古城と悪魔と吸血鬼4
ハルベルトが自信満々に案内してくれた今夜の宿を前にして、エリオットは頬を引き攣らせている。
かつての領主の館をそのままホテルに改装したそこは、まさしく城であった。
「こ、ここに泊まるんですか?!」
「安心していいよ。1番いい部屋を用意して貰っているから」
「ちょっと待って下さい安心の方向性が分からない!」
エリオットとしては、ただでさえ豪華鉄道の旅費もハルベルトに(払えるかどうかはさておき結構しっかり目に辞退したがほぼ無理矢理)出して貰っているというのに、この上宿泊代まで用立てて貰う訳にはいかない。
中央捜査局は国の機関であり、捜査局の捜査員であるエリオットは公務員である。つまりは申し訳ない気持ちだけではなく後々厄介な問題に発展する可能性もあるのだ。その件について傍らにいる設定上の上司も、報告を聞いた帝都にいる本物の上司も「大丈夫じゃね?怒られたら名目上経費にすればいいんじゃね?気にしなければいいんじゃね?」的なことをあっけらかんとのたまっておられた。
とはいえ豪華列車の運賃や高級ホテルの料金が本当に経費で落ちる筈がなく、つまり最終的にはエリオットのポケットマネーで払うしか道は無いのであり、これはもう彼の貯金が吹っ飛ぶどころの騒ぎではない。
青い顔で冷や汗を垂らしているエリオットではあるのだが、自分だけ他の宿に泊まるのは付き人という設定上不自然だと思われる気がしないでもないし、何よりご主人様を説得出来る気もしないしでこれはもう楽しそうに古城に向かって歩いていくハルベルトを追うしか無いのだと乾いた笑いを零した。
旅行雑誌やパンフレットの表紙に多く登場する、エルクランの街のシンボルともいうべき石造りの古城の城門には、その雰囲気を壊さないように蝋燭のランプが掲げられている。
「ようこそいらっしゃいました。クレイシュヴァッサー様」
エントランスに入ってすぐ、迎えに来ていたらしい黒いスーツを着た壮年の紳士がハルベルトとエリオットの姿を認め、深々と頭を下げる。隣のハルベルトが当然のように軽く手を上げつつエリオットに向けてパチリと片目を瞑る。その呑気な姿に、もうどうにでもなれという気持ちをこめて、エリオットは紳士に向かってぺこりと頭を下げた。
紳士の挨拶に併せてスッと横から現れたホテルの制服を着た青年が「お運びいたします」と言いながら、笑顔でエリオットの両手と背中を塞いでいたスーツケースとリュックを丁寧かつ素早くそして有無を言わさず持っていく。流石プロである。
「今晩は、支配人。世話になるよ」
「当ホテルにお越しいただきまして誠にありがとうございます。早速お部屋にご案内いたします」
2人の流れるような会話を聞くところによると、紳士はこのホテルの支配人らしい。
「もしかして、お知り合いなんですか?」
初めての体験に緊張しながらコソッと問いかけたエリオットに、ハルベルトが「向こうにとってはそうかもね」と小さく肩をすくめる。
「出版社に手配を頼んだんだけどね。そこ、このホテルのオーナー会社の大株主らしいから」
「?出版社、ですか」
歩きながら世間話のように話すハルベルトの横顔を見ながら、エリオットが首を捻る。その頭の上には分かりやすくハテナマークが浮かんで見えた。
「こちらでは『カトラス・エスラ』を名乗ってるって言えば分かってもらえるかな」
「カトラス?えっと、確か同じ名前の有名な作家がいたような」
「うん。私だからね」
「はいぃ!?」
驚愕のあまり、コソコソ話のはずなのに声が大きくなってしまったエリオットだが「悪魔が!?」というワードはちゃんと喉の奥で飲み込むことに成功した。
「これでもそこそこ有名人だと思っているよ。そういえば前にキャスナの表紙にってオファーもあったな。断ったけど」
『キャスナ』とは政治経済から科学技術に果てはエンタメまで世界のあらゆる新しい話題を扱うちょっとお堅めの雑誌だ。
その誌面に名前が載る者が世界的に見て何かしらの影響力を持つ人物であることくらい、過去一度しか読んだことがないエリオットでも知っている。誌名のキャスナが古代教の富と繁栄を司る神に由来することも兄から聞いて知っている。とにかくそれくらい有名な雑誌だということだ。
断ったらしいとはいえキャスナの表紙になれるレベルということは、それだけの著名人である証拠となる。カトラス・エスラであればその資格は充分以上にあるだろう。なにせ幾つものヒット作や映像化を生み出し、沢山の栄誉ある賞を受賞している大作家先生だ。メディア露出が極端に少ないことからくるミステリアスさがまた人気に一役買っている、と先週朝の情報番組で言っていた。特に老若を問わず女性の支持が高いとも。理由は主たる作品が女性の共感を多いに得る内容のものだからであるとか。
カトラス・エスラはとても有名な『恋愛小説家』であった。
「れ、恋愛小説……」
