば街ひとつ分の住人くらいは簡単に転化させて掌握出来たんだろうけど」
言いながら、ハルベルトがエリオットの足元で蹲っている青年を見下ろす。
「君には荷が重かったみたいだね」
もう言い返す気力がもないのか、青年は力無く項垂れていた。
「取り敢えず、一旦このまま現状を保存して本部の指示を仰ぐしかないですね」
壁に手をつき、崩れた先を見ていたエリオットが難しい顔でうーんと唸る。
吸血鬼の処遇にしてもそうだし、住人達の治療についてやアーティファクトになっているというこの部屋のことなど自分だけでは対応しきれない事ばかりだ。
「ま、そうだね」
言いながら、ハルベルトが検分するようにライトで室内の奥の方をぐるりと照らしていく。その丸い光がぼんやりと確認できていた台座のようなものの前に来た時、エリオットが思わず目を見開いた。
「ッ!支配人!?」
細長い祭壇のようなものの上に寝かされている人物の姿は、まさに吸血鬼の青年が装っていた支配人と瓜二つである。恐らくは本物の方だろう。
呆気に取られていたエリオットはしかし、真の支配人の口から苦しそうな呻き声が聞こえた事でハッと我を取り戻すと慌てて瓦礫を飛び越え室内に足を踏み入れた。
一応は床の模様を踏まないように気をつけながら、エリオットは出来る限りの駆け足で支配人の元へ駆けつける。
エリオットの腰あたりまである石の台座の上にいる支配人は特に拘束のようなものはされておらず、かわりになにか薬のようなものでも飲まされているのか、あるいは術でもかけられているのか意識を失っているようだ。支配人らしく黒のスーツ姿の彼の手足から血が流れており、それが下に伝って床の幾何学模様に繋がっているようにも思える。
ともかくこのままでは良くない。早く上に戻って取り急ぎ彼を町の病院に運ばなければと、エリオットは慎重に、でも素早く支配人の身を起こすと訓練生時代に培った意識のない者を運ぶための動作を思い出しつつ、支配人を台座からどうにか降ろそうとする。と、
「エリオット君、うしろ」
「え?」
ハルベルトの声に首を捻れば、先程まで支配人が寝ていた細長い石の塊がカタカタと揺れ、ひび割が入り始めている。その隙間から何か黒いモヤのような、それでいて薄闇の中でも淡く見える光のようなものが、両脇から二つ、ずるずると這い出るように外に侵食してきていた。
聞かなくても(あ、これは良くないな)と分かる。状況から考えて支配人を台座から動かしたことが起因だとすれば、たった今、最後に残っていた彼の左足が離れた事によってどうなるかといえば――
「ッちょっと待った!!」
エリオットは必死だった。
故に素早く床に支配人を降ろすと、石の隙間から這い出てきた蛇のようなモヤのような黒い何かが台座の上に到達する直前で、殆ど無意識にそれを片方ずつ手で掴んでいた。
(こ、この後のこと考えてなかった!)
イメージ的にはアダプターになった気分だ。エリオットの脳裏には幼年学校時代のエーテル導力学の導力伝達実験の記憶が浮かんでいた。二つの謎のモヤとモヤの伝道物質役が自分である。
どうなるか予測が出来ないと、何が起きても耐えるように強く目を瞑ったエリオットではあったが、少し待ってみても特に何の異変も無い。おや?と不思議に思いながらソロリソロリと伺うように目を開けてみると、つい先程まで鈍く光っていた床の紋様は消え、同じように両手に握っていたはずの黒いモヤも無くなっていた。
「――あれ?」
何が起こったのか分からずぽかんとしているエリオットの肩がぽんと軽く叩かれる。
「ご苦労様、エリオット君」
いつの間にか横に立っていたハルベルトがエリオットの肩に手を置きにっこりと満足そうに微笑んでいた。