古城と悪魔と吸血鬼1
本日二話目の投稿です。
アシュタルト帝国帝都アリア。
歴史的な威厳を感じさせる荘厳な建造物から、洒落た外観の商業施設、高い水準を誇る教育施設に研究機関、そしてアリアを象徴するとも言われる先進技術と国力の豊かさを感じさせる高層ビル群などが建ち並ぶ、世界一の大都会である。
帝都の北西、国や政府機関が集まっているクラン地区。
クランの一画にある帝国中央捜査局本部ビル地下のオフィスでは、エリオットと上司であるルーカス・ハルベリー上級捜査官が机を挟んで向かい合っていた。『上司』とはいっても人員は合わせて3人しかいない。その3人目も帝国内をあちこち移動しており、帝都や本部に戻ってくる事が滅多にないためエリオットを含めた捜査局の大半の人間は2人体制だと思っている。
天井が高い室内は、扉を除いて壁が上まで全て棚になっている。主に本棚として使用されているが、ところどころ隙間に箱やら壺?のようなものやらパッと見ただけではよく分からないものやらが挟まっているせいか雑多な印象だ。更に床にも棚に収まりきらなかったらしいそれらが適当に置いてあるので、オフィスというよりどこかの店の倉庫のように見える。
『帝国中央捜査局公安部11課特異現象対策室』
通称『特異対』
それが、エリオットが所属しているこの部署の名称だ。
帝国中央捜査局は主としてテロや大規模な組織犯罪など国家の安全に関わるような事件を捜査するための組織だ。
アシュタルト帝国はその領土のあまりの広さから帝都がある帝国政府直轄領を中心にまずは大まかに東西南北の4つの地域に分割されており、ある程度の自治権を有している。帝国憲法に違反しないなど制約をクリアすれば独自の条例の制定も許されていた。
それぞれの地域は大公によって管理され、更にその大公領の中で分割された多くの州や市、町ごとに自治体を形成している。
その各領ごとには地本警察局にて統括される警察組織が地元の治安維持と犯罪捜査を担っているが、国家そのものを対象としていたり他国を巻き込んでいたり領を跨いだりするようなややこしい問題が絡む犯罪については対応しきれないため、対処出来るだけの権限を与えられた専門組織として帝国中央捜査局が存在しているのだ。
余談だが、今現在の帝国内で皇帝以外に統治権を持っているのは大公家のみである。その他の貴族たちは今や領地の有無に関わらず特権階級としての権利を有してはいない。彼らの中にはそのまま以前の自領の地主として資産運用に活用している者もいれば、全て売り払い帝都のタワーマンションの上階で悠々自適に暮らす者、そして大層な家名のみ残っているものの会社に勤め一般市民と同じ生活をしている者など様々だった。
前置きが長くなったが、中央捜査局内部で専門ごとに分けられている部署の一つが特異現象対策室である。担当はその名の通り特異現象――怪奇現象またはオカルトと言い換えても問題無いかもしれない――に関係のありそうな物事全てについての調査及び対応だ。
具体的には、例えばある街で不自然に多数の人がいなくなっただとか怪死事件が多発しているだとかの不可思議なケースで、通常の捜査をしても解決が難しく、加えて古い伝承や呪い、魔術といったような類いのものが関連しているとみられる事件の捜査を行う部署とされている。
はるか昔、まさに剣と魔法のファンタジー世界であった頃、人と精霊やドラゴンなど異界の存在との距離は今よりずっと近かった。
神の手によって、曖昧であった境界は祖を同じくする種ごとに再構成され、悪魔の手によってそれぞれの世界ごとに出入口となる門が作られた。
それぞれ第一界は精霊族界、第二界は竜族界、第三界は人族界とされ、互いにいかなる領域も侵さないことを大前提とした様々な約束事が作られる。
そうして人と『異界』との間に結ばれた大盟約から千数百年余りの時間が流れた現在。
