名前のない魔剣2
窓もなく煉瓦の壁に四方を囲まれたそう広くもない室内に一時、沈黙が訪れる。圧迫感のある部屋の作りに反して空気が重くならないのは、向かい合っている人物のうちの片方であるエリオットの顔が絵に描いたような鳩が豆鉄砲を食ったというにふさわしいものだからだろう。教科書に見本として載せられていてもおかしくはない。
それもそのはずで、なんの説明もなくいきなり魔剣だなんだのと聞かされてもすぐに飲み込めるものではないだろうな……と、向かい合ったもう片方であり、教会内で人の話を聞く気がない男として有名なベネディクトが思い至っていたかどうかは分からないが、そろそろ話を進めようと彼が口を動かす寸前にエリオットの表情がこれまた見事に変化した。
一応、捜査官として仕事中なのだからと本人は抑えているつもりだが全くもって成功していないエリオットの顔はぱああぁと音が聞こえてきそうな程のワクワク感と好奇心に満ちていた。それは宝の地図や勇者の大冒険の話をされた子供の反応と同じである。いや、それよりも顕著かもしれない。期待に満ち溢れた瞳は輝いており、目は口ほどに物を言うどころの話ではなかった。
これには、教会内で空気を読まない男として有名なベネディクトも言葉を続けようと僅かに開いた口をそのままについ固まってしまう。その上殆ど間をおかずに吹き出してしまうオプション付きだ。
そこでようやく我に返ったエリオットが咳払いをしつつ畏まった顔を作るが今更であるし、その無駄ムーブがまたベネディクトのツボを刺激してしまった結果、更に盛大に笑われてしまう事となった。出会い頭の失態再びである。
暫しの間、目を瞑り羞恥に耐えるしかないエリオットであったがベネディクトの笑いの波があらかた収まったところで再度咳払いをしつつ姿勢を正し、正面に視線を向ける。
ふう、と呼吸を整えたベネディクトが肩をすくめた。
「すまない。あまりに素直な反応だったものでね」
ベネディクトの言葉にどう答えるべきか悩んだエリオットは結局、やけくそ気味な満面の笑顔と共に「ありがとうございます」と返したのだが、その反応が再度ベネディクトの笑いを誘ってしまう。二人の相性はどうやらある意味で最高であるが故に厄介らしい。爽やかに笑う若き枢機卿を前にエリオットは、笑顔のままで意識をこの後に待つお楽しみランチに飛ばし現実逃避を図っていた。
本題でありながら登場した途端にすっかり置いてけぼりになっていた魔剣であったのだが、エリオットの持ち上げ過ぎた口角が痙攣をおこしそうになったころになってようやく顧みられる事になる。
「失礼、話を戻そう。それでこの剣についてだが――」
どこかにスイッチでもあるのかと疑いたくなるほど切り替えが早いベネディクトが、それまでの爽やかな笑顔から急に真顔になり、その変化の唐突さについていけていないエリオットにお構いなく語りだした経緯をまとめるとこうだ。
先日、セレイア大聖堂に配属されたばかりの神官の一人が掃除中に誤って倒してしまった銀の燭台が運悪くドミノのように、並んでいた他の宝物や遺物を倒してしまう。次第に勢いを増していった結果、最終的に運悪く叩きつけられることになった神像が割れてしまった。その中から偶然発見されたのがこの今現在ベネディクトとエリオットの前に置かれた剣ということらしい。
「確かに出自は気になりますが、でもなぜ魔剣であると?」
話を聞く限り、わざわざ神像の中に剣が隠されていたのだから何かそうせざるを得ないだけの背景があったのは間違いが無いだろう。しかし、普通の剣ではなく敢えて魔剣と称するからにはそれなりの根拠がある筈だ。
のちのち世紀の大発見と言われるかもしれない偉業?を成し遂げた立役者とはいえ、現状やってしまった感も否定できない新人神官に対して同じやらかし仲間としての親近感と心からの同情の念を覚えつつ、捜査官の顔でエリオットが問いかける。
