表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/19

エリオット・オーウェンの休日2

 白と青のコントラストが美しいアシュタルト帝国皇宮の広大な敷地内には大小様々な庭園が存在している。

 それぞれ異なった意匠を凝らしつつ見事な造詣を誇っており、訪れた者や宮廷内で働く人々の目を楽しませていた。


 そのうちの一つ、春の庭園と呼ばれるそこは名前の通り春になると最も美しくなるように植えられた植物や光とオブジェクトとのコントラストなど緻密に計算し設計されており、正しく春先の今、ちょうど見頃を迎えようとしていた。


 春の庭園を望む客室の中央には猫足の長椅子と1人掛けの椅子2脚が向かい合わせでお行儀良く配置されている。椅子に挟まれた白く華奢なテーブルの上には控えめながら上品な柄のティーセットが用意されていた。


 壁際に控えている護衛達は手を背中で組みまるで置物のように微動だにしない。皆、例え微かな物音1つでも何事か異変があればすぐに動ける体制を整えている。各自かなりの訓練を受けている精鋭なのだとその気配だけで察することができた。


 それもその筈で、今この室内には彼らが何をおいても護るべき主人である皇帝陛下がいるのだ。皇宮内のしかもセキュリティレベルの高い特別管理区域内とはいえ気を張るのも無理はない。ただ、本音を聞けば皇帝陛下に危害を加えようとするならず者よりも陛下自身の方が怖いのだと返ってくる可能性は否めないが。


 ともあれ、濃い緑色に薄く黄色の糸で縦縞の入った上品な生地の座面であつらえた椅子に背を預け、肘掛けに両手を載せた皇帝、ユリアスは向かい側の長椅子に腰掛けている客人を鷹揚な仕草で見遣った。


「急に何の用で参られたのか?タフェル翁」


 お前アポ無しで何しに来たんだ?をそこそこ丁寧かつ単刀直入に述べたユリアスに、老人が肩を揺らす。


「ほうほう、久しぶりに会ったのだというにお主は相変わらず他人行儀で冷たいのぉ」


 ユリアスの冷めた目線にも動じることのないタフェルのその様子は、互いに似たような統治者の立場であるというだけでなくどこか旧知の者に向ける親しみのようなものがあった。

 

 顎から長く伸びた白髭を撫でつつ、タフェルが細めていた目を開く。その縦に細長い虹彩は人とは似て非なるものだ。

 

 帝国政府が入界管理局より、第二の異界である竜族界からの国賓級訪問者の知らせを受けたのはつい今朝方のことであった。



「なに、年寄りはそろそろ引退でもしようかと思ってなぁ。それで孫娘の婿を」

「断る」


 タフェルの言葉が続く前に声を発したユリアスが、話は終わったとばかりに立ち上がった。そのまま老人を見下ろすと、くるりと向きを変えスタスタと去って行こうとする。


「待たんか。我ら天竜族の王になるんじゃぞ?そう悪いものではあるまい」

「話は終わった」

「せっかちな奴じゃ。まぁまずは孫を見てから、と思っておったんだがのう」


 余韻を残し途切れた言葉に、ユリアスが足を止め顔を向ける。ティーカップを持ちフォッフォッフォとなんとなく意味深に笑うタフェルの様子に察しがついたのか、呆れたように眉を上げた。

 従者の1人に何事か指示をすると、音もなく開かれた扉から執務室に向かうべく足を踏み出したのであった。






■■






 皇帝が天竜族の王タフェルの急な訪問を受けていたちょうどその頃。


 エリオットは帝都南側にあるハリュシャン地区の路地裏を闇雲に走っていた。

 この辺りはいわゆる下町で、敢えて区画整理はされず昔からある家や店舗が多く残されているために雑多な印象だが、それがかえって味があり面白いと言われている場所だ。

 確かにその通りだが、故に迷路のようにもなっておりメイン通りを外れてしまうと地元民であっても簡単に迷子になってしまう。


 帝都に暮らしているとはいえ、ハリュシャン地区には顔馴染みの商店かマーケットに訪れる程度でしかなく、現在絶賛迷子続行中のエリオットは必死に足を動かしながらこのまま一生帰れなくなったらどうしようと半ば本気で考えた。


「お主なかなか足が速いのう!」

「それは!どうも!」


 腕に抱えた少女が楽しそうに声を上げる。お褒に預かり光栄だが生憎エリオットは今それどころではない。

 背後から聞こえてくるのは2人を、正確には少女を目的に追いかけてくる複数人の声だ。中にはかなり苛立ったような怒声も混じっており、通りがかりの者が何事かと足を止めて見ていた。


「てっ!帝国捜査局だッ止まりなさい!」


 前を向いたまま声を張り上げたエリオットに返ってきたのは「吹いてんじゃねぇ!お前が止まれ!」という彼らにとってみれば尤もな大声である。

 先ほどから一応投降を呼びかけてはいるものの、生憎バッヂを出す暇もないので効力は今一つだ。捜査官である証拠を掲げたところで穏便に話し合いが出来る雰囲気かと言われれば微妙だが。


 迷子になりかけているエリオットではあるが、それでもハリュシャン地区に度々訪れているお陰で路地裏の雰囲気は分かっていたし、知っている場所なら歩き回る事も一応は可能だ。

