古城と悪魔と吸血鬼2
間取りとしてはそこそこ広いはずなのに、ところ構わず雑多に物が置かれているせいで狭く見えてしまう怪異現象対策室のオフィスにて。
目の前に立つ銀髪キラキラ美青年の言葉の意味が分からず固まっているエリオットの背後で、ルーカスが呆れたようなため息を吐く。2人の様子を見ながらギシリと椅子を軋ませると、ゆっくりと立ち上がった。
「ったく……うちの新人にちょっかいかけるのはやめて貰って良いですかね」
ぼやきつつ、だいぶ昔にタバコをやめてからその代わりとばかりにポケットにいつも忍ばせているという棒付きキャンディーを取り出すと、ルーカスは慣れた様子で包み紙を開き口に含んだ。甘いイチゴの香りが僅かに広がる。
「ごめんごめん。でもほら。彼、全然大丈夫みたいだし」
「無事ならいいってもんでもないでしょう……ボソッ(陛下に知れたら俺の首が物理的に飛ぶわ)」
「えっ?えっ??」
最後の方は良く聞こえなかったが、目の前で交わされる会話にますます訳がわからなくなったエリオットは、上司とハルベルトを交互に何度も見ている。このままにしておくと目が回ってしまいそうだ。ルーカスはもう一度小さくため息を吐き、混乱している部下に相変わらず眠そうな目を向けた。
「お前この人の目を見ててなんか異常はあったか?」
「へ?いや、特にはなにも」
「さっきずっと見られてただろ。そん時な、術をかけられてたんだよ」
「じゅ、術!?」
今更ながら思わず後ずさる部下の様子に「本当に大丈夫そうだな」と呟いたルーカスは、机を迂回してエリオットの横に立ち改めてハルベルトに向かい合う。
2人分の視線を受けたハルベルトの方といえば、特に悪びれた様子もなく、ずっと浮かべている笑顔を崩さないままその形の良い唇を開いた。
「ちょっと軽めの隷属の術をね」
「隷属!?軽めの運動みたいなノリで言われた!!」
口調にそぐわない術のエグめの内容に、エリオットが思わずツッコんでしまってから慌てて両手で口を抑える。つい今しがたまで笑顔だったハルベルトはエリオットの発言を聞いて急に真顔になっていた。
つい普通に勢いでツッコミを入れてしまったが、初対面なのにいきなり失礼な上に、ルーカスの様子からみてもハルベルトは恐らくどこかのお偉いさんに違いない。ここでエリオットが彼の不興を買ってしまえば、ただでさえ中央捜査局内で昼行灯扱いされている怪異現象対策室が更なる苦境に立たされる事になるかもしれない。例えば減給とか、今よりもっとじめじめとしたかび臭い部屋に移動になるとか。万が一にも解散なんて事になってしまったら皇帝陛下に何と言われるか分かったもんじゃない。
「うわぁ!失礼しました!」
エリオットの青い顔を見つめ、しばらく黙っていたハルベルトは次の瞬間、ぷはっと息を大きめに吹き出し破顔した。
「いいなぁ面白い!くるくる表情が変わるね君」
「や?あの、へ??」
「顔に全部出てるよ。嘘が下手そうだ」
褒められた、のだろうか。
しょっぱい顔で首を傾げているエリオットの肩を、片頬を飴ちゃんで膨らませたルーカスがポンと叩く。
「コレで遊ぶのはほどほどにして、そろそろ本題に入りましょう」
「おっと、そうだね。面白くてつい」
「遊ばれてた!」
言葉通り、遊びの時間は終わりだと言わんばかりに急にキリっとしているルーカスとハルベルトに、先ほどの後悔も忘れ再びツッコんでしまったエリオットの声が室内に響き渡った。
本部ビル地下の更に一番奥に追いやられている、ここ特異現象捜査室にも一応来客用に備えた応接セットくらいは置いてある。ただ、滅多に客など来ない故にいろんなものが乗っているのでその機能を果たせていないだけで。
