名前のない魔剣3
サラリとした布に包まれた剣は見た目のシンプルさから思うよりずっと重い。持たされている経緯が経緯だけにエリオットには余計に重たく感じられた。
「無事に受け取って貰えて良かった」
「そ、そうですね……」
出来れば今すぐ突っ返したいところだが、だまし討ちのような方法とはいえ詳細を聞いてしまったからには今後の対応について今この場でエリオットが気軽に決められるものではない。帝国政府としては異端者を巡る内紛に巻き込まれるかもしれないデメリットだけでなく神聖教会に恩を売る事によるメリットも確かにあるわけで、それを比較してどう判断するかは遥か上の方々だ。
「ふむ。これは、なかなか」
「はい?」
「エーリ君のお陰で予想より手間が省けた。協力感謝する」
「?あ、いえ」
急なベネディクトからのお礼に剣を抱え持ったエリオットがキョトンとした顔で瞬きを繰り返す。言い回しに若干違和感があるものの慌ててお返しにぺこりと頭を下げたエリオットが、お先にどうぞと促されるままに重い木の扉を開いたその先。
「ベネディクト・テスレイ卿!あなたを異端者として捕縛する!」
大して広くもない廊下に響く大司教の声と2人の神殿騎士に出迎えられることとなった。
呆けているエリオットを芝居がかった大袈裟な動きの大司教が錫杖を床に打ち付けながら指を刺す。
「貴様が穢らわしい異端者と内通する帝国のイヌか」
「はいッ!?」
サラッと容疑者に組み込まれてしまい訳が分からず素っ頓狂な声をあげたエリオットの眼前に姿勢良く立つ騎士の腰には制圧用の麻酔銃がちらっとお目見えしていた。殺傷ではなく捕縛が目的というのはどうやら本当のようだ。分かったところでどちらにしろ嬉しくはないが。
「……久しいな、テスレイ卿」
コツコツと硬質の靴音と共に現れた人物が大司教の横に並ぶ。大司教より若く、ベネディクトよりは少し年上に見える異様に青白い肌をした男性は鷹揚な動作でエリオットとその後ろに立つベネディクトへヒョロリと細長い体を向けた。彼の顔は半分以上が長い前髪で覆われており露になっている部分の方が少ない。辛うじてチラリと見えているグレーの左目が前を向いて見据えていた。全体から漂う不健康オーラも相まって妙な迫力がある。失礼ながら暗闇で突然会ったら叫んでしまうかもしれない。
「やぁ、コーネリアス。同じ立場とはいえなかなか話す機会もないな」
「ロアだ、テスレイ卿。名呼びを許可した覚えはない」
ベネディクトの場違いともいえる明るい声色で呼びかけられた男、コーネリアス・ロアは渋い顔で眉を寄せ低い声で応える。その横では大司教が深々とコーネリアスに向けて頭を下げ、お呼びだていたしまして云々と畏まった礼をしていた。
『同じ』とのベネディクトの言を裏付けるように、コーネリアスの身につけているローブはベネディクトのものと比べると胸元の飾りや裾に入ったラインなど細部が異なってはいるものの、全体で見ると同じ意匠である。特に大司教と並んでいると両者のデザインの違いが分かりやすい。
「残念だテスレイ……いや、異端者テスレイか」
言葉の割には惜しんでる風でもないコーネリアスの様子を見るにベネディクトとはあまり懇意ではないように見受けられる。特に、親しげに見えるベネディクトに比べてコーネリアスの方の反応は淡泊であり、節々に苛々とした気配と不機嫌さが滲んでいた。
当然、教会内部の勢力図には全く詳しくないエリオットには実際に彼らがどのような立ち位置にいるのかなど分かるはずがないが、会話だけでも関係の良好性について多少なりとも判断はつけられる。なんせ今まさに物理的に現場の前線に居るのだ。寒暖の対照的な空気に挟まれて居た堪れない。
「ベネディクトさん、これは――」
「私の用件は終わった。エントランスまで送ろう」
突然の出来事に眉を八の字に寄せ緊張しているエリオットにお構いなく、周りを無視して両肩を後ろから掴み強引に前に押して歩いて行こうとするベネディクトはあくまでも平静で、異端扱いをされた当事者だというのに動揺の欠片もない。
当たり前といえばそうだが、スルーされたコーネリアスと大司教の顔が顰められた。特に大司教の顔は傍目にも分かりやすく憎悪と焦りに染まりきっている。
「ッ待て!!」
