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古城と悪魔と吸血鬼3

 天界と魔界。

 それは、異界とはその理の全てが異なる上位世界である。


 机を挟んだ向こう側でゆったりとソファに腰掛け、緑茶を飲んでいる魔界からやってきたという青年を見つめ、エリオットの時間はしばし止まっていた。


「そんなに驚いて貰えるなんて、なんかレアっぽくていいね」


 あははと軽やかに笑うハルベルトだが、レアとかそういう問題ではない。確かにレア度でいうなら天文学的レベルではあるだろうけれど。


「えっ?なんっ!しっ、しつちょう!?」

「いや、なんか言うタイミングなくてな。すまん」


 ルーカスがゆるゆると頭を掻きながら、彼にしては珍しく少し気まずそうに、あわあわと困惑しきっている部下を見遣る。


 エリオットの反応は至極尤もなもので、魔界と天界は確かに大盟約には縛られない(そもそもそのシステムを生み出し裁定したのが彼らである)のだから、異界のどこにどのタイミングで現れても不思議では無く言うなれば自由なのだが、それは理屈の話であり、天使も悪魔も伝承どころか神話の中の存在である。普通であれば実在する事すら認識していない。

 いくら特異現象捜査室がオカルト的なものに携わっている部署だとはいえ、そんなホイホイと出会えるような相手ではないのである。


「ところでエリオット君」

「ハイっ!!」


 急に改まった様子で声をかけてきたハルベルトに、飛び上がりそうになりながらエリオットが背筋をピンと伸ばす。

 何を言われるのかと唇を引き結んだ彼の前で悪魔がその目を細め口を開いた。


「お茶のおかわりを貰えるかい?」

「そっちかい!気が付かず失礼しました!」


 反射的に突っ込みつつ、律儀にお茶のおかわりを用意するエリオットを見ながら(この新人部下の良いところの1つはその順応力の高さだな)と、飴を食べてしょっぱいものが恋しくなり煎餅を齧っていたルーカスは思っていた。


 ついでに全員分の緑茶を入れ直し急須を置いたエリオットは、なんだか気が抜けたような気持ちでソファに浅く腰掛けハルベルトに向かい合う。どうでもいいが、湯呑みで緑茶を楽しみ煎餅を齧る悪魔とはなかなかのシュールな絵面であった。


「さて。昔の事件の顛末について大まかに分かってもらえたところで、現代の話になる訳だけれどもね」


 ふう、と息を吐き出したハルベルトが、両手に持った湯呑みを膝の上に置き視線を上げた。


「件の吸血鬼が関わっている可能性が高いから、情報提供のついでにどうなるか見物させて貰おうと思って」


 そう言いながら微笑むハルベルトは穏やかな顔ではあるものの、その真意は見えなかった。元々、人の感性や常識でははかれない存在なのだから仕方がないのかもしれない。


「見物、ですか?まさか……」


 なんだか嫌な予感がする。

 エリオットが視線だけ横に向けると、煎餅を食べ終わったルーカスと目があった。


「今回の任務だかな、喜べエリオット。初めての単独任務だ。しかもクレイシュヴァッサー氏がアドバイザーとして同行して下さる。非公式の訪問とはいえ皇帝陛下からの許可も出ているわけだし失礼の無いように頼んだぞハハハ」

「ぇえ!?室長!?」

「宜しくね、相棒」


 『皇帝陛下の許可』それ即ちエリオットにとって勅命と変わりない。単独任務は確かに緊張もするが嬉しくもある。嬉しくもあるのだが。


 あとは知らん任せた!と言わんばかりに言い切り、素知らぬ顔で湯気のたつ湯呑みに手を伸ばすルーカスの顔を見、妙に嬉しそうなハルベルトの声をBGMにしつつ、エリオットは1人頬を引き攣らせ遠い目をするしかないのであった。





■■





 鬱蒼とした森の木々が僅かな風にガサガサと幾つもの音を立てている。


「こ、ここがエルクランの街……」


 日が沈み薄闇が広がり始めた空の下、ゼェゼェと肩で息をしながらエリオットが呟いた。


「へぇ、昔とあんまり変わって無いね」


 涼しい顔でその横に立ち、同じように街を眺めながらどこか感心したような様子のハルベルトだが、彼の言う昔とは数百年は前の事だ。

 だが確かに、初めて訪れたエリオットの目から見ても、エルクランの街はまるで中世から時間が止まってしまったかのような空気が漂っているように感じられる。


 その印象通りというか、正しく中世に建てられたという石造りの高い城壁に囲われているエルクランの街の入り口は一つしかない。今は昔と違い門番が立ち、街に入るのに検問されるわけではないが、それでも夜になると防犯のために門は閉じられるのだという。間に合ったことに良かったなと声をかけてくれた門扉近くのお土産屋のおじさんの手に、薄型のモバイルフォンが握られているのが逆に不思議に思えた。一応、ネットワークは届いているらしい。



