9.将来設計家族会議
夏といえば夏休み。
子どもがまだ就学前の田辺家では、夏休みといえば1週間ほどのお盆休みのことを指す。
田辺家の実家は同県内の田舎の方にあって、バスが2時間に1本しか来ないようなところだ。だから、車が無いと実に不便。
反対に我が家であるマンションのあたりは交通の便が良過ぎで駐車場月額が高いので、自家用車は邪魔でしかない。
そんなわけで、里帰りはレンタカーになった。
去年一昨年は産前産後でバタバタで見送られ、一昨々年は仕事の都合で夫婦の休みが合わずに見送られたので、実に4年ぶりの里帰りだ。
両祖父母側が連休利用して遊びに来てくれていたので、じいちゃんばあちゃんとは何度も遊んでもらっている。里帰りにあたるのが、4年ぶりなだけだ。
寿也もさっちゃんも兄弟の下の子なので、実家を継ぐ予定なのは伯父伯母になる。俺は1歳の時に会っているけれど、1歳じゃ普通は覚えていないものだから、ご挨拶は「はじめまして」が良いかな。
借りたワンボックスカーの後部座席をフラットにして猫たちを遊ばせながらの移動中。
運転席と助手席で何やら真面目な雰囲気で話し合っていた両親が、突然声の音量を上げた。
「晴人! 聞いてたか?」
「タイヤおんでこえきこえないんだけど。なに?」
「お、おう、悪ぃ。停まったら改めて話すわ」
「そーして」
そんなわけで、トイレ休憩と飲み物調達にコンビニに停まったら、買い物はさっちゃんに任せた寿也が真剣な顔で俺と向き合った。
「そういうわけで、だな。晴人の就学前に将来設計を見直すことにした」
「そういうわけがよくわからないけど。うん。それで?」
「家族のことだから、みんなに影響する話になる。晴人は思考力はとうに大人だからな、家族会議に参加する権利があると思うんだ」
「こどもはおやのほうしんにしたがうものじゃない?」
「そんなことはない。あきちゃんはまだ小さいから、判断力もないと思うが、晴人は自立した家族の一員だからな。その権利は親として尊重したい」
真剣に「親として」とか言われると照れるんだが。
「そ、そう」
「そう。で、だ。まずは俺とさっちゃんと晴人で意識合わせして、うちの実家とさっちゃんの実家にも話をして、それから準備を始めようと思ってる」
「ずいぶんおおがかりだね」
「うん。金のかかる話になるからね。身内を度外視できない」
おそらく、寿也の中では道筋が固まっていて、さっちゃんは慎重論気味の反対派なんだろう。だから、まだ夫婦間で結論が出ていなくて、ちょうど良い第三者に俺を宛てがったと。
勝手に理解したが、大きくは間違っていないだろう。
「おおまかに、どんなはなし?」
「引越しと起業の話」
おう。思った以上に大掛かりだった。詳細は後で改めて話してもらうとして、その大方針だけでも考えられることはたくさんある。
今の交友関係も切れるし、実家に戻るか新居を構えるかでも違うし、移動に不便な土地柄だから生活リズムも大変更だろうし。
って。あ。
「クッキーもかぞくかいぎにいれて」
「おう。通訳は頼むぞ」
「こねこたちのパパのことも」
「……そこにもあったか、大問題」
それこそ、就学前の今なら仲のいい友達もいない保育園を辞めるのに俺は問題ないが、野良猫会議から抜けることはちゃんと話を通す必要があるし。その野良猫会議のボス猫シザーとも、離れなくちゃいけなくなるのだから。
クッキーなら、野良猫に戻るっていう選択もあるだろうしね。
懐かしい景色が見えてきて、身体がぐんと小さくなっているのだけれど、帰って来たなぁ、と思っているうちに、到着したのは地域の菩提寺であるお寺さんだった。
田辺家の法事は明日のはずで、何故わざわざこの寺に直行だったのか聞いていないのだけれど。
花束を持たされて、水桶と掃除道具を持ったさっちゃんに手を引かれて、後ろから愛希を抱っこした寿也がついてきて、みんなで寺の裏山に並ぶお墓に登っていく。猫たちは車で留守番なのだけど、サンだけは俺の肩に乗っかったままついてきた。
