黒猫と白百合
今までに経験したことのない異常現象に身動きがとれず、呆然と立ち尽くす。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
サリタは顔色ひとつ変えず振り返った。不思議そうに首をかしげる。体が金縛りにでもあったかのように動かない、一体何が起きているというのだ。魔法を使おうと試みるがノイズ音により思考がまとまらず、上手く文法構成を練り上げられない。
「あっ、猫がいるよ」
ぱっと道先の黒猫に気がついたサリタはいつもと変わらず、笑顔でそちらへ走って行こうとする。止めなければと頭の奥底、本能のような、そういうレベルで危険信号が鳴り響いている。その猫は異常だ。
ふわん、と、自分の横に気配が発生する。現れ方とは間逆の重圧的な気配。ずしりと重く、息をすることが苦しくなる。視界の端にかろうじて映る、白銀のなにか。なにかは鈴の鳴るような音を真横から奏でた。
「エラーを発見しました、これより該当世界の消去に移ります」
声だった、少女の。少女が突如僕の隣に現れた。気配を察知し振り返ったサリタは目を丸くして驚いている。黒猫を抱こうとしていた手が止まり、ぎこちなく胸元へ手を持って行ったかと思った刹那、怖ろしい魔法を一瞬にして構成し展開をする。あまりの速さと正確さに僕は妹の実力を今まで見余っていたことを知る。父より無慈悲であり、母より攻撃的な、相手を明確に相手を殺す意志を宿した魔法。僕の知らない、僕の妹の姿がそこにはあった。
「・・・・・・削除を一時中止、防御魔法を展開します」
ノイズ音が消え周囲は静寂に包まれる。
「あなた、なに。私のお兄ちゃんから離れて」
淡々と告げる声は普段のサリタからは想像できないほど冷たい。白銀の色をした少女は、一歩前へ出る。視野の隅で白銀の、髪だった、さらりと揺れ動く。この状況下なのに美しいなと僕は心のどこかで感じた。少女は見たことも聞いたこともないような魔法を組上げる。まるでまったく別世界の、知らない言語だ。意味も効力もわからない。
「この世界には麻酔を打っているのにどうして動けるのでしょうか、興味があります」
興味という感情が篭って居ない声で静かに告げた。持っていた武器らしき物を降ろし、戦意を一次的に無くしたことを態度で示す。サリタは魔法を展開したまま、胸を張って顎をひき真っ直ぐに白銀の少女を見据え威風堂々と構える。まるで女王様のような振舞いで。
「我が名はサリタ・エレイン、冠絶の魔法使いと最恐の魔法使いの娘」
世界を支配するごとく凛とした声でサリタが名乗る。
「リリィ・マエリス、世界を統制し管理を司る者」
対照的に無感情に名を名乗る白銀の少女、リリィ。僕は状況についていけず、ただ呆然と立ち尽くしていることしかできない。何が起こっているというのだ。リリィ・マエリスと名乗った少女は言葉を続ける。
「戦闘を避けるため同行を要望します」
「断ると言ったらどうするつもりなの」
「力ずくで連れて行く、もしくはこれより戦闘を行います」
戦闘になるのはまずいということは僕でもわかる。
「わかった、付いて行ってあげるわ」
瞬間、張り詰めていた空気が和らぐ、サリタとリリィ・マエリスがほぼ同時に魔法を解いたのだ。日常に引き戻され、僕はへたりと座り込みそうになる。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、どうしよう私たちの世界壊れちゃったよ」
先ほどまでの威勢はどこへ行ったのか、泣きべそをかいてしがみついてきたサリタはいつものサリタだった。
リリィ・マエリスと黒猫が並んで道の先に立ち辺りを見渡していた。そして僕は理解した。この『世界』は終わるのだと。