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エリオット・オーウェンの休日3

 何処かで微かに誰かの声がする、とエリオットは思った。

 

 その声は悲痛で、それから必死に何かを呼んでいる。

 いつか同じような声色を聞いた事があった。昔、庭の木から落ちた自分を心配して泣いていた妹の声に似ている。彼女は一生懸命にエリオットの名前を叫んでいた。


(なまえ……そう、名前だ……)


 そこでようやく自分の名前が呼ばれているのだと気付いたエリオットは、ぱっちりと瞳を開いた。


「エリオット!気がついたか!」


 いきなり視界いっぱいに映った涙目の少女の姿にエリオットの思考が固まる。一瞬ののち、ハッとして両目を見開いた。


「ッライラ!大丈夫!?」


 慌てて起き上がろうとしたものの、後頭部にピキリと痛みが走り顔を顰めた。そういえば意識を失う前に後頭部を殴られたような気がする。


「ッ怪我をしたのはお主の方だろう!ばかもの!」


 ますます泣きそうな顔で、でも涙を堪えたライラはその顔を隠すようにエリオットの胸元にぎゅっと抱きついた。

 ライラの様子に目をぱちくりとしていたエリオットは、ややあって彼女の頭を宥めるように何度か優しく撫でる。ライラの自己申告通り、パッと見た限りだが彼女に怪我などはなさそうだとホッとしつつ、どうやらかなり心配をかけてしまったようだと申し訳ない気持ちになった。いきなり目の前で殴られて人が倒れたのだ。怖くない筈がない。


「こ、ごめん!ごめんなさい!でも大丈夫!!石頭には自信があるから!!」

「平気なわけあるか!自分の心配をしろ!」

「うん……ありがとう」


 鼻を啜っているライラに苦笑しつつ、目線だけで周囲を伺う。飾り気のない木製の壁と天井が目に入る。どうやらどこかの部屋に運ばれ床に転がされていたようだ。

 気を失っていたので当然だが、エリオットには現在の状況が全く掴めていない。ブラックアウトする前の記憶から考えてみれば決して良い事態になってないことだけは分かっているが。


「さすが姫様。下々の者にもお優しいことです」


 死角から聞こえてきた聞き覚えのある声に、エリオットはライラを支えながらゆっくり身を起こす。

 パチパチとワザとらしく手を叩いていた男が、ドアの前でエリオットを静かに見下ろしていた。この細身のスーツ姿の彼は路地裏でライラを探していた青年だ。


「ここは?」

「帝都の一角ですよ。あなたとあなたご自慢の石頭のお陰で少々予定が狂ってしまいまして」


 大袈裟に困ったような表情を作った青年が口角を片方持ち上げる。そのどこか人を馬鹿にして見下すような嫌らしい様子に、エリオットの服にしがみついていたライラが強く青年を睨みつけた。


「スーラ!貴様ッ」


 スーラと呼ばれた青年が目を細める。

 ライラを姫様と呼び、一応敬語は使っている事からも彼女と主従関係にあることは間違いないのだろうが、敬うような気配は一切ない。


「これはこれは。未来の夫に随分な口の利き方ですね」

「誰が貴様のような者と!」

「全てはあなたのお祖父様が悪いのです。人間を婿に迎えるなどと言い出した現王陛下がね」


 エリオットの服の裾を掴んでいたライラの拳が更に強く握られる。その小さな手は怒りからなのか、恐怖からなのか、あるいは幼女の配偶者の座を狙う青年への嫌悪感からなのかどうかかは分からないが僅かに震えていた。


 経緯が分からない事もあって安易に口を挟むことも出来ず、2人の会話を見守る立場となっていたエリオットの視界の端に、ライラの額に流れる汗の粒が映る。そのタイミングに合わせるように彼女の体がふらりと揺れた。


「ライラ!?」


 エリオットがライラを支えようと肩に手を回し抱き止める。その腕に縋るように両手を置いたライラは苦しそうに短い呼吸を繰り返していた。すると、呼応するようにフワリと2人の周りの空気が不自然に揺れる。

