嫌悪
昭和十五年 五月。私は高等科の一年生だった。
その頃の私は自分の育った村の全てに嫌気が差していた。
名を札神と呼ぶこの村は、村人全部顔見知り、一人を見れば、そいつの家族の名前を全部言えるような狭い狭い村だった。
でも、決して仲の良い村ではない。月見里家と日向家の二つの家が村を牛耳っていて、日々実権をどちらが握るかで争っている殺伐とした村。どちらの家に付き従っているかで大人たちは物を売買する相手、子供たちは遊ぶ相手が変わるようなそんな気持ちの悪い村だった。
私は日向家の一人娘であり、俗に言う後取り娘だった。いずれはこの村で婿を取り、後継をできるだけたくさん産まなければならない。
気持ち悪い。
だから大人になりたくもなかった。
そんなある日のこと。東京から若い男がやってきた。村の奴らみたいに薄汚れたシャツやランニング、継ぎ接ぎだらけの着物なんかじゃない。パリッとしたスーツをきた二十代くらいの優男。てらてら光ってる革靴は泥で汚れていた。
「明という名の女を知らないか?」
「知らない」
反射的に答えてしまった。本当は知っている。明は二年ほど前に月見里のばあさんが東京から連れてきた女だ。私より少し年上といった感じの、若いというよりまだ幼いという言葉が似合うような女だった。
今は月見里の離れで暮らしている。
私はその女がどうしようもなく嫌いだった。私の憧れる。行きたくても行けない世界で生きていた女。月見里の新たな跡取りとしてこの村に据えられた女。私と同じ立場の女。
「弱ったなぁ。ここにいると思うんだけど……じゃぁさ。月見里さんのお宅はどこかな」
なんだ知っているじゃないか。そう思って答えないでいると男は困ったように頭を掻いた。
「知らない?」
もう一度尋ねてくる男に、私は振った。教える義務はないし。なにより面倒くさかった。
男は落胆したようにため息をついた。
「そうか……ありがとう」
男はそのまま道を歩いて行った。奇しくも月見里家への一本道を。