7.オタクバカップル
異空間衝突でできた罅というのが、人間社会的に厄介なところに、しかも広範囲に10箇所以上できていたせいで神様の予想を遥かにオーバーして、解放されたのは20日後の事だった。
とりあえず、お腹が空きました。神様の力の残滓があるおかげでエネルギーは足りていて餓死することはないとはいえ、20日も飲まず食わずは胃袋的に厳しい。
神様の力も物体そのものにまでは及ばないそうで、密閉空間である建物の中に壁をすり抜けて入ることはできないので、神様に送ってもらったのは自宅マンションのベランダだ。
玄関に送ろうと神様は言ってくれたのだけれど、5歳児の身長ではインターホンに手が届かない。
ベランダから部屋の窓を何度かノックすると、まず真っ先にハイハイで突進してきて仕切られたカーテンのこちら側に潜り込んできたのは、可愛い1歳の妹だった。
「にぃ!」
「うん、にぃちゃんだよ。ただいま」
「あー!」
うんうん、良かった。妹も変わらず元気だ。
と頷いていたら、ジャッとカーテンが勢い良く開かれた。すぐに窓も開けられて抱き上げられたかと思ったら、痛いくらいにギューギューと抱きしめられた。
まだ仕事中の時間だと思うんだけどな、さっちゃん。
「やっと帰ってきた! もう、どれだけ心配したと思ってるの、おバカ!」
「え、と。ごめんなさい?」
「あぁん、もう、違うのよ! はるとくんが謝ることないって分かってるの! でも、でも、心配したのよー!!」
軽くパニックのご様子だ。
抱きしめたまま部屋に向かおうとし、足元でさっちゃんの足につかまり立ちしかけている妹の愛希を蹴りかけて大慌てし、ふたり一緒に抱き上げるという母親の火事場の馬鹿力を発揮し。
意味もなく行ったり来たりしているうちに落ち着いたようで、愛希共々ソファに降ろされた。
ようやく窓を閉めたさっちゃんが、ソファの俺と視線を合わせるために、足元のラグに座り込んだ。
「見たところ怪我は無さそうだけど、痛いところとかはないの?」
「はい。ただ、おなかがすきました。そして、じぶんがクサイです」
正直に訴えたら、キョトンと目を瞠ったさっちゃんが爆笑しだした。
いや、だって、20日間風呂に入ってないんだし、未だに着の身着のままのパジャマスタイルだしな。
風呂に入っている間に料理してくれたさっちゃんが連絡したようで、炒飯を夢中で頬張っているところに寿也が駆け込んできて、抱き上げられた上にギューギューと抱きしめられた。
夫婦揃って同じことしやがって。
食事を中断させられて猛抗議したのはいうまでもない。
そんな父子のじゃれ合いはまぁいいとして。
「見たところ怪我は無さそうだけど、痛いところとかはないのか?」
「スゴいな、このバカップル。いくどうおんか」
スプーンを炒飯に差し込みながら、口をついた感想はそれだった。
そんな俺の感想に、寿也がぴたっと行動を止め、それから超絶脱力を体現する如く肩を落とす。
「本当にお前なんだな、ウメ」
「もと、だけどなー」
5年前まで呼ばれていたのに、懐かしいな、その名前。
「それで、詳しく聞かせてもらえるのか?」
「もちろんだよ。でも、よくしんじたな、あのかきおき」
「むしろ何で信じないと思ったよ」
「あきちゃんの命の恩人ですもの、無条件で全肯定よ。ねぇ、あきちゃん」
テーブルにオレンジジュースを入れたカップを置いて、俺の座る子ども椅子の足につかまり立ちしかけている愛希をひょいと抱き上げたさっちゃんが、斜め前に座りながら朗らかにそう言った。
呼ばれて愛希が「あい」と答えている。ご機嫌に手まで挙げるうちの妹、可愛い。シスコン上等だ。
「まぁ、決め手はそこだったよな。さっちゃんのお腹にいた愛希を助けたのは、ウメが神様にもらった特殊能力なんだろ?」
「いまははるとだよー?」
「……反応はそっちなのか」
「いやいや。なまえ、だいじ。ぼく、たなべはると。5さい」
本題の方は、否定しないことから察してください。
確かめるように俺を見つめていた寿也が、それからしばらくしてその表情を苦笑に変えた。
「そうだな。お前は俺の息子の晴人だ。友人だった梅沢ハレは5年前に事故で亡くなってる」
「ん。そうそう」
「で、超王道異世界転生展開の末俺の息子になった、って理解で良いんだな?」
「いきさきがいせかいじゃないけどねぇ」
うんうん、と頷いて返せば、寿也もさっちゃんもそれで納得してくれた。
中高と共に過ごしたおかげでふたりの趣味も知っているわけだが、寿也は漫画やアニメに造詣の深いアニオタだし、さっちゃんは所謂腐女子というヤツだった。大人になって現実が忙しくなったせいか、趣味に割く時間は減ったようだが、今でも自宅で見るテレビ番組はほぼアニメだし、生活費や小遣いの余剰分は書籍代に充てられている。
対象作品の幅が広いおかげなのか、グッズやらフィギュアやらに派生しなかったので、ふたりとも傍から見ればオタクには見えないのだが、しっかりどっぷりサブカルチャーに嵌っている、というわけだ。
したがって、よくある異世界トリップファンタジーの王道展開については、王道亜種や非王道も含めて、俺なんかよりよっぽどよく知っている。
現実に起こるとは思っていなかっただろうが、理解できる証拠が揃っていればその先の判断は当事者の俺より早いわけだ。
「でも、翻訳スキルとか役に立つの? 同じ世界だもの、言葉も通じるじゃない?」
ちなみに俺は、死後の世界で神様に会ったことと、20日間の行方不明の理由、その報酬に鑑定スキルと翻訳スキルをもらったこと、ここまでしか話していない。それぞれのスキルの中身はまだ言及していない状態で、さっちゃんに言われたのがこうだっだ。
説明が省略できるって楽で良いですね。
「どうぶつとはなせるよ」
「翻訳の意味の幅、広いな」
「かみさまはひとだけのかみさまじゃないらしいから」
「ふむ。そりゃそうか」
「なるほど、そりゃそうね」
うん、本当に理解早い。
「で、用事は済んだのか?」
「うん。あとはすきにいきていいって。しあわせになりなさい、っていわれた」
「あぁ、そうだな。ウメが薄幸人生だった分、晴人には幸せになる権利があるよ」
「子どものうちは私達がこれでもかってくらい幸せにしてあげるから、覚悟なさいね」
「だー!」
愛希ちゃんにまで意気込まれた。訳は分かっていないだろうが、両親の力強い雰囲気に触発されたらしい。
ありがとうね、と愛希を抱きしめてあげると、さっちゃんにその上から抱き込まれ、寿也に頭をぐりぐり撫でられた。
本当に、この家に産まれさせてもらえて、良かったです。
ストックが尽きました。今後は不定期更新になります。