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名前のない魔剣5

名前のない魔剣5

 高い天井が特徴的な室内には、昼下がりの日差しが緩やかに差し込んでいる。


 中央からやや窓寄りに置かれた重厚なダークグレーの大きな机は帝国樫と呼ばれる木材によって作られたものだ。西方大公領のある地域の森でしか育たないその樹木が使われた家具は時代を経れば経るほど色合いが深みを増し、また、素材自体の強度も上がることから長く愛用される。事実、この執務机も数百年は前に誂えられたものだ。

 

 余計な飾りはなく、皇帝の使うものとして考えると素っ気ないほど武骨に感じられるが実用性はあるに違いないそれから二歩ほど離れた場所に立つ青年は、この部屋の、いやこの国の偉大なる主である少年に向けて困ったような笑みを見せる。


「――と、いった感じみたいです」


 へらりとした顔で報告を締め括ったのはいい加減だからだとかそういう意味ではない。単純に反応に困っているのと、それから相手の反応が怖いからだ。


 広い天板に肘を乗せ両手を軽く組んだユリアスは、空間に表示されたディスプレイを閉じると目線を前に向ける。その整った顔には僅かに呆れの色が滲んで見えた。


「あれは子供の使いもまともに出来ないのか」

「恐れながら陛下。彼がトラブル吸引体質なのは同意しますが、今回は少々相手が悪いかと」


 ほんの微かに眉を顰めたユリアスにハハハと乾いた笑いを零した青年の、背中で組んでいた手に力が篭る。地雷を踏んで不興を買うのはなるべく勘弁したい。


「非公式とはいえ神聖教会に恩が売れたのはまぁ、その、功績と言えなくもないかなと思われます」

「諸刃の剣だな」

「……ごもっともです」


 剣だけに。とは流石に言葉にはせず心の中に留めておいた。

 口に出せば恐らくきっと確実に二度と朝日は拝めないに違いない。

 

 そんな内心を知ってか知らずかはたまたどうでもいいのか、感情の読めない顔で一度青年を見据えてから、目線を再び表示させたディスプレイに戻したユリアス。


「シーナ」


 名を呼ばれた青年は改めて背筋を伸ばすとスッと右手を上げ帝国式の敬礼姿勢を取る。例え続く言葉がなくとも、持てる情報から意を汲み取り正解を導き出せ無ければ今ここに立ってはいられないのだ。


「Yes Your Majesty.」


 既に意識を執務に向けているユリアスに最敬礼をし、退室した青年ことシーナは廊下を数歩進んだところでため息を吐き出したながら背筋を伸ばす。どうにも肩が凝って仕方がないのは緊張しているからだ。


「さて、と。ではお迎えに行ってきますかねぇ」


 男だらけの場所に行くのは考えるだけでむさくるしく全く気が乗らないが仕事とあらば仕方ない。それになにより、人のいい後輩がいいように利用されるのが気に入らないのはシーナだとて同じなのだ。

 皇宮の白く長い廊下を腕を伸ばしながら歩くシーナの足取りは心なしか早いものであった。






■■




 

 意外とゲラらしく涙がにじむほど大笑しているベネディクトと死んだ魚のような目で魔剣を持ち佇んでいるエリオットにそれをカメラ越しに見つつ無言で撮影しているコーネリアス。

 大聖堂の奥には奇妙なトライアングル空間が出来上がっていた。


 『名前のない魔剣』改め『魔剣チョコミント』は大人しく鞘に収まったのちエリオットの手の中で沈黙している。仮とはいえ主人の命に従っているという事なのだろう。肝心のご主人様が喜んでいるかどうかは別にして。


「エーリ君のセンスは独特だな!」


 ようやく笑いの波が落ち着いてきたのか、妙にすっきりとした顔のベネディクトがエリオットの肩を軽くポンポンと叩く。それにビクリと体を飛び上がらせたエリオットがアワアワと口を動かしながらベネディクトを見上げた。その目にはベネディクトとは違う意味で涙が滲んでいる。


