エリオット・オーウェンの休日5
すっかり夜に支配された空の下、春の庭園は闇を照らす柔らかい光に淡く彩られていた。
人工的な照明ではなく、昼の間に日光を蓄えておいて夜になると光る性質をもつ春光花という植物が植えられているからだという説明を聞いた気がするが、エリオットの頭からはすっかり抜け落ちていた。当然庭園の美しさを楽しむ余裕もない。
思いがけず関わることになったライラやスーラ、そして妙な指輪の騒動がひと段落した後、本部からの応援よりも一歩早く訪れた皇宮警察からのお迎えによってライラだけでなくエリオットまで強引に車に押し込められた。
そんなわけで現在、エリオットは私服のゆるパーカーに七分丈パンツ姿のまま皇宮の一室にいるわけなのだが。
「第二界の住人、天龍の王タフェルと申す。この度は我が孫娘ライラを救って下さったとのこと。深く感謝いたす」
白いローブのような衣装に身を包んだ老王が言葉通り、エリオットに対して深い礼を示し腰を折る。彼の斜め後ろに立っていた少女ライラが微笑んでから少し遅れて祖父と同様に、恐らく竜族の淑女の礼に則った仕草で頭を下げた。
向けられた方のエリオットと言えば、突然の出来事に脳の処理が追い付かず目も口もかっ開いたまま固まっている。しかしどうにかこうにか僅かに残っていたらしい正気の部分が、今の絵面のヤバさだけはどうにか理解したらしくスライディングするほど勢いで王族二人より低く腰を落とした。
「ハッ!とっとんでもないですッ僕の方こそ守っていただきましたので!それに、結局、助けてくれたのは僕の上司で!とにかく、あの、頭をお上げくださいぃ!!」
エリオットの願いも虚しくたっぷり時間をかけて背を起こしたタフェルとライラは目の前の青年の慌てっぷりを見、顔を見合わせて柔らかな苦笑を浮かべる。
「エリオット」
「ライラ……」
「お主がいなければ、私は今頃あの変質者に捕らわれたままだったじゃろう。本当にありがとう」
「……僕の方こそ、ありがとうだよ」
前に進み出たライラが、困惑と恐縮でシワシワに縮こまっているエリオットの両手を持つ。そっと上げられたエリオットの顔と高さを合わせるように背伸びをすると微笑む。同じようにエリオットもまだ若干引き攣ってはいるもののライラに明るい笑顔を見せた。
ライラがサラッと称した『あの変質者』とはスーラのことで間違いない。酷い言い方ではあるが、彼女は本件の一番の被害者であるし、客観的に見ても確かに誰かを誘拐し力で脅して嫁にしようとするような者はどうしたって危険人物であるのでエリオットは特に何も言わないでおく。
エリオットが知り得た概要によると、スーラは王家の血を引きながら竜族と人族とのハーフであり、また竜族が生まれつき持つ筈の魔力も固有能力も無く強い疎外感と劣等感を抱えていた。事実、幼少期には混ざりものと呼ばれ差別を受けていたこともあったようだ。そんなスーラにとって誕生した時から王族として相応しい能力に恵まれ祝福されたライラは嫉妬の対象では足らず、やがて憎む者となる。自身が王になることで鬱屈を晴らそうと、大人しくライラの側仕えをしながら内心で野心を募らせていた――とのことだった。境遇に対して気の毒だと思うところはあるが、かといってやってる事は完全にアウトである。そこに同情の余地はない。
不思議なのはスーラが『ネクロマンサーの指輪』の指輪を手に入れた経緯の方だ。
そもそも指輪の捜索を行っている途中でエリオット達と会ったというルーカスによると、発端はあるコレクターが秘密裏に所有していたものが盗まれたもので当のコレクターが襲われ駆け付けた捜査員に伝えたことで発覚したという経緯らしい。ただ犯人については何もかもまるで『覚えがない』と言ったそうだ。コレクターはその後救急車の中で息を引き取った。そんな状況なのだから勿論錯乱していたとも考えられるが、彼の答えが先だっての吸血鬼騒動の際の犯人と同じなのが気にかかる。
事件の背後関係が洗われていけば、それがエルクランの街で暗躍していた奴らと繋がっていくかもしれない。これについてはルーカスも二つ事件に関係がある事をほぼ確信しているような口調だった。この先スーラの捜査については帝国と竜族界との間で外交的な協議が必要にはなるだろうが、いずれにせよ進展すれば経緯を含めてある程度は内実が分かってくるだろう。
繋いでいた両手を片方だけだけ離し、もう片方は繋いだままライラがエリオットの横に並ぶ。
事件の過程で汚れたり裾が破れたりしてしまっていた衣服から着替え、薄い菫色のワンピースに身を包み髪をハーフアップにしたライラは愛らしく、けれど幼いながらもすでに王族としてのオーラのようなものを兼ね備えていた。
思えば初めての出会った時から言動より滲み出る高貴さを感じており、加えてスーラに姫様と言われていた事から、どこかのやんごとないご身分なのだろうと予想はしていたエリオットであったが、まさか異界の王族とは思っていなかった。
皇宮への道すがら、迎えの車の中で聞いた時には本気で驚いた拍子に革張りの椅子から転がり落ちたエリオットである。
改めて考えてみると、第三界へと入界するにあたり今は人の形をとっているが、彼女もタフェル王も竜の姿が本質である。子供の頃に読んだ絵本でしか出会ったことのない存在だ。エリオットは内心密かに感動を覚えていた。