かつて竜族や精霊族など異界の住人によって作成された魔力を帯びたアイテムの多くは、長い時間を経て効力を失ったり壊れたりしてただのガラクタになっている。けれど時折、力を残したまま適切に管理されていないことがあり、それが事件に繋がっているケースもある。更に、伝説級の魔法使いや賢者、または神や悪魔が関わっているような聖遺物・宝具呪具の類ともなれば、そこにあるだけで時空を歪めダンジョンを形成していたり、ものによっては世界の危機にまで発展する恐れがあった。
これらの異能を持つアイテムは総じてアーティファクトと呼ばれ、能力の有無に関わらず使用は勿論所持についても帝国法だけでなく国際法で禁じられている。
また、大盟約の後にエネルギー革命が起き、魔法に頼らなくても便利な生活を享受できるようになって久しい現代において、人間の魔法使いや精霊使いといった職業も表舞台から姿を消してしまい世間ではファンタジー扱いとなっているが、全くいないわけでもない。
そして、大盟約があるとはいえそれを破るような不届き者も存在している。不法入界や魔道具の違法取引など大盟約違反は下手をすれば異界との戦争にもなりかねず、言うまでもなく大重罪だ。
主として上記の犯罪に関わる部署である事から、名前の怪しさに反して特異現象対策室は中央捜査局の一部署でありながら一方で皇帝直属扱いでもある。
これは、対策室で対応出来ない案件については、速やかに帝国軍の諜報部なり特務部隊なりの適材適所で対処出来るよう情報を共有するためだ。
――と、いうような深い事情が実はあるのだが、当然のように機密事項も多いのでその辺が公表されることはなく、また、そうそう滅多に本物に繋がるような事件が起こるはずもないことから、普段の業務は怪しい噂の実態調査などが主になるため名前の胡散臭さも相まって、他部署の捜査官からはオカルトマニアの集まった窓際かつイロモノ担当部署だと思われている。ある意味ではそれがちょうどいい隠れ蓑にはなっているのだが。
そんな、存在自体が怪異ともいえる特異現象対策室に怪異と全く縁が無かったエリオットが在籍しているのは、訓練学校卒業後まもなく辞令を下されたからである。勿論理由はあるのだが、本人には寝耳に水の展開であった。とはいえ、この縦社会、ましてや宮仕えの身であるからして上には逆らえないのだ。周囲からは『何かやらかして配属されたんだな可哀そうに』と思われているのは余談である。
特異現象対策室のオフィスにて、ルーカスが身を預けた古ぼけた椅子がギシリと音を立てる。
今年40歳になるという彼は全体的になんとなくやる気が無さそうな雰囲気だが、これでも中央捜査局の全捜査員の内で限られたものしか与えられない上級捜査官の称号を持っている実力派だ。そして何より、特異現象捜査室の室長らしく実は魔法使いの家系の出なのだという。
「エルクランの町に吸血鬼が出たっつー噂だ」
「きゅうけつき、ですか?」
ルーカスの言葉に、何度か瞬きを繰り返しながらエリオットが応える。ほれ、と向けられたタブレットの画面には地元の新聞らしき記事が表示されていた。怪奇!や恐怖!という文字がおどろおどろしいフォントで見出しを飾っている。
「知っての通り人を襲って血を吸うって言われてる魔物だ。まぁ実際には血を飲まなくても生きてはいけるらしいが」
「そうなんですか?」
「血は中毒性のある嗜好品かつドーピングみたいなもんだな。美味い血の味を覚えると欲しくてたまらなくなるんだと。それから固有能力や魔術の威力が強化されるって聞いたな」
顎に手を当て、人差し指で頬を掻くのはルーカスの癖だ。そのまま、いつでも眠そうに見える幅の広い二重の目で、自身の机の前に立つエリオットを見上げた。
「確かにあの街には大昔の吸血鬼伝説が残っているけどな。今じゃ土産物も作られてる立派な観光資源だ。」
タブレットを自分の手元に戻したルーカスは、ディスプレイに表示されたままの新聞記事を肩をすくめながら閉じる。それから何度か指で画面をタップし違う資料を表示させると、お互いに見えるようにタブレットを机の上に横向きに据え置いた。