「うわぁッこここれは咄嗟にッ!!」


 言いかけて、エリオットは言葉ごと息を飲みこんだ。

 幾ら真実でしかも目の前で一連の全てを見られていたとはいえ、教会にとって重要な遺物であろう魔剣の名前をその場の勢いで付けてしまいました!とはハッキリ言い難い。これでもエリオットは一応公僕なのだ。後々その言動が余計な火種にならないとも限らない。既に手遅れのような気もするが。

 

 それに、エリオット自身の感情としてもいろんな意味で申し訳なくて仕方がないのだ。事態を混乱させた挙句、帝国政府をはじめあらゆる方面に迷惑を掛けてしまうかもしれないことも、考えようによっては神聖教会の信仰に対し冒涜と取られても仕方ない事等々挙げればきりがないが、かつて冒険物語に憧れた少年であった身としては、子供の頃に考えたもっとカッコいい名前の候補など幾らでも頭の引き出しにあったはずなのによりにもよって出てきたのがアイスクリームのフレーバーの一つだとは。

(いや……アイスクリームは悪くないんだ……)

 勿論、そんなことを考えている場合ではないのは百も承知である。つまるところの現実逃避だ。


 などと言っている暇はなく。

 

「あの、本当に申し訳ありませんッッ」

「一向に構わん」

「えっ?」

「私としても――神聖教会としても、だ」

 

 勢いよく頭を下げたエリオットの頭上でベネディクトがなんでもない事のように頷いている。

 そろりと顔を視線を上向かせた先で若き枢機卿の目がゆるりと細められた。横目に伺ったコーネリアスに至っては特にそれまで掲げていた端末を手に中身を確認するのに忙しいようでこちらを見向きもしていない。それも特に反する意見がないから故だろう。


 漂ってくる妙な雰囲気にエリオットの動悸が更に早くなる。怒られなかったのに何故かちっとも嬉しくない。

 それもその筈で、この場で個人ではなく組織名を敢えて出して肯定した理由がたまたまや偶然であるはずがないのだ。


 その答えは、そもそも魔剣に関わることになった切っ掛けを思い返してみれば意外と簡単なのかもしれない。


「ええっと、それは、まさか」

「名実共に帝国のものになるのだからな」

「やっぱりーー!!!」


 元々は権利がどこにあるか微妙という状況から預かるという話の筈がサラリと所有権が移動する話になってしまっている。いや、流れ的には『はじめから教会には無かった』事になりかねない。


「エーリ君のおかげでネズミを捕まえる事ができた上に帝国を一枚噛ませる事も出来た。感謝している」

「ぎゃー!不穏な発言やめて下さい!!」

「安心したまえ。君が魔剣チョコミントの主であるうちは神聖教会の名の下に簡単には始末されない筈だ」

「期間限定感ッ」


 もはや厄介ごとであるのを隠されもされてない。幸か不幸か魔剣のゆるい名前が緊張感を緩和するのに一役買っているのがなおさらシュールだ。


 何はともあれ国家公務員に数えられる捜査官とはいえ下っ端新人のエリオットとしては一旦本部に帰って上司に相談するしかない。


 もう用はないとばかりに撮影した映像を解析する為にサッサと去っていったコーネリアスを唖然として見送った後、最低でも減給は避けられないだろうなと切ない顔をしていたエリオットに、ベネディクトが意味深な笑みを浮かべる。


