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転生の剣

作者: 北之 元

 模型作りが趣味で、戦車、艦船、フィギュアなどのスケールモデルを作っています。


 このたび、レジン製の素体キットを改造して、旧日本陸軍将校の女性バージョンを作ったのですが、完成した作品を見ているうちに、彼女を主人公にした話を書きたくなりました。模型と同様、下手の横好きでお恥ずかしいのですが、ご一読の上、何かご感想をいただければ幸いです。

 

 なお、小説の元になったフィギュアの写真を、本稿の冒頭と終わり近くに挿絵として掲載しましたので、併せてご覧ください。

挿絵(By みてみん) 

                        ※画像は藤本摩耶(転生後)




 最後の突撃を前にした敷島十朗(しきしまじゅうろう)大佐は、いまや山火事の跡同然になってしまった地面にかろうじて刻まれている塹壕(ざんごう)の中で、生き残りの部下四十五名とともに砲爆撃がやむのを待っていた。


 爆音と地鳴りが止まった。


 十朗は軍刀を引きぬくと鞘を捨てた。愛刀は家伝の古刀で、無銘ながら三本杉の刃文がみごとな業物(わざもの)である。


(やはり間にあわなかったか)


 陛下から拝領した軍旗は昨晩焼却して、連隊長としてのけじめはつけた。しかし、敷島十朗個人としてどうしてもやり遂げたいことがあったのだ。


 十朗は刀を数秒間ながめた。そして思いを絶ち切るかのように一振りして刀身に陽光を走らせると、ここまで運命をともにしてきてくれた一人の少尉、二人の下士官、そして四十二名の兵に声をかけた。


「行くぞ」


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 十朗は気がつくと意識だけの存在になっていた。


(自分は死んだのか)


 そう思うとどこかで「そうだ」と別の声が聞こえた。いや、聞こえたというより意識がそのまま入ってきた。このため相手が老人なのか若者なのか、男か女かの区別もつかなかった。


「おまえは死んだのだ、砲弾の直撃でな」


「貴殿は何者だ、死神なのか」


「それは私の役割の一部分だ。もともと死と生は表裏一体でね、べつべつに分けるなんてことはできない代物(しろもの)だ。私のつとめはそれを扱うことだよ」


 すると十朗の中に何やら強い衝動がこみあげてきて、それがそのまま言葉となって相手に訴えかけていた。


「お願いだ、頼みがある、このままでは死にきれない」


「たいていの死者はそう言う。まあ話してみたまえ」


 十朗はある目的の実現をめざしつつ、志なかばで(たお)れた無念さを切々と語った。


 ひととおり聞きおえた相手は、至って冷淡な口調でこう言った。

「わかった、おまえを今の意識を保ったままで、もう一度生き返らせてやろう。ただし八十年後だ」


「八十年後?」


「そして、おまえは生まれ変わる者をえらぶことができない。それがだれであれ、その者の肉体をもってその時代に生きてもらうことになる」


 十朗はさすがに躊躇(ちゅうちょ)した。八十年後の世界で、自分の価値観や常識がそのまま通用するとは思えなかった。


「浦島太郎だな」その上、だれだかわからぬ他人の体で生きてゆかねばならない。


 相手は言った、「(よみがえ)りを願う死者にこのことを伝えると」

 

「なにかと考えたあげく、ほとんどの者が願いをとり下げる……まあ、もういちどよく考えてみるんだな」


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 それから八十年の歳月がすぎた。


 松倉健太(まつくらけんた)は、某私立大学に通う二十歳の学生である。 


 彼には同期で恋人の藤本摩耶(ふじもとまや)という女性がいて、大学にほど近いアパートに同棲している。


 健太はイケメンでもスポーツマンでもない、ごく平凡な自分が、キャンパス一の美人と(うた)われた上に、優しくて料理のうまい摩耶のような子とつき合えるようになったことに対して、俺はなんという果報者だという感慨を日々かみしめていた……ただしそれは半年前までの話ではあったが。


 彼は浮かない顔つきで、大学から徒歩十分のアパートに向かっていた。今日はバイトが休みの日なので、午後六時までにアパートへ帰らなければならない。事情を知らない友人は「いいなあ、俺も摩耶ちゃんみたいな可愛い子に嫉妬されてみたいよ」などというが、健太はあいまいな笑顔で返しつつも心中(何も知らないくせに気楽なもんだ)とぼやいていた。


 アパートの前に到着した健太がドアノブに手をかけると、なにげに開いてしまった。

(あれ?)

 室内には摩耶がひとりきりのはずであるが、いかに治安のよいこの国でも、若い女性が家にひとりで無施錠というのは、いささか非常識な話である。


「ただいま帰りました」

同棲中の彼女に対してはちょっと不自然に丁寧すぎる言葉づかいであるが、室内からの返事はさらに異様だった。


「五分の遅刻だ、営巣(えいそう)ものだぞ」

そう言いながら出てきたのは、あたかも美少女フィギュアを実写化したかのような若い女性である。

 栗色でストレートのショートボブに鼻すじの通った色白で細おもての小顔、大きな瞳、はちきれんばかりにふくらんだ黒いタンクトップの胸とは対照的に細くくびれた腰と、モスグリーンのホットパンツからすんなり伸びた長い脚が印象的であった。


「もうしわけありません、以後気をつけます」

健太は軽い戦慄をふくんだ緊張感を意識しながら答えた。

 半年前からこうした緊張感をおぼえるようになった。それまでは若い恋人同士間で普通にみられるスキンシップを交わしていたというのに、いまでは摩耶に指一本触れられない。それどころか二部屋あるアパートの奥の一間は完全に彼女の占有する個室となっており、許可がなければ健太は立ち入ることすら許されない。

(それというのも、摩耶が変わりすぎてしまったせいだ……いや、あいつはもう摩耶じゃないんだ)


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 半年前のその日、健太は摩耶とふたりで以前から予定していた、太平洋のある島でバカンスを満喫していた。

 その島は南洋の楽園と称されている有名な観光スポットで、澄みきった青空と紺碧の海原がみごとな景勝地であったが、第二次世界大戦当時、日米両軍が死闘を繰りひろげた激戦地でもあった。


 彼らは島内を散策中、朽ちはてた戦車や対空砲の残骸、地下壕跡などといった、自分たちの曾祖父の時代の惨禍の痕跡を時おり目にしながら歩いていたが、島の高台に建立された戦没者慰霊碑の前まで来たとたん、摩耶は突然、貧血を起こしたかのように倒れた。


 おどろいた健太が摩耶を抱きおこすと、彼女はほどなく気づき、目を開けてこう言った、「小官は帝国陸軍大佐、敷島十朗である」


 それからの健太は摩耶の恋人から敷島大佐の従兵と化し、ふたりの意思疎通はカップルとしての相互理解を前提としたものから、旧軍における将校と一兵卒のそれのような上意下達の一方通行となった。


 摩耶は「私はある重大な使命をはたすために、君の恋人の姿を借りて八十年後のこの世界にやってきたのだ」とのたまう。しかし、その「使命」とは何なのか健太が訊ねても、その時期がきたら、あらためて伝えると言うばかりで、まったく教えてくれない。


 なお大佐との入れ替わりによって失われた摩耶の記憶については「島でスキューバダイビングをしていた際、不慮の事故で溺れたときの後遺症で記憶喪失になってしまった」という、いかにもそれらしい説明で周囲には納得させており、大学にも休学届を出していた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「あの、摩耶、もとい、大佐どの」


 健太は目の前の等身大美少女フィギュアにへどもどしながら言った「女性が玄関に鍵をかけないのは、やっぱり不用心かと」


 美少女フィギュアは大きな目で胡散臭(うさんくさ)そうにじろりと健太を一瞥して言った、「いまどきの若い者は軟弱すぎる。帝国軍人が闖入者(ちんにゅうしゃ)ごときにおびえてどうするんだ。不届者は反対に捕縛して警察に突き出す心意気を持つぐらいが日本男児にふさわしいとは思わんのか」


(だから今のあんたは帝国軍人でも日本男児でもねえんだっての)


 健太は心の中で毒づいた。恋人の体を不法占拠した職業軍人の亡霊は、ここにいつまで逗留(とうりゅう)するつもりなんだろうか。


「まあいいからここに座れ」摩耶は一升瓶と猪口(ちょこ)二つ、そしてコンロの火であぶったスルメを持ってきてテーブルの上にならべた。

 

「私の酒の相手をしろ」


「いや、きょうは、ちょっと、ゼミの資料をまとめなきゃならないんで」


 健太は婉曲に断ろうとした。こんな曾祖父以上に世代間格差のある相手と緊張しながら酒を飲んでも悪酔いするだけだ。とくにこの御仁(ごじん)は酒が入ると詩吟を詠じたり、軍歌を歌い出すので始末におえない。


 すると摩耶はやにわに棚の上に置いてあった日本刀をつかんで引きぬくと、切っ先を健太の鼻先へ突きつけた。


 真剣である。


「武士の頼みを聞けないというか」 


「ひゃー、わかりました、ききます、聞きますよ」


 (くだん)の刀は、摩耶が「こんな鈍刀(なまくらがたな)でも、武士が丸腰というわけにもいかんだろう」とネットで購入したものだ。第二次大戦中、将校が佩用(はいよう)した九八式軍刀というやつで、鞘は鉄製、鍔元には激しく動き回っても刀身が脱落しないよう、駐爪(ちゅうか)という留め金がついているところが、近代化以前の日本刀との相違点である。仕込まれた刀身は素人の健太にはそれが年代物の古刀なのか、実用本位の昭和刀なのか区別はつかないが、危険このうえない刃物ということだけは明白である。


「それならよろしい」摩耶はニコリと笑みをうかべると慣れた手つきで軍刀を鞘におさめ、スルメを手で細かく裂いて皿の上に載せはじめた。


(そういえば大佐は戦場で敵兵を斬ったこともあったと言ってたな) 


 摩耶と向かいあわせに座った健太は、なるほどそれなら玄関に鍵をかける必要もないだろうなと思いなおしつつ、あらためて周囲を見わたした。

 室内の机の中央には、パソコンが鎮座している。ネットワーク文化全盛の二十一世紀を象徴するようなこの機器に関しては、明治生まれの職業軍人も充分にその恩恵を堪能しているらしく、くだんの軍刀をはじめ、書棚にはクラウゼヴィッツの「戦争論」や西田幾多郎の「善の研究」、山上八郎の「日本の甲冑」、その他なにやら小むずかしい題名のついた古書が所せましと並んでいた。すべて摩耶がネットで購入したものばかりである。


 スルメを裂きおえた摩耶は、いったん台所に立つと、沸騰したヤカンのお湯をくぐらせてから、さっと醤油をかけ回して戻ってきた。


「酒の(さかな)にはもう一品ぐらいほしいが、あいにく生活費を使いはたしてしまって冷蔵庫にはもう何もない」

 

「それは大佐どのが」


「いや、これからは摩耶でいい、敬称もつけるな。私もそろそろ現実世界の呼称に慣れる必要があるからな」


「はい、それでは……摩耶が、そんな刀や古本を買いすぎるから」


 摩耶は「刀は武人の魂だ」と言うとふたたび軍刀を手にとり、裂帛(れっぱく)の気合いで鞘を払った。

 瞬間、目の前の一升瓶の上から三センチほどが吹き飛んで、すこし離れたところにあったソファの背もたれに当たって跳ねかえった。その間一升瓶は微動だにせず、それどころか中身の日本酒もこぼれるどころか細波(さざなみ)ひとつ立てていない。瓶の切り口はあくまでもシャープであった。


「これができるようになるまでは、それなりの修練が必要だが、いずれにせよこれだけのことが可能な刀には、武人の()得物(えもの)としての資格は充分といえるだろう。現代刀とはいえ、むしろ◯◯万円なら安い買い物だ」