立ち止まった目の前の墓石に彫られたのは『梅沢家代々之墓』。
「これ……」
「ウメの遺骨が納められた墓だよ。やっと連れて来れた」
「無縁仏になってると思ってた」
「俺たちがそんなことさせるわけないだろ」
「ウメちゃんのおじいさんがね、墓建てる金なんか無いっていうからね。ウメちゃんの勤めてた会社に、過労による意識薄弱故の不注意が事故の原因って訴え起こして、示談金でお墓建ててもらったの。高井くんもサトくんも頑張ったんだから」
掃除道具は持って来たけれど、誰かがすでに掃除してくれていたようで草1本も生えていない綺麗な墓だ。小さくても立派な、前世の抜け殻の居場所。
友人たちが手を尽くしてくれたと聞いたら、感動しかなくて。
鼻水をすすった俺の頭を寿也がそっと撫でてくれた。
俺の肩ではサンが戸惑ったようにこてんと首を傾げていて。
『この石、何なのにゃ?』
「おれになるまえのおれのはか」
『にゃ? はるの前のはる? 前生?』
「うん、それ」
理解したら、ほー、と感心したようにそれを眺めたサンが、肩から飛び降りる。
で、花を活けてくれるさっちゃんの横にお座りして、両手をパスンと合わせた。
『成仏するにゃー』
「じょうぶつしたからここにいるんだけど」
俺の側の声は猫には猫語に、人には日本語に聞こえるようで、俺のセリフからサンのセリフを推測したらしい両親がプッと吹き出した。
それにしても。動物のお強請りポーズって何でこう可愛いんだろうね。
お泊りさせてもらう田辺家は典型的な山沿いの旧家で、広い母屋とトラクターなどがしまわれている納屋と広い庭、裏に隙間を縫うような畑、周りは段々の田んぼが囲っている。
お隣まで回覧板を回すのに車が欲しくなる距離だ。
山間の集落が点在する町の外れにある田辺家と違い、さっちゃんの実家は駅に近い商店街で町の電気屋さんをしている。大型店からこの地元の家に大型家電の配達と取り付け、下取り家電の回収をするのが近年の主な収入源だそうだ。
元々林業で儲けていた田辺家は祖父と伯父が林業をそのまま続けていて、海外資材にシェアを奪われながらも国産木材の提供と間伐材を使った建材以外の転用収益で収入を確保しているそうだ。
木材は時間がかかるので、その合間に周りの田んぼや畑で自分たちの食料を確保しているという自給自足生活。
なるほど、余裕のある生活は自給自足のおかげか。
そんな田辺家に到着すると、伯父家族と祖父母に大歓迎を受けた。伯父は最近ようやく奥さんをもらったところでまだ子どもがおらず、訪ねていった俺と愛希が可愛く見えるようだ。
なかでも大受けしたのが仔猫たちなんだけどな。分かるよ、コロコロしてて可愛いのは議論の余地がない。
到着したのはまだ日の高い3時過ぎで、家の仏壇に手を合わせたら泊まるように充てがわれた仏間隣の和室でゆっくりしな、と解放されたため、遊び相手に愛希と仔猫たちを預けて家族会議と相成った。
俺の肩に居座っていたサンも、今回は愛希の子守だ。
「まず、ぎだいのぜんていをおしえて」
そんな俺の質問から始まった家族会議は、寿也とさっちゃんの就職活動まで時が遡った。
前世のうちから寿也夫妻の就職先は知っていたので薄々勘付いてはいたが、2人が就く職業を決めたのは俺の生い立ちが影響していた。
自分で言うのもなんだが、10人中9人は認めてくれるだろう絵に描いたような薄幸人生。一言で言い表すなら、幼児虐待だ。
そんな社会問題にもなっている問題に、俺という身近な存在をきっかけにして興味を抱き、少しでも力になりたい、減らしたい、そう考えた故の選択だったらしい。