「ひとつ、いい提案がある」

「へ?」

「エーリ君を神聖教会預かりとして――」

「お!いたいた」


 ベネディクトの言葉を第三者の声がタイミングよく遮る。驚いて顔を向けたエリオットの目に薄闇でも鮮やかな赤い髪が見えた。


「あれ?シーナさん??」


 呼び声に軽く手を挙げながら歩いてくるのは間違いようもない、寮のお隣さんでもあるシーナ・ミュラーだ。


 思いがけない人物の登場に目をパチクリとしているエリオットの隣にゆっくりと立ったシーナは、一呼吸置いてから斜め向かいのベネディクトを見遣る。

 それから、人の良さそうな笑顔付きでスッと右手を差し出した。


「どうも。帝国軍所属のシーナ・ミュラー中尉です」


 おや?という顔でシーナを眺めながら同じく右手で握手をしたベネディクトは少し探るような、それでいて面白そうな顔をしている。


「私は神聖教会で枢機卿を努めているベネディクト・テスレイという。ところで中尉、ここは部外者の立ち入り禁止区域の筈だが?」

「そうなんですか!すみません、エリオットを探していたら迷い込んでしまったみたいです」


 あははと苦笑しながら頭を下げるシーナの様子にパッと見ておかしなところはない。

 とはいえ状況としてはここで神殿騎士を呼ぶ騒ぎになっても文句は言えないのだが、鷹揚に頷いているベネディクトにそれを指示する気配はない。シーナもそれを分かっていてやっているのだから狐と狸の化かし合いに近いのだが、その渦中にあってエリオットだけは全く気が付いていないらしく、自身を探してここまで来たというシーナに慌てて礼を言っていた。


「ちょうど用があって捜査局行ったらエリオットが帰って来ないって聞いたからさ。昼飯もまだだったしついでにと思って」

「わ!結構時間経ってる!わざわざすみませんでした、シーナさん」

「いいっていいって。用事は終わったのか?なら行こうぜ」

「それが、ルーカス室長から受け取りを頼まれた物があったんですが……」


 渋い表情で手元に視線を落としたエリオットに合わせ、シーナが魔剣を視界に納める。それから、言われなくても不測の事態であることを察したのか少し難しい顔でうーんと顎に手を当て何かを考える姿勢を取った。


「ま、いいんじゃないか?」

「えっ」

「なんか知らんが仕事の預かり物なら仕方ないだろ。なんかあってもお前個人の責任にはならないから安心しろ」

「そ、そうなんですかね」

「大体新人のお前さんのクビなんか飛ばしても意味ないからな。やるならもっと上だろ」

「ヒェ!怖い事言ってる!」


 バシバシ背中を叩かれて前のめりになったエリオットの視界から逸れたところで、シーナとベネディクトの目線が交差する。


 シーナが敢えて組織を持ち出した事により、エリオット個人でも特異課だけでもなく有事には帝国政府が表に立つ事を示唆しつつ、魔剣について預かる立場を取ることで深くは介入しないが貰える恩は貰っておくという宣言もついでに付け加えているのだとベネディクトは読み取った。大方に間違いはないだろう。想定の範囲内で一番無難な落とし所ではあるが、面白そうな逸材をスカウト出来なかったのは残念でもある。


 お互い少しの間、相手の意思を探り、かつ確認するように向かい合い、そしてほとんど同時に口角だけを持ち上げた。傍目にはにこやかに見える顔ではあるが考えていることは読めない。ただ、異論はないようだ。


「ミュラー中尉と言ったかな。帝国は使える人材が豊富のようで羨ましい事だ」

「なんの!俺もお使い役の下っ端ですよ。では我々はそろそろ失礼させていただきます。テスレイ枢機卿」

「あぁ――エーリ君、また会おう」

「あっはい!失礼します!」


 拍子抜けするほどあっさりと別れの挨拶を口にするベネディクトの様子に対して、まだ戸惑いを残したままキョロキョロしていたエリオットがこれはもう持ち帰るしか無いんだろうなと諦めたように剣を抱え直しつつ頭を下げる。


 帰りは案内するつもりがないらしく、いつ間に呼んだのか先の二人とは異なる神殿騎士に任せ、その場で軽く手を振っているベネディクトに、もう一度小さく頭を下げながら背を向けシーナと共に廊下を進み出した。


