第一話「私が見えるんですか?」
「おい隼人、早く起きろ。」
朝からドア越しに姉の騒々しい声がする。
今日は4月の6日。まだ春休みのはず・・・
ん?6日?
俺はベッドから飛び起きて壁掛けのカレンダーを確認した。
4月6日―入学式と書かれているではないか。
時刻は8時12分・・事の重大さに気付いた俺は部屋のドアを開け、居間へと向かった。
「姉ちゃん、なんで早く起こしてくれなかったんだよ」
「あんたが夜中まで今まで溜めてた宿題をしていたせいでしょうが。それに明日から学校が始まるから身支度をしとけ、とも言っておいたはずよ。」
くっ・・ぐうの音も出ない返答だ。
そうこうしている間にも無情にも時計の針は動きを続ける。
慌ててテーブルの上に置かれていた味噌汁、卵焼き、ご飯をがっつく。
相変わらずのひどい味付けだ。
「じゃあ私、もうあんたを置いていくからね。」
待て、と言う隙も与えられず玄関の戸はパタリと閉じられてしまった。
そうだ、こんな喧嘩まがいの事をしている余裕はない。俺は食べかけの朝食を後に素早く身支度をして、外に出た。
春の心地よい風、鶯の鳴き声、満開になった桜。
どれも味わい深いが俺にはそんなことを気にする余裕はない。
俺はただひたすら学校への道を駆け抜けた。
ぜえ・・ぜえ・・ぜえ・・
何とか間に合い体育館へ入場する。
そういえば俊もこの学校に入ったんだっけかな。
俊とは、俺の幼馴染である。小さな頃から兄弟のように仲が良かったが、彼のやんちゃぶりにはよく手を焼いていた。
そんな事を思いながら俺は自分の席に着いた。
会式の言葉、校長、来賓の挨拶とプログラムが進行していく。
どれもけだるくてつまらない。春の陽気もそうさせている原因なのかもしれないな。
「続きまして、校歌斉唱」
うわ、出たよ新入生が在校生の歌声を聞いてどうだ、これが星光学園生だ!だのと後で教師にしつこく言われる奴。ああ、つまらないつまらない。
だが、退屈な時間は一瞬にして恐怖の時間へと変貌を遂げた。
校歌の2番に差し掛かった時だった。
妙な胸騒ぎ、それから制服の袖をぐいぐいと引っ張られるような感覚がした。
おそるおそる下を見ると小学校低学年ぐらいだろうか、白いワンピースを着た少女がニタニタと笑っていた。
いや、それだけならまだ百歩譲ってありうる光景だ。誰か生徒の妹が式に紛れ込んでしまったとも考えられる。
だが、その子は身体の半分、下半身が透けているのである。
「うわあああああああ。」
入学式中、こんな声を発した生徒は過去にもましてや未来永劫に存在することもないだろう。
体育館中がシーンと静まり返り、張り詰めた空気を壊すかのように生徒たちがおしゃべりを始める。
「えー、静粛に、静粛にお願いいたします。」
教頭と思しき進行役の教師がスムーズな流れへと戻す。
ああ、こんなつまらない事で初日から怒られなければならないのか・・・。
もう一度下を見るとあの子は姿かたちも消えてなくなっていた。
式が終わると、中学校の時と何ら変わりのない姿で俊が話しかけてきた。無理もない、春休みしか時間をまたいでいないのでである。
「よお隼人、久しぶり。春休み以来だな。なあなあ、さっき叫んでたのってお前だよな?めちゃめちゃ面白かったぞw一体何があったんだ?」
「面白い訳あるか。あの後あの教頭にすごく怒られたんだぞ。それにあれは幽・・・」
「幽・・何だ?」
「いや、何でもない」
話したところで彼が分かってくれるはずがない。どうやら自分は霊感があるらしいのだ。
事実、今も今とであの子の足音がひたひたと聞こえ続いているからだ・・・。
教室に入ると、すぐにHRが始まった。
40人の10クラス。噂通りのマンモス校舎には驚かされるばかりだ。
さっきの事も相まってまだ不安と緊張がある中で担任の馬場先生が話を始めた。
噂に聞いていた通りの屈強そうな男である。こいつに体罰でもされた暁には俺は昇天してしまうだろう。
「皆さん、ご入学おめでとう。今日からこの1-3クラスの担任をする馬場だ。以後よろしく。」
簡単に挨拶を終えると次にクラスの生徒全員の自己紹介へと移っていった。
自分は"か"行だから自分の番が来るまで少し余裕があるだろう。
などと考え事をしているとまたさっきと同じ足音が聞こえてくる。
まさかと思い下を見るとあの子が床の上でちょこんと体育座りをしている。
どうやら、悪気があって付いてきているわけではないらしいので、仕方なく話を振ってみることにした。
「一体、何の用があって俺に付きまとっているんだ。」
俺はわざと突っ放したように彼女に向って言った。
「お母さん・・・」
「ふえ?」