ここでもエリオットは「悪魔が!?」という言葉をちゃんと飲み込むことができた。誰か褒めて欲しい。
「恋というのは奇妙な感情だと思わないかい?」
淡い照明の光りにもキラキラ輝く銀の髪を指先で少し摘んだハルベルトは完全に面白いものを見つけた顔だ。それは『恋』や『愛』を純粋な興味の対象としているからだろう。
なんにせよ、同意を求められたエリオットは言葉に詰まる。悲しいかな恋愛とは今の彼にとって最も縁遠いジャンルなのだ。決して避けてるわけではないのに。それを察したのか「あ、ごめんね」とハルベルトに謝られてしまった。
そうだけどそうじゃないの遣る瀬ない思いから変顔になっていたエリオットは返す言葉がない代わりに(悪魔がそんなに目立ってもいいのだろうか?)と余計な心配をしていた。それと同時に(だから付き人設定が1番収まりがいいってことなんだな)とも思っていた。編集者だとかアシスタントだとか、職業上幾らでも言いようがあるからだ。
「今回は取材旅行に集中したいって伝えておいたから静かに迎えてくれたみたいだね」
「もう充分に特別待遇な気がしますが」
普通の客は支配人がわざわざ部屋まで案内などしないに違いない。さすが大作家先生&大株主パワーだ。これがもしもハルベルトの言伝がなければどうなったのだろうか。もしかして玄関にズラッと従業員が並んで「ようこそいらっしゃいました!」みたいな、ドラマなんかで見る光景が見られたのかもしれない。
支配人とハルベルトの後ろについて歩きながら、今回丸投げしてきた上司はきっとこの展開も全て分かっていたのだろうな、とエリオットは確信を持っていた。
大きな柱の横を幾つが通り過ぎ、エレベーターホールに向かう途中で、ふとハルベルトが歩みを止める。
「どうかされましたか?」
エリオットが尋ねようとするより一歩早く、支配人が問いかける。
今まで進んでいた廊下から横に伸びていた一つの通路に体を向けていたハルベルトが、顔を傾け支配人を見遣った。
「この先には資料館があるんだよね?」
それは聞いているようでいて肯定を確信している声だ。
件の廊下には衝立が立てかけられており、それ以上進めないようになっている。奥は明かりが落とされており真っ暗で先は見えないが、結構長く続いているようだ。
「――えぇ。ですが今は壁面の修復作業中となっております。申し訳ありません」
少し間をおいて支配人が申し訳なさそうに答える。
何せ中世の城だ。色々と手直しする必要もあるのだろう。個人的に見てみたかったが、こればかりは仕方がないなとエリオットは心の中で頷いていた。
「へぇ、そうなんだね」
にっこりと微笑んだハルベルトの返事に、支配人が小さく頭を下げる。その顔はどこかホッとしたようにも見える。
一度チラリと暗い通路を横目で見遣ったのち、ハルベルトは興味を失ったようにスッと前を向くと、支配人に続きエリオットと並んで再び歩き出した。
分厚い雲に覆われた空は後数時間もすれば雨が降りそうに見える。
爽やかな朝、とは言いがたい天気ではあるが、その重い雰囲気がエルクランの石で作られた街並みに合っているような気がするのは、吸血鬼のことを気にしすぎているせいだろうか、とエリオットは眠い目を擦りながら考えていた。
「さぁエリオットくん。仕事に行こうじゃないか」
健やかな表情のハルベルトの声に、エリオットがやや恨めしそうな目を向ける。
「おや?隈が出来てるね」
「……眠れなかったんですよ」
「それは大変だ。部屋が合わないのかな?変えてあげようか?」
「結構です!」
両手を振って本気で拒否する姿勢の付き人役に、ハルベルトが「遠慮しなくてもいいよ」とにこやかに口にしているがエリオットとしては本気で冗談ではない。
昨日、支配人に案内された部屋は事前にハルベルトが宣言していた通りに最上階フロアの最高級スイートルームであった。
元は城主の部屋を改装したというその室内は、中世の要素を残しながら最新の設備で整えられたとにかく豪華な空間であり、語彙力のあまりないエリオットはには「凄い」としか言えなかった。
ワンフロアをスイートルームの客のために使用しており、そこには付き人等の側使えの為の部屋もあるという。
ホッとしたエリオットではあったが、実際に案内されて固まってしまった。
たしかにハルベルトが泊まることになる先述の部屋よりは抑えめではあるが、あくまで比較的の話である。小市民であるエリオットにとっては充分に圧倒されるしかない室内を見ながら(果たして宿泊費は幾らくらいだろう)と、心の中に浮かべた通帳残高と睨めっこしていた。
そんなこんなで、昨夜は殆ど眠れなかったのである。
「いっそ同室でもいいね」
「その冗談は洒落になりませんよ」
「私は本気だけどね――さて」
徒然に会話をしながら歩を進めて数分。
街並みに差し掛かり、2人とも一旦足を止める。
「はい。調査開始ですね」
吸血鬼伝承の街は曇天の元、静けさに包まれていた。