エリオット・オーウェンの休日4
本日三本目になる棒つきキャンディーを口に咥えたルーカス・ハルベリー上級捜査官は、片眼鏡のようなディスプレイに表示される情報に合わせて歩きながらやや重めのため息を吐き出していた。
今朝の緊急通信のすぐ後、やれやれと腰を上げたルーカスが扉を開けるより早く特異対に訪れたのは帝国軍の開発部の研究所からの客人だ。
なんだか色々言っていたが要約すると今回のような探し物の任務に役立つ発明品があるからテストを兼ねて使って欲しいというものでその結果が今の片眼鏡姿というわけである。
対象となるものの情報を読み込む事で、接続されたネットワーク内の膨大なデータをリアルタイムで分析し、存在する可能性の高い場所をサーチ出来るという説明の通り確かにルーカスの片目に見えるディスプレイの地図には目的物のある可能性の高い捜索範囲が表示されている。その範囲が徐々に狭くなっていくのはそれだけ詳細に場所の分析をしているからだろう。
「役立つっちゃあ役立つけどなぁ」
ただ、この無駄に目立つデカくてメタリックでサイバーなデザインだけはどうにかして欲しい。まるで変身ヒーローもののコスプレでもしているかのようだ。お陰ですれ違った何人かの子供に「あのおっさんがつけてる眼鏡だっせぇ!!」とか言われて指を刺されてしまった。ルーカスとしても一言一句その通りだと思っているので言い草そのものに異論は無いが普通に悲しい。
まだ試作段階ということなので見た目については是非とも改良すべきだとルーカスは頭の片隅で考えていた。
エリオットが配属されてから、こんな風に新しく開発されたアイテムのテスト依頼が増えているのは気のせいではない。
彼が色んな意味でチョロく扱いやすいというのも理由の一つだが、魔塔の研究員にエリオットの知古が在籍しているのが大きな要因だ。とはいっても個人的な縁による非公式なお願いではなく正式に依頼された任務であるのは間違いがないが。
普段試作品のテストはエリオットに任せきりになっているが、たまにはやってみるのも新鮮ではあるなと眠そうな目を瞬いたルーカスは、猫背を伸ばすと周囲の古めかしい建造物をぐるりと見渡した。
「さて、この辺りか」
ここは下町であるハリュシャン地区とその隣のパフィティア地区のちょうど境目にあたる。ハリュシャン地区が庶民的かつアングラな側面を持つ下町なら、古くから芸術家が多く住むパフィティア地区はクラシカルかつアーティスティックな下町である。建ち並ぶ建造物は石造りの館から奇抜なデザインの屋敷まで様々だ。
雰囲気がガラリと異なるように思える二つの地区だが、しかし内部が迷路のように複雑になっているところはどちらも同じであった。
「ここらでもう一度能力値が測定出来れば捕捉出来るんだがなぁ……ん?」
独り言が終わるか終わらないかのタイミングで右目を覆うディスプレイに対象能力値検出のメッセージが表示される。同時に空中に現れた地図には正確な位置情報が赤い点で記されていた。それによると現在地から数百メートルほど先のようだ。
狭く曲がった路地を進んで抜けた先、森林に面した人気のない場所でルーカスは立ち止まる。秋にかき集めたらしい落ち葉を詰め込まれた草臥れた袋が山盛りになっているところを見ると季節を跨ぐ位には放置されているようだ。もしかしたら特定の時期のみ運営されるようなところなのかもしれない。
「ちょうどこの塔の上――」
見上げた先、四角い石の館に並んで建っているそこそこの高さの煉瓦の塔の屋上に、見慣れた背中と知らない背中を見つけルーカスは珍しくその重たい瞼を動かし目を見開いた。
背後からチラリと見えた横顔は見慣れた新人部下のもので、どうやら端に追い詰められているらしい。その上微かにただよってくる腐臭と死霊術の気配にルーカスは眉を顰める。
経緯は分からないが、ともあれ今はエリオットをどうにかする方が先決だ。
ディスプレイの地図の赤丸とエリオットの位置が重なるところを見るとルーカスの探し物とエリオットに何かしら関わりがあるのはほぼ間違いがなく、つまりはまたなにか厄介ごとに巻き込まれたのだろう。
エリオットは下にある落ち葉袋に飛び降りる算段らしく、ジリジリとカニ歩きで位置を合わせているようだが落ちるまで見学している必要はない。
両手を口元に当てたルーカスはエリオットの背中を見上げ大きく息を吸い込む。
「エリオット!!!」
周囲に響く大声に名を呼ばれたエリオットが、ハッとしたように顔を左右上下に動かし、眼下の上司の姿を捉えた。
「えっ!室長!?」
「飛べ!!」
思いがけないであろう台詞にエリオットが口と両目をあんぐりと開ける。しかし衝撃に固まっていたのは一瞬のことで、すぐに「はい!」と元気よく答えると、背中に庇っていた少女を素早く抱き抱えてヒョイっと石垣を飛び越えた。
当然、重力に従い落下する――筈だが、何故か二人の体は羽のような軽やかさでフワリと空中に浮かんでいる。
「「わ!」」
エリオットと彼に抱えられた少女、ライラの声が綺麗に重なったその下で、ルーカスが人差し指をフワリと空を切るように下に動かす。すると、エリオット達の体はゆっくりと地上に向かい降り始めた。
トンっと僅かばかりの衝撃でもって両足が石畳に着くと、二人の体に急に重力が戻ってくる。バランスを崩したエリオットはたたらを踏みつつなんとか堪え、同じようにくらりとしているライラを支えながら顔を勢いよく斜め上に向けた。