「さて。堅苦しい話はここまでとして。ライラに聞いた通りの人物じゃのぉ、坊」
二人の遣り取りを静かに見ていたタフェルが笑いながら口を開いた。坊とは自分のことだろうと当たりをつけたエリオットは、内心何を言われるんだろうか!?とドキドキしながらタフェルの好々爺そのものの顔を見遣った。
「びっくりするくらい普通じゃ」
「適正評価!!」
間違ってはいない。間違ってはいないのだ、が。
なんだかちょっと酸っぱく思えてしまうなと、相手と場所を忘れ大声でツッコミをしてしまいながら思うエリオットであった。
タフェルは鷹揚に笑うと、手近にあったソファにゆっくりと腰を下ろす。
「褒め言葉じゃよ。竜や王の名に惑わさられる者は多いがお主は普通じゃ。なかなか出来ぬことよ」
「あ、ありがとうございます」
タフェルが座ったことで下から見上げられる形になったエリオットは、彼の言葉に恐縮しつつも嬉しそうに頭を下げた。
エリオットの横に立っているライラはまるで自分が褒められた時のように誇らしげだ。そうだろう!うちのエリオットはすごいだろう!とでも言わんばかりである。いつの間にか手繋ぎからエリオットの腕にしがみついているような姿も仲の良い兄妹のようだ。
ロボットでは?と噂されるほど感情を一切見せない皇宮の護衛はともかく、第二界からお忍びの王族と共に訪れたらしい数人の侍従達は僅かに柔らかな笑みを浮かべていた。
しかし、その微笑ましい空気は次の瞬間見事に凍りつくことになる。
「お爺さま決めたぞ!私はエリオットを嫁にする!!」
空いている方の腕を腰に当て堂々と放たれたライラの宣言に、ピシリと音を立てて室内の空気が固まる。
「――はい??」
妙に静かになってしまった空間にエリオットの呟くような声がよく響いた。
ツッコみどころしかない発言に、え?第二界的冗談かなにか?ドッキリ?と彼の思考回路が遠い世界に飛んでしまうのだが。
しかし、そうしている間にも話は勝手に進んでいく。現実は時に無情だ。
「こやつはどうも危なっかしいからの。私が面倒を見てやらねばならぬ。だから、帝国の皇帝陛下との見合いはお断りさせていただくのじゃ!」
ハキハキしたライラからの追加の爆弾発言では終わらない。
「――それには同意する」
静かでありながら凛として響く声色はエリオットのよく知るものだ。出来れば今一番聞きたくなかった声でもある。
ギギギとぎこちない動きでエリオットが顔を向けた先には、確信した通り侍従によって開け放たれたドアの真ん中に立つ皇帝陛下の姿があった。
「だが、コレについては全て却下だ。話がそれだけなら早々に国外退却を願おう」
コレのところで目線を向けられたエリオットはゴクリと唾を飲み込む。コレってつまり僕の事ですか?アハハなんて聞く愚は犯さない。皆察しているからだ。
今日も相変わらず精巧な人形のように整ったユリアスの顔は、傍目にはいつもと同じ無感情無表情に見えるが、エリオットにはそれが絶対零度に思えた。
「とっ突然現れて勝手に決めるでないッ!!」
急に現れた第三者の、ただそこにいるだけで伝わってくる威厳に意識を奪われ少しの間瞬きも忘れて呆けてしまっていたライラは、知らず力を込めていた手から感じたエリオットの暖かさに現実へ戻される。
更に強くその腕にしがみつくと、怯えながらも強気で言い返し頬を膨らませた。
対してユリアスはライラを一瞥しただけで特に反応もない。話はもう終わったという風情だ。
他界の王族ということで帝国の立場から見合う対応はしているが、言い換えればそれ以上でも以下でもない。
怒涛の展開すぎて当事者の筈が一番置いていかれている感が否めないエリオットであるが、必死に現在の状況を整理してみる。
ライラが何故か自分を嫁にすると言い出し。
皇帝陛下のお見合い相手がライラで。
でもライラはそれを断り。
皇帝陛下も断り。
エリオットの嫁入りも却下された。
整理してみるとシンプルにして既に完結しているような気がしてくる。
(それなのに)と、エリオットは青を通り越して真っ白になった顔で、滝のような冷や汗を流しつつ、遠い目をして考える。
それなのにこの、戦慄するほどに重苦しい雰囲気はどうしたことだろうか。
今すぐ大地にめり込むほどの土下座をしなければならないような気持ちにさせる圧力を感じるのは何故だろうか。
そう。
これは盛大にやらかしている。
正に今スペシャルビッグにやっちまっている。
互いにお断りされているとはいえ、知らない間に皇帝陛下と竜族の姫とのロイヤルお見合いの間に挟まっだ挙句、結果的に邪魔してしまったのだから。
「ふむ。わしはどちらでも構わんがの」
魂が九割がた抜けかけているエリオットの耳に、タフェルのどこか面白がっているような明るい調子の声がするりと通り抜けていく。
エリオットの久しぶりの休日は最後に特大の嵐を巻き起こして過ぎ去っていったのであった。
最後の最後に。
「あッ!アイスクリームの割引券!!」
真夜中、唐突に思い出して飛び起きたところ起こされたクロさんに猫パンチを喰らうというオマケ付きで。
こちらで本エピソードは完結となります。(本作自体はまだ続きますが)ありがとうございました!