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伝染呪  作者: にょん
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侵入


 月見里の屋敷を塀沿いに歩く。裏口の戸を音を立てないように開け、庭まで入った。月見里や日向に泥棒に入ろうなんて馬鹿はこの村にはいない。正門ならまだしも、こんな戸に鍵がかかっているわけがなかった。

 折原は「いいのかなぁ」なんて呟きながらそれでも後ろをついて歩いてきた。幸い今日は満月で、月明かりが足元を照らしてくれていた。

「随分立派な屋敷だなぁ」

「そう……?うちもこんなもんだけど」

「はぁ」

 きょろきょろと辺を見渡す。この家には一度しか入ったことがないが、確か離れは北の方にあったはず。

 ずんずんと歩いていくと、庭の真ん中。月明かりに照らされて何か赤くて細いものが建っているのが見えた。なんだあれは、あんなもの前に来た時はなかった。その上部がくねりと動く。

 首を捻った人間だと気づくより早く。体が折原を引っ張っていた。

「隠れて!」

 身をかがめ、庭木に隠れて息を殺す。

 木からそっと覗き込む。そいつは女だった。乱れた髪を整えることもなく、化粧気のないただ白いだけの顔は半口を開けてだらりと涎を垂らしている。

「あの人は?」

「あれは先代……明の母親よ」

「あ、じゃあ挨拶したほうがいいのか?」

 木から半身を乗り出しだ折原を思いっきり引っ張ってる。

「何言ってるの!私たちは侵入してきてんだから」

 小声でいなすと、折原はそうだったと呆けた答えを返した。

 女はまた首を元の位置に戻し、ひたすらたたずんでいた。

「しかたない遠回りだけど迂回していこう」

 音を立てないようにゆっくりとその場を離れる。無事見つからず、屋敷をほぼ一周することで、無事に明のいる離れまでたどり着いた。

 古蔵といって差し支えない。小さな蔵だった。

「この離れに明はいるわ」

「ああ……」

 離れの戸に手をかけ、折原はじっと動きを止める。

「ここにいるんだよな」

「そのはずだけど」

「この中に」

「だからそうよ」

 折原は振り返る。その顔は強張っていた。

「なんで鍵がかかってるんだ」

 折原の手には南京錠があった。古くて大きな錆びた錠。

「うん?逃げないようにするためじゃない?」

 折原は青ざめがちゃがちゃと鍵を鳴らす。「くそ!」と呟くと手頃な石を拾いあげ、ガンガンと音を鳴らした。

「ちょっと!何をしてるの」

 小声で必死に諌めが、折原は聞かない。一瞬だけ振り向いた顔は鬼のような形相だった。折原が何に怒っているか分からず、でもこの音で誰かが起きてきては大変だと、必死でその腕を引っ張る。

 ガサリと遠くで音がした気がした。

「誰か来た!早く隠れて!」

 石を握りしめたままの折原とともに蔵の影へと身を隠す。

 提灯を持った月見里のばあさんときょろきょろとあたりを見渡す小太りの男だった。肌は日焼けと垢で黒く、目はギラギラと提灯の灯りを反射して光っている。ああ、月見里一派の家の次男だ。と分かった。

「では、朝方には様子を見に来ますゆえ」

 ばあさんは男に提灯と何かを渡すとゆったりとした足取りで帰っていった。

 男はへへっと笑うとごそごそと蔵の戸に近づき、南京錠に手をかけた。ほどなくしてガチャリという音を立てて、錠は開いた。

 その音に折原と顔を見合わせる。

 しばらくして提灯の灯りを移しでもしたのか、開いた戸の隙間から黄色い光がほんの少し漏れた。

 折原は止める間も無く、するりと音を立てずに男の後を追う。

 自分はどうしようかと考えていると蔵から「ぎゃっあ」とカラスが潰れたような声が漏れた。

 何事かと恐る恐る。開いたまま蔵を覗き込むとそこには赤く染まった石を握りしめた折原と着物がはだけ下半身丸出しの男が頭を抱えながら蹲っていた。

 男はしばらく「ううっ」と唸っていたが、折原がもう一度殴ると「あぇっ」と今度はカエルが潰れたような声を出して動かなくなった。

「なんてことを……」

「大丈夫だ。殺しはしてない」

 男の口元に手を当てて、折原は呟いて石を捨てた。殺してないと言っても大分大事だ。

「その声……お兄ちゃんなの?」

 呟きのような驚嘆が暗い部屋の奥から漏れた。部屋の入り口には格子がかけられている。

 折原は戸の近くにかけてあった提灯を取ると、部屋の奥を照らした。

 映し出されたのは赤くて薄い布の着物を着た若い女。

 眩しさに女は片手で顔を多い、目を細めた。折原が「明」と呼ぶと、すぐさまその目を開き、転びそうになりながら突っ込むようにして飛んできた。ぶっかった拍子にがしゃんと格子が鳴った。