 いや、たしかにムダにすげーけど、フツーそんなん要らねーし。


 しかし摩耶は健太のそんな心中のぼやきなど知らぬ気に話をつづける「そして書は手もとに置きたい。私が昔からなじんできた本には、この時代にはない気品があるからな」


 摩耶が言うには「そう」は「さう」、「いう」は「いふ」でなければならず、「何々しませう」を「何々しましょう」と書くのは品がないというのだ。親の代から表音主義で統一された現代仮名づかいになじんできた健太にとってはピンとこないが、仮名文字成立以来の伝統を意識して書かれている歴史的仮名づかいには、発音のとおり書く文章では表現できない(みやび)な味わいがあるということらしい。


 しかし、である。いかに武士の魂だろうが風雅な古書だろうが、金欠バイト学生の身分でそんなものを蒐集するということは、分不相応の骨董道楽というのが世間常識では妥当な評価であろう。


「ねえ摩耶」健太は言った、「ぼ、僕の居酒屋バイト代、月いくらになるか知ってるだろ」


 恋人相手の久しぶりのタメ口というのもヘンな表現であるが、どうしても声がふるえてしまう。二十歳の若い女性の外見とはいいながら、いまや中身は戦前の生粋の職業軍人、ついさきほども目の前で抜き身を振り回されたばかりでもあり、たいへんな緊張感がともなう。


「だから青年(健太)よ、私としても生計(たつき)(みち)を探しているのは知っているだろう。ただ君らのいうジェネレーションギャップ(世代間格差)とやらがそれを邪魔してしまうのだ」


(ジェネレーションギャップねえ)健太はため息をついた。


 たしかに一世紀の時間差は個人の価値観に大きな「ずれ」を生じさせることにまちがいはないだろう。しかし、彼女(彼)の場合、それに加えて職業軍人という要素がおおきく影響している。

 

 明治維新により身分制度は廃止され、それまでの支配階層であった武士は一気に身分的特権を剥奪された。


 維新後も華族として遇された、大名クラスに相当する一部の特権階級は例外として、生活に困窮した武士(士族)たちは自身のプライドの高さゆえ商売人にも向かず、経済的事情により高等教育を受ける機会にも恵まれなかったことから、貧乏士族のおおくが学費を官費で負担される軍人になることを志願し、陸軍士官学校や海軍兵学校で社会人の基礎を学んだ。

 主君や家門の名誉のためには身命を惜しまず努めるという先祖代々の気風は「主君」が「国家(天皇)」に入れ替わっただけで脈々と受けつがれた。結果として彼らの装備や戦法は近代化したにもかかわらず、その精神は依然として封建時代のままだったのである。


 余談ながら、十九世紀のプロイセン(ドイツ)においても、資本主義の流れに取りのこされて窮乏化した貴族(ユンカー)たちは軍籍に入ることをえらび、かつて自分たちの下僕であった国民ではなく、本来の主君たるプロイセン国王に絶対の忠誠を誓った。

 ちなみに日本とドイツが似ているとか似ていないとか話題になることがあるが、このあたりの経緯はあたかも東西で対をなしているかと思われるほど瓜ふたつである。

 世界大戦を舞台とした戦争映画に出演する日本とドイツの将校が、いずれもどこか高貴さと傲慢(ごうまん)を兼ねそなえた独特の雰囲気をただよわせたキャラクターとして登場することが多いのは、そのあたりに起因しているのかもしれない。


 ようするに、昭和二十年八月十五日までの日本の職業軍人たちは、明治維新以前からのマインドの保持者であることから、さらに大きな世代間格差が生じてしまっており、こうなるともはや二十一世紀の時代を生きるわれわれとは異次元の存在と言ってもよい。  


 したがって摩耶のアルバイトはいずれも長つづきしなかった。「笑顔を見せず無愛想」「話題がかみ合わない」「若いくせに雰囲気が重く近寄りがたい」といった致命的なマイナス点のほかにも、敷島十朗としての実年齢は百三十歳ということも影響しているのか、コンビニやファストフード店などといった、ごく一般的な勤め先でも多機能レジや各種のカードの扱い、商品名を覚えられず、けっきょく三日と保たずに辞めてしまう。

 しかし摩耶個人としての容姿は、すこし町中を歩いただけで複数の男性から声をかけられるほどの「クールビューティ」だったので、これといった特技はなくとも、グラビアアイドルの口などはすぐに見つかりそうだった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「水商売をしようと思う」


 摩耶のその言葉に健太は一瞬、おのれの耳を疑った。

 

「すこしばかりまとまった軍資金が要るのだ……なに、客の酌の相手をすればいいだけだろう、かつての私の馴染み芸者みたいに三味線や踊りができなくてもつとまるんだから、こんな気らくな稼業はないじゃないか」


 けっきょく健太はバイト先の居酒屋店長のつてで比較的優良店とされるクラブを紹介された。


 面接は即時にパスした。店のオーナーは摩耶の美貌とスレンダーな肢体を()めちぎり、「よかったら今日からでも来てくれるかな、ドレスはとっておきのやつを用意しておくから」と上機嫌だった。


 しかし、そのクラブもその日かぎりでお払い箱となった。なんでも摩耶に言いよってきた客に、あろうことか彼女が背負い投げをくらわせてしまったらしい。

 相手は肩の関節を脱臼し、本来なら警察ざたになるところであったが、「無礼者め!」という摩耶の一喝と、外見からは想像できない彼女の腕力に「その筋の姉御(あねご)」とでも思われたのか、治療費や、巻きぞえをくって微塵(みじん)に粉砕されたドンペリの代金が請求されることもなかった。


 いくらなんでも相手を投げ飛ばすことはなかったのじゃないかとの健太の問いに摩耶は言った、「いや、多少の身体接触は容認していたんだがね、奴がここに手をやったからな」

 彼女は自分の左の太ももを手のひらで叩き、「これに気づかれたら面倒なことになると思って、つい手荒なことをしてしまった」

 摩耶はそういうと立ち上がって書棚から百科事典の一冊を抜き出してきた。

 そういえばインターネットが普及した影響で、この手の大型書籍が一般家庭から姿を消して久しい。これもまた摩耶が古書店から物色してきたものだ。需要がないので立派な装丁の割にすこぶる安価だったらしいが。


 テーブルに置かれた百科事典を摩耶がひらくと、


「け、拳銃だ」おもわず健太は口ばしる。


 そこには黒光りした一挺の拳銃が重おもしく横たわっていた。よくみると本の中身が拳銃の形にくりぬかれており、その部分に収納されているではないか。


(南部十四年式か)


 ミリタリーマニアの友人からの受け売りであるが、健太はそれが旧日本軍の制式拳銃であることを知っていた。

 スリムなグリップが特徴的な外見は同時代のドイツ軍が使用したルガー拳銃によく似ているが、全体的なフォルムは十四年式の方がよりシンプルでシャープな印象をうける。また、引き金を囲っている用心金トリガーガードは、寒冷地で厚手の手袋をしたままでも使用できるよう、すこし前方にふくらんだ独特の形状をしている。

 サバイバルゲームで撃ちあうBB弾などではない、おそらくは実包入りの本物の拳銃であることは、あらためて確認するまでもないだろう。


 そして、あろうことか摩耶はその十四年式拳銃を、ドレスの中に忍ばせて店へ入ったというのだ。

 拳銃をベルトで取りつけていた彼女の左太ももについ手を伸ばしてしまった、五十二歳の某大手商社営業部長とかいうその御仁こそ、とんだ災厄に見舞われたものである。


「いまの日本じゃ、一般人が拳銃を持っていると犯罪になることは知っているよね」健太が怖るおそる摩耶に声をかけると、


「私は帝国軍人だ」すかさず摩耶が言い返す。


「不案内な場所へ踏み込むのに、丸腰というのはありえない話だ。かつて私が大尉のときはハルビンで特務の任についていたが、背広であれ満服であれ、便衣(私服)の下には必ず武器を帯びていたものだ」


(なるほど、敷島大佐(あのひと)は本物のスパイだったのか)


 健太はそう思うと同時に、目の前の恋人と現世の姿を共用している人物は、やはり戦時下の時代からやってきた浦島太郎に他ならないことを悟った。

 いまの摩耶こと敷島大佐は時代背景や価値観が他の人々とは根本から違っている以上、日清日露の戦役、さらに二つの世界大戦という高い代償のあとで八十年近い時間をかけてようやく達成された、この国の現代の平和な空気を理解してもらうことは無理である。健太にできるのは、彼女になるべく時代錯誤の奇行をさせないように気を配ってやることぐらいであろう。


 ちなみに例の拳銃は、出征前すでに日本の敗戦を予期していた敷島大佐(摩耶)が、先祖の墓所の傍らに埋めておいたものであり、さいきん墓参りに出向いたおりに掘り出してきたと話していた。敗戦後、国内が無法地帯になってしまった場合を想定した自衛武器としての措置ということらしいが、防水布と油紙で何重にもつつみ、特殊な陶製の密閉容器に保管されていた拳銃は錆びひとつないほど完璧な状態を保っていた。その後、軽く分解掃除をしてから某山中で試射したところ、問題なく的にした十メートルほど先の立木に命中させることができた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「しかたがない、惜しい話だが、いままで集めてきた古書と刀を売ろう」摩耶は言った。 


「え? だって刀は『武士の魂』だったんじゃ」 


 そう聞きかけた健太の前で摩耶は手を振って(さえぎ)った。


「使命を果たすためには仕方のないことだ。そして、それが実現した(あかつき)には『真の武士の魂』が我がものとなる」 


「真の武士の魂」については、健太がいくら訊ねても、摩耶は「あとで説明する」と言ったきりで、それ以上何も話してくれなかった。

 しかし、それでもおおかたの予想はつく。この美少女骨董コレクターは、自分の収集品を売り払って、新たにしかるべき値の刀を入手しようとでもしているのだろう。それが八十年後の他人の人生を犠牲にしてまでも達成しなければならない「使命」というものなのか。理不尽だ。


 ネットオークションでは古書はそれほどでもなかったが、軍刀に関しては以前購入した時よりひとケタ上の価格で売れた。摩耶が瓶の口を切り飛ばす動画をつけたのがプレミアとなったらしい。


「これで軍資金の準備ができた、すまないがこれから私の家に出かけるから同行してくれないか」

 

 摩耶はそう言うと外出じたくをはじめた。彼女のいう「私の家」とは、いまや彼女の本体となっている、明治生まれの敷島十朗大佐の家のことである。

 そして、このような際の健太は「大佐の従兵」という立場上、選択の余地はない。大学は欠席、バイト先の店長には急用ができたと適当な理由を持ち出して、さんざん嫌みを言われながらも、どうにか休みの許可をもらった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 敷島大佐の家は、自然ゆたかな某県にあり、電車と路線バスを乗りつぎながら三時間ほどで到着した。大佐にとっては摩耶に転生する遙か以前、敷島十朗として昭和十九年に出征して以来の帰郷ということになる。

 事前に調べた情報によると、敷島大佐の家には現在、大佐の孫に当たる芳子(よしこ)さんが住んでいる。御年(おんとし)八十歳、夫は数年前に他界し、子供たちもそれぞれ独立して家を出て行き、現在は芳子さん一人暮らしであるとのこと。


 なお訪問に際しては、事前に次のような打ち合わせができていた。

 まず、いきなり二十歳の摩耶が「おじいちゃんだよ」と訪ねても、相手は目をまわしてしまうだろうから、健太が自分は大学で「死後の世界」について研究しており、死者と交信できる霊能者の能力のデータ収集のため、霊能者本人を同伴して貴家のご先祖の霊との交信を試みたいのだが、どうか協力してもらえないかと頼み込むというものであった。

 そして事前のアポイントメントについては、オカルトじみた内容だけに却って警戒されるだろうから、ここは門前払い覚悟のアポなし訪問にしようということになった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 バスを降りて徒歩二十分ほどで、摩耶と健太は家の前に到着した。


 摩耶は「若いが実力派の霊能者」という触れこみなので、おちついたダークグレーのスーツ姿で歩きやすい黒のローファーを履き、ごく控えめのナチュラルメイクに、装身具は極細シルバーのネックレスのみで、肩には黒革無地で小ぶりのバッグを掛けていた。さすがに先日のような拳銃こそ持参していないが、バッグの中には伸縮式の金属警棒を忍ばせている。

