010 老人
102歳という天寿を全うしたお爺さんが、霊安室へと運ばれて来た──
「儂、死んだというのに笑っておりますな」
自分の亡くなった姿を客観的に見つめながら、お爺さんは呟いた。
(大往生でしたね。大きな病気や怪我もなく人生を全うされるのは、なかなか無いのですよ)
私はお爺さんに話しかける。
「ひ孫の顔まで拝むことが出来ました。妻は若くして亡くなりましたが、これからは時間を気にせず、たくさんの土産話を聞いてもらおうと思っとります」
(奥様、ちゃんと待っていらっしゃいますよ)
亡くなった本人の希望があれば、生まれ変わるまでの時間を調整することが出来る。
しかしそれは、地獄行きが決まっているモノには適応されないルールらしく、決して抗えない絶対の掟のようだ。
私はそんな光景を幾度となく見てきている。
「そうですか。妻は……待っていてくれましたか。長いこと、本当に長いこと待たせてしまいました。こんなに年老いた儂に、気付いてもらえるだろうか」
(愛する人はどんな姿になってもわかるんじゃないですか? あなたも奥様の姿は、今でもはっきりと覚えていらっしゃるでしょう? それと同じですよ)
うんうんと何度か頷き、笑顔になったお爺さんは続けた。
「新婚以来のふたりの時間を、楽しもうと思います」
(そうしてください。今まで出来なかったことを1つずつ楽しまれたら良いんですよ。まず、奥様となさりたいことをしてください)
ふたりの間に刻まれた長い時間を、ゆっくりと取り戻す。
「死んでも楽しみが出来るとは、素晴らしいことですな」
私は笑顔で肯定すると、お爺さんを霊安室の扉の前に立たせた。
(この向こうに、奥様がいらっしゃいます。思い残すことの無いようお過ごし下さい)
扉の取っ手に手を掛けるお爺さん。
ガチャ──
「あぁ、なんと言うことだ。待たせてしまって、本当にすまない」
「いいえ。あなたはご存知なかったでしょうが、いつもそばにおりましたので」
私はふたりを送り出すと……。
(末永く、お幸せに)