27.初任務完了と、過去のトラウマ
アリアを見下ろす、筋骨隆々とした巨体。
ヘビーラビットの頭を一撃で貫通させたアリアの鉄の矢は、ホブゴブリンの肩から血を流させるまでにはなったが、到底致命傷とに成り得るものではなかった。
どちらかというと、『怒らせただけ』という方が正しい。
そのホブゴブリンが、アリアに向かって拳を構える。
「お前の相手は————」
しかし、その瞬間に地面から数メートル飛び上がる、ホブゴブリンより巨体の亜人。
その放物線が頂点に来た瞬間、手に握られたのは自身の身の丈ほどの巨大な槌。
「————私だッ!」
そして、亜人が着地とともに無骨な大槌を叩きつけた瞬間、ホブゴブリンは水風船のように破裂した。
エリがアリアを確実に守るために選んだのは、ユウトがエリに教えたホブゴブリン相手の最適解。
防具のない相手を、『ザガルヴルゴスの呪縛槌』で叩き潰す方法だった。
「大丈夫ですかっ!?」
「あ……ああっ、エリぃ〜……ひっく……」
恐怖のあまり、アリアは泣き出してしまっていた。
高ランクのパーティーに前衛と後衛がいて、ようやく挑めるホブゴブリン。それを後衛一人の時に狙われるのは、死を意味する。
「ううっ、今日一日は先輩したかったのにぃ……ぐすっ……かっこわるいなぁ……」
「そ、そんなことないですよ! ほんと私、武器以外は全然駄目で、ユウトの手伝いしようと思ったら雑草ばっかり引っこ抜いてて、」
「エリは、優しいねぇ……獣系亜人の人は弱い人には厳しいって聞いたけどぉ、エリを見てたらそんなことないってわかるよぉ」
「あ、いや、それは多分私だけかも、なーんて……ははは……」
エリは当然、亜人の価値観など分からない。
実際、他の獣系亜人は弱い者に対して容赦がないのは事実であり、エリはそういった実力主義的な考えとはほど遠い存在だった。
「と、とにかく無事でよかったです!」
遅れてユウトも到着する。
「間に合ったようだね、良かった。アリア、ホブゴブリンはこの辺りにも出るの?」
「とんでもないよぉ〜……私の知る限り、数年どころか数十年単位で、いないんじゃないかなぁ。廃城の門番を除いたら、もっと廃城の向こう側にしか、いないはずだよ」
少し落ち着いてきたアリアが、ユウトに説明する。
ユウト自身もアリアの説明を聞いて、自分の知識との一致に頷く。
(知識通りだ。ホブゴブリンはレアドロップの敵だから、ゲームでは廃城付近を周回していた。ここ『オーガストフレム郊外地 青いゴブリンの森』はシェイル草回収任務ぐらいしか使わなかった)
その知識を思い出し、エリが倒したであろうホブゴブリンの死体を見る。
「トラブルがあったけど、何はともあれ無事に済んでよかった」
「うん!」
元気よくエリが返事した……と同時に。
——ぐぎゅるるぅ〜……。
なんとも気の抜けた音が流れてきた。三人は互いに目を合わせて、エリが大きく息を吸い込むと、再び、ぐぉうぅ〜、と大きく低い音が鳴った。
「あ、あはは……私でした、はっずかし……」
「エリ、僕の倍はヘラ串を食べたのにね」
「言わないでっ! ううっ、すぐにお腹空く爆食い女子とか、可愛くないよこれ絶対……」
エリの呟きに、今度はユウトが驚く。
「え? そう? エリはいつもよく食べていたけど、おいしそうに食べるところ、いつも幸せそうで見てて飽きなかったけど」
「……ほ、ほんと? 嘘じゃない? 可愛くないなんてことない?」
「むしろ、一杯食べる女の子って可愛いと思うよ」
エリは、ユウトの最後の言葉を聞いた瞬間に、再びぐうぅ〜、と大きな音を鳴らして……今度は「うへへへ……」と幸せそうに上気した顔で頭を掻いていた。
ユウトがそんなエリを微笑ましく見ていると、すっかり余裕を取り戻して、ニヤニヤしながらユウトを見ているアリアと目が合った。
「あっ、え、ええっと……そ、そうだ! 果物を買ってたんだった!」
誤魔化すように、ユウトは手元からオーガストベリーを二つ出す。
一つをエリに、もう一つを少しちぎって、口に放り込む。
やや水分が少ないものの、淡い甘さが広がる。
「んー、ぱさぱさの苺……みたいな? でも思ったより悪くないね」
「うん! 私これも好きだなー」
エリは実にそのままかぶりつき、すぐに半分ほど食べてしまった。
反面ユウトはというと。
「……アリア、食べてくれない?」
「えっ、いいの〜?」
「恥ずかしながら、元々お腹が一杯で一口で満足しちゃって……」
