20.二人は一つの変化で、一気に距離を縮める
ギルドの名前を変更しました
「二人はオーダーギルドに行くのね」
朝食が終わった後、屋敷を出る直前に『大鷲の翼』リーダーのサリスが話し掛けてきた。トニーが行き先を言ったのだろう。
「はい」
「二人のことは応援しているわ。それで……少し、あなたたちに忠告、というほどではないけど、提案したいことがあるのだけれど……」
少し深刻そうに呟くサリスに、ユウトとエリは顔を見合わせる。
「エリ。あなたはユウトのことを、『ユウ兄ぃ』ではなく『ユウト』と呼ぶべきだわ」
「……え?」
予想外の提案に驚くエリに、サリスは続けた。
「獣系亜人は、当然あなたも知っての通り力自慢が多い。だから……エリのように頭の良さを含めて相手を自分の上のように評価する人は、まずいないわよね」
「は、はあ……」
「ああ、私はエリのように相手の内面を評価出来る人のこと、素敵だと思うわよ。でもね……」
もちろんエリは、獣系亜人の特徴など知らない。なんといっても元々人間なのだから。
サリスは言葉を濁しながらユウトを見る。
ユウトは、エリの代わりにサリスが何を言いたいかを察した。
「そうか、僕よりも自分の方がいいと立候補する男が群がると」
「そういうこと。だからエリがユウトを兄と慕ってついていく形より、エリが望んでユウトを連れ回しているという形にした方が問題は起きにくい。でも今のエリの呼び方だと、相手はそう思わないわ」
サリスの意見は、エリとしても納得するものがあった。自分がユウトのすごさを知っていても、周りの人は分からない。
兄と慕うには、少し説得力に欠けるものがある。
「ちょっとここで呼んでみてもらえる?」
「……!」
サリスの提案に、エリはユウトを見ながら顔を赤くさせる。断る気はないようで、エリはユウトの名を呼ぶ心構えをしている。
ユウトは緊張しながらも、エリの目を見て覚悟が分かり、催促するように頷いた。
「……ゆ、ユウ、ト……」
「う、うん……」
「……ユウト、ユウト……」
エリはユウトを呼び捨てにしながらも、顔は真っ赤で、指はもじもじとせわしなく動いている。
ユウトも恥ずかしさから頭をかりかりと掻いて、視線をエリの顔から外して……その先が目の前に迫る大きな胸で、ますます恥ずかしくなり俯く。
「そこで恥ずかしがるんだ……? なんだか本当に、不思議な二人ね」
サリスは知らなくて当然であるが、エリがユウトをユウ兄ぃと呼んで十年以上。それがいきなりこの身長差になって翌日に呼び捨てである。
従妹と従兄は、急に自分たちが姉と弟になったような不思議な感覚に包まれて恥ずかしくなってしまったのだ。
「……うう〜……」
「でも、忠告を聞いてくれてありがとう。ユウトはどうしてもこの辺りだと珍しいだろうから、エリは常にユウトを守ってあげてね」
「そっ、それはもちろん!」
エリはぐっと拳を握り、表情を引き締めた。
「ユウト。これを」
「これは……紹介状?」
それは、オーダーギルドに向けて書かれた、小さな封筒。
裏にはしっかりと封がしてある。
「何かあったら、『大鷲の翼』の名前を出していいわ。エリに比べたら私達もそんなに強くないけど、それでも名前の力はこの街で一番強いはずよ」
「サリス、本当に助かるよ! ありがとう!」
「わあ……! ありがとうございます!」
「助けてもらったお礼よ、こんなのでよければ存分に利用して。……それで」
ユウトにとって、無名の自分達を証明できるものは何よりも有難かった。
サリスの言葉を遮って、先に声をかける。
「もしサリス達に困ったことがあったら、いつでも依頼してよ。僕もエリも、優先して助けに行くよ」
「えっ、あ……嬉しいわ! ヘンリー様やカレン様にも伝えておくわね!」
サリスは返事をしながら、自分からお願いしようとしていた『優先依頼』の件が提案され、強めに縁が繋げられたことにほっとしていた。
ユウトはサリスの思惑をなんとなく察していたが、それでも十分に有難いし、持ちつ持たれつの関係ならこれぐらい当然と考えた。
「いこっ! ユウ……ゆ、ユウトっ!」
「あっ……! そ、そうだね!」
まだお互いぎこちなく感じつつも、名前でユウトを呼ぶエリ。
そんな二人の初々しさを、サリス自身も少し照れながら見ていた。
屋敷を出る直前、カレンの隣にいたメイドのナタリアが、袋を持って前へと進み出る。
「ヘンリー様よりお二人へと預かっております、こちらをお持ち下さい」
「これは……!」
ユウトは袋の中を見る。
そこには、ゲーム中での換金アイテム『金のコイン』が30枚入っていた。
ゲームではアイテムとして手に入れるが、店で売って、ゲーム内通貨『ゴールド』へと変換するものだ。もちろんこの世界では、このまま使うものである。