そこで初めてエリオットは自分達を囲んでいる何か薄い壁のようなものがある事を知った。


「あなた様にはまだ複数範囲の守りの空壁を維持し続けるのはお辛いでしょう?姫様。そのようなどこの誰とも知れぬ人間風情を守る必要などありませんよ」

「ッ何人であろうとも貴様よりはマシであろうな!」


 もはや敵であることを隠そうともしないスーラの言葉に強気で返すライラだが、その顔色はあからさまに悪い。


 気を失ってから何がどうしてここにいるのか、他のならず者達はどうなったのか、そもそもライラとスーラの事情も何もかもエリオットは知らない。


 しかし、無防備であった筈のエリオットが目が覚めるまでただ放って置かれた現状とスーラの台詞、そしてライラの姿から、彼女が自分を守ってくれていたことは確かだ。

 エリオットとライラの周りを覆う、薄い透明の壁が恐らくスーラの言う『守りの空壁』と呼ばれるもので、そのおかげでスーラが手出しを出来ないことも、けれど代わりに発現者であるライラが苦しんでいるのだということも事実だ。


「ッライラ!もうい」

「それほど気に入られたのなら傀儡として側仕えにして差し上げましょうか?」


 事態を把握して息を飲んだエリオットが上げた声を遮るように、空気を読んでいないスーラが良いことを思いついたと言わんばかりの台詞を投げかけてくる。おもむろに持ち上げられた彼の指には何か細かな模様のかかれた指輪がはめられていた。


「この『ネクロマンサーの指輪』でね」


 誇らしげに高らかに言われても、モノの正体が良くわからないエリオットには申し訳ないがその素晴らしさは伝わらない。


「これで私は王となれる!混ざりものと見下した私にみな頭を垂れるのですよッ」

 

 思いがけず背後に重い事情がありそうなスーラの台詞からエリオットに理解出来るのは、指輪が何らかの作用で人を操るであろうものであることだけだ。あとネクロマンサーと銘打っているだけにゾンビ的な作用もついてくるのだろう。世の中には人を良いように操作するような術や物が多すぎるのでは無いだろうか、いや自分の遭遇率が高めなだけかも……と、頭の片隅でちょっと酸っぱい気持ちになるエリオットであった。


 ともかく、エリオットの推測が本当なら指輪には何かしらの呪術や魔法を発動する力がある事になる。それは、つまり。


(もしかしてアーティファクト!?)


 思わぬところで思わぬ物に出会ってしまった。この瞬間から否が応でも『休暇中の巻き込まれたエリオット』から『中央捜査局特別捜査官のエリオット』へと立ち位置が変わらざるを得ない。


 ライラの安全が第一なのは当然として、スーラの指に嵌まっているモノについてもこのまま無視をする訳にはいかなくなった。先ほどからの言動を見るに所持している彼は正直お世辞にも好青年とは思えないし、その上で指輪が少しでも他者に害を与える可能性を持っているなら尚更だ。

 


「――ライラ」


 エリオットの声に顔を上げたライラに視線を合わせ額を合わせる。スーラには聞こえないようにギリギリまで声量を落とし素早く囁いた。


「守りの空壁は君一人ならあとどれくらい持ちそう?」

「わ、私だけなら一刻は…」

「いいかい?合図したら守りの範囲を自分自身だけに絞るんだ」

「エリオット!?何を言うのだ!そんなのッ」


 ライラがこうしてエリオットに寄り添って離れなかったからこそ、エリオットは始末されずに済んだ。


「大丈夫」

 

 出会ったばかりで素性も知らない相手を、その小さな体で必死に守ろうとしてくれた少女の澄んだ瞳をエリオットは感謝の気持ちを込めて真っ直ぐに見つめる。それからゆっくりと優しくその頭を撫でた。それから、少しでも不安を取り除きたくて。


「それより割引券今日までだから早く帰って一緒にアイスクリーム食べよう」


 出た台詞がこれである。

 