「お母さん・・・どこ・・・?」
何故彼女が俺に自分の親について聞いてくるのかは分からなかったが、俺は興味本位でさらに聞き出そうとしていた。
だが、その瞬間馬場の猿のような声が聞こえてきた。
「次、纐纈隼人。次、纐纈・・おい、聞こえてんのか纐纈」
「はっ、はいすみません。」
これ以上馬場の逆鱗に触れると大変なことになるであろう。
俺は仕方なく自分の紹介を始めた。
彼女はというと、俺に満足に相手にされなかったからか、ぐずり出してしまった。
その瞬間俺の、いやクラス中の生徒と馬場の目には信じられない光景が広がった。教室中の物という物。床という床が上下左右に震えているのだ。
「地震だ!みんな机の下に潜るんだ!」
とっさに誰かが大声で言った。
だが、地震にはあるまじき事が起こっていた。
自分の席は窓側だったのでちょうど学校の裏手の大牧公園が見える。午前11時前という事もあってそこから子供連れの主婦や昼休みに入るのであろう会社員風の男性が見えた。
だが、彼女らは全く動じずにいるのである。
こんな震度5強、いや6弱はあるだろうこの揺れで動じない訳がないのである。
これは彼女のせいなのかもしれない。
そう思った俺は、震える机を必死に抑えながら彼女を優しい口調でなだめた。
「後で、後で話をじっくりと聞いてあげるから今はちょっと静かにしてくれるかな。」
すると彼女は泣き止み、その瞬間揺れはピタリと収まった。
俺はほっとした。全く恐ろしい幽霊幼女である。
今日は入学初日だったからかHRが終わった後すぐに解散だった。
担任との挨拶を済ませた後、俺は彼女に話しかけた。
「それじゃあまず名前を教えてくれるかな?」
待っていたかのように彼女はにこっと笑って答えた。
「佐久っ、佐久って言うの。」
可愛らしい純真無垢な目をして彼女はそう答えた。
生前はもっと美人さんだったのだろう。
「佐久ちゃんか・・・苗字とか住所ってわかるかな?」
今の時代なら某ネットの電話帳のような裏サイトもある。
苗字や住所さえ分かれば手掛かりが少しはつかめるかもしれない。
「苗字も・・住所も分からない。」
「分からない・・か。なんで分からないのか理由を教えてくれるかな?」
佐久はぶんぶんと首を振り、頑として答えようとはしなかった。
あの男子は誰と話しているのかと言いたげな、なぜか学校に残っている周囲の女子の視線が痛い。
「歳はいくつ?」
俺は仕方なく他の事を聞き出すことにした。これ以上聞いても意味がないだろう。
「7歳。本当はお姉さんになりかったんだ・・私」
お姉さんになりたかった・・・?進級直前に亡くなってしまったのだろうか。
だが、分かった情報はそこまでだった。
彼女は誕生日も、親の名前すらも忘れてしまっていた。
俺たちは互いに気まずそうに教室を後にした。
「どうするかなあ・・・。」
俺は深いため息をつき、彼女にここまで詮索したのを悔やんだ。
今更、ここでちょこちょこと付いてくる彼女を追い返すわけにもいかないだろう。
俺は彼女と一緒に仕方なくアパートへと戻っていた。
「ただいまー。」
俺の姉、実はもう既に帰宅していた。
友達の少ない彼女には、どこかで寄り道してカフェやコンビニ・・などという行動はかなりハードルが高い。
「おかえり。ってあわわわわ・・・」
彼女は口をあんぐりと開けて気絶してしまった。
なんとか起こして話を聞いてもらわなければならない。
すると、佐久は不意に自分の手を姉の額に当てた。
よほど冷たかったのだろうか姉はびっくりして目を覚ました。
「ちょ、ちょっとあんた家になんてモノを持ち込んでるのよ」
「モノ扱いするなよ。ってか姉ちゃんも佐久ちゃんが見えるんだ。」
「そうよ。私、小さい頃からそんなような事はよく言っていたじゃない。」
それもそうだ。姉は子どもの時、殺人事件のような人が亡くなるニュースがテレビで流れるとよく目を覆っていたのだ。
聞けば、影が薄い人がいる・・・なんて答えていたっけな。
どうやら彼女は昔から俺よりも霊感が強かったらしい。
そんな姉が人よりも幽霊を怖がるのは無理もない。
だが、ここで追い返してしまうと彼女はまたぐずってしまう。
教室でさえ影響があるほどだからアパートなんて尚更だろう。
築三十年を過ぎたこのボロアパートでは、下手したら倒壊すらしかねない。
俺は事のかくかくしかじかを伝えた。
「なるほど。ニュースで目にするようなギラギラした悪い霊ではないみたいだしペットみたいに世話をする必要もない・・・か。仕方ない、許可しよう。」
かくして俺、姉、佐久3人での生活が始まったのだった。
これが不思議な事件に巻き込まれる原因になることも知らずに。