大司教が大声と共に錫杖を振り上げた。杖の中は仕込み武器にでもなっていたのか、鋭い切っ先の反射した光がエリオットの視界の端に映り込む。その後はもうほとんど無意識だった。
カンッと鋭い音が鳴る。
背中にベネディクトを庇うと同時に抱え持っていた預かりもので錫杖をはじいたエリオットはそのまま大司教の膝を打ち床に伏せさせた。石の床に腹をぶつけたらしい大司教がぐえっと情けない悲鳴をあげる。
咄嗟とはいえ即時に制圧が出来たのは相手が錯乱していたことも幸いしたのだろう。やらかし続きなところここにきてようやく捜査官としての面目躍如といったところか。
大きな助けとなってくれた『預かりもの』が『魔剣』であることにエリオットが気付いたのは、大司教の両腕を背中でおさえて拘束しつつ、警戒しながら顔を上げた時だった。
錫杖攻撃の後になぜか騎士達から全く追撃の気配がないのは気になるが一旦置いておくとして、全員の視線が自分と、自分が横向きに掲げ持つ剣に合わさっていることに動きを止めたエリオットはそこで改めて自らの行動を思い返す。なにをやってしまったのか認識するに従い、次第に彼の顔色は目に見えて悪くなり冷や汗がダラダラと流れ始めた。
この手に握っているものは、ついさっきとんでもない曰くつきだと知らされ、それなのになぜか持ち帰ることになり、場合によってはこの先の帝国と教会の関係とあと自分の生命活動にも多大な影響を与えるかもしれない代物ではないだろうか。
「い、いやこれはその、も、申し訳ありませッ」
ああいった事態で両手が使えない場合の対処法として、横によけて躱しつつ足を使えば良かったのではないかとか今更浮かんでくるが後の祭りである。言い訳のしようもない。ざっと見たところ剣に傷などは無いようだが、モノの背景が背景だけにそれが情状酌量の材料になるとは思えなかった。
「エーリ君」
背後からポンっと肩に置かれたベネディクトの手と呼びかけに、エリオットの体がビクリと跳ねる。逃がさないぞと言うようにぎゅううと握られた右肩が重い。
「ヒィ!は、はい!!」
「いい動きをしているな」
「ごめんなさッ……なんと?」
てっきり物凄く怒られると構えていたエリオットの耳に聞こえてきた誉め言葉に聞き間違いかと慌てて顔を斜め上後ろに向けた先には、物凄くいい笑顔でエリオットを見ているベネディクトがいる。おまけにサムズアップまでしていた。え?と思う間もなく、今度は反対側から静かな声がかかる。
「下らないものに巻き込むな」
今度はグルンと首を前に向けると、エリオットとその下で唸っている大司教を冷めた目で見下ろしているコーネリアスがいる。その雰囲気は友好的というわけではないが、でも同時に敵意や害意のようなものも一切ない。更に横に立っている神殿騎士といえば今目の前で大司教を抑え込んでいるエリオットを見ても特に助けようとしていない。それどころか、コーネリアスが右手を軽く上げるのに合わせてスッと歩を進め所持していた金属製の枷をエリオット、ではなくモゴモゴと動いている大司教の腕に嵌め両脇から二人で支えて立ち上がり邪魔にならないよう壁際に控えている。その無駄のない動作を間近で見ていたエリオットが出来たのは、騎士達がエリオットの拘束から大司教を雑に引っこ抜く時の「失礼します」という声に「あっハイ」と答えることだけであった。
「たまには地下から出てくるのもいいだろう?コーネリアス」
「ロアだ。何度言ったら分かる」
「ははは!しつこい男だな」
「お前には言われたくない」
ぽんぽんとエリオットの頭上で交わされるベネディクトとコーネリアスの会話は噛み合っていないが流れるようで、友人というには少々一方通行気味だとしても二人が異端者と断罪者という殺伐とした関係でないのは明白だ。今、恐らくこの場では最もエリオットの心境と似ている者であるかもしれない大司教は、エリオット同様にぽかんとした顔で枢機卿達の顔を交互に見た後、しょっぱい顔をしている捜査官とは異なり悔しそうに歯をぎりぎりと食いしばっていた。
「ッ貴様ら仲間か!!謀ったなッ!?」
捕らえられたまま唾を飛ばしながら叫ぶ大司教に睨まれ、見えている片目を心底嫌そうに歪めたコーネリアスがふんと鼻を鳴らす。
「気持ちの悪いことを言うな。大体お前が勝手に釣られただけだ」
「なんだと!?」