 しかし、今追いかけて来る方はどうやら全くの初見らしく怒声の中に「なんだこの道は!」とか「くそ!どこも同じに見える!」なんて戸惑い混じりの声が聞こえてくる。その違いが多少は優位に働いているらしい。


 確かにどこを走っているかについては把握出来ていないエリオットではあるものの、どういう構造かについての土地勘はあるのでその分遠慮なく進めている事から、追って来る者たちとの距離を少しずつだが広げる事に成功していた。

 単純に、誰かを守りながら追手から逃げているという状況に、物凄く必死になっている事から火事場の馬鹿力的な通常以上のポテンシャルが引き出せたというのも大きく影響していたに違いないのだが。


 それでも人の体力には限りがあるわけであり、いくら捜査官として多少なりとも鍛えてるとはいえそろそろ限界が見え始めたエリオットが、グルグルと同じ場所をまわり続けているような錯覚を覚え始めた頃、唐突に人の多い通りが目線の先に映った。


 一目散に勢い良く通りに飛び出した青年と抱えられた少女という2人組に、道ゆく人々が一瞬ギョッとした顔をする。どう控えめに見ても不審者丸出しだが、周囲はすぐに何でもない雑踏へと戻っていった。


 エリオットは気付いていないが、2人が辿り着いたこの、人も多く真昼間なのに少し薄暗い印象の通りはハリュシャン地区の中でもよりディープな、あまり治安が良くないと言われる西区画に位置している。様々な事情を持った者が集まることからも、西側では他人の面倒事には首を突っ込まないのが暗黙のルールになっていた。


 そんな事情を知る由もないエリオットが肩で息をしながら勢いよく振り向いた路地裏に追手の姿は見えない。なんとかギリギリで振り切れたらしい。

 背後を気にしつつ通りを横切った先にあるまだ開店前らしいバルの裏口側まで素早く移動したエリオットは、そこで抱えたままだった少女を降ろすと茶色いレンガの壁にヨレヨレともたれかかる。隣の建物との間で日陰になっており、隠れるにもちょうどいい場所だ。


「それで、君は、一体」


 身に付けている白いワンピースの皺を直していた少女が、問いかけに顔を上げる。

 エリオットが目線を合わせる為にしゃがむと、彼女の青色と金色の混ざり合った大きな瞳が真っ直ぐにエリオットを見つめた。色素の薄い金色の長い髪がふわりと揺れる。あまりお目にかかれないような美少女だ。



 逃亡劇を繰り広げていたエリオットと少女だが、2人は初対面どころかつい先程偶然に顔を合わせただけで名前も素性も何も知らない。


 エリオットが買い出しの為にハリュシャン地区のマーケットに足を踏み入れようとした時、路地裏から少女が飛び出てくるなり「助けて」と叫んだことで面食らっていたところ、その後ろからいかにも怪しい連中が手に武器らしきものまで握って彼女を追いかけているのが分かった為に、ろくに考える暇もなく急いで少女を抱えて反対側の路地に逃げ込んで今に至るのである。話をする暇も無かった。


「まずはお主から名乗らんか」


 腰に手を当ててふんと、やや踏ん反り返りながらの少女の台詞はその少々古風?な口調と相まって幼いながら堂に入っている。

 本人が意識してないところで身についてしまった下僕属性のせいか、つい敬礼してしまいそうになった悲しきエリオットであった。


「わ!失礼しました!改めて僕はエリオット・オーウェンです。その、宜しく」

「私はライラという。エリオット、お主のおかげで助かった。ありがとう」

「ややや!ご丁寧にどうも!」


 ぺこりと深く頭を下げたライラに合わせて、エリオットも何故か頭を下げる。

 お互い充分に礼をしてから同時に顔を上げた。


「改めて。一体何があったのか聞いても?」

「うむ。それが――」


「探しましたよ、姫様」



 突然頭上から降ってきた影と声に、エリオットとライラは揃って顔をあげる。

 長い金髪を緩く横で結ったスーツ姿の青年がいつの間にか2人を見下ろすように立っていた。


「何者かに拐かされたと聞きましたがご無事で何よりです」

「あの……?」

「姫様をお助けいただきありがとうございます」


 戸惑うエリオットに向けてにっこりと笑顔を作ってはいるが目が笑っていないような気がするのは気のせいだろうか。

 まだまだ未熟ではあるものの、エリオットの捜査官としての勘が青年に僅かに不穏なものを感じていた。それを裏付けるように、ライラが怯えた顔でぎゅっとエリオットの指を握り締めた。


 少女を庇うように立ち上がったエリオットに、青年が目を細める。


「さぁ姫様。帰りましょう。お祖父様がお待ちですよ」

「ッそれは」

「では、そちらの方も是非ご一緒ならば如何ですが?お礼もさせていただかなければなりませんし」


 手を差し伸べた青年を見もせず、ライラがエリオットの腕にしがみついた。丁寧なのは口調だけでもはや口元も笑っていない青年がエリオットとライラを値踏みするように見遣る。


 両腕でライラを守るようにしながら、エリオットが一歩下がった、その時。



「ッ!!」

「エリオット!」


 予期せず後頭部に感じた鋭い痛みとライラの呼ぶ声を最後に、エリオットの意識は暗闇に沈んでいった。





 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