ユウトの手には、一つのコインは薄く小さくも、その数を主張するようにずっしりとした重さがかかる。
「カレン様、こんなにいいんですか?」
「むしろ少ないぐらいよ! 発注されてなかったオーダーとはいえ、もしもお父様がずっと『オーダー』を貼っていたら、間違いなく一つ桁が違っているわ。賞金稼ぎが調子に乗って挑んで犠牲になる件があれから三件ほど出て、お父様が依頼自体を取りやめたの」
「なるほど……でしたら断るのも失礼ですね、受け取っておきます」
「ええ!」
カレンとナタリア、そして『大鷲の盾』の皆に見送られ、エリとユウトはオーガストフレムの街を歩く。
朝の日差しも上がり、街には人が溢れていた。
「うわーっ、この人達って普段なにしてんだろー、おしごとしてるー?」
「週休二日を全員が取ってるわけじゃないから、むしろこうなってる方が普通なのかも? 浪費するための場所がないと、過剰に稼いでも仕方ないし、こうなるんじゃないかな」
「あー、なるなる。定番ブランドのバッグやデパートの化粧水みたいなの、なさそうだもんね」
エリの反応を聞きながら、ユウトはオーガストフレムをしっかりと見渡す。
ユウトは、ゲームより明らかに人が多いなと感じていた。
ゲームの中では、一人一人に会話が設定されてある。それぞれに個性がある反面、そこまでバリエーションを作れなかったのか、それともゲーム機本体の処理能力が追いつかず表示できなかったのか、ここまで多くはなかった。
いずれにしろ、そういった『処理能力の限界』『開発コストの限界』のない、賑やかなオーガストフレムを肌で感じる。
わくわくするのはもちろんだが、同時に少し不安も感じていた。
(ゲームの知識通り、とはいかないだろうなあ)
エリは初期レベル781のフェンリルヒュムであり、魔法も使えて、装備不可能なものもないだろう。ユウトがエリに比べてアドバンテージがあるのは、間違いなくこの頭脳だけ。
だからユウトは、自分の知識の届かない範囲も注意深く観察しようと、改めて自分の役目を意識した。
そんなユウトの内面などつゆ知らず、エリは周りを見渡して、人が少なくなってきたことを確認する。
頃合いを見計らって、エリはユウトの後ろに回り、ぎゅっと両手でユウトの胸を押さえた。
自然と、エリの方に身体が押さえつけられる形になる。
「わわっ、ちょっとエリ?」
「……」
「……エリ?」
ユウトは押さえつけられた状態で、エリを見上げる。しかしそこから見えるのは、自分の頭より前方に大きくせり出した、ひたすらに大きな胸のみ。
——例えば体格差のある姉と弟などでは、姉が抱きつくと弟は姉の胸に……という展開の作品もある。
しかしエリが相手になると、後頭部どころか頭頂部にさえ胸が当たらない。ユウトの後頭部が受ける感触は、エリのベルトの金属だけだ。
そのまま持ち上げられ、人のいない裏通りにまで移動する。……ちなみに持ち上げられている間は当然柔らかいものに埋まっている感触があり、ユウトは誰かに見られてないか赤面しながら視線を彷徨わせた。
移動後、まるで庇のような胸の向こう側から、再び声が聞こえる。
「えっとね……あのね……」
「う、うん、何かな?」
「……もしも、このゲームをクリアして人間に戻っても……家でゲームしてるユウ兄ぃを、その……ユウトって、呼び続けてもいいかな?」
人通りを離れたところで、恐らく転生前の相談ごとなのだろうと予想していたユウトは、エリの呟きの意味をすぐに理解した。
——多分エリは、自分をずっとこう呼びたかったけど、踏み出せなかったのではないだろうか。
ユウトは、自分を押さえるエリの手に、上から自分の手を重ねる。
「もちろん、いいよ」
「ほ……ほんとにっ!?」
エリの声色が、明確に上がるのが分かった。
「元々エリが僕と同じ身長になった時点で、エリは……なんていうか、都会住まいで垢抜けていて綺麗だし、もう本当に、大人びて僕より年上みたいだなって思ってたぐらいだから」
「……」
「だから、いつまでもお兄さんみたいに呼ばれるのも、変かなって。それで笑われたりすると、きっと僕よりエリが嫌な思いをするんじゃないかなって思って。エリは優しいからね」
ユウトが握っていたエリの手が一旦離れ、今度はユウトの手の甲から包み込むように覆い被さった。
そして、頭上から……胸がゆっくりと落ちてきて、腕も同時に迫ってきた。
「わわっ、あの、エリ……!」
「……」
ユウトの頭を抱きかかえるように、その場で屈んでユウトの顔を塞ぐ。
エリがそういう行為に及んだのは、真っ赤になった顔を見られないようにしたかったからであった。
(……き、綺麗って……! 大人びて自分より年上みたいって、初めて言われた……! ナチュラルメイク勉強して、一番報われたよぉ……!)
