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お父さん、泣かないで。

作者: 綿柾澄香

 私のお父さんはよく泣く。


 映画を観に行けば、感動的なストーリーに涙を流し、テレビのニュースを見ては、小さな子が殺されてしまったという理不尽な事件に涙を流す。電車の中でお年寄りに席を譲る若者を見ても涙を流し、街中で美しい虹を見つけて涙を流す。誰かのお葬式に参列して泣かなかったお父さんは見たことがない。


 けれどもきっと、それは泣き虫というわけではない。

 いや、よく泣くから、それは泣き虫だといえば泣き虫で、否定はできないけれども、私にはわかる。お父さんが泣くのは、優しすぎるからなのだ。


 お父さんは他人の気持ちを考え過ぎる。自分よりも周りの人の方を大切にする。もっとその視点を自分自身に向ければいいのに、と思うことが多々ある。


 そんなお父さんがお葬式で涙を流さなかった。


 それは、私が知る中で初めてのことだった。口を真一文字に結び、瞳は真っ直ぐに前を見据え、背筋をしゃんと伸ばし、最後まで胸を張り続けた。凛とそこに立つお父さんの姿は、娘のわたしから見ても、誇らしく思えるほどに格好良かった。


 けれども、やっぱりお父さんはお父さんだ。


 そのお葬式が終わった夜、書斎でお父さんはぽろぽろと涙を溢した。リビングに居るお母さんに聞こえないように声を噛み殺しながら。それは、今までに見てきた中で、一番激しい涙だった。鼻水を流し、肩を震わせ、呼吸は不規則で、見ているこっちが苦しくなるような泣き方。


 ああ、お父さん、そんなに泣かないで。悲しまないで。

 と、声を掛ける。


 けれども、その声は届かない。当然だ。私はもう、死んでしまっているのだから。


 私のお葬式で、泣かないお父さんの姿を見られたのは新鮮で、とても頼りがいのある父親に思えたけれども、そこで泣いてくれないお父さんに少し、寂しさも覚えた。だから、ここで私の為に涙を流してくれたのは嬉しかったし、いつものお父さんだ、と安心できた。でも、ここまで苦しんで涙を流す姿は見たくない。


 大丈夫、私は大丈夫だから。いや、死んでしまって、大丈夫も何もないかも知れないけれども、大丈夫だから。だから泣かないで。


 けれどもやはり、私の声は届かない。


「なあ、お前はお父さんの娘として生まれてきて、幸せだったのかな」


 と、声がして、もしかして私の声が届いた!? と思ったものの、それはお父さんの独り言だった。小さかったころの私の写真を眺めながら、お父さんは続ける。


「僕は幸せだった。生まれた時から、君は僕に幸せをずっと与え続けてくれた。泣いた顔も、怒った顔も、笑った顔も、驚いた顔も、拗ねた顔も。すべてが愛おしくて、与えてもらってばかりだった。でも、僕は君に何かを与えることができただろうか。もっと兄弟のいるような家に生まれてくれば、もっと楽しく日々を過ごせたかもしれない。もっと頭のいい親の下に生まれていれば、もっと楽に人生を歩めたかもしれない。

……もっとお金持ちの家に生まれていれば、この病気を治せていたかもしれない。僕なんかよりもよっぽどお金持ちで頭がよくて、性格もいい人間は世の中に沢山いる。それこそ、星の数ほど。もしも、君がそんな親の下に生まれていれば、もっと幸せに、もっと長生き出来たんじゃないかって思うんだ。僕のところに生まれてきてくれた君は、少しでもそういう風には思わなかったかい?」


……正直、そういったことを考えたことはある。兄弟がいればなぁ、とか。もっとお金持ちの家の子だったらなぁ、とか。でも、そんなのは誰だって一度は考える意味のない妄想で、まどろみの中で見る夢のように曖昧でおぼろげで、いいかげんなものだ。そんなことを気にするなんて、本当にお父さんは優しすぎる。


 そんなの、問われるまでもない。


 私は私のお父さんと、お金持ちで頭もよくて性格もいいパーフェクトな理想のお父さん、両方を天秤にかけた上でなお、私は私のお父さんを選ぶ。だから、心配しないで。私はあなたの娘で本当に幸せだったと、胸を張って言える。


――奇跡は、起こらない。


 お父さんが私に伝えたいことは伝わったけれども、私が伝えたい言葉はお父さんには伝わらない。そりゃそうだ。だって、私は死んでしまっているのだから。死者から生者へと言葉を伝える手段はない。


 わたしもいつままでもここに留まれるわけではないだろう。そんな予感がある。

 きっと、私のこの言葉はお父さんに伝わらない。

 

 けれども、それでもいつかきっと、私のこの気持ちがお父さんに伝わると信じて、もう少しだけ、あと少しだけ、ほんの少しだけ、ここで涙に暮れるお父さんを見守っていたい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こらえていたけど、溢れてきたのであろう父親の涙。 [気になる点] 父親の口調が、娘に向けるそれというより、恋人とか妻に向けるそれっぽい空気を出しているところ。 [一言] もう、声は届かない…
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