「そういやお前、さっきの枢機卿とは前からの知り合いなのか?」


 入り口までしっかり見送ってくれた騎士に礼を言い、明るい外の日差しの中を数歩進んだ所で掛けられたシーナの突然の問いかけに、凝り固まっていた背筋を伸ばしていたエリオットがのんびりと顔を向ける。


「いえ、今回初めてお会いしましたけど」

「そっかー。いや、愛称?で呼んでたからさ」

「なんだか急に呼ばれるようになっちゃって」

「……ほー」


 あははと苦笑を返すエリオットに対し、シーナはなんとなく微妙な顔をしている。不思議そうな顔で首を傾げたエリオットは、片眉を上げ遠い目をしたシーナが内心で(わー愛称呼びされちゃってんだーそれ陛下に報告したくないなぁ)なんて考えているなど思いもよらないのであった。







 剥き出しのレンガに、オレンジ色の淡い光が幻想的な陰影を作り出している壁に腕を組んで背を預けたベネディクトは人の気配に片目だけを開いた。


「ご苦労」


 その言葉に、今しがた帝国政府の客人二人に付き添い大聖堂の門まで送り届けてきた青年騎士が、折り曲げた手を腰に添え深く頭を下げる。


「どう思った?」

「赤髪の男の方は油断ならない気配を感じました。もう一人の剣を持っていた者は特別気にする必要のない人間かと」

「だが、面白い」


 くっくっと口元に手を当て笑いを噛み殺すベネディクトの様子に、青年が腰を折ったまま訝しげに眉を寄せた。

 そこそこ長く仕えているが、彼がこうも含み無く楽しげな姿は見たことがない。驚く以前に、あの普通を絵に描いたような青年の何にそんなに興味を惹かれたのかとそちらの方が気になった。


「天使長様、それは――」

「シリウス」


 名を呼ばれ騎士の青年は背筋を伸ばすように顔を上げる。

 少し離れた場所で佇んでいるだけの筈なのにそこには抗い難い力があった。


「ここでの私はただの枢機卿だ。そうだろう?」

「ハッ!失礼いたしました、テスレイ枢機卿」


 再び深く頭を下げたシリウスの横を通り抜けベネディクトが歩を進める。重厚なローブを僅かに揺らす彼が心なしか軽い足取りである事を知る者は誰もいなかった。









 ちょうどその頃、帝国西方大公領にある、とある会員制リゾートホテルにて。


 恋愛小説家カトラス・エスラことハルベルト・クレイシュヴァッサーは次回作の構想を練るという名目のもと、プールサイドのふかふかソファに腰掛けながらトロピカルフルーツの飾られたクリームソーダを楽しんでいた。


 と。


「――ふぅん」


 バニラアイスを口に運んでいた手を止めソーダと同じ色の空を見上げたハルベルトの様子に、斜め後ろに立っていた青年が掛けていた黒縁眼鏡をクイっと持ち上げる。

 ラフな服装やカラフルな水着姿の者が大半のその場できっちりとダークグレーのスーツを着込んでいる青年はそれだけで悪目立ちをしていた。


「どうされましたか?先生。アイデア浮かびましたか?」

「いや、なんか面倒臭いことになりそうだなと」

「面倒なら今起こってますよ。何故なら締め切りが三日後だからです」

「分かってるさ、カーマイン君。それより君も少しは楽しんだらどう?」

「先生が書き始めて下さったら考えます」


 どこまでも真面目な編集者の言葉に肩をすくめたハルベルトはしかし、だからといって焦る様子は微塵も無くのんびりとした調子でアイスクリームを口に運ぶ。カーマインが青い顔で額を抑え頬を引き攣らせていてもお構いなしである。


 そんな、見た目も雰囲気もチグハグな印象の二人の男をバカンスに訪れていたホテル客達が遠巻きに眺めていた。




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