代替えの子供たち
月見里明は生まれてきてはいけない存在だった。存在自体が汚らわしく、許されない。
月見里家と日向家は大昔から争ってきた。互いに憎しみ合わなければいけなかった。
それはある儀式のためであり、さしてその儀式は両家の憎しみをより強く深いものにしていた。
月見里家の先代は名を月見里朋枝と言い、それは美しい娘だった。月見里の生まれということを差し引いても、嫁に取りたい。婿に入りたいという者は多く。日向家一派ですら彼女の美貌によろめき、月見里一派へ鞍替えするような有様だった。
しかしあろうことか朋枝を射止めたのは日向晶。日向家の跡取り息子だった。
二人は村の大事な儀式を放り出し駆け落ちをしようとした。幸い未遂に終わり、晶は村の者に捉えられたが、朋恵の方は逃げ延びた。
それから一年の月日が経ち、朋枝が村に戻ってきた。母親の朧はすぐに彼女が子供を産んだことに気づいた。
汚らわしい。日向家の晶と作った子供。朧は激昂したが、朋枝は赤子の居場所を吐かなかった。朧は実の娘である朋恵を土蔵に閉じこめ、村の慰み者にした。男なら誰でも蔵に入れた。それは日向一派であってもだ。村の成人している男は老いも若きも全て朋枝を抱いていた。旦那、父親を取られた女房や娘は土蔵に向かって石を投げた。赤子の場所を吐けば土蔵から出してやると朧は言ったが、それでも朋枝は言わなかった。
そうして数年が経ち、朋は突然に壊れた。何を言っても反応しない。ただたまにニヤリと涎を流しながら笑うだけ。日がな立ったり座っているだけ。昔の美貌はもはやない。気の狂った哀れな女。
朋枝が狂った原因はただ一つだった。
私が生まれた。日向朝子が産まれたのだ。
晶が嫁を取り、その女が子供を産んだ。ただそれだけ。
朋は信じていたのだと思う。いつか晶が救い出してくれることを、明と三人でどこか遠くで暮らしていけることを。
それなのに晶は自分を裏切るように他の女と子供を作った。朋枝にはそれが許せなかったのだと思う。
それから一年後。朋枝は元気な男の子を産んだ。誰の子かも分からない。
名を、月見里晴太と言った。
「私と晴太は明の代替えにこの世に産まれてきたのよ。月見里と日向の血を正すために」
本当に気持ちの悪い話。そんな私たちが愛されるわけがなかった。
「君と明は姉妹ってことなのか」
事実だとしても。
「やめてくれる。気持ちの悪い」
折原は言葉を探しているようで、しばらく口をもごもごとさせていたが、目を逸らしたまま再び口を開く。
「そんなことが……でもなおさらだ。明はあんなことしなくもいいじゃないか」
「だってもう先代も新しく子供作れないし」
晴太の出産時。朋恵は全く力まなかった。ただすくすくと腹を大きくするだけで、産もうという意識がなかったのだ。しかたなく腹を捌き晴太はこの世に産まれてきた。医者に腕はなく、朋恵は女としての臓器を失った。
「いや、跡取り……晴太くんがいるんだろう。なら……」
「晴太は死んだ」
「死んだ?ど……どうして」
「崖で足を滑らせたのよ」
言っていて気分が悪くなるのを感じる。彼の名前を出すだけでもあの日の光景を思い出す。石畳に小さな頭が打ちつけられたときの破裂するような音。すうっと瞳から光が消えていく瞬間を。
「だから月見里は草の根かきわけてでもあの女を見つけ出して、家にいれるしかなかったの。そうじゃないと血が途絶えてしまうから……ばあさんにとって明は孫なんかじゃないのよ。とっとと世継ぎを産むための道具。でもあの人。石女かしらね……全然できないもの」
私たちはたくさん産まなければならない。駆け落ちなんて仇のような家と混ざり合ったり、逃げ出したり……そんな奴が再び現れても、保険が利くように。
折原は握りしめた拳をついに解く。爪が食い込んだらしき掌底は血と土で汚れていた。
折原は姿勢を正すと、手のひらを地面につく。何事かと様子を伺っていると折原は地面に向かって頭を下げた。
「頼む。朝子ちゃん……。俺は明をあそこから救い出したい。協力してくれ!」
何を言い出すかと思えば。あまりに滑稽で
「嫌よ。協力できない」
「今日だって連れていってくれたじゃないか。頼む!連れて行ってくれるだけでいいんだ」
誤算だった。正直私はこの男に幻滅して欲しかったのだ。私は明が嫌いだ。私の苦しみはあの女のせいだ。だからこの兄と名乗る男に痴態を見せつけてやろうと思い、軽蔑でもしてくれたらと思ったのに。折原はただ真っ直ぐ明を愛していた。それはたまらなく悔しかった。
「君のことも一緒に連れて行ってあげるから」
どくんと心臓が波打った。
「えっ……」
「東京で一緒に暮らそう。明の妹なら俺の妹と同じだ!どうだ?」
折原は顔をあげ、片手を私に差し出す。
私の心は大きく揺れ動く。
今この手を取れば、東京にいける。この村を出れる。気持ちの悪い許婚に怯える夜から逃れることができる。でも、あの女と一緒に暮らすなんて、私に耐えられるだろうか。
ちっぽけな復讐心と東京への憧れ、村への嫌悪がぐるぐると頭を回るが、ほんの一瞬だけ。本当は比べて迷うわけもなかった。
私は折原の手を掴んだ。
折原は数秒間を置いてからぱあっと顔を輝かせる。
「あっ……ありがとう朝子ちゃん」
「勘違いしないで。私はあんたを利用するだけ」
「それでもいい。それでもいいんだ」
折原は私の手を両手で掴んで、何度も頭を下げた。