「大方テスレイ卿に異端者の汚名を着せ剣から遠ざける気だったのだろうがな。枢機卿レベルでも関係者以外に知らされないような情報を『覚えたまま』でいられる事がおかしいだろう」
「くッ」
「まだ分からないか?最初から全て茶番劇だ」
そこで初めて猫背気味の背を伸ばし、体ごと大司教の方を見遣ったコーネリアスに大司教が少し仰け反る。ただし両脇をがっちりと固められているため首が少しだけ後ろに動けた程度であったが。
ボソボソと低い音程で紡がれるコーネリアスの言葉にはこの、ベネディクトが作り出した舞台の演者にされた事への不満が込められていた。要するに恨み言である。
「そこまで考えが及ばない程の必死さと盲目さは評価してやる。ただの権力闘争ではないことを教えてくれたからな。さて、背後に何が出るか」
「異端者どもめ!!我ら――」
憎悪に満ちた目でコーネリアスとベネディクトとついでにエリオットを睨みつけていた大司教の目が興奮で赤く染まる。直後、大きく開け放った口と閉ざされた双眸に嫌な予感を感じたエリオットが咄嗟に未だ手に持ったままの魔剣の先を大司教の口に突っ込むのと傍らの騎士が鮮やかに大司教の首に手刀を決めるのはほぼ同時だった。意図せずダブル攻撃を食らった大司教は声を出すこともなく気絶する。
「奥歯に毒とは」
「古くさい常套手段だな」
ふむ、と腕を組んでいるベネディクトとコーネリアスの会話で我に返ったエリオットは慌てて両手で剣を大司教の口から引っこ抜く。
もうヤダ消えたい、と両手で顔を覆っても当然逃げられるはずもない。せめて、なんというかちょうどいいタイミングでちょうどいいリーチのものが手元にあるからついね!?と内心で自分を慰めておく。
「反射神経がいいな、エーリ君は。捜査官として将来有望だ」
救いといえば、エリオットを見下ろして声をかけたベネディクトも、少し離れた場所から半目でエリオットを見遣るコーネリアスも特に気にしていなさそうなところだろうか。それもどうかと逆にエリオットは思っていた。そこで、一つの可能性に行きつく。
先ほど大司教に語ったコーネリアスの話によると、今回の一連が全てベネディクトの策略なのだという。
断片的な情報しか与えられていないので細かくは違う所もあるかもしれないが、大方の筋書きとしては、教会内に存在する恐らく異端に関わる不穏分子を炙り出すために魔剣という餌で釣ったら大司教が釣れた、といったところであろう。
居合わせた二人が枢機卿なので目立たないが大司教といえば教会内でも上から数えた方が早い役職だ。しかもセレイア大聖堂を任されるほどの実力者となればかなりの大物がかかったことになり、釣果としてはかなり上々。自害を阻止し生きたまま捕らえられたのだからこれから存分に情報を探るに違いない。どんな手段で等々は深く考えてはいけないのだ。ここで今のエリオットにとって重要なポイントは釣餌が本物か疑似餌かという点である。奪われてしまうかもしれない囮に本物を使うかと問われればケースバイケースによるので何とも言えないが、そもそも、名前を言ってはいけない例の神に纏わる魔剣が見つかったというそれ自体も全部ベネディクトの仕込みだとしたら魔剣の存在自体が偽りである。
一つの見解に内心で希望を見たエリオットは少しだけ肩の力を抜く。
考えてみればいきなりやってきた帝国政府のお使いに教会にとっていろんな意味で大事な遺物を預けるはずがない。エリオットの存在は手の届かない場所に魔剣を持ち出されてしまうという危機感を相手に与えて揺さぶるためのスパイスみたいなものだろう。あるいは帝国内に間者がいるかどうかを判断したかったのかもしれない。それなりに警戒してたところにノコノコとやってきたのが教会の息のかかっていない、何も知らず呑気なエリオットであったというわけだ。
ここは利用されて怒るべきところなのかもしれないが、そんな事より安堵感の方が強いエリオットは気の抜けた顔でベネディクトを見上げた。
「あの、すみません。この一連の流れはベネディクトさんの策だった、との理解でいいですか?」
「その通りだ。申し訳ないが利用させて貰ったよ」
「そ、それじゃあ魔け」
「魔剣は本物だが」
「なぜそこだけ!?」
エリオットの緩みかけた心が再び瞬時に固まる。
心からの突っ込みと共に白目になっていたエリオットの手の中で、魔剣がカシャリと音を立てていた。