 気の利いた会話スキル皆無なお陰で言葉選びを壊滅的に間違えた感はあるが、せっかく久しぶりの休日だ。怪しい青年スーラの相手で終わってしまうのは勿体無い。こんなつまらないところからはさっさと失敬し、公園で二人のびのびと5段に盛られたアイスクリームを食べる方が遥かに有意義である。と、いうエリオットの個人的な熱意は伝わったに違いない。


 虚をつかれた顔でキョトンとしていたライラは、エリオットの真面目な表情を見てプッと吹き出した。


「お、お主。こんな時に食べ物の話などッ!ハハッ――でも、そうだな。絶対に約束じゃぞ?」


 互いに目を合わせ強く頷き合う。

 ちょっと締まらない台詞になってしまったが、エリオットとて何の考えもなく呑気な気安めを言っている訳ではない。

 スーラが自慢げに掲げる『ネクロマンサーの指輪』の存在が逆にエリオットにとって有利な条件になっているなど青年は気付きもしていないだろう。自分が圧倒的に強者だと思っている。だからこそ、この場に一人で悠々と居られる程に余裕があるのだ。




 『アーティファクト』とひとことに言っても関わった存在や製作者、アイテム自身の能力値などによって幾つかのレベルに分けられている。


 神や悪魔に由来を持ち人智を超えた力を秘めた『神話級』の他に、歴史に名を残す竜神や大賢者、精霊王などによってもたらされた『伝説級』や、かつて多く存在した呪術者や魔法使い、魔女の手で作られた『寓話級』などの大分類があり、更にその中で効果範囲や能力の強弱を踏まえた総合的な危険度によって細かな段階に分けられているのだ。


 スーラの手にある『ネクロマンサーの指輪』がどの分類の何レベルにあたるかは分からないが、先日のエルクランの街での事件やその他諸々これまでの事を思い返してみるにその力が物理でないのなら何とかなるのではないだろうか。そう、エリオットは考えていた。


 何せ本物の悪魔のかけた隷属の術でも(かなり手加減されていただろうとはいえ)エリオットに異常は無かったのだ。策、というには少々無謀な賭けではあるが現状を打破する切欠くらいにはなるだろう。


(それに、そろそろ『保険』が効いてくるはずだ)

 

 最初から一人でなんとかできるだなんて考えていない。

 ハリュシャン地区で追いかけられている時、大声で捜査官であることを告げていたのは何も投降を呼びかける事だけが目的じゃなく、周囲に状況を印象付けする為でもあった。騒ぎが起きればそれを通報する者もいる筈だろうし、そうなった際に関わりのある者の立場や名前があればよりスムーズに捜査が進められる。

 お願いだから少しでも動き出していてくれと、エリオットは内心で祈るように呟いた。

 


 コホン、とわざとらしい咳払いにエリオットとライラは揃ってスーラに顔を向ける。その値踏みするような視線をうけつつ立ち上がり、そっとライラを背中に隠す。


「先ほどから何かこそこそと話しているようですが、別れの挨拶は……」

 

「ライラ、頼む」


 行動が決まればもうこれ以上スーラの言葉を聞いている必要もない。

 訝し気なスーラの声に被るようなエリオットの合図にライラがコクンと頷くと同時に、二人を覆っていた透明の壁が一瞬弾けるように光る。輝きが収まった数秒後、守りの空壁は術者であるライラのみを綺麗に覆っていた。

 

 当然、無防備に眼前に晒されることになったエリオットの姿にスーラの顔が少しだけ驚いたような表情になり、すぐにいびつな笑顔を作り出す。

 

「……済ませたようですね」

「あぁ。ただし、あんたとのだけどな」

 

 エリオットはエリオットで精一杯に挑発するような顔をしようと頑張っていた。本人に勿論そんなつもりは微塵もないが、もしはたから冷静に見るものがいるとしたら「顔芸大会かな?」という感想を抱いたかもしれない。幸か不幸かエリオットの背後で彼のシャツの裾を握りしめていたライラは、エリオットの努力の結晶を見ることは無かった。