 かたや健太の方は、チェック柄のシャツにサンドカラーのチノパン、ネービーブルーのマウンテンパーカーといった、市井(しせい)の一学生としては平凡かつ無難なスタイルであった。

 そんないでたちの摩耶と健太が並んで歩いていると、見ようによっては保険の勧誘員と、その道案内をする地元の若者のようにも思える。


 ふたりはしばらく玄関先にたたずんでいた。


「さすがに古くなったが、あのときのままだ」


 感慨深げにつぶやく摩耶。昭和二年、三十五歳で少佐に進級した際に思いきって新築した家だというから、いまでは古民家として分類される家屋だろう。現代の平均的な一軒家と比較しても大差ない規模で、当時としてはモダンな要素を多く取り入れている。

 大正時代以降に流行した「文化住宅」と称されたその住宅は、現代人の目から見ると和洋折衷の家の造作のおもしろさはもちろんのこと、星霜を経た板壁の色合いも年代物のウイスキーのようでじつに(おもむき)がある。


 健太がインターホン(当然これは近年における文明の利器である)を押して来意を告げたところ、こざっぱりとした身なりの高齢女性が玄関口に姿を現わした。

 彼はかねての打ち合わせどおり、学生証を提示しながら、自分は死後の世界について研究している学生であること、突然の訪問でまことに申しわけないが、同行の霊能者(摩耶)に貴方のご先祖さまの降霊をさせていただけないかと頼み込んだところ、予想どおりやんわりと拒絶された。

 むりもない。単身の高齢者を標的にした犯罪が多い昨今、怪しげな訪問販売か、新興宗教への勧誘か何かと疑われたのだろう。

 しかしそんな雰囲気は摩耶の次のひと言で一変した。


「芳子、お母さんの『空中軍艦』はまだ持っているかな、ずいぶん遅くなったが、きょうは約束どおり作ってあげるよ」


 芳子さんは両手で口を覆ったまま、しばらくその場に立ちつくしていた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 きれいに整頓された客間に通された二人の前に芳子さんは「何もありませんが」と言いながら緑茶と羊羹(ようかん)を出してきた。羊羹は良質の小豆をふんだんに使ってある上等品らしく、すこぶる美味だった。


「ほう、◯◯屋の練り羊羹じゃないか。なつかしいな」そう摩耶が言うと、 


「はい、うちは羊羹は◯◯屋さんと決めていますから、そこはおじい様がこの家に住んでらした頃と同じですわ」


 そう答えた芳子さんは、健太の方に向き直って言った、「あの学生さん」


「このお嬢さんには今、ほんとうに私の祖父が降りてきていると思います。まちがいありません、この人は祖父の敷島十朗です」

 その理由は「空中軍艦」にあるという。芳子さんの母(敷島大佐の長女)絹江(きぬえ)さんは五年前に九十五歳で天寿を(まっと)うしたが、亡くなる数ヶ月前に「私もそろそろお迎えが近いから『空中軍艦』はあの世で父に作ってもらいましょう」と言った。

 芳子さんが訊ねると、これはどうやら親子の約束だったらしく、それが果たせぬままに敷島大佐は出征、戦死したらしいのだ。


 やがて絹江さんが亡くなり、芳子さんが遺品を整理していると、母の着物をしまっていたタンスの奥から古びた大判の封筒が見つかり、中にはその「空中軍艦」が入っていたという。


 まあ、そうしたいきさつを摩耶が「空中軍艦」のひとことで的確に言い当てたので、これは本物だと確信したという次第である。


「祖父は私が生まれた年に戦死しているので、私にはまったく記憶がありませんが、そう感じました」


「なるほど」


 健太は神妙な面持ちでうなずき、そして先刻から気になっていた疑問を口にした。


「ところでひとつ、お訊ねしますが『空中軍艦』って何のことですか」


「ああ、それそれ、私たちの親世代の話ですから、あなた方がご存じなくても当然ですわよね」


 芳子さんは懐かしそうに目を細めて話しはじめた。


「私の母が小学生だった昭和ひとケタの時分は、テレビやゲームなんかなかったから『少年倶楽部(クラブ)』や『少女の友』っていう雑誌が、とても子供たちの間で人気がありました。母は女の子なのに、性格的には男の子のようなところがあって、『少女の友』の美少女カードより、『少年倶楽部』の付録を集めるのに夢中だったそうですよ」


 明治維新以降、ほぼ十年おきの対外戦争で白星をかさねてきたことでようやく「列強」の末席に連なることができた日本であったが、関東大震災や凶作、世界大恐慌のあおりを受け、次第に不況と軍靴の足音が響いてきた昭和の幕開けは、そんな不安を忘れたいかのように、モダンで華やかな大衆文化が開花した時期でもあった。

 初等教育の普及により識字率がほぼ百パーセントに達し、子供たちの遊びの中にも発達した大量印刷技術の影響で充実した内容の雑誌文化が浸透した。それを代表する雑誌が「少年倶楽部」や「少女の友」であり、それらには当時の少年少女の夢とロマンスをかき立てるような小説やマンガ、グラビア等が満載されていた。そしてなんといっても豪華な付録が魅力的だった。

 その中でも特筆すべきなのは「少年倶楽部」の組み立て付録であろう。今でいうペーパークラフトのことだが、カラー印刷された厚紙を指定どおり切りぬいて組み立てることで、古今東西の城郭や軍艦、飛行機、立体パノラマなどが完成する。そしてそれらはいずれもかなり精緻なもので、現在の本格的なペーパークラフトと比較しても遜色ないほどの完成度の高さであった。


 十朗は娘の絹江をいたく可愛がっており、妻が「そんな男の子のものを」と愚痴をこぼすことには委細かまわずに「少年倶楽部」を買いあたえ、多忙な軍務の時間を割いて付録の組み立ても手伝ってやっていた。とりわけ大変だったのは新年号の特別付録「戦艦三笠」で、全長八十センチにも及ぶそれは部品の点数もすこぶる多く、完成するまでに数日を要したほどである。

 ちなみに「空中軍艦」は「少年倶楽部」昭和8年新年号の組み立て付録であったが、当時十朗は人事異動で東京三宅坂の参謀本部に勤務することになり、家族とはめったに会うことができなくなっていた。その後は絹江さんも成長して大人となるにつれて自然とそうした遊びから遠ざかり、「空中軍艦」も結局組み立てられることなく歳月が流れ、今日に至ったという次第である。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 ひととおりそんな経緯を健太に話しおえた芳子さんは席を立って奥の間に消えたが、やがて茶色に変色した大きな封筒を手にして戻ってきた。


「おじい様、ありましたよ『空中軍艦』」


「おお、そうか、これで約束が果たせるな」嬉しそうに摩耶が言う。


 摩耶は健太に命じて近所のコンビニからハサミにカッターナイフ、木工ボンドや両面テープなど、ひととおりの工作道具を買いに走らせ、さっそく「空中軍艦」の製作に取りかかった。


 次第に組み上がって行くそれは、その名のとおり軍艦に飛行機の翼を取りつけたような形状をしていた。当時最大最強の兵器とされた戦艦と、飛行機の能力を合体させたらという空想上の産物で、全体のフォルムは大型飛行艇に似ていた。

 動力として当時一般的なレシプロエンジンが見あたらないのだが、解説によると、それは両翼後端に取りつけたロケットによって推進力を得るという設定になっていた(当時ジェットエンジンは理論としては存在していたが、それが初めて実用化されるのは第二次大戦末期のドイツおいてであって、まだこの国では人口に膾炙(かいしゃ)していなかった)。また主翼がやや後退しているところや、「V」の字にひらいた尾翼の形状などは、この付録が登場した頃はのちに太平洋戦争で勇名をはせる零式艦上戦闘機すら登場していない時代背景を考えると、子供のおもちゃとはいえ、当時としてはなかなかに先進的なデザインといえるだろう。


 摩耶はスーツの上着を脱ぎ、腕まくりをして製作に没頭していた。なれた手つきでパーツを切りとり、指定の形状に折り曲げ、接着剤で固定する。主翼前部のふくらみや、砲身の自然な丸みを出すのにコツが必要なようで、とても慎重に扱っている。


「母から聞きましたよ、おじい様ったら、組み立てに熱中して連隊本部に遅刻したこともあったって」


「ああ『愛國號(あいこくごう)(民間からの献金によって軍に納入された双発機)』を作っていた時だったな、あれは発動機(エンジン)を作るのに手間どって、おかげで汽車に乗り遅れてしまった。あのときは連隊長から大目玉を食らったな……すまんが芳子、そこの②のシートを取ってくれんか」


「この『②艦體(かんたい)(体)の後部』と書いてあるやつですか」


「そう、それだ、ありがとう」


 会話の字面(じづら)だけを見ると、ごく平凡な祖父と孫娘とのやりとりそのものだが、ビジュアル的には二十歳の娘が祖父役で、その祖母ほどの年齢の女性が孫というのだから、異様というほかはない。しかし不思議なことに、健太はほとんど違和感を感じなかった。


 やがて完成した「空中軍艦」は、翼長が一メートルにもおよぶ見事なものであった。子供が(いや、大人もそうだが)、この手の巨大で力強い乗り物やロボットを好む傾向にあるのはいつの時代も変わらない。


「おじい様、ありがとう」  


「だけど、こんなに大きなモノをどこに置こうかね」


 けっきょく「空中軍艦」は、居間の天井から吊り下げて展示することとなり、健太が脚立に上がって取りつけた。使用するヒートン(ねじ込み式の吊り金具)やテグス糸を買うために再び敷島邸と店を往復したことはいうまでもない。彼は本日も大佐の従卒としてのつとめに忠実だった。


「ところで芳子」


 摩耶はスーツの上着のボタンを留めながら言った「私の行李(こうり)はまだあるかね」


 芳子さんが答える「ええ、母が大切に取っておきましたから、おじい様が出征して以来、そのままですわ」


「そうか、見せてくれ」


 芳子さんの案内で奥の部屋に入った摩耶は、やがて大きな金属製のトランクを抱えて戻ってきた。旧日本軍の将校用行李である。いかにも軍用品らしく全体がオリーブ色に塗装され、頑丈そうな留め金と、厚革の持ち手がついている。


 摩耶は芳子さんから承諾を得ると、その軍用トランクをもらい受け、別れを惜しみつつ敷島邸をあとにした。


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「これこれ、これが必要だったんだよ」


 アパートにもどった摩耶が行李の(ふた)を開けると、中には旧陸軍の士官が使っていた制服や軍帽、略帽、鉄帽、帯革(たいかく)革長靴(かわちょうか)図嚢(ずのう)、双眼鏡といった、武器以外の個人装備が納められていた。しかし制服には一部虫食い穴がみられ、帯革や長靴のような革製品も経年劣化やカビが目立った。


「うーん、やっぱり(いた)んでいるなあ」そう言いながら九八式軍衣に袖を通した摩耶はさらにつぶやく。


「サイズも合わないし」


 ありし日の敷島大佐は相当に大柄だったのだろう。スレンダーな女性の摩耶が着るとまるで小学生が大人の服を着たようにブカブカだった。


「これを今の私の体格に合うようにしたいのだが」摩耶が言った。


「へえ、ミリオタのコスプレ大会にでも出るのかよ」つい健太が冗談をもらすと「みりおた?こすぷれ?」と摩耶が聞き返すので「戦争モノ好きの仮装大会にでも参加するのかい」と言いなおすと、


「馬鹿もん、そんなふざけた理由などではないぞ、私がこの時代に舞いもどってまでも欲しかったものが、これによって手に入るのだ」


 昔の軍人ルックに身を固めることで何が手に入るのか知りたかったが、摩耶はあいかわらずの思わせぶりで、それ以上頑として話さない。


(また大佐殿の従卒としてのご奉公をさせていただきますか) 


 健太はとりあえず摩耶の希望をかなえてやることにして、さきの拳銃の件で知識を授けてくれた軍事オタクの友人に相談したところ、そうしたミリタリーコレクターを対象にした軍服や装備品のリフォームを扱う業者を紹介してもらった。  