「吸血鬼は大盟約以前に生まれた始祖より血を与えられた4人の真祖を基にした赤、白、青、黒の家門の一族に分けられる。それぞれ家門によって性質が異なっていてな。帝国に帰属しているのはそのうち穏健派と言われ血を吸う事を好まない白の家門の一族だ。少なくともデータ上はな」
ルーカスの説明を聞きながら見下ろしたディスプレイのデータの右上には、真っ赤な文字で『TOP SECRET』と記されている。気のせいでなければ機密情報だ。これは自分が見ても大丈夫なやつだろうか?とエリオットは事件とは違う所で内心ビクビクしていた。
「第三界に生きることを選んだ彼らは人と同様に生活している。仕事して家庭を持って、ってやつだ。帝国は実力主義だし、昔から多民族・多種属国家だ。個人の思考レベルではともかく社会的に差別もないからな。都合がいいんだろう。帝国内の白の家門一族について念のため情報部にも問い合わせたが、該当しそうな不穏な動きなんかは無さそうだ」
「それじゃあ」
「ああ。噂が本当だとすりゃ白の家門ではない可能性が高い。だとすりゃ不法入国問題も関わってくるってんでそっち方面は入国管理局が動くそうだ」
あからさまに顔に面倒なことになったと書いてあるルーカスの様子に、エリオットが曖昧な笑みを返す。
特異現象対策室に配属されて数ヶ月経つが、まだまだエリオットには驚く事の方が多い。異界、境界門、呪い、アーティファクト――対策室に居なければきっとこれほど関わることは無かっただろう。世界は広いな、と改めて思い知らされる。
「じゃあ特異対の今回の任務はその噂についての現地調査とかですか?」
「調査っちゃあ調査だが、なぁ」
妙に上司の歯切れの悪い返答にエリオットが首を傾げる。
「騒動の元になってる吸血鬼について心当たりがあるっつー話がきてな。それで、」
不自然に言葉を切ったルーカスが、エリオット越しに入り口のドアに顔を向けるのに促されるようにエリオットも背後を振り向く。見慣れた立て付けの悪い扉の前にはいつの間にかスラリとした長身の青年の姿があった。
「そちらのクレイシュヴァッサー氏が協力者兼アドバイザーとして同行されるそうだ」
交互にルーカスと青年を見遣ったエリオットに、件の青年が優雅な笑みを浮かべる。
「ハルベルト・クレイシュヴァッサーだ。よろしく」
歩を進めた青年、ハルベルトが名乗りながら革手袋に覆われた右手を差し出した。その美しい顔に良く似合う貴公子然とした笑顔のまま、ジッとエリオットの目を見つめている。
優雅な動作の間も逸らされない瞳に(もしかして鼻毛でも出ているのでは?)と、若干の焦りと居心地の悪さを感じながら、エリオットが少し慌ててハルベルトの手を握り返した。
「?中央捜査局特異現象対策室エリオット・オーウェンです。宜しくお願いします」
「……へぇ」
「??あの、何か?」
割と近い距離でエリオットを見つめ、何かを悟ったらしい様子のハルベルトに、右手を預けた格好のエリオットが困惑したような様子で眉を僅かに八の字にしつつハルベルトを見上げた。
エリオットも決して身長が低い訳ではなく、むしろ帝国の成人男子の平均身長より僅かとはいえ高いのだが、ハルベルトはそんな彼より頭半分以上は背が高く、恐らくルーカスと同じくらいはあるだろう。ということは低く見積もっても170cm台後半から180cm台だろうか。
素直に羨まし過ぎて、思わず先程までの凝視される居心地の悪さも忘れ、相手と同じように真っ直ぐ見つめ返してしまったエリオットの様子に、僅かに目を見開いたハルベルトが小さく吹き出した。
そして、自然な動作で握手を解いた手をゆるりと口元に当てもう片方の手で肘を支える。そのままボカンとしているエリオットからようやく視線を外すと、今度は背後に居るルーカスを横目で見遣りながら小さく肩をすくめた。
「なるほど。確かに聞いていた通りだ」