 ただ、その頑張りすぎて変顔になっている様子が、諸々の鬱屈が根底にあり今強い力を手に入れ上に立てる機会を得たと思って気が昂っており煽り耐性が低めの男にとっては覿面に気に障ったらしい。スーラの顔は意図したよりも強く不快そうに歪められている。


「舐めた態度だな、人間」

「そっちが素か?悪いけど子供を脅す事しか出来ない変質者の妄言をこれ以上聞いてやる暇はないんだ」

「ッ下等種の分際で調子に乗るなよ!!」


 わざと怒らせるように仕向けたエリオットの言葉にも、苛立っている脳内では冷静に判断できないのか容易く乗せられたスーラが怒声と共に勢いよく腕を突き出す。

 曝け出された『ネクロマンサーの指輪』から途端に重く禍々しい気がどろりと空間を這うように放出され、エリオットに纏わりついた。


「エリオット!!」


 我慢できず叫んだライラの目の前でエリオットの姿が少しづつ見えなくなっていく。

 やがて足の先から頭の先まで黒く塗りつぶされていくその様子を見、漏れ聞こえていたスーラの笑い声が次第に大きくなっていった。

 

「フッ……くッアーッハハ!!お前はもう生きる屍だ!!」


 スーラの声に答えるように渦巻いていた黒くねっとりとした気が次第に霧散していく。徐々に見えてきたエリオットの姿はガクリと膝を落とし頭を下げまるで跪いているかのようだ。

 勝ち誇った顔で歩を進めたスーラが真上からエリオットを見下ろす。


「喜べ人間。貴様を新王の配か……アガッ!!」


 唐突に全く思いがけず顎に感じた強い衝撃に、スーラの目がグルンと回転し白目になる。

 

 一方、しゃがんだ態勢から勢いよく跳ね上がり頭突きをかましたエリオットは、後ろ向きに倒れていくスーラとは対照的に姿勢を正して立つと「お断りします!」と内定辞退しつつ腰に手を当てた。


 石頭の頭突きに気を失ったスーラの指からすかさず指輪を抜き取ると、落ちないようにポケットの奥にしまう。もうここに用はない。あとはとっとと逃げるだけだ。追い剥ぎのようだなとチラリと思うエリオットであった。


「今のうちに急ごうライラ」

「エリオット、お主大丈夫なのか!?」

「その話は後だ!とにかく早く外に出よう!」


 ライラの手を引き、唯一のドアに向かって駆け出したエリオットがドアノブを掴み思い切り押し込む。

 鍵は掛かってなかったらしくすんなりと開いたせいで勢い余って倒れかけたところをなんとか立て直した。


 出てすぐに螺旋階段がある事でここが塔の中なのだと知れた。下町には昔の建造物が多くそのまま残されているのでこういった古めかしい遺跡めいた塔があっても不思議じゃない。

 ただ、先程つんのめった拍子に明かり取りの窓から見えた外には深い森が見えたことから、ハリュシャン地区でない事は分かった。他にも下にチラッとゴミ袋のようなものが積まれていたのが分かったので人の手が入っている場所なのは間違い無いが、果たしていつ頃までの話なのかは分からない。


 意を決して階段を降りようと一歩踏み出した途端、階下からなにか重くて湿ったものをズルズルと引きずるような音と、腐敗臭が漂ってきた。その音が近づくにつれ臭いも強くなってくる。


 警戒し後ずさったその時、円筒形の壁の向こうから階段を上がってきた音の正体が見えてきた。


「……あのー、これってまさか」

「ゾンビというやつじゃな……」


 緩慢な動作で昇ってくるゾンビ?をよく見ると、腐り落ちかけてる体に辛うじて貼り付いてる服になんとなく見覚えがあるような無いような気がしてくる。恐らく街でライラを追いかけていたごろつき達だろう。

 ネクロマンサーの指輪はしっかり使用されていたらしい。


 エリオットとライラは揃って青い顔で鼻をつまむと、後ろ向きに階段を一つ昇ったのであった。






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