嬉しさに頬を緩めて、ぎゅうぎゅうとユウトを抱き締めながら悶えるエリ。
しかし今言われた中で、本当に心に染みたのはもう一つの理由。
(……笑われたら自分より私を優先するって……優しいのは、ユウトに決まってるじゃない……でも、実際そのとおりに思っちゃうだろうし……そこまで私のこと理解してくれてるの、すごく嬉しいな……)
エリは、嫌なことは何一つないと言ってくれた兄の息づかいを感じ、もう少し今の姿勢に甘える。
少し落ち着いたのか、エリはユウトをゆっくりと離した。
ユウトは顔を真っ赤にしてうろたえつつも、エリの反応を待つ。
「…………ん。じゃあこれからずっと、ユウトって呼ぶね」
「あ、えっと、うん……なんだか一気に距離が縮まっちゃった感じで恥ずかしいけど、その……今後ともよろしくね、エリ」
「ほんと、だね。……ユウト。いつもありがとね」
「お礼を言うのはいつも僕の方だよ」
「いやそれありえないから」
エリはそう言った直後、ぱっと手を離して、腰を前方にぐっと出す形で背筋を伸ばした。
それだけでエリの体に大きく押し出される形になってしまい、ユウトは前につんのめって転けそうな所を踏ん張り、後ろを振り返る。
見上げると、その顔にはまだ少し赤さが残るも、概ねいつもどおりと言っていいエリが、困ったように笑っていた。
「ユウト」
「うん、エリ」
「……ユウトっ! これからも、よろしくっ!」
「ふふっ、こちらこそ!」
誰よりもお互いを知っていて、どこまでも互いを尊重して譲り合う。
凸凹コンビとなっても仲の良いままの二人は、再び並んで歩き始めた。
そして二人の先に現れたのが、大きな建物。
目的地のオーダーギルドである。
「ここがオーダーギルド、様々な種類のギルドの発注ターミナルになっている場所だよ」
ここは、討伐ギルド、魔力ギルド、他様々な職を持つ個人が集まって依頼のやり取りをし、その整理をする場所である。
魔物の身体から出た魔石なども、全て魔力ギルドに渡すが、その中継地点となるのがオーダーギルドの役目となっている。
「えーっと……要するに?」
「誰かのお願いを聞いてお金をもらったり、お金を払って誰かにお願いをしたりできる。ゲーム中は受注……つまり依頼を受けてお金をもらうという選択肢しかなかったけどね」
「なるほどー。それで、ユウトはここに何しに?」
「オーダーギルドメンバーになりにね。受注者として実績を積んでいくわけだけど、サリスの紹介状があるからすんなり行くと思うよ」
ユウトとエリは、ギルドの扉を開けて、並んで入る。
「わあ……! ユウト、ここ広いねー!」
「僕も自分の目で直接見るのは初めてだけど、なるほど広いなあ……!」
ギルドの内部を見上げながら、受付まで歩いていく。
広い屋内でテーブルに座っている男達から一斉に顔を向けられるが、サリスに言われたとおり呼び方も変えた。そんなに絡んでくることもないだろうとユウトは思い——、
「ヒューッ! すげえエロい姉ちゃんが来てるぜ!」
「隣のは連れか? 生意気にも鎧とか着込んじゃってよぉ、まさかギルメンになんのぉ? お子様は帰りな!」
——いきなりのストレートな絡まれ方に、物凄くテンプレそのものみたいな、ちょっと懐かしささえある感じだなあ、とユウトは思ってしまった。
なんでだろうと思ったが、すぐに自分の身の丈が小学生並なのに近接職の鎧を着ているせいだと分かった。
(そりゃ呼び方を変えてもらっても、男が僕の代わりを立候補してこないだけで普通はこうなるか)
ユウトはちょっと面倒だな、程度にしか思っていなかった——だから、エリが後ろでどんな顔をしているか、分かっていなかった。