「明……明……」

「お兄ちゃん……私会いたかった。お兄ちゃん……」

 明は大粒の涙を流して、嬉しそうに笑っていた。あ、少しあの子に似ている。そう思ったが、関係のない感傷は必要ない。

 あの子とこの女を一緒にしては失礼だと。そんな考えは打ち消した。

「待ってろよ。今すぐこんなところから出してやる」

 明は格子を睨みつける折原の手を隙間から伸ばした手で制した。

「明……?」

「いいの。こうして会えただけで十分だから。もう帰って」

「何言って……兄ちゃんと帰ろう。後のことは俺に任せろ。こんな待遇受けているなんておかしい。今お前はこいつに襲われるところだったんだぞ」

 床で寝たままの男を指差して折原は激昂する。明はそれに首を振った。

「そんなのいつものことだから」

「いつものこと?いつものことってなんだよ!」

 明ははらはらと泣きながらそれでも弱々しく微笑んだ。

「私はお兄ちゃんと帰れない。私はこの村で子供をたくさん産む。それが、私ができる贖罪なの」

 折原は愕然と明を見つめ小刻みに震えた。怒りを必死で押し殺しているように見えた。

 折原は立ち上がると、格子の戸を見つけて、ガンッとそれを殴りつける。きょろきょろとあたりを見渡し、倒れたままの男の手から鍵を拾い上げると格子の戸を開いた。

 戸が開き、折原は明の肩を掴んで抱き寄せよた。明はびっくりしたようにみじろぎ折原を押しのけようとするが、折原はそれを許さない。

「お兄ちゃん離して。私汚いんだから!」

「お前は汚くなんかない!汚れてなんかない!明は明だ!」

 明は嬉しそうに微笑む。ただ抱きしめ返そうとはしなかった。

「明。こんなところから逃げよう。俺が連れ出してやるから」

「無理だよ」

「俺がなんとかして」

 じゃらん。

 明を引っ張りあげた瞬間。その足元で鳴った音だった。

 明の痩せこけた細い足首には錆びた足枷が嵌められていた。

 流石の私も驚いた。座敷牢に入れられていることは知っていたが、まさかここまでのことを月見里がしていたとは思わなかった。先代のことを考えれば分からなくもないが。それにしても哀れな様だった。

「誰が……誰がこんなこと」

 折原は鍵穴を探し、鍵を突っ込んでみるが、枷の鍵だけは蔵と格子とは違うらしく差し込むことすら叶わないようだった。

「もういいの。私も納得してることだから」

「いいわけあるか」

 折原が力の限り鎖を引っ張ってみても音を立てるだけでそれが外れることはない。

「くそ!なんで……」

「いいの……お兄ちゃん。私のことは忘れて私はお兄ちゃんとまた会えただけで十分。今日の思い出だけで生きてけるから……朝子ちゃん。お願いがあるの」

 この女に名前を呼ばれる日が来るとは思わなかった。しばらく面食らっていると明はにこりと笑った。

「兄をここまで連れてきてくれてありがとう」

「別にあなたの為じゃない。この人が可哀想だったから」

「そう。でも、ありがとう。ごめんね貴方に頼み事なんてできる立場じゃないんだけどお願い。兄を連れて出て行って」

「明、何言ってんだ 」

「お願い。さすがに助けを呼んであげないと豊吉さんも死んでしまうし」

 床で倒れている男の名を呼び、明は困ったように笑った。

「こんな奴死んでいいだろう!お前を襲おうとしたやつだよ」

「いい人よ。この人は……ただお婆さまの言いつけを守っているだけだもの。助けてあげたい」

「何言って……」

「いいの。いいの」

 明は鎖ごと折原の手を振り払うと部屋の奥までかけて、何かを掴んだ。天井からぶら下がる太い紐。それを力強く揺さぶるとがらんがらんと大きな鈴の音が鳴り響いた。

「何をしてるの!そんな音立てたら」

「一度……首を絞められて殺されそうになったことがあるの。私が死んだら困るでしょ。だから危ない時には鳴らせとお婆様がつけてくれたのよ」

 遠くから誰が走ってくる音が聞こえる。ドタバタと地面を蹴る音。

「早く逃げるよ!見つかったらあんたとんでもないことになるよ!」

 折原を引っ張り、蔵を出ようとするが彼はただ鎖をがちゃがちゃと引っ張っている。

「駄目だ。明も一緒に逃げるんだ」

「その明が人呼んでるのよ!あんたが見つかったら明だって折檻どころじゃすまないんだから!」

 足音が近づく、折原は舌打ちをすると鎖から手を離して明の肩に手置いた。

「絶対お前を逃してやる。助けてやるから!待ってろよ」

「早く!」

 蔵を飛び出すと、提灯の灯りがいくつかすぐそばまで近づいているのが見えた。幸い月は雲に隠れたため、私たちの姿は向こうからは見えてないはず。しかし走り去るには足元がたよりない。しかたなく私たちは蔵に隠れてやり過ごすことにした。

 それから数十秒ののち、月見里の婆さんと数人の下男が三人ほど蔵へと入っていった。

 蔵からは何やら明が状況を説明する声が聞こえる。

 しばらくして下男二人に抱えられた豊吉とばあさんが出てきた。一人下男が足りないと思ったのも束の間。蔵から罵声と平手をうちをするような音が聞こえてきた。「ごめんなさい」という明のすすり泣く声はすぐに喘ぎ声に変わり、男の罵倒だけは止まることがなかった。下唇を噛み締める折原をそっと引っ張って月明かりを頼りに、私たちは屋敷から抜け出した。

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