真っ直ぐエリオットの目を見、応えるように頷いたベネディクトがゆっくりと腕を組んだ。
「中から見つかったのはこの剣だけでは無かったのだよ。正確には、本来剣を納めた像の上からよくある聖人の像を形作ったというべきか」
「えっと、つまりわざわざカモフラージュされていたと?」
「そういうことだ。だが問題はその隠されていた方にあってね」
緩く添えられたベネディクトの指がトントンと自身の腕を叩く。ドレープを描く厚手のローブがそれに合わせてほんの僅かに影の形を変えた。
「『災厄神ゼシュ』」
「?」
「エリュシア大陸に太古より伝わる創世神話においては始まりの八柱に数えられながら、神聖教会では存在を消された神だ。本来は造形する事どころか名前を呼ぶことすら忌避される。下手をすれば異端審問裁判にかけられるだろうな」
「はいぃ!?なんか思いっきり呼んでましたけど大丈夫なんですか!?」
エリオットが思わずぎょっとして突っ込む。
信者でないエリオット自身は神聖教会やその基になった大陸の女神信仰については明るくなく講義で習ったくらいの知識しかないためベネディクトの話を聞いてなるほどと思いはしてもそれ以上に感慨を抱くわけではないがベネディクトは別である。なにせ枢機卿という立場にあるのだ。本来教義を厳格に守り、また同時にそうであることを周囲より殊更求められる立場にある。今この場に二人しかいないとはいえ、身の安全という意味でもあっけらかんと声に出していい内容でない筈だ。
「大丈夫ではないな!聞いてしまったエーリ君も共犯だ」
「ひっ!サラッと凄い事に巻き込まれてる!ていうかエーリ君って僕のことですか!?」
「オッティヌと悩んでいる」
「エーリ君でお願いします」
せめてそこは譲りたくないとすかさず答えるエリオットは、続けて『ヌ』はどこから出てきたのかと聞きたい気持ちをグッと抑えた。
このタイプの抗えない押しの強さにはどこかで覚えがある気がする。例えばこの間一緒に古城を旅した老若男女に大人気らしい有名恋愛小説家とか。見た目は芸術的に整っていて、ぱっと見の印象が爽やかな貴公子然としているところも、穏やかそうに見えて読めない笑顔もそっくりだ。
「それで、その、名前を呼べない神様と剣が何の……あ!」
「あぁ。例の神の伝承は極端に少ないがその僅かなものの一つに『身の内より魔の剣を生み出す』という一節が禁書に記されてあってね。つまりこれは名を消された神の名前のない魔剣を模しているというわけだ」
広く知られた昔話になぞらえたものであれば大した影響はないかもしれない。だが、禁書の中にしか記されていないような事柄を再現するなど悪戯では済まされないレベルだ。そもそも論として知る立場の者が関わっていなければ根本から成り立たない。時代も分からない過去とはいえ、つまりは神聖教会の最も中枢、禁忌の知識を得られるだけの深いところにとんでもない異端者が存在したことになる。
「現在、この事実を知っているのは私とエーリ君だけだ」
「え?で、でも掃除をしていたっていう神官さんは」
「知る必要のないものだからな。『何も覚えてはいない』そうだ」
「そ、それって……」
「察しが良くて助かる」
要するになんらかの記憶処理を施して強制的に忘れてもらったと言いたいのだ。
それだけの手段を取らざるを得ない事態だと力業で納得させられたエリオットはごくりと唾を飲み込む。そこでなぜ自分が選ばれしメンバーに含まれているのか理由は全く理解が出来ないが。
ルーカスから頼まれた時は何かを受け取ってくるだけの簡単なお使い気分だったというのに正に一寸先は闇である。
(ん?何かってまさか)
これまでのベネディクトとの会話と当初の目的を照らし合わせたエリオットの脳内でカチリと何かが綺麗にはまる音がする。出来れば今は聞きたくなかった音色だ。
「ちょっと待って下さい。教会から受け取るものというのはひょっとしてこの剣のことですか!?」
「そうだ」