 制服は身頃部分は掛け()ぎや裏地の張り替え等でほとんど新品同様にリフォーム可能であるが、上衣の袖や、ズボンの裾部分は汚れや虫食いが進行していて修復は難しいということだったので、摩耶は思いきって上衣は半袖に、ズボンはスカートに仕立て直してもらうことにした。

 そして革製品は経年劣化で再生困難なためすべて新調させた。革長靴は制服の丈が短くなったのを埋めあわせるかのように膝頭が隠れるほど深い牛革固胴仕立てで、手袋も肘まで覆う長いものをあつらえた。

 手袋はしっとりとした羊皮製で、指先にまでよくなじむ逸品であった。

 図嚢、双眼鏡ケース、拳銃のホルスターも再利用可能な金具以外はすべて当時の規格で作り直してもらい、双眼鏡ケースにはもともと入っていた独ツァイス社製のそれを、ホルスターには件の十四年式拳銃を収めることにした。

 ちなみに十四年式本体は実銃なので、むろん業者には現物を見せていない。

 なお旧陸軍の場合、上衣の上からは「胴締め」というやや細身のベルトをつけることになっていたが、今回は制服の形状を大幅に改変したので、あえて様式に固執することもなかろうと二本爪で幅広の革ベルトに変更した。これは同時代のドイツ将校が使用していたもので、なるほどこちらの方が軍装らしい(いか)めしさが増すとともに、よりスタイリッシュである。


 仕立て上がった制服には、ベタ金で星二つ(中将)の階級章がついていた。どうやら業者の手違いがあったらしい。


「すごいな、これって『二階級特進』ってやつ?」健太がふざけてそう言うと、


「うん、だからこれからは私のことを『閣下(将官の敬称)』と呼ぶんだぞ」摩耶は苦笑いを浮かべて言い返した。


 なお、上衣には注文していなかったはずの飾緒(しょくちょ)(参謀肩章)が取りつけられていたので業者に問い合わせたところ、サービスであるとのこと。

 飾緒は制服と共色仕立ての野戦用で、おもしろいのは先端の飾り金具がボールペンまたは鉛筆として使用できるようになっていることであった。これは飾緒の起源が野戦士官の筆記具だったことを意識しているらしく、どうやら件の業者も相当な軍事オタクであるようだ。


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 さて、これでひととおりの軍装は揃ったというわけではなく、最後にひとつ、重要なアイテムがあった。


 軍刀である。そして、これこそが敷島十朗が死後八十年を経て藤本摩耶というまったくの別人に生まれ変わってもなお、手に入れたかった代物だったのである。

 そして摩耶はその刀を注文するため、これからある鍛冶職人のところに出かけようというのだ。


「もちろんただの刀ではない」


 彼女は仕上がった軍装一式をていねいにキャリーケースへ収めながら言った。持ち運ぶには古色蒼然とした軍用行李より、軽くて伸縮式の持ち手やローラーのついたこちらのほうがずっと便利である。


「それは刀の武器としての働きを極めた存在、魔剣だ」


 このとき摩耶は健太に初めて「魔剣」なるものの由来を明かした。


 それは昭和十年頃のことであった。当時、敷島十朗(摩耶)は中佐として参謀本部に勤務しており、参考資料として過去の戦争を記した文献を調べていたときである。


 彼はある古文書に次のような一節を見つけた。


 幕末の戊辰戦争のおり、近代的装備の官軍(薩長連合軍)の猛攻の前に敗走していた旧幕府軍の武士のひとりが「鉄砲に頼っている薩長の臆病者など、わが先祖の魔剣さえあれば、片端から斬りまくって、たちどころに追い払い、また徳川の御代(みよ)に戻すことができるものを」と悔しがった。

 それは過ぐる大坂夏の陣の折、徳川家康の本陣に真田勢が攻め寄せてあわやという時、かの侍の先祖は、その魔剣で火縄銃の弾がとどかないほどの遠距離から真田の兵を切り伏せて防いだというのだ。


 それだけなら作り話か、もしくは先祖代々語り継がれるうちに話の内容が神格化されていったものと片づけるところだった。しかしその後まったく別の出典であるところの文献から、次のような記載を見つけたのである。


「幸村率いる真田勢は大御所(家康)の目前に迫りたるも、馬廻衆の某が真田勢の前に単身飛び出し、寄せ手の槍先が届くより遙か前方で太刀を振るったところ、たちどころに真田の兵数名が倒れた」

 真田側がこれにひるんだ隙に家康は後退して、かろうじて難を免れた。

 幸村は千載一遇の好機を逃したことを悔やみながらも兵の戦死体を調べさせたところ、甲冑には傷ひとつないのに、上体が袈裟(けさ)がけに両断されていたというのである。

 そんな信じられない状況を目のあたりにして「これは魔性の仕業であるか」と戦慣れした真田の兵たちですら怖れおののいたという。


 この奇妙な一致に十朗は少なからず関心を持ち、手間と時間をかけて調べたところ、じっさいに魔剣なるものは存在するのみならず、それを作ることのできる刀鍛冶が健在であることまで確認したのである。


 十朗はさっそく当の刀鍛冶のもとを訪れた。

 会って話を聞いたところ、その刀は最後の注文があってから二百年以上作っていないが、製法はその刀工の家に口伝によって代々受けつがれているとのこと。その刀はいかに頑丈な盾や甲冑も無意味で、そうした防御物を通して、直接相手の体を切り裂いてしまうということだった。


斬魂刀(ざんこんとう)」、刀鍛冶はそう呼んでいた。いかなる守りも問題にせず、敵の魂そのものを断つという意味か。


 ちなみに斬魂刀を鍛えるにあたっては次の要素が必要とされる。


①刀工は斬魂刀を生涯一口(ひとふり)しか打てない。


②斬魂刀はあくまでも実用刀であり、このため注文主は実戦剣術の素養があることが前提とされる。


③斬魂刀は注文主専用に打たれる。このため注文主以外の者が使用しても、通常の日本刀としての機能しか果たさない。


④斬魂刀の注文主は、刀との「(きずな)」を作ることにより、本来の機能を発揮する。


⑤「絆」を作るためには、まず刀工が注文主のために一刀を打ち、注文主は約一ヶ月の間、その刀で剣術の鍛錬に励む。


⑥一ヶ月後、刀工は最初に打った刀を加熱溶解し、その鋼塊を用いて再度新たな刀を打つ。注文主は愛用の甲冑を身につけ、刀を打つ間中、刀工の(かたわ)らで端座しつつ、一心に真言(しんごん)を唱え続ける。


⑦完成した斬魂刀は、一般的な日本刀と同様の手入れにより保管する。


 当時、日本刀は将校の身分を示すアクセサリーであり、実戦兵器としては将校が同じく腰につける拳銃ほどの効果もない存在と化していた。しかし斬魂刀のごとく相手の装甲を問題にしない刀剣ならは、鉄帽や防弾着はむろんのこと、装甲車両に乗った敵すら制圧することができるので、ふたたび個人が携行する主要な武器となりうる。そして装甲にはダメージをあたえないから、戦車などはそのまま鹵獲(ろかく)して味方戦力に加えることも可能だ。


 十朗は斬魂刀について、上官や同僚に話してみたが、あまりにも現実ばなれした話なので、当然のごとく誰ひとり信じてくれない。

 このため論より証拠、実物で証明するより方法はないのであるが、そのためには既述のとおり大変な日数と費用がかかる。多忙、かつ薄給の中堅士官にすぎない十朗には、それだけの余暇と金策のあてはなかった。


 そのうち時代は風雲急を告げ、日本はついに太平洋戦争へ突入した。十朗は某連隊の連隊長として出征、名も知れない南方の島の防衛の任についた。やがて火力も兵力も圧倒的に優勢な米軍と交戦、ついに部下とともに戦死、玉砕したのは本稿冒頭に記載したとおりである。


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 ふたりが目指した刀工の家は、先日訪問した大佐の家ほど離れていない、ある都市の郊外にあった。


 刀工の家は現在、手作り包丁の店として看板を出していた。ネットで調べてみると、この店の包丁は切れ味がよく長持ちするというので、地元のみならず県外からも注文があるらしい。


「ごめんください」


 摩耶が声をかけると、若い男の店員が出てきた。 


「刀を一口打っていただきたいのですが」

 

 店員は「少々おまちください」と店の奥に消え、やがて五十代後半くらいの年配の男性が姿をあらわした。店主の結城信生(ゆうきのぶお)氏である。


「刀を作ってほしいということですか。うちはもともと刀鍛冶なので、もちろん刀も作ります。だけどこのところ包丁の注文が多くて」


 一年ほど待ってもらうことになるが、それでもかまわないかという結城氏の問いに摩耶は言った。


「じつは『斬魂刀』を作っていただきたいのです」


 それを聞いた結城氏の顔色が変わった。彼は店員を呼ぶと「急用ができたので、しばらく店を閉める、今日はもう帰っていい」と言った。

 店員を帰してしまうと店先に「本日は閉店しました」の看板を出し、リストを見ながら予約客に「都合により包丁の納品が遅れる」旨の電話を入れはじめた。


 摩耶と健太はそのまま店内でしばらく待たされていたが、とりあえず連絡が済んだらしく、ようやく結城氏がこちらを振りむいてたずねた「どこで斬魂刀のことをお知りになったのですか」

 

「昭和のはじめ、戦前にこの店をおとずれたことのある、当時陸軍中佐だった人の話からです」


 摩耶は他人事(ひとごと)のような物言いをした。生まれ変わる前の自分が、当時の刀工から直接聞いたと正直に話したところでとうてい信じてもらえないだろうから、まあ仕方ないだろう。

 すると結城氏は得たりとばかり膝をたたいた「ああ、その話ならよく知っています、私の曾祖父がこの店の(あるじ)だったころ、ひとりの軍人さんがやってきて、斬魂刀について詳しく聞いていったことがあると……すると貴方は、その軍人さんか、お知り合いのご子孫なのですね」


 まあそういったところですと摩耶は軽く返しながら、さらに白々しくたずねる「ちなみに、その軍人は斬魂刀を作ってもらったのですか」

 

「いや、軍人さんが来たのはそれ一度きりだったそうです、曾祖父は、自分が二百年ぶりに斬魂刀を手がけることができたかもしれなかったのにと、たいそう悔やんでいたと聞きました」


 摩耶は大きくうなずいた「その軍人も、できることなら注文したかったのだが、職業がら一ヶ月以上の『修行』に割く時間がとれず残念だと申しておりました」


「どうやらこれから私がご説明しようとしている斬魂刀の必要条件についてもご存じのようですな」結城氏は居住まいを正して言った「ひととおりお聞かせ願えませんか」


 摩耶は例の「七つの要件」について説明した。


 話を聞きおえた結城氏は「そのとおりです、当時その軍人さんは熱心にメモをとりながら曾祖父の話を聞いておられたということですから、そこまで詳しく伝わっていたのでしょうな、それなら話は早いというものです」


 彼はそこで一息つくと、手元の茶をひとくち(すす)った。そうして話をつづけた。


「ご承知のとおり、私の家は先祖代々、刀鍛冶を生業(なりわい)としてきました。応仁の大乱のとき家や工房が焼かれ、刀匠も殺されたそうですが、長年鍛冶を手伝っていた弟子が跡を引きついだので、なんとか家は絶えずにすみました。そのため正確な系図も五百数十年前までしか(さかのぼ)ることはできないのですが、じっさいは千年以上前から刀を打っていたと聞いています」


 そうだとすれば、この刀工は日本刀の創生期の頃から続いている、老舗(しにせ)中の老舗である。


「斬魂刀が生まれたきっかけは、元寇(げんこう)だったと聞いています。古今未曾有(みぞう)の国難を経験した武士たちは、おのれが手にする太刀に、さらなる実戦能力をもとめたのです……ところでお嬢さん」