良く分からない置物や分厚い本やなんやかんやを取り合えず横に寄せたり積み上げたりしてどうにかして片付け、三人分の座るスペースを確保されたソファにルーカスとエリオットが並んで座り、向かい側にはハルバートが腰を落ち着ける。真ん中のソファテーブルの上にはエリオットが用意した緑茶が湯気を立てていた。菓子鉢には煎餅も完備されている。
「エルクランの吸血鬼伝説は知っているかい?」
優雅な仕草で湯呑みを手にしたハルベルトがエリオットに向かい問いかける。それからゆっくりと緑茶を口に含んだ。
「はい。確か、600年くらい前にエルクランの街に現れた吸血鬼が当時の領主の令嬢と恋仲になったものの許される恋ではなく、吸血鬼は討伐され令嬢も後を追ったというお話ですよね?」
美しい吸血鬼と令嬢の悲恋の物語は、帝国では割と有名な伝承だ。エリオットも以前妹から聞いた覚えがある。
「へぇ。そういう風に伝わってるんだね」
面白いなぁと呟きながらニコニコ顔で湯呑みをテーブルに戻すハルベルト。満足そうにその両手を膝の上で組んだ彼の様子を見るに、緑茶はまあまあお気に召したらしい。
「?どういうことなんですか?」
「あれは領主の娘がその立場を利用して使用人を唆し、血を抜くために村人を浚わせていたんだよ」
しれっと言ったハルベルトが、煎餅を手にし良い音を立てて齧る。虚をつかれたような顔をしているエリオットの横では、特に驚いた様子もなくルーカスがお茶を啜っていた。飴を咥えたままだが味的には合わないような気がしないでも無い。
「えっ!?」
「まぁ、何分の一かで吸血鬼だったんだけどね」
「ご令嬢がですか!?」
「そう。先祖返りしたってやつなんだけど、中途半端だった。だから本当の吸血鬼になろうとしていたんだよ。結局は失敗して退治されてしまったんだけど」
エルクランの街では吸血鬼が観光資源になっているくらいだから多少は美化されていてもおかしくはないだろうが、とはいえかなり伝承とは違った話に聞こえる。なんというか、ハルベルトの語り口調だと『血生臭いサクセスストーリー失敗談』といった印象になってしまった。
気に入ったのか目の前でポリポリと煎餅を齧っているハルベルトを見ながら、エリオットはなんとも言えない顔で数回瞬きをした。
横でいつの間にか二本目の棒付きキャンディーを転がしているルーカスはとくに口を出す気配も驚く様子もない。ハルベルトの話はルーカスのいうところの任務の本題に関わっているのだろう。
この間を質疑応答の時間だと解釈して、エリオットは頭を整理しながら真剣な顔で口を開いた。
「あの!く、くれいヒュッあ゛痛ッ」
出だしから名前が言えず思いっきり舌を噛んでしまったが。
「プッ!ククッ……ハルベルト、で構わないよ」
「……すみません……」
片手を口元に添え遠慮なく笑うハルベルトと、真横で「お前な」と言いながらクックっと肩を揺らしているルーカスに囲まれ、エリオットが赤い顔で縮こまる。彼としても別に今の仕事モードなシリアス空気を壊したかったわけではないのだ。
ひとしきり控えめに笑われた後、改めて顔を上げたエリオットが咳払いを一つ零す。仕切り直しである。
「えっと、それでは失礼いたします。ハルベルトさん。そのお話なんですが、一体どういった経緯で分かったんですか?」
「分かった、というか実際に見ていたからね」
「ああ!そうなんですね……ってはい??」
納得しかけて内容を咀嚼したものの飲み込みきれず戻ってくる。そんなエリオットの横で「あ、そうか」となにかを理解したらしい声を上げたルーカスが体ごと斜めにし、はてなマークをいっぱい浮かべている部下に顔を向けた。
「ちゃんと紹介してなかったな。こちらのクレイシュヴァッサー氏は魔界のお役人どのだ」
「へ?室長、まかいってことは」
「うん。君たちがいうところの悪魔だね。あらためてよろしく」
ギギギと音がしそうな動きで首を動かし、ハルベルトを見たエリオットの向かいで、渋い茶緑色の湯呑みを両手で持った魔界の住人がニッコリと口角を上げていた。