「小食だねぇ、じゃあ遠慮なく」
アリアはユウトからオーガストベリーを受け取ると、そのまま慣れた様子でかぶりつく。
「ん〜、この甘いんだか甘くないんだか分からない感じ、久々〜!」
「アリアはあまり頻繁に食べないの?」
「お肉の方が好きだからねぇ、だけどこうやって食べると、たまにはベリーもいいなぁって思うよ〜」
そう言いながら、すっかり完食したアリア。
ちなみにエリは、とっくに食べ終わっていたのであった。
三人はそれから、任務を続けた。
それぞれが自分の得意分野を担当し、そしてエリは【サーチ】を絶対に外さないように気をつけた。
しばらくして、アリアが手を叩く。
「ってわけで、ここらで帰ろうかなって思うよぉ。晩に帰り始めると、魔物が増えた夜道を歩く羽目になるからねぇ」
「わかった、僕もだいぶシェイルもファスも回収できたし。エリもそれでいい?」
「うんっ!」
エリがホブゴブリンの魔石を回収すると、三人はそのまま来た道をゆっくり戻り、オーガストフレムの街に着いた頃には四時を回っていた。
三人はギルドへと入り、カウンターの奥の部屋で成果を乗せていく。
「ミリアさん、今日の分だよぉ」
「いつもありがとうございます。アリアさんは処理が綺麗で大助かりです」
「おじぃちゃんの串焼き、おいしいからねぇ。売り切れは困っちゃうから」
「はい。それでは……」
慣れた様子で、ミリアさんはヘビーラビットを並べて、金額を査定。
「それでは僕は、これです」
「はい……っうおわっ!?」
ミリアが大きな声を上げるのも、無理はなかった。
ユウトが取り出した量は、ミリアが想定する量よりも遥かに多いシェイル草。
「よ、よくこれだけ……」
「慣れてますから。まああれだけ堂々と宣言して置いて、月光シェイルが見つからなかったのはさすがに恥じ入る限りですけど……」
「いやむしろ月光シェイルとかこの街で出たことないですからね……」
ミリアはシェイル草とファス草を見ながら、ユウトにずっと思っていた疑問を投げかける。
「朝も見ましたが、ユウトさんはインベントリを使ってますよね」
「? はい」
「それも高度な魔法なので、誰でも使えるはずはないんですが……本当にすごいですね」
感心するようなミリアの言葉に、ユウトは顔に出ないよう堂々と頷きながら……内心はかなり驚いていた。
インベントリは、魔法ではなく【基本操作】だ。
当然のことながら、プレイヤー全員が初期レベルで可能。
だからこの当たり前のアイテムメニュー画面みたいなゲーム仕様が、高度な魔法と扱われているとは思わなかった。
(そのあたりの常識の差は、全く分からなかった。しかし……そうか……ある意味プレイヤー転生ってだけで、ハービットンの身体でも十分にチート転生なんだなあ)
ユウトは自分の身体と能力に関して、少し認識を改めることにした。
「えーっと、次は私ですね!」
エリは、じゃらじゃらとゴブリンの魔石を並べていく。
「……獣系亜人でありながらインベントリが使えることに驚くべきなんでしょうね……なんだか自分の常識が変わりそうです」
「あ、あはは……」
「それでは……ん?」
ミリアは、一つの魔石を手に取る。ゴブリンに似て、重さは十個分ありそうな魔石。
「まさか……」
「あ、ミリアさんに報告だよぉ。……東の森、ホブゴブリンが出てきた。初めてだね」
さっきまでの暢気さはなりを潜め、途中から急に真剣な顔をして呟くアリアに、ミリアは息を呑む。
「まさか……」
「私、エリちゃんが間に合わなかったら先輩なのに目の前で初日に死体晒しちゃってたね。あの森、しばらくは警告要るよ」
「……わ、わかりました。ボスに連絡して徹底させます」
「ん」
アリアはミリアの返事を聞き終えると、にっこり笑って一歩引いた。
ほっと一息ついたミリアは、ユウトに向き直って礼をする。
「ユウトさんが沢山採集してきてくれて助かりました。確かに暫く警戒が必要でしょうし、誰でもは森に入れない期間が続きそうです。ちょっと上乗せして、今からカウンターでゴールドをお渡ししますね」
「はい」
ミリアは別の職員に作業を引き継がせると、カウンターへと戻った。
そしてアリアと『拡眼太極』の二人に、それぞれ報酬が支払われた。
こうしてユウトとエリの、初めての任務が完了した。
ギルドを出たところで、アリアが振り向く。
日はすっかり傾いていた。
「今日はほんっとありがとねぇ、エリとユウトがいてくれて、私もデボラさんの後を追わずに済んだよぉ。まだ18歳なのに天国行っちゃったら、絶対怒られるもん」