 結城氏は摩耶に向かって言った「この国に武士や軍隊が存在しなかった時代があったのはご存じですね」


「平安時代ですか」


「そうです、末期には源氏や平家が覇権をあらそい、やがて武士の時代に移って行きますが、それまで日本には一定の武装組織は存在しませんでした」


「平安時代というと、当時『唐』と呼ばれた中国との交流を絶ち、国風文化が発達した時期ですね」


「はい、私たちは平安期というと十二単(じゅうにひとえ)や平等院に代表される、絵巻物に描かれているように(みやび)な風景を連想してしまいがちですが、現実には貴族たちのドロドロした権力闘争で明け暮れる世界でした。憎い競争相手を蹴落として、すこしでも高い地位に上りつめようという、欲望と嫉妬の渦巻いていた時代です」


「それなら実力行使で相手をやっつけたいと考えたくなりますよね」ここで健太が口をはさんだ。


「武士や軍隊がなかったというのは不思議な話だ」 


 結城氏は健太と摩耶を交互に振りむいて言った「当時の貴族たちは武器を使わずに相手を倒す方法を知っていたのです。そして、それが斬魂刀を開発するきっかけでもあったのです」


 結城氏はそれから「呪禁道(じゅごんどう)」、「陰陽道(おんみょうどう)」、「修験道(しゅげんどう)」といった、この国につたわる呪詛の文化について語った。そして、平安期の人々はそれらの呪いの数々を駆使することにより、数多(あまた)の怨敵と戦ってきたというのだ。


「呪いなんて迷信じゃないですか」そう言いながらも健太の脳裏には深夜、蝋燭(ろうそく)を立てた鉄輪(かなわ)を頭にかぶり、白衣をまとった女が長い髪を振りみだし、呪詛(じゅそ)の言葉を吐きながら呪う相手に見たてた藁人形を神木に五寸釘で打ちつけている、おどろおどろしい図が彷彿(ほうふつ)としていた。


「平安遷都の七九四年から、武士の台頭を象徴する保元の乱が勃発した一一五六年まで三六二年の開きがあります」結城氏は健太を見すえて言った「ただの迷信なら貴族たちが三百年以上も刀槍弓矢に頼ることなく呪詛合戦を続けてきたと思いますか」


「平安貴族の呪詛合戦」という言葉を聞かされた健太には以前観た映画「陰陽師(おんみょうじ)」の光景が想起された。高名な陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい)が、朝廷への恨みから悪霊の力を駆使して政権転覆を狙う道尊(どうそん)と戦いを繰りひろげるストーリーの各場面が、あらためて脳裏を駆けめぐった。 


「武士の世が到来してからは、弓矢と太刀による実力行使が相手を倒す手段となり、呪いは脇役的な存在となります。その後は貴族の衰退と歩調を合わせるかのように、世間からも忘れ去られて行くことになるのですが」


 結城氏はここでいったん話を止め、またひとくち茶を啜り、さらに話をつづけた。


「そこへ元寇の到来です。モンゴルの兵士たちは海をへだてた遠い存在の異民族でした。しかし彼らはヨーロッパにもおよぶ、空前絶後の広大な版図を掌握した勇猛無比の戦士たちでもありました。そうした強力な軍隊を阻止するためには国中の武士のみならず、すべての民たちが貴賤を問わず一丸となって立ち向かうことが不可欠でした――総力戦です」


 武士以外の非戦闘員は上陸阻止の石塁や木柵の建設、海岸一面に軍船の接岸を防ぐ杭を打ちこむ土木作業や、兵糧の運搬などに進んで加わり、船大工たちは渡航仕様のため大型で小まわりのきかない蒙古の軍船に奇襲攻撃をしかけるための、軽快な小型艇の増産に全力をあげた。

 その一方で、全国の神社仏閣では「敵國降伏」のさまざまな祈祷(きとう)がおこなわれた。国家存亡の危機でもあり、神官や僧侶たちは渾身の願いをこめて祈ったことであろう。平安貴族の没落以来、ひさしく忘れさられていた呪法の数々も、あらためて古文書をひもといて検証されたに違いない。


 ところで当時、結城氏の祖先にあたる刀匠、正信(まさのぶ)は、ほかの数多(あまた)の同業者たちと等しく「折れず、曲がらず、よく切れる」という、刀剣にもとめられる三大原則を追求してきたが、顧客の一人から「元寇景気」で活況を呈している当世呪詛事情を聞かされているうちに、刀にそうした呪法の霊力を加えることで、より強力な武器を作ることができるのではないかと思い至ったのである。彼は戦争を前にした武士たちの注文に応じ、太刀作りに寝る間もないほど多忙を極めていた刀鍛冶のひとりであったことから、新刀開発の余裕などはまったくなかったが、思いはつのる一方であった。このため元軍が退散して戦いが終結すると、すぐに作刀の仕事は弟子にまかせ、妻子は家においたまま単身で各地を回って様々な呪法の修行に励んだ。


 数年後、ひととおりの呪法を習得した正信は家に帰ると専用の工房を(こしら)え、そこに(こも)りきりで太刀に霊力を込める実験を繰りかえした。

 正信が着目したのは、呪法がおこなわれる際に用いられる法具や呪具の数々であった。それらはじつに多種多様であり、独鈷杵(どっこしょ)三鈷杵(さんこしょ)五鈷杵(ごこしょ)羯磨(かつま)金剛鈴(こんごうれい)など、正統派の密教的な色彩を帯びたものから、勾玉(まがたま)、櫛、鏡、隕石、さらには頭蓋骨やミイラ、蠱毒(こどく)といった、いかにも「呪具」そのもののような代物まで存在した。

 彼はこれらの道具は法力もしくは呪力の増幅装置であろうと解釈した。そして鉄という、腐蝕しやすくありふれた素材を、火と水で丹念に鍛えることで、単なる武器と称するにはもったいないほどの美しい芸術品の域にまで高められた刀剣はその役割を果たすのに十二分の資格があると考えたのだ。


 何年も試行錯誤を繰りかえし、正信はついにその太刀を打ち上げた。


 彼は完成したばかりの太刀を手に町へ出る。永仁年間当時(十三世紀末)の往来は、現代では想像できないほど物騒で、強盗殺人などは日常茶飯のことであったから、ほどなく奪った財物らしきものを背おい、抜き身を()げた男がこちらに走って来る姿を目にした。

 さいぜん人を斬ったのだろう、男の手にした太刀は鮮血で赤黒く染まっていた。


「気をつけろ」


「もう三人殺している」


「役人はまだ来ないか」


 そんな群衆のヤジを聞き流しながら、正信は男の前にずいと進み出た。

 強盗らしき男は今、通せんぼをするように現われた相手を、おのが逃走の妨害者であると認識したのだろう、走りながら血刀を振り上げ「殺す」と叫んで正信に飛びかかろうとした。

 しかし、正信は男の振り下ろした刀の切っ先がとどくより先に後ろへ飛びのくと、そのまま太刀を鞘走らせて空を切った。すると男は、まるで芝居の殺陣(たて)でも演じているかのようにもんどりうって倒れ、背おっていた包みのなかからは黄金の仏像や、豪華な装飾が施された経典などが飛び出して地面にころがった。

(罰当たりな奴だ、寺に押し入ったのか)


 やがて役人たちがやってきたので正信はことの顛末を説明した。役人たちはうなずきながら仔細を書き留めていたが、やがて強盗の死体を調べていた役人が、死体のどこにも傷がないことに驚きの声をあげた。


「これは……神仏の剣であるか」


 奇跡の刀が世に知られた瞬間であった。


 その後、噂を聞きつけた武士たちから斬魂刀の注文が殺到し、正信は仕事にとりかかったのだが、不思議なことに体が動かない。鍛冶道具の槌を振りあげようとしても、腕にまったく力が入らないのである。

 しかたがないので弟子の一人に命じて打たせたところ、今度は問題なく仕上げることができた。

 しかし、その弟子も二口目の製作に取りかかったところ、やはり槌を持つ手に力が入らず作刀できない。


 このことによって斬魂刀は刀工一人につき一口しか打てないことが判明した。正信は斬魂刀の製法を一子相伝とし、後継者にのみ口伝で継承することとした。


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「敷島中佐(当時)が参謀本部の資料室で見つけた文献によると、斬魂刀で(たお)された真田の兵は、甲冑は無傷だったが、胴体はバッサリ両断されていたとありましたが」

 そう摩耶が問うと、結城氏は言った「斬魂刀は、物理的な破壊をともなわずに、直接相手の命を絶つ呪術的な特徴の強い武器です。甲冑同様、肉体を損傷させることもありません。誤伝か、あるいは意図的に改変されたのでしょう。傷もなく死ぬよりは、血飛沫(ちしぶき)のもと一刀両断のほうが、威勢があって軍記ものには似あいますからね」


 斬魂刀開発の経緯についてひととおり話しおえた結城氏は、あらためて本題である商談に移った。


「その後、二百八十年以上前に最後の注文があって以降、斬魂刀は作られていません。そのため私自身、まだ現物を目にしたことはなく、これが初めての、そして最後の作刀となります……正直いって自信はありませんが、ここは先代から受けついだ製法に従って取りかかるしかないと思っています」


「よろしくお願いします」摩耶は深々と頭をさげる。


「ところで」結城氏は言った、「斬魂刀を作るには、注文主が着用する甲冑が必要ということになっておりますが」


「それならここにあります」摩耶はそう言って持参のキャリーケースをひらいた。


「八十数年前、ここに来た軍人の軍装です、私の体格に合うように直しています。ただしこの鉄帽以外、厳密には『甲冑』とは呼べないかもしれませんが」

 

 結城氏は装備を手にとって検分し、そして顔を上げて言った、「いや、これならば戦場におもむく者が身につける晴れ着ということで甲冑と見なしてもいいでしょう」


(なるほど、摩耶が大佐の軍服をリフォームしたのはこのためだったのか)健太は内心独りごちた。


「ちなみに製作費用のことですが」摩耶はポケットから封筒を取り出しテーブルの上に置いた。中には例の古書や刀を売り払って得た金が入っている。


 結城氏は封筒の中を見ることもなく言った、「それで結構です」


 代金の額は注文主の任意であり、作刀者が決めることはできないという。それよりむしろ、生涯一度の霊剣を打つ機会を与えてもらったことに感謝している、と彼は言った。


「これから斬魂刀の基礎となる『下地刀』の製作に取りかかります。すでにお聞きおよびのとおり、刀が完成したら、その刀に魂を吹きこむために、貴方には一ヶ月の修行に励んでいただくことになります」


 下地刀の製作には半月ほどかかることから、完成しだい、あらためて結城氏から連絡するという話だったので、摩耶と健太は礼を言って帰路につく。


「なんで制作費が注文主まかせなのかな」帰りの道すがら、健太が最前からの疑問をつぶやく。


「まあ、これは想像になるが、損得勘定のような邪念が入ると集中できなくなるというようなことかな、それだけデリケートな作業なんだろう」軍装の入ったキャリーケースをごろごろ引きながら摩耶が答えた。


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 結城氏から連絡が入るまでの間、摩耶は「修行」にそなえた体力づくりに励んだ――とはいえ彼女は敷島大佐当時からの習慣で、ふだんから早朝の冷水浴や、近所の公園で木刀の素振りを日課にしていたから、新たにランニングが加わった程度であるが。

 その他の時間の摩耶はおおむね読書や刀の手入れですごしていたのだが、あいにくお気に入りの古書も刀も処分してしまったので、空いた時間の大半はパソコンの前に座りこんでインターネット三昧(ざんまい)の日々を送っていた。

 テレビはほとんど見なかった。時代も価値観も現代と大きくかけ離れた敷島大佐の意識を持つ摩耶にとって、浮世のできごとには同調することができずおもしろくなかった。

 その点、インターネットは古今東西のありとある項目をピンポイントでうかがい知ることができる。大佐の育った時代のエピソードの数々や、当時話題となった事柄も、キーワードを入力するだけで簡単に解説文と映像で彼岸まで案内してくれる。摩耶こと敷島大佐はそれらに触発されたらしく、健太には前世の懐旧談を語ることが多くなった――ところで大佐が今もなお健在だと仮定すると百三十歳ほどになる。老人ホームの職員ですら、こんな超高齢者の昔ばなしを聞かされたことはないであろう。ただし語る本人は二十歳の若い女性なので、実際のイメージはかなりずれてしまっているのだが。  