視線の先にはいつも見慣れた上司のいつも通りの姿がある。殊更輝いて見えるのは気のせいではないだろう。
「ッ室長!ありがとうございますッ!」
「おー、感謝しとけよー」
エリオットの涙混じりの声に、気だるげに新しい飴をポケットから取り出し口に入れながらルーカスが間伸びした返事をしている。
まだ状況を理解出来ていないライラは目を白黒させながらエリオットの腰にしがみついていた。
ルーカスがさり気無く外して、ポケットの奥に押し込むことに成功した、お子様曰くダッセェ試作機の存在は幸運にも気付かれる事は無かったようだ。
いつも半目でやる気が無さそうに飴を食べている特異対の室長ルーカス・ハルベリーは、こう見えても上級捜査官であり、そして何を隠そう現代まで続く由緒正しき魔法使いの血統ハルベリー家の一員でもある、が。
「し、室長って本当に魔法使いだったんですね……」
「俺も時々忘れる」
なんやかんやで制約がありなかなか披露する機会もないので、本人的にも扱いはこんなもんであった。
大人同士のやり取りを見上げながら「なんなのだ!?」「どういうことなのだ!?」と混乱しているライラに分かる範囲での事情を説明しているエリオット。
二人の様子を一歩離れたところで見守っていたルーカスがおもむろに目線を上向ける。
先程までエリオット達がいた塔の上から漂っていた死臭はいつの間にか跡形もなく消えていた。どうやら秘密裏に別の部隊が動いていたようだ。こうも鮮やかに痕跡を残さないで行動出来る者は限られている。
大方、軍の特務部隊だか皇室直下の隠密だかその辺だろうとルーカスが考えていると、まるで正解だとでも言うように塔の上から青年がひょいっと顔を出した。よく見るとウィンクまでしている。彼の特徴的な赤い髪には心当たりがあった。当人もそれを分かった上でやっているのだろう。
瞬きの合間に再びその存在を完全に消し去った男がいた場所を、ルーカスは座った目で見遣る。
「どっちみち助ける手筈は万全だったっつーことか」
はーめんどくせぇ、と吐き出したルーカスに、エリオットとライラが不思議そうに揃って首を傾げていた。
「ところでエリオット」
ポケットに手を突っ込んだルーカスのしずかな声に、エリオットが背筋を伸ばす。
いつも猫背で分かりづらいが平均より背が高いルーカスはエリオットが真っ直ぐ立っても少し見上げなければならない。
「?はい」
「お前今アーティファクト持ってる?」
ガム持ってる?くらいの気軽さだ。
一拍ほど置いて「あ!!」と大声を上げたエリオットが上司にこれまでの経緯を説明し、二人で最大限警戒しつつ塔内部の様子を伺ったものの、ルーカスがあらかじめ予想していた通りそこにゾンビの姿は無く、ただ石頭の威力に屈し白目を剥いたスーラが塔の最上階の部屋で転がっていたのみであった。
かくして、まだ背景や事実関係など詳細な調査は必要なものの、少女誘拐監禁事件と遺失物事件が偶然にも同時に一応の解決をみた頃。
パフィティア地区のシンボルとも言われる時計塔の最上階で、二人の男が顔を見合わせていた。
大昔のカラクリ時計が時間ごとに様々な曲を奏でるこの時計塔は内部が全て複雑な仕掛けで出来ており、代々製作した工房が全てを管理している。
付近を歩いているだけではあまり気にならないが、こうして中にいるとゼンマイや歯車等々さまざまな音が常に色々なところから聞こえきていて、自分の声も分からなくなりそうだ。
「帝国の特務が優秀って話は本当らしいね」
ふわふわとした金髪の少年の言葉に、向けられた赤毛の青年が「そらどうも」と肩をすくめる。
「怖い上司がいるからな。手を抜きたくても出来ないのよ」
トホホと気安そうな口調で答えているが、その目は少年の動きを仔細に追っている。
「つーことで、少年。なんで覗き魔やってたのか素直に答えてくれるとありがたいんだけどね」
「えー。それはお互い様じゃない?おにーさん」
少年の言う通り、二人して『ネクロマンサーの指輪』に関わる件の塔での出来事を伺っていたのは確かだ。なにせそこで鉢合わせたのだから。
「目的は異なるけどな――『無名の徒』の少年」
青年の言葉に、少年の細められた目が少しだけ開かれる。
しかしすぐに見た目だけなら人畜無害そうな顔に戻ると、肯定も否定もなくただ青年を見据えた。
「それを言うって事はさ、あんたを殺しちゃってもいいってことになるよね」
高い場所特有の強い風の音が機械音に混ざって響いてくる。
暫し二人は沈黙向かい合った。
ほんの少しでもどちらかが動けば張り詰めた糸が切れてしまうような、そんな鋭い沈黙が流れる。
やがて、夕刻を告げる最初の鐘が鳴り響くと同時にその冷たい空気が霧散していった。
「やーめた。言われた仕事は終わったし。お腹すいたからまた今度ね」
言うが早いか少年が指で空中に魔法陣を描き出した。
大きく振れた銀の鐘が二人の間を遮る。次に視界が開けたときには既に少年の姿は無かった。
青年には見たことがない術式だったが、恐らく転移魔法の類だろう。
「……やられた」
あ、という暇も無かった。
文化財を傷つける可能性に気が引けた、とはいえ素直に認めるしかない。アレはかなりの実力者だ。
耳が痛いほどに鳴り響く鐘とカラクリ仕掛けの作動音の中で「減給かなぁ」と呟いた青年の情けない声は幸か不幸か本人にすら聞こえることは無かった。