 帝都から高速鉄道で3時間。

 更にそこからローカル鉄道で4時間とバスで1時間。

 徒歩もといダッシュで数分。


 帝国北方大公領に属する森の中の旧城下町エルクランに、エリオットとハルベルトが辿り着いたのは、分厚い木の門が閉まってしまう少し前の事だ。


 飛空艇を使えば少なくとも半分は時間を短縮出来るのだが、それでもわざわざ鉄道を使ったのには訳がある。


「鉄道の旅はそれはそれで情緒があっていいね」


 2人分の荷物を持ったエリオットの隣で身軽に伸びをしている悪魔が急に「鉄道に乗ろう」と言い出したからだ。


 確かに、ハルベルトが思い立ったその場でどういう伝手を使ったのか手配してくれた高級鉄道の特等クラスの、更に一部屋しかないという特別個室の座席は広くふかふかで、提供された飲み物もお菓子も美味しかった。エリオットの給料では恐らくこの先一生乗れる事はないだろう。素直に言えばちょっと、いや結構嬉しかった。勿論お礼も言った。


 それは否定しないけれど、おかげで昼前には街に着けるはずだった当初の予定が大幅に遅れに遅れ、最終的には街の門限ギリギリに到着し、石畳の坂道を猛ダッシュする羽目になったのも事実である。しかも、エリオットは自分のものだけでなくハルベルトの荷物も抱えてだ。


「大丈夫かい?エリオット君」


 昨日の帝都での初対面時に身に付けていた、見るからに仕立ての良いことが分かるフルオーダーであろうスリーピースのキッチリとしたスーツとは違い、カジュアルなセーターに長めのウールコートを羽織った身軽な普段着を身につけたハルベルトが問いかける。


 季節はじきに春になる頃だが、北方大公領はまだまだ冬の気配の方が強い。吐く息も白く、街の屋根には雪が積もっている。

 現地の気温に合わせ厚手のモッズコートに身を包んでいたエリオットだが、思いがけず激しい運動をしたおかげで暑いくらいだ。


「平気です!おかげさまで暖かくなりましたよ!ハルベルト様!」


 今回のエルクランの調査では、件の噂について真偽を探るのが目的である。その為、中央捜査局の捜査官としての公的な捜査の体ではなく、街のありのままの様子を見られるように敢えて別人を装う事になっていた。

 急遽ハルベルトが同行する事になった結果、現在エリオットは主人の旅行についてきた付き人に扮している。勿論、主人役はハルベルトだ。


「その反応いいなぁ。本当に面白いね、君」

「へ?えっと、どうも?」


 取り敢えず良いことを言われているっぽいのでお礼を口にしながらも、意味がわからないとばかりにキョトンとしている『従者』の顔を眺めていたハルベルトの笑顔が深くなる。


 ハルベルトの正体を知りながら、エリオットの態度が変化する様子はない。確かに目上のものに対する態度ではあるが必要以上に構えたり遜ったり恐れたりはしておらず、とにかく普通なのだ。それがどれだけ普通でないことなのかエリオット自身は理解していないのが余計に、彼にとっては動作の全てが特別に意図したものでなく当たり前のことである証左となっていた。実に興味深く面白い人間である。


 彼もこういうところが気に入っているのだろうなと、ハルベルトは先日皇宮の奥で会った少年帝の、精巧で感情の見えない人形のような、それでいて底知れない姿を思い浮かべる。

(まぁ、それだけではないみたいだけどね)


 1人腕を組みうんうん頷いているハルベルトを見上げ、捜査官改め付き人のエリオットが荷物を抱え直しつつ口を開こうとした時、大きな鐘の音が街中に響き渡った。それに合わせて背後の両開きの門扉が鈍い音をたててゆっくり閉じられていく。


「閉門の時間みたいですね」

「うん。さて、宿に向かおうか」

「あ!ハイ……ってそういえば宿って……」

「大丈夫。言った通り手配しておいたよ。主人の務めだからね」

「う!大丈夫って言われるとなんか怖い!勤めってのもちょっと違う気が……あぁ!待ってくださいよ」


 エリオットが律儀にツッコんでいるうちに、ハルベルトはスキップでもしそうな様子でさっさと先に歩いて行ってしまう。慌てて早足で追いかけたエリオットの背中を更に追いかけるように、街の唯一の扉が完全に閉ざされた音が鈍く聞こえてきた。





 夜に染まっていく街角にて。


 足早に去っていく旅の主従の背中をじっと見つめていた人影が何かを呟き口角を持ち上げる。その一瞬後、鐘の音にかき消された声を残しそっと闇に紛れるように消えていった。


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