「即答!やっぱり!いっ今の話を聞いてしまった後で持ち帰れる筈無いじゃないですか!!」
教会の長い歴史における暗部とも言うべき一品である。帝国政府の人間であるエリオットが知っているだけでも危ないのに更にそのものを渡されるなど冗談ではなく命の危機を感じて然るべき事態である。
一旦、顔を天井に向け深呼吸をしたエリオットは無理矢理自分を落ち着かせてから、机を挟んだ先で黙しているベネディクトに向き直る。とにかく、今一番に確認しなければならないことがあった。
「そもそも、どうして特異現象捜査室に?」
そう。そこである。
本来なら外に出せるような類のものではない筈なのだ。なんせ内部の人間ですら記憶を消されているというのに全く関係ない、しかも別のイデオロギーに属している者に見せるだけでなく渡そうとするなど普通では考えられない。ということはつまり普通ではないなにか特別な事情があるということになるのではないかと思っていたのだが。
「簡単な話だ。帝国において教会の施設の土地は帝国政府の所有になる。教会が管理しているのはあくまでも建物だけという事になるが、このセレイア大聖堂については少々事情が異なる。神聖教会が生まれる以前から帝国にあった遺跡だからな」
「へ?」
返ってきた酷く現実的な内容に、エリオットはつい気の抜けた声を漏らす。
「本神殿は土地に限らず建造物及び元より収められている遺物に至るまで全て最終的には帝国政府が権利を有している」
「いや、ちょっと待っ」
「従って当教会の関知するところではない、と判断したわけだ。ここは、帝国政府の専門家に任せるべきだと」
あわあわしているエリオットの呼びかけを合いの手に、一気に事情を語ったベネディクトの顔には堂々と『あとは任せた』と書いてある。つまりは何のことは無い厄介払いという事だ。確かに詳細を突き詰めていけば教会にとって都合の悪い歴史がほじくり返される元にもなりかねないが、取り敢えず元凶が無くなってしまえばその心配もなくなる。必要な調査そのものは秘密裏に行えばいいのだし、魔剣のあるなしは大した問題ではなくむしろ余計な火種になりかねず、とはいえ処分することも出来ないのなら、悪巧みをする者がいたとしてもおいそれと手出しができない相手に預けてしまえばいい。そこにちょうど良く権利を擦りつけ……いや、主張できる帝国政府がいたというわけである。しかも事情を敢えて話すことで事の重大さから逆に口を堅くさせ、一蓮托生感を植え付ける徹底っぷりだ。
「エーリ君が常に正しい者であることを祈っている」
「……」
表面上はソフトな脅迫のおまけまでついてきた。
ベネディクトはエリオットの人格や性格を見極めた上で、言いふらしたり悪用したりしない事も、それだけでなく何か問題が発生した場合には教会からだけでなく、事実上の所有者とされてしまった帝国政府からとても口では言えない過激なペナルティがある事も察しているのだとちゃんと織り込み済みなのだ。
キラッキラの見た目に反してお腹の中は真っ黒けである。ベネディクトが教会の一部から腹黒紳士と呼ばれている事実を当然ながらエリオットは知らない。
(室長ぉお!!)
魔剣の響きに幼き日の少年の心を刺激されたエリオットのあのドキドキ感は今や違うドキドキ感に変わってしまっている。
恐らく多分確実にこうなることを知っていたであろう上司が、嘆くエリオットの脳内で笑顔を浮かべ軽く片手をあげていた。これはもう昼食くらいは奢ってもらおうと心に固く誓う。なぜなら今日はきっと食いっぱぐれるに違いないから。
若干食い意地にベクトルが傾いたエリオットの苦悩に気付く由もないベネディクトがスッと目を細めてエリオットを見る。身長差の関係で机を挟んでいてもやや見下ろす角度になっていたせいか、その目線は妙に鋭く感じられた。混乱していながらもこの状況を受け入れている様子のエリオットの姿を認め、にっこりと人好きのする笑顔を浮かべた。