軽く笑うアリアに、ユウトが質問する。
「デボラさん、とは?」
「『帰らずの城』第二調査パーティーから情報収集する係をした、『燃え尽きぬ大剣』というパーティーのリーダーだよぉ。腕の立つ人で、サリスの先生だったんだけどぉ……」
「……ああ、もしかして城の前でホブゴブリンに囲まれたっていう」
「あれ、知ってた?」
「サリスから、馬車の中で少し」
ユウトの予想通り、それはあの暴力呪術師ザガルヴルゴスの情報を手に入れるため、先行したパーティーがどんな様子かを伝えるという役目を担った人たちだ。
『燃え尽きぬ大剣』の人たちは集まったホブゴブリンに。
そして先行した別部隊も、暴力呪術師ザガルヴルゴスに殺された。
「すっごく強かったのに、複数体に囲まれて死んじゃったって聞いて……だから、ホブゴブリンってちょっとトラウマでねぇ……実際にトラウマじゃなくても、一人じゃとても勝てないんだけど、こりゃ帰ってから、みんなにエリの活躍、広めないとねぇ」
「そ、そんな私なんて、えへ、えへへ……」
「謙虚でいい子だねぇ〜、ギルドメンバーみんなエリみたいに強くて優しい子だったら、最高だろうなぁ〜、あ、でも私の仕事なくなっちゃうね、こりゃまいったアッハッハ!」
大分余裕も出てきたようで、すっかり元気に笑うアリアを見て、ユウトは笑顔で安心する。
「ところでお二人、今日は屋敷に戻る?」
再びヘンリーの世話になるかという提案に、ユウトは首を振る。
「さすがに護衛任務を受けているわけでもないのに、泊まりがけというのも……それに、お金を別れ際にもらったその日に戻るのも、変かなって」
「そうだねぇ……。だけど、ヘンリー様もカレン様も、『帰らずの城』を解決してくれた二人は、いつでも歓迎してくれると思うよぉ」
最後にそう伝えると、「そんじゃーねぇ」と手を振りながら、屋敷の方へと人混みの中へ消えていった。
「僕達も行こうか」
「うん」
ユウトが先行し、エリが後をついていく。
夕食は肉を塩と胡椒で焼くだけの簡単な店で済ませることにした。お酒もメニューにあったけど、さすがに未成年なので、手は出さない。
その辺りの節度はお互い真面目なため、身体が変わっても二人とも守るつもりだった。
勝手知ったるオーガストフレム。ユウトは迷いなく宿屋に行くと、部屋を注文した。
「二人部屋が一つちょうど空いているんですよ、運がよかったですね」
「そうなんですか。それはよかった……」
ユウトはここ以外の宿屋を知らなかったので、即決でお金を払い、エリと二人で部屋に行く。
ユウトもエリも、内心二人っきりのお泊まりという状況に、さっきから胸の鼓動がうるさく感じていた。
口を開けたら、喉から心臓が出そうだな、と思いながらドアを開けたユウトは、心臓を出す代わりに。
「え゛っ!!?」
という濁った叫び声を出した。
部屋はちょっと小さめで、床に敷く毛布が一つしかなかった。
後は椅子と、小さなテーブルのみ。
そういえば妙に安かったな、と思いながら足を踏み入れる。
ドアを閉めて、エリもその部屋の堂々とした一個のベッドを見て、ユウトがなぜさっき叫んだかを察した。
つまり、この後は……。
「……部屋には、簡単なクローゼットと、ベッドのみ……」
「寝るだけの部屋だね……」
ユウトは、これ以外に部屋がないことを思い出して、腕を組みながら考える。
「……僕が、そこの椅子で寝るよ」
「ぜ、絶対だめっ! 風邪ひいちゃう!」
オーガストフレムの夜は、比較的肌寒い方だ。
だからエリは、ユウトが毛布なしで椅子で寝るなど、すぐに体調を崩してしまうのではないかと慌ててユウトの提案を却下する。
——ふと、そこでエリは、この小さな寝室のひとつの事実に気がつく。
「……あれ、ここって枕ないの?」
「そうみたいだね。でも枕より——」
ユウトが喋る途中で、後ろから、ドッ、という床にモノを置いたような音がした。
慌てて振り返ると……そこには理解できない光景があった。
何故か、エリが土下座をしている。
「え、エリ……?」
ユウトが声をかけると、その姿勢のまま顔を上げて、エリが真っ赤な顔をしながら必死の形相をしている。
「ユウトに、お願いがあります……!」
あまりにも真剣な顔に、ユウトは反射的に頷く。
一体何事なのかとエリの言葉を待っていると……エリはとんでもないことを言った。
「わ、私の、抱き枕になってくださいっ!」