「私は士族の家に生まれてね」 摩耶は明治時代の町並みを撮った古い映像をながめながら言った、「明治維新からさきは俸禄を失った武士たちのおおくが窮乏したが、わが家もそんな貧乏士族だったんだ」


 それは近代化のために身分制度を廃止したことにより、それまで恩恵をうけていた武士=士族たちが相対的に不利益をこうむったからであるが、四民平等ということは、本人の努力しだいで誰でも栄達が望めるということでもあった。そして、学問で身を立てるのが出世の王道であり「末は博士か大臣か」のたとえどおり、帝国大学に学んで学者となるか、任官試験をパスして高級官僚への道を進むかが、当世出世双六(すごろく)の理想的な「上がり」であった。

 しかし、最高学府まで進学するためには相当な学費が必要であり、経済的に余裕のない家の子弟は旧制高校や大学で学ぶことは困難であった。


「だけどね、金がなくても行ける学校があった。師範学校と陸軍士官学校、海軍兵学校だ」

 

 ようするに、教師と軍人の学校の経費は無償であった。このため勉強ができるが家計の厳しい家の子供たちの多くが、学校の先生か軍人いずれかの道をえらんだ。


「私は陸軍士官学校を受験した。齢をかさねてもなお武士気質が抜けなかった父は、(さむらい)と同じく剣を()いてご奉公する軍人こそは新時代の武士であり、弓矢()る家に生まれた男子が選ぶべき唯一無二の天職と信じて疑わなかった。そして当時父に感化されていた私自身もまた、軍人になることが天命だと思っていた」

 

 士官学校はかなりの競争倍率であったが、十朗(摩耶)は地元の中学校(現在の高等学校に相当)では成績優秀だったこともあり、みごと合格した。 

 入学してからは同じく中学出身者の他に、陸軍幼年学校(満十三歳から十五歳未満の男子を将校候補者として教育する軍学校)からの延長で入学してきた連中もいて、最初のうちは彼らから先輩風を吹かされることもあったが、そのうち慣れた。

 全寮制でストイックな生活環境も、厳しい訓練も、たいして苦ではなかった。それというのも十朗の家は、戦国時代からの「実戦組み討ち術」を代々継承してきた数すくない家のひとつで、戦乱が治まって徳川泰平の世がおとずれて以降、もはや不要のものとして世間から忘れさられてしまったその戦技を頑固に守り通してきたからである。このため十朗も、幼時から「武家本来の技を継ぐ者」として徹底的にしごかれて育ってきたので、士官学校での訓練などはむしろ楽に思えるくらいだった。


 近代以前の実戦では甲冑を身につけ、刀や槍で戦う。一般に知られている剣術や柔術は、戦場では通用しない。面、胴、突き、小手などはいずれも致命の急所であることから甲冑ではしっかりと保護されており刃はとおらない。また技をかけるためには相手をつかんで引きよせる必要がある柔術もまた、長い刃物をかまえた相手と対峙するには不利なことこの上ない。十朗が父から教わったことは、甲冑を着て槍や刀を持った者同士の戦いで勝つ技術であり、そのための鍛錬であった。


 ちなみに士官学校においては両手軍刀術という実戦剣術の科目があったが、こちらでは面や右胴を有効部位としているところは家で習得させられた甲冑剣術とは真逆であった。敵の太刀はおのれの兜や胴甲で受けながし、その隙に入身して相手の脇の下や籠手裏(こてうら)草摺(くさずり)の隙間など、装甲されていない箇所を突き、斬るものだという父の教えのほうが、甲冑が過去の遺物と化した現在では時代おくれの剣術といえた。


(しかし、実戦では鉄帽をかぶっているし、防弾着をつけることもある)通常の兵士の装備である弾帯、防毒面、水筒、背嚢、円匙(えんぴ)(携帯スコップ)なども時として甲冑のような防刃効果を生む場合もあろう。

(まあ、それなりに今でも通用する剣術というわけだな)十朗はそう結論づけたが、そもそも刀剣という存在自体、陸戦では無用の長物となりつつあった。

 余談になるが、それどころか歩兵を象徴するはずの小銃ですら、のちに勃発する第二次世界大戦では、より小型軽量で濃密な弾幕を張ることのできる自動小銃や短機関銃に取って代わられて行くのだが、資源の足りないこの国では、最後まで長くて重い小銃が陸戦兵器の主役でありつづけた。


 十朗は士官学校の成績が良く、卒業時は恩賜の銀時計を拝領した。このため周囲からは陸軍大学校の受験を勧められ、隊つき勤務二年後に陸大を受験、そして合格した。 


 陸大を卒業してからの十朗は、参謀将校として各地を転々とした。大尉の時(三十歳)に結婚して二人の女の子をもうけたが、男子に恵まれなかったことから、代々つづいてきた実戦組み討ち術は彼の時代で途絶えることとなった……いや、かりに男の子が生まれたとしても軍務は多忙をきわめていたから、わが子に技を伝える余裕はなかったことだろう。


 何にせよ、それまで十朗が歩んできた人生街道は当時、人もうらやむエリートコースの見本であった。このまま順調にすすめば現役中に将官の椅子に座ることは確実に保証されている。


 しかし彼は、それでも何か満たされない「渇き」のようなものを常時感じており、それは日を重ねるごとに大きくなっていった。彼の意識は多忙に追われ、代わり映えのない砂漠のような日々の中で「渇き」を癒やす「オアシス」を探しもとめるようになっていた。


「私が斬魂刀の存在を知ったのはそんなときだった」摩耶は遠くを見つめるような表情で言った。


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 とうじ勤務していた参謀本部の資料室でね、ある古文書に「鎧の装甲を障子紙を通す光のように透過して相手を倒す刀」のことを記した一節があるのに気づいたんだ、まったくの偶然だったよ。


 関連資料をさがし、それからそれと追跡して、ついに斬魂刀づくりを今に伝える刀鍛冶を見つけたときは嬉しかったね……それでさっそく工房をたずね、匠の結城さん(結城氏の曾祖父)にお会いして、例の七つの条件など斬魂刀のくわしい話を伺って確信した。これこそが「渇き」の正体だ、自分は本来こういうものを追いもとめていたんだと。


 ふりかえってみると今までの自分の人生は、周囲に流されてきたようなものだった。


「これからは学問で身を立てる時代だ、勉強せえ」


「敷島家が代々伝えてきた甲冑組み討ち術を習得することは後継者たるおまえの義務だ」


「士官学校を受験すること。剣を以てご奉公する軍人は武門の家に生まれた者の天職と心得よ」 


「恩賜をもらった貴官のように成績優秀だったら、ぜひ陸大を受けるべきだよ。わが◯◯連隊から陸大出身者が生まれることは連隊挙げての慶事でもある……なに、仕事のほうは受験勉強の時間をとりやすいように調整するから大丈夫だ」


 親や上司に言われるまま、それが唯一無二と信じて懸命に取りくんできた。


 しかし私は斬魂刀のことを知ってしまった。これだけはなんとしても手に入れたい、この神秘の兵仗は、自分にとって命と引き換えても惜しくないほどの価値がある――純粋な自分の意思のみで物事を決めたのは、それが人生最初の経験だった。


 私は斬魂刀に関する報告書をまとめ、作刀のための予算と研究チームの立ち上げを上司に具申したところ、まったく取りあってもらえないばかりか「貴官はこのところの激務で疲れているのだろう、一度医者に診てもらいたまえ」と心配される始末だった。


 軍を辞めることも考えたが、生計の(みち)がなければ妻子を養うことができない。さりとて他の職業に就いたところで、長期の修行期間や製作費用を工面できるあてもない。


 夢は絶たれた。


 それからの私は抜け殻のようだった。勤務にもまったく身が入らず、なにかと理由をつけては休暇をもらって仕事をサボるようになった。軍における私の評価は大恐慌の株価のように急降下した。


 やがて次の人事異動で、私は大佐としてある地方の連隊長勤務を命じられた。表向きは「栄転」だが、実質上は体のいい「左遷」だった。私はエリートコースから外されたのだ。

 

 参謀本部の時よりデスクワークは減ったが、田舎の連隊長も何かと雑務が多く忙しかった。

 私は定年退職して恩給暮らしになるまで斬魂刀の件は封印しようと心にきめた。


 しかし、時局は情け容赦なかった。日本はアメリカと戦争を始め、最初のうちは景気よく勝ち進んだが、ミッドウェーやガダルカナルの敗戦から形勢は逆転した。反攻を開始した米軍の圧倒的な兵力と物量差の前に、わが軍は拠点を一つまたひとつと奪取されつづけた。 


 やがて私の連隊も戦地に赴くこととなった。南海に浮かぶ◯◯島の防衛だ。ここを奪われたら敵の日本本土侵攻の足がかりとされることから最後まで死守せよとのことだ。

 兵力差から判断しても守りきることはとうてい不可能な作戦だった。そして日本軍は降伏は認めないから全滅必至、全員玉砕だ。


 もし私があのとき斬魂刀の存在を知らなかったら、戦地に行くこともなく、いまごろは大本営作戦本部のどこかのデスクに座っていたことだろうが、後悔はしなかった。

 おそらくこの戦争は負けるだろう。敗戦となれば大本営トップの連中には責任者としての処分が待っている。軍事法廷で戦勝国の筋書きどおりの判決が下されて処刑されるか、さもなくば敗戦の責任をとって自決するか、いずれにせよ死は免れないだろう。

 それのみならず、敗戦のその日まで、このような集団自殺にひとしい作戦を立案しつづけなければならない。将官のベタ金の襟章と、敗戦までほんの数ヶ月の延命のためにそのような罪ぶかい(ごう)をかさねるぐらいなら、この愚にもつかぬ作戦に従って「悠久の大義」とやらを貫く方がまだましだ。そう思ったんだ。

 

 けっきょくわが連隊は玉砕し、私も多くの部下とともに戦死した。


 しかし私は他の戦友たちのように、そのまま「靖国行き」の列車に乗ることはできなかった。

 例の斬魂刀のことが心残りでならず、それが私の成仏を妨げていた。「()魂刀」というより「()魂刀」だった。


 だからあの「声」が聞こえたときは一も二もなく再生を願い出た。生まれ変わりは八十年後で、しかも再生する肉体をえらぶことはできない、そう「声」から言われたときは少し迷ったが、ともあれ私は生死を超えた千載一遇のチャンスに賭けてみることにしたんだ。


 それから先は君も知ってのとおりだ。


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 摩耶は話しおえると「ちょっと走ってくる」と言いのこし、陽よけのキャップをかぶってジョギングシューズを履くと、そのままアパートを出ていった。


 電源を切り忘れたパソコンの画面には旧陸軍大学校の卒業者名簿が映っており、名簿の中ほどには「四十◯期 敷島十朗 少将 戦死」と記載されていた。


(「二階級特進」じゃなかったようだけど……どのみち「閣下」にはなったのか)


 健太はそう思うと同時に、仕上がった制服に間違えて縫いつけられた中将の襟章を見た摩耶の、どこか寂しげな笑顔を想起していた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 結城氏から下地刀が完成したとの連絡があったので、摩耶は健太とともに工房をおとずれた。


 結城氏は仕上がったばかりの刀を摩耶に手わたす。

 白鞘から引きぬくと、刃渡り二尺五寸ほどの刀身があらわれた。

 刃文や全体のバランスなどは目だった特徴のない、ごく素直な印象をうけた。


「これで一ヶ月の間、ここに通って剣術の練習をしていただきます」結城氏は言った、「それによって刀に貴方がどういう人なのか覚えこませるのです」


 結城氏は二人を工房奥にある稽古場へ案内した。板張りで十メートル四方ほどの内部は側面に小さな採光窓があるだけの簡素なものだったが、


(あれは)


