011 最終話/前編
(永井圭一郎……)
目の前で横たわる男性の名前に私は手を止め、その頬にそっと触れた。
(永井……先生……)
もう片方の手をギュっと握りしめ、私は優しく魂を引き抜いた。
半透明の存在は、再び動けることを不思議がりながら、胸の辺りを撫でている。
「……私は肺がんで亡くなったはずだが、これはいったい」
生前の苦しみから解放された永井先生は、となりに立つ私に気がついた。
「君が私を?」
(永井先生。もう苦しまなくて良いんですよ。今まで頑張ってきた分、これからはゆっくりしてください)
永井先生の視線が、私の名札へ向くのがわかった。
「衛藤……千代さん。もしかして君はっ! 衛藤君かい?」
(はい。新人で配属されたばかりのとき、永井先生には可愛がっていただきました)
「しかし、私は夢を見ているのだろうか。君は確か……」
(あの日……亡くなりました)
◇◆◇◆◇
数十年前──
「衛藤さん、処置介助入ってもらえる?」
「永井先生。私まだ1人で介助入ったことないです。指導看護師と一緒じゃないと」
「病棟師長から君の噂は聞いてるよ。優秀な新人がウチの病棟に配属になったんだぁって言ってたからね。だから、指示出すから大丈夫。処置フォロー頼むよ」
永井先生の言葉に思わず、はいって返事をしていた。
「原田さん、痛みはどうですか?」
永井先生が原田さんに声をかけた。
「痛み止めが効いているおかげで治ってますよ」
「傷口を診ますね。衛藤君フォローお願いします」
永井先生の声に、直ぐ反応していた。
救急カートを手繰り寄せ、消毒の準備をしてから、原田さんの傷口の包帯を外す。
「永井先生お願いします」
指示に遅れないよう必死だった。余裕なんて無くて、傷口経過という大切なことを忘れていた。先生が包帯を巻いている姿に見惚れていたためだ。
「原田さん、傷口の経過は順調に塞がってきてますからね。心配ないですよ。痛みが出たら我慢しないでナースに伝えてください。痛み止めで対処していきましょう」
永井先生は、丁寧に説明をしていた。
「ありがとうございます」
原田さんの不安な表情が和らいで笑顔がこぼれた。
指導看護師にも、処置フォローの事では、適切に対応していたと言ってもらえてた。
私が今まで学んだことができているかドクターに協力してもらい、今回の原田さんの処置介助になったのだとだと病棟師長に聞いた。
この日は夜勤。緊張していたけど 、急変も緊急も無く、点滴交換などで夜が明けた。
日勤業務のナースがナースステーションに集まり、夜勤ナースと定時になり申し送りを行う。
「千代ちゃん、お疲れ様。どうだった?」
先輩看護師が声をかけてくれた。
「急変も緊急もなく、平穏な夜でした」
さっき、引き継ぎしたから知っているはずなのにって笑えてきた。心配してくれてる気持ちが嬉しかった。
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
そう言ってナースステーションを出た。
その帰り道のことである──
大きな衝撃と共に、猛スピードで走り去る一台の赤い車を、私は薄れゆく意識の中、見つめていた──