6.異空間衝突
無事に生まれた妹の世話を手伝いながら、鑑定しまくったり、野良猫会議にお邪魔したり、保育園で子どもの感覚についていけずにボッチだったりして、あっという間に5歳の誕生日を迎えた。
つまり、前世の意識と特殊な能力を持って生まれてきた目的が果たされる年だ。
実際のところ、それが5歳のいつなのか、場所はどこなのか、期間がどのくらいなのか、何も分かっていない。
漠然と神様がこの身体を使いたいらしいと理解していただけで、そんな詳細が気になりはじめたのは、もうすぐ5歳の誕生日、と両親に意識させられた、1週間前だった。
自分のあまりの呑気さに、自分でがっくりきたのは言うまでもない。
とはいえ、詳細が分からないからこそ、最悪を想定して準備しておける事はしておかないといけない。詳細が分からないんだと気づいた瞬間、両親が心配して右往左往する姿が簡単に想像できてしまったのだ。
保護柵の中を超特急ハイハイで動き回る妹のそばで、お絵かき帳に鉛筆を走らせたのは、そんな事情だった。
久しぶりに書く漢字はだいぶ歪で、生前の俺の字には程遠い出来だが、親子の筆跡は似るらしく、寿也の字にそっくりだ。書かないと忘れてしまう漢字たちのおかげで、平仮名の多い手紙になってしまっているし。自己嫌悪の嵐だ。
内容は、俺が俺である一部始終。折りたたんで、俺のおもちゃ箱の上に置いておく。幼児のおもちゃ箱なのにまるで工作趣味人の工具箱のようなラインナップを誇るそれは、折りたたんだ紙片が入っていても一見不自然ではないものだから、カモフラージュになるだろう。緊急時以外は見つからなくて良いのだから、隠し場所にちょうど良い。
というか、見つけてもらえるかは賭けなんだけどな。
いよいよ迎えた5歳の誕生日当日は、せっかくケーキとご馳走で祝ってもらえたのに気がかりのせいで喜びきれずに過ぎ去って、プレゼントされた図鑑3点セットを枕元に置いて就寝。
ちなみに、両親それぞれの祖父母と費用を出し合ったそうな、動物、植物、昆虫の子ども図鑑は、リアルに頭脳は大人なはずの俺にも大変嬉しかった。
そしてそのまま、俺は俺として翌日起床することは出来なかった。
目が覚めたと自覚した時、開けた目に見えたのは一面のコバルトブルーだった。
仰向けで寝転がっていたそこは見覚えのあるフワフワで、そばにはやっぱり見覚えのあるフワフワの椅子と、空中に正座する老爺がひとり、背中を向けて何かしている。
「……神様」
フワフワだけれどちゃんと平らな地面は、手を着いて立ち上がるのに不自由もない。相変わらず不思議な空間だ。
声をかけたら振り返った神様が、好々爺然と笑う。
「約束どおり、身体を借りておるよ」
確かにそういう約束だが、事前通告も無しだったか。対策しといて良かった。
おいでおいでと手招きされて、昨夜着込んだパジャマの姿でパタパタ足を鳴らして近寄る。意識は生前の大人のままだと思っていたのだが、ここでの姿は外見のままなのか。
「これにそなたの身体が見ておる風景を映しておる。待っておる間の暇潰しに見てみると良い」
促されて視線を向けた先にあったのは、空間をまるで切り取ったように空中に浮かんだ外の景色で、SFアニメなんかで表現される未来のモニターによく似ていた。
超高速で移動しているようだが、何か乗り物に乗っている風でもなく、むしろそのまま空でも飛んでいるような映像だ。
「地球上であることには間違いないのだが、2,000キロほど離れておってのぅ。数日はかかる故、そなたが用意しておった置き手紙を枕元に残しておいたぞ。そなた、準備が良いのぅ」
「5歳の子どもが何日も行方不明になったら警察沙汰ですから」
そもそも、時期も期間も明言してくれなかった神様のせいなのだが、その詳細をちゃんと確認しなかった自分にも非があるわけで、責めるに責められず。
返事が素っ気無いのは勘弁して欲しい。
「大丈夫なんですか?」
「うむ。幸いにも罅が入った程度で済んだ。修復にそう大した手間もかからぬ。安心して見ておれば良い」
「……もう事後なんですね」
「うむ。こちらは当てられる一方である故に何ともしようがないのじゃ。衝突場所も、地球北半球の東アジアに当たる地域のどこか、までは絞れたもののそれが限界じゃった。神とはいえワシより高次元が相手では無力じゃ。すまんのぅ」
言葉だけではなく本当に申し訳なさそうに謝る神様に、俺は慌ててしまう。俺にはさらにどうしようもないのだから、事後とはいえ対応できる神様が謝る必要はない。
うん、慌てるだけではなくフォローできる言葉のひとつもかけられれば良かったんだろうけども。
そんな言葉のセンスは俺にはないのだ。ごめんなさい。
「目的地までもまだまだかかる。暇潰しに欲しいものがあるならば用意しよう」
「……どんなものが用意できるんですか?」
「この空間は概念でできておる上、世界のあらゆる事象につながっておる。故に敢えて言おう。なんでも、じゃ」
「じゃあ、マドガルド年代記の6巻以降とか」
「ふむ、日本で販売されておる創作物語であるな。よかろう」
本当に用意できるのか。
俺の手元にパサパサっと音を立てて積み上がった3冊の本を見下ろして、感心するしかなく。
生前新刊が出るたびに図書館で予約して読んでいたシリーズ作品の、俺の死後に出た続刊がこれだった。続きが気になってたんだよ。
「他にはどうじゃ?」
「とりあえず読み終わったらお強請りします」
「ふむ、それもよかろう」
頷いて、神様はまたこちらに背中を向けたので、俺ももらったばかりの単行本に手を伸ばした。
目の前のモニターは現在、風が強いのか波の高い海上を飛ぶ目線が映し出されていた。