 ギョッとするほど異様に見えたのは、中央に等身大の(わら)人形が立っていたことだった。


 結城氏は藁人形を指さして言った、「この人形に向かって刀を打ちこみます。(いた)んだ人形は交換しますから、どうぞ遠慮なく稽古に励んでください」


 その日から摩耶は毎日道場に通って刀をふるった。


 結城氏からは練習の方法自体についての指示はいっさいなかったので、彼女は前世で習いおぼえた敷島家伝来の甲冑刀法や、陸軍戸山学校直伝の両手軍刀術の技の数々を、藁人形に向かって叩きつけた。


 結城氏は摩耶の練習中、いちども稽古場に姿を見せなかったが、摩耶が定時に稽古場へ行くと、藁人形は毎日かならず新しいものに取りかえられていた。


 摩耶は結城氏に、毎日言われたとおり通っているものの、うろ覚えで未熟なところもあると思うので、いちど自分の剣さばきを見てもらえないかと頼んだことがあったが、結城氏の答えはこうだった。

 

「私は貴方の剣さばきはいつも拝見させていただいておりますよ」


「『監視カメラ』とかいう代物でですか」そうだとすれば嫌らしい奴だと思いながら摩耶がそう答えると、結城氏はとんでもないとでもいうように顔の前で手を振って言う、「いやいや、そんな覗き趣味のようなことはしません……藁人形ですよ、貴方が稽古に使った藁人形の切りこみ具合を見れば、腕前や上達具合は手にとるようにわかるのです」


 結城氏はそこでいったん言葉を切ると、稽古着姿の摩耶を無遠慮に上から下まで見つめながら言った、「貴方は世間一般の剣道や居合道で藁人形を斬っていない……これは昔の軍隊で教えられていた軍刀術だ、そうでしょう……それどころか、もっともっと古い時代の、鎧兜で戦う際の実戦剣術も心得ておられるようだ……貴方はいったい何者ですか?」


 摩耶はニコリと微笑んだ。瞬間、彫刻のように整いすぎる容貌に血がかよって愛らしさがにじみ出た。そして彼女は答えた「魔法の刀を手に入れるために人生を誤った愚かものです」


 結城氏は「貴方は」と呟いたまましばらく沈黙していたが、やがておおきくうなずくと言った、「わかりました。貴方は何かの奇跡によって現世に来られた方だったのですね」


 彼は求道(ぐどう)に徹する者の直感で、目の前の若い女性が霊的な存在であることに気づいたらしかった。


「いや、これで自信がつきました。本当のことをいうと、私は不安だったのです。先代から何百年も受けつがれてきた技とはいえ、最後に作られてから二百八十年も経っていて実物すら見たことのない自分が、はたして刃も触れずに相手を倒すような奇跡の刀を打つことができるのかと……伝承者としてあるまじき心の迷いです」


「しかし、そんな迷いはたった今なくなりました。貴方という奇跡がここに存在するからには、私が取りくんでいる奇跡も実現させることが可能と確信しました……約束します、貴方の斬魂刀は、かならず私が作ってさしあげましょう」


 一ヶ月の「剣術修行」が終了すると、結城氏は摩耶の使った下地刀を入念に調べた。

また、日々消費した三十体分の藁人形の切り口からも沢山の重要な情報を引き出しているようだった。


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 数日後、摩耶はあらためて結城氏のもとをおとずれた。

 

 いよいよ斬魂刀本体の製作がはじまるのである。鍛冶場には祭壇が設けられており、結城氏も伝統的な刀匠の衣装をまとい、周囲には荘厳な雰囲気が満ちみちていた。 


 日本刀の製作には玉鋼(たまはがね)という良質の鋼をもちい、これが刀身本体を形成する。下地刀は加熱溶解して炭素を除去した上で、柔軟性のある心鉄の材料になるという。 


 摩耶は用意した軍装一式で身を固めた上、祭壇の中央に結跏趺坐(けっかふざ)(座禅座り)の姿勢をとり、結城氏が作刀作業をおこなう間中、瞑目して一心に真言を唱えつづけた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「そのお経みたいなやつ(真言)、どんなふうに唱えたの?」


 後日、そう健太が摩耶にたずねたことがある。


「それがなあ、不思議なことだけど全然思いだせないんだよ」


 摩耶は手もとのパソコンから顔を上げてそう言った。画面には衛星写真で捉えた世界地図が広がっている。


「私は家で幼いころから武術を仕込まれて、そのうえ士官学校での訓練も経験しているから、長時間の座禅など大したことはないと思っていたんだ」 


 しかし、それは大間違いであった。


「最初のうちはべつにどうということはなかったんだが、時間がたってくるにつれて足がしびれて背中が痛くなってくる。かぶっている鉄帽は頑丈な九八式で、重さが(さむらい)の兜と同じ二キロぐらいあるから、その圧迫感も相当なものだ」


 意識が朦朧(もうろう)となり、姿勢がくずれそうになるが、そのつど刀匠の声で我にかえった。

 結城氏も刀を鍛えながら摩耶のように真言を唱えていたが、彼女の姿勢がぐらついたり、眠りこんでしまいそうになったとたん、その真言の声が一段とたかまり、ハッと気づかされるのである。


「なんとか座りつづけていたけれど、もう気息奄々(きそくえんえん)だった。真言も唱えていたつもりだったが、最後の方はもう声も出ていたのかどうかすらわからない。それでも頭の中では真言の一言一句が勝手にリフレインしていた」


 摩耶はそこでいったん言葉を切ると、自分の右手小指の先を噛んだ。そして何か考えこむような表情になって話をつづけた。


「無念無想の境地っていうだろ、瞑想する際の最終目標とされる状態だが、あれはむずかしいな……座禅を組んでじっとしていると、いろんなことが頭に浮かんでくる――あそこの店のラーメンは旨かったとか、最近ようやく女子トイレや女風呂に抵抗なく入れるようになったとか、子供のころ遊んだ川のせせらぎ、士官学校時代の思い出、参謀本部で自分の生き方に疑問を抱きながら激務に追われていた苦い日々、出征前には何を見てもこれが人生最後としみじみ感じられたこと、あとは他人に言えないような下らないことも………まあ雑念っていうのかな、そいつらが次々とあらわれてきて、いつのまにか私はその観客になっているんだ」


「だけどそんな気分はいつまでもつづかない、おなじ姿勢を長時間とっていると、こんどは体の方が()を上げてくる。しびれや激痛が、おのれが生身の存在であることを忘れるなとでもいうように波状攻撃をしかけてくる――雑念に(とら)われなくなった、というと何だか悟りを得たみたいで聞こえはいいが、実際はそうじゃない、体が悲鳴をあげて、そうしたものに気を回す余裕がなくなってしまうんだ」


「そんな苦痛からの救いのように眠気をもよおしても、結城さんの真言の一喝でまたしても現実に引きもどされる……いつ果てるともしれない苦痛に耐えつづけ、その間にも槌を打つトンカン、トンカンというリズミカルな響きと飛びちる火花、鳴りやまない真言の音色」 


 いつしか摩耶はそんなおのれの姿を冷静に観察している自分に気づいた。いや、自分もふくめたそれらすべてが渾然一体(こんぜんいったい)、不可分となってしまった存在としての意識で、あるがままを受け容れていた。


「結城さんから完成した刀を受けとったとき、私はそれが生まれついての自分の器官の一部であるかのように感じた。試し切りするまでもなく、これは斬魂刀だと直感したね」


 おもしろいのは、摩耶が軍装を解いて普段の服に着がえたとたん、刀との一体感は消失して、ごくあたりまえの日本刀にもどってしまったことだった。刀との一体感=「絆」は使用者の甲冑とセットになっており、これも口伝のとおりだった。

 

 摩耶は、斬魂刀を打ち上げた結城氏がめっきり老けこんでしまったことに目をみはった。それは彼が刀の製作に文字どおり心血を注いだ(あかし)であった。


「この刀は刀匠が生涯一口しか打てないというのは、数を制限しているからじゃなくて、それほど精魂こめた一生一度きりの大作だということなんだな」 


 摩耶は部屋の隅に立てかけられた、革鞘(かわざや)軍刀拵(ぐんとうごしらえ)の斬魂刀に目をやりながらそう言った。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 八十年後の未来に転生してもなお欲しかったという、奇跡の刀がようやく手に入ったというのに、摩耶の表情は冴えなかった。


 朝の素振りやランニングは止め、それどころか外出することもめったになくなった。


 健太が話しかけても「ああ」とか「うん」とか生返事を返すばかりで、ぼんやり窓外の景色をながめている。 


 むりもない、と健太は思った。摩耶こと敷島大佐が生涯の目標として追いもとめてきた斬魂刀は近代以前の乱世にこそ本来の機能を十二分に発揮できるもので、平和な法治国家のこの国においてはまったく出番がない。

 エンターテインメントとしても、刃で触れずに相手を倒す刀などは大衆うけするどころか、むしろ怖すぎてドン引きされる「無駄に凄い」だけのしろものだ。


 有事のために、銃器にまさるとも劣らない殺傷能力をそなえた新兵器ということで、ひさしく過去の遺物となっていた刀剣の現役復帰をはかろうとしても無理がある。刀匠一人が一生かけて一口しか作れず、なおかつ使用者も限定されてしまうのだったら、こんな使いづらい武器はない。


 聞くところによると、げんに作刀者の結城氏はその後体力がおとろえて生業の包丁づくりもままならなくなったことから、ことし一杯で百五十年ほどつづいてきた手作り包丁店の看板を下ろすことにしたという。

(刀鍛冶職人の家としては千年の伝統があるということだが、結城さんに跡継ぎはいるのかな)後継者のあてがなければ、斬魂刀は摩耶が手にした一口を最後に歴史の彼方へ忘却されてしまうこととなる。


摩耶(あいつ)はきっと、斬魂刀(こんなもの)に取り()かれた自分の運命をさぞかし呪っていることだろう)健太は摩耶の心境を考えると暗澹(あんたん)となったが、彼には彼女にかけてやる適当な言葉が見あたらなかった。


 その日、健太がバイト先からアパートに帰ると摩耶の姿はなく、テーブルの上には「いままで世話になった、ありがとう。これから旅に出ることにした。探すな」と書かれた紙が残されていた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 摩耶が忽然(こつぜん)と健太の前から姿を消して一年以上がすぎた。大学生活も四年目に入った彼は、そろそろ本格的になってきた就職活動や卒業論文のとりまとめに追われるようになってきた。

 そしてあれほど強烈だった摩耶と暮らした日々のことも過去の記憶として整理されてきたらしく、日常意識することはほとんどなくなった。


 そんなおり、健太はある夢を見た。あまりにもリアルだったので、彼は常にこれは夢なんだと自分に言いきかせていたほどである。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 そこはあるテロ組織のアジトであった。彼らはきわめて排他的な選民思想を持っており、既存の社会を完全に解体し、その上で指導者◯◯のもと、あらたな秩序による身分社会を作ろうとする教義で団結していた。


 健太はアジトの一隅にある集積物資の中に隠れて様子をうかがっていた。夜の闇で周囲の景色はよくわからないが、中央の広場のようになっている空間だけはスポットライトに照らされて昼のように明るい。そして、そこには迷彩服を着こみ、スカーフで覆面をした十数名の男たちがたむろしており、彼らは一様にテロリストの定番武器であるAK47小銃を所持していた。


 やがて大型の貨物トラックがやってきた。


 後部の扉がひらかれると、そこから数十名の人間が次々と降ろされた。いずれも十代から二十代前半ほどの若い女性たちばかりである。  


(人身売買の現場だ)


 健太の背筋に冷たいものがはしる。この連中は奴隷制度の復活を公言しており、子供や若い女性は「商品」として売買するものと定めていた。目の前に集められた女性数十名の「入手経路」は不明だが、彼女らの服装がさまざまであることや、その表情には皆いずれも悲しみや怖れが見うけられることからおおかたの想像はついた。

 そして最後にトラックから降りてきた監視役とおぼしき男が、肩から提げていたAK47の弾倉を交換する姿を目にするにおよび、彼女たち以外の人々の運命が想起されて心底から恐怖した。