就職してみれば、行政の手がどうしても届かない、建前と現実のジレンマに何度も悩まされてきたそうだ。寿也は県政という高い立場からの、遠すぎて現実味に欠けてしまうことからくる、担当者の士気低下に。さっちゃんは児童相談所という現場最前線という立場からの、日々の業務に追われすぎて根治を目指す余裕のなさに。
そんな中、愛息子の前世とその体験者故の生の知識に頼れるというきっかけが齎された。そこに、夫婦揃って未成年者保護に携わる行政担当者であるという業務知識もあれば、後は環境を整えるだけだ。
「つまり、ここくらいのド田舎にね、児童養護施設を作ろうと思ってる」
「私は正直、時期尚早だと思うのよ。運営資金もあてがあるわけじゃないし、初期投資分も賄えないんじゃ、最初から火の車だわ」
「でもな、俺たちがまだ元気な若い内に始めて軌道にのせないと、年取ってから子どもたちの世話を始めるのは難しいと思うよ」
「それにしても、資金繰りの収支計画くらいは入念に立ててからでも遅くないでしょう?」
そんな感じで、珍しく寿也とさっちゃんの意見が平行線のままらしい。
反対しているさっちゃんも、将来的に児童養護施設の運営に持っていく方針には違いないようで、決定的な対立にはなっていないのが救いか。
「つまり、かいてんしきんがネックなの?」
「さっちゃんの心配はそうだね」
「私の意見はそうよ」
「このへんにしせつをつくりたいのはいっしょ?」
「その通りだ」
「その通りよ」
また、思い切った将来設計だった。
前世の俺のように虐待被害にあった子どもの保護というなら、街中や人の柵から引き離してのびのび育てるのは俺も賛成ではある。
けれど、児童養護施設に入所する子どもの事情はそれだけではない。事故や病気で両親を失ったり、生後わずかのうちに親から捨てられたり、といった、身内のいない子が本来メイン対象だ。施設によっては、障害のある子どもの保護、教育を請け負っているところもある。
その区分けはどうするつもりなのか。
「受け入れるのは、児童相談所で一時保護した子どもだけになるな。手広くやるには手が足りない」
「虐待はするけど子どもは手放したくない、っていう親が相談所に押しかけてくることもあるから、そういう特殊事案の隔離保護先を作りたい気持ちもあるの」
職場で抱えたモヤモヤ噴出中、なんだろうか。2人とも何だかイメージが具体的だ。
5歳児の俺が手伝えることなんて、ほぼ無いんだけど。鑑定さんによる状況把握くらいか。
「ひとまずじかんじくはむししたじつげんけいかくをたててみたら?」
「晴人は賛成してくれるのか?」
「じつげんかのうならはんたいしないし、できることはてつだうよ」
正直なところ、行政については実体験も役に立たない。両親の元から保護されて祖父母に引き取られるまで、社会の幽霊だった自分に手足の肉を付けるので精一杯で、施設のスタッフさんたちが何を考えてどう行動していたのか、気を配る余裕なんて無かったから。
おそらく、現在現役で携わっている両親の方が詳しいだろう。
それなら、等身大の同年代の友だちとして受け入れてフォローするのが、子どもである俺の役割だろうし。
それは本当に現場でしかなくて、下準備段階の今俺が出せる手足や口は持ち合わせていないんだ。
なので、今できるのは、俺の隣で丸くなって飼い主になったばかりの人間たちの鳴き声を聞いていたクッキーに、説明と意思確認をすることくらい。
「てかんじでね。ことしからいねんか5ねんごかわからないけど、ひっこしになるんだ」
『シザーとお別れなのにゃ?』
「そうなんだよね。どうしたい?」
『仔猫たちはどうなるのにゃ?』
「うちでひきとることになるね。のらにはさせられない」
『にゃ。それなら安心にゃ。アタシはシザーのメスにゃ。譲らないにゃ。仔猫たちはよろしくなのにゃ』
「ひっこしきまるまではうちのねこでいてね」
『もちろんにゃ。仔猫たちはできる限りアタシが育てるのにゃ!』
意志が強い母猫でした。迷わないって、スゴいね。