 テロリスト一味は(かどわ)かしてきた女性たちを一列にならべると商品としての「品定め」をはじめた。彼女らはその場で服を剥ぎとられて裸にされるか、あるいはAK47の銃口に脅されて自ら服を脱いだ。それを目利き役の男が左右に振り分けている。どうやら容姿がよくて健康な者とそうでない者とを選別しているらしい。

 なかでもとりわけ可愛い容貌で均整のとれた肢体の娘は、リーダー格とおぼしき人物が連れ出して、いそいそと奥の建物へと消えて行く。


(役得の「試食」というわけか)健太は固唾(かたず)を呑んだ。


 そんな中、おそらくは戦利品のレイバンのサングラスを頭にのせたテロリストの一人が、列の最後尾に最前まで見かけなかった女の姿を認めた。 

 彼女はくるぶしまでおおう長いマントを(まと)っていた。目深にかぶった頭巾のため表情はよくわからないが、頭巾の下から見える顔の下半分は色白で鼻すじが通り、花弁のような唇は(まご)うかたなき美女を連想させた。

鴨葱(かもねぎ)」という言葉は彼の国にはないだろうが、まさしくそんな気分だったにちがいない。彼はそろそろとマント姿の女に近づき、もっとよく顔を見ようと、頭巾に手をかけた次の瞬間であった。


 一発の銃声とともに倒れるレイバンの男。不意の発砲におどろく一同の視線の先には、マントをかなぐり捨て、拳銃と日本刀を手にした女の姿があった。 


 摩耶である。



挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


 完全武装であった。半袖に直した九八式軍衣の襟には中将の金モールが輝き、右肩にはマットな野戦仕様の参謀飾緒が取りつけられている。

 左胸の略綬は旭日章と瑞宝章、金鵄勲章だろう。胴は二本爪バックルの帯革で締められ、腰からは拳銃をおさめる革のホルスターに図嚢、そして軍刀の革鞘が下がっていた。

 そしてすでに鞘を払い、摩耶の左手に握られている刀はいうまでもなく、


(斬魂刀だ)


 下は軍衣と共地で丈の短いスカートを穿き、膝上まで隠れる黒革の乗馬ブーツが長い脚を覆っている。顔が映るほどにも磨きあげられた長靴と、あらわな太ももの白磁のような輝きが眩しすぎるほど鮮やかなコントラストを呈していた。

 頭には鉄帽をかぶっていた。顎紐(あごひも)は武士が兜を着ける際にもちいるのと同じ、伝統的な結び方である。「まあ、鉄帽の顎紐も兜結びが基本にはなっているみたいだが、簡略化されている。本式の兜結びの方がしっかり頭に固定できるからね、だから顎紐は兜と同じ丸打ち紐にとりかえた」緊張の中、健太の脳裏を、以前耳にした摩耶の言葉がよぎる――文字で書くと長いようだが、健太がこうした摩耶のいでたちを意識したのは瞬時のことである。


 摩耶は肘まで隠れる長い革手袋の手に握られていた十四年式拳銃をすばやく腰のホルスターにおさめ、斬魂刀を持ちなおすと同時に右斜め上に切りあげ、つづけて柄に左手を添えて振りおろした。

 陸軍戸山学校の軍刀術「前の敵」である。数メートル前に立っていたテロリスト三人が声も立てずに斃れた。

 摩耶は向きをかえると「右の敵」でさらに二人同時に切りすて、三太刀目では背後に立っていた一人を「後ろの敵」で(ほふ)った――この間わずか数秒のできごとである。六人とも摩耶が振るう太刀の切っ先が届くずっと手前で地に伏し、そして二度と起き上がることはなかった。


 あまりのことに呆然としていたテロリストたちは、われに返ったようにAK47を乱射した。

 摩耶は咄嗟(とっさ)に腰を落としたが、堅い金属音が響いた。避けきれなかった銃弾が頭部に命中したものの、標準的な九〇式の二倍に増厚された九八式鉄帽の強靱なニッケルクロム鋼鈑がそれを跳ねかえしたのだ。

 鉄帽に命中弾をあたえた男は次弾発射のトリガーを引くまもなく喉を押さえて崩れる。摩耶が腰を落とすと同時に繰り出された、低い姿勢で喉輪(のどわ)の下を突く、甲冑刀法の一撃をもろに受けたのである。 


 エンジン始動の重低音が唸り、大型トラックが全速力で迫ってきた。たかが相手は小娘ひとり、そのまま踏み潰してしまえということか。

 摩耶はトラックの正面を駆け抜けざま斬魂刀を一閃、瞬時に死人と化した運転手を乗せたトラックは暴走して奥の建物に突っ込んだ。轟音とともに簡易ユニットの壁が粉砕され、中にいたリーダー格の男と娘が、あられもない姿で飛び出してきた。


 残ったテロリストたちはパニックに陥り、集めた女たちを残したまま手近の車に飛び乗ると、そのまま蜘蛛(クモ)の子を散らすように逃げ去ってしまった。


 それからしばらく経って、ようやく保安部隊が到着した。


 保護された女たちは口々にこれまでの経緯を話したが、隊員たちは「とても信じられない」といった様子で目を白黒させるばかりであった。

 なにより彼女らのいう「昔の軍服姿で剣を持った女戦士」がどこにも見あたらない。

 そしてさらに不可解なことには、現場に残されたテロリスト九人の遺体には一人だけ拳銃で撃たれた痕が認められたものの、あとの八人の(むくろ)はまったくの無傷だったのである。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


その数ヶ月後、世間では奇妙な(うわさ)がささやかれるようになった。その噂とは「黒いカイエンからミニスカートの軍服を着た女が降りてくると、その近くで必ず死人が出る」というもので、やがてその話は都市伝説として定着した。ちなみにカイエンとはポルシェのオフロード仕様車のことである。


 たとえば話の一例を挙げると、

―――深夜、ある高級住宅街の一角に、一台の黒いポルシェ・カイエンが停まった。中からは物ものしい野戦軍装姿の人物が降りてくる。

 女性だ。軍服は現代のものではない、昭和初期、第二次大戦中に陸軍将校の着ていた詰め襟タイプである。

 ただし、下は膝上までのミニスカートなのが異様だった。長い足はカイエンの車体と同じくらい黒く艶のある乗馬用革長靴で大部分おおわれているが、スカートと長靴の間から覗くあらわな太ももが夜目にも白く浮かび上がっている。ヘルメットを目深にかぶっているが、眉庇(まびさし)の下を見ると色白で細おもての美女ということは容易に判別できた。腰に下がっている長い得物は軍刀だろう、現代ではとうの昔に忘れさられた古い武器だ。


 軍装姿の女は一軒の豪邸の前に立つと、おもむろに軍刀の柄に手をかけてキラリと剣を抜き、居合術のような所作で眼前の空間を一閃した。

 そして刀を鞘におさめると、革長靴の靴音を響かせつつ落ちついた足どりでカイエンに乗りこみ、そのまま夜の闇へと走りさった。


 翌朝のニュースは、その住宅地内で発生した、ある人物の死を伝えていた。彼(四十五歳・自営業)はベッドの上で仰向けに倒れて絶命しているのを家人に発見された。室内には何者かが侵入した形跡はみられず、遺体にも外傷ひとつない。死因は不明で「突然死」として片づけられたが、あとになってこの人物は一連の行方不明事件と深く関わっているらしいことが判明した。

 そして他の事例も細部では違いがあれど、黒のカイエンからミニスカートの軍服姿の女が降り立つ姿が目撃された場所では必ず人が死に、死んだ人物は何らかの凶悪犯罪関係者の疑いがあるというところでは共通していた。


「もしかすると彼女は、(おおやけ)の裁きを逃れている悪人に天誅(てんちゅう)を下す目的で冥界からやってきた死神じゃないのか」それは一種の怪談であったが、勧善懲悪を好む世人には快哉(かいさい)を叫ばしめる痛快事でもあった。


 なおこの都市伝説には続きがあって、なんでも「天に照らしてもなお万死に値する極悪人を成敗してほしい」と望む者は、あるサイトに秘密の合言葉を入力すれば、彼女が必ず望みをかなえてくれるというものである。

 ただしそれには「もし依頼者の貴方がそれに該当すると判断された場合は、予告なく貴方の御霊(みたま)をお預かりしますので、あらかじめご了承ください」という恐ろしい注意書きが添えてあるので、悪意で殺人代行を依頼しようとしている連中には強いブレーキがかかるようになっているという。


(なんて過激な……だけど藤本摩耶中将閣下にはふさわしい仕事かな)

 巷間の都市伝説を紹介したウェブサイトをながめていた健太は画面を閉じてPCの電源を落とした。


――いやな予感がした。正確には七分の不安と、残り三分は(ひそ)かな期待だった。それは摩耶が再び健太の前に現われて、コンビを組まされるのではないかということであった。

 摩耶がおのれの活躍の場を見いだしたのは祝福すべきことなのだろうが、彼女はますます健太のような一般人からは縁遠い存在となりつつある。むろん再会したい気持ちはやまやまだが、今度はこれまでのような「美少女骨董コレクター」とはレベルの違う、「異次元殺人請負業者」の助手ということになるのだ。そこまで危険な存在に特化した彼女の運命に巻きこまれることだけは金輪際(こんりんざい)ご勘弁願いたい。


『どうか英雄とならぬように――英雄の志を起こさぬように力のないわたしをお守りくださいまし』芥川龍之介「侏儒(しゅじゅ)の言葉」の一節が健太の脳裏をよぎる――そうだ、俺は「侏儒」、平穏な一小市民であればいいのだ、それが人生最高の満足なのだ。


 明日は大事な就職面接がある。もう寝よう。 


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「……健太、健太、けーんた」 


 自分の名前を呼ぶ声で健太が目をさますと、そこにはひとりの若い女性が立っていた。


 摩耶である。(いか)めしい軍服姿ではなく、斬魂刀も提げていない。ボーダーのTシャツにデニムのショートパンツ、足にはスニーカーといった、ごく気がるな服装である。


「お待たせ」


「おまたせって、ここ、どこ?」


「やだ、寝ぼけてるの」 


 健太は彼はベンチの上でうたた寝をしていたようだった。鳥のさえずりに森の匂い、頬をなでる温かな微風が心地よい。どこまでも澄みきった快晴の青空と、緑豊かな木々と、……そして遠くから聞こえてくるのは、


(波の音だ)


彼はベンチから立ち上がった。


 ここは島の高台だった。見おろすと周囲にはコバルトブルーの大海原がひろがり、砂浜の白とのあざやかな対比を成していた。


 健太は、摩耶とふたりで◯◯島の観光に訪れていたのだった。


 きょうは絶景スポットめぐりということでガイドマップとGPSを頼りに歩いていたのだが、目的地に到着した時に、摩耶がその少しさきにあるという洞窟を見たいと言い出したのである。健太も興味はあったが、予想外の強行軍でヘトヘトに疲れきっていたので、行くのは遠慮して待っていることにした。摩耶は旅行中知りあった夫婦の観光客とともに洞窟見物へ出かけ、ベンチに腰を下ろした健太はそのまま眠ってしまったらしい。


 摩耶は、その口調も態度も、知りあった当時の彼女にもどっていた。


(なんてことだ、あれはぜんぶ夢だったのか)


 健太は腕時計を見る。ベンチに座りこんでから一時間ほどが経過していた。


 高台には石碑が建てられていた。ここはかつての激戦地であり、おおくの将兵が戦死している。そのための供養塔であった。


 摩耶が言う、「むかし、この島が戦場だったのは健太も知ってるよね。ここに来る途中でも戦車のスクラップなんかあったし……さっき洞窟の中も見てきたけど、ボロボロに錆びたヘルメットとか、飯ごうなんかが、まだそのままになっていたわ」


 健太は何者かに誘われるかのようにフラフラと石碑に歩みよった。


 黒い御影石(みかげいし)には数多(あまた)の戦死者の氏名が彫られている。


(これは)


 彼はその中に「敷島十朗」の文字を見つけた。





 背後で何か物音がした。


 ふりかえると摩耶が倒れている。

 健太はあわてて駆けよった。








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