5.野良猫会議
動物園で神様にもらった自動翻訳能力の実体を理解してから、家にいても保育園で遊んでいても、その能力を使ってみたくてウズウズしっぱなしの毎日を過ごし、1週間後。
久しぶりに調子の良いさっちゃんとお散歩に出かけた。
ちなみに、土曜日なのに寿也は休日出勤で、朝早くから平謝りして出かけていった。平日は無理して定時退勤しているから、その分が影響してしまっているのだろう。気にせず行ってこいと、母子揃って笑顔付きで送り出しておいた。
ベビーカーに荷物を載せて押しながら歩くさっちゃんの横を、ベビーカーに掴まりながらゆっくりのんびり歩いていく。
家のあるあたりから保育園を経て駅へ向かう道は、幹線道路から駅へ続く繁華街の延長で、せいぜい街路樹が植わっている程度で自然皆無だが、反対側に回れば住宅の密集した路地の向こうは川が流れている。川岸はちょっとした公園になっていて、川沿いにサイクリングロードが走り、散歩にはちょうど良い環境なのだ。
堤防の段差に持参したシートを敷いて、さっちゃんと並んで座る。お握りと卵焼きと、後は冷凍惣菜をあれこれ詰めたお弁当をお昼ご飯に、川面を渡る風に吹かれながらゆっくりした時間を過ごす。
身体が小さい分すぐにお腹いっぱいになってしまい、時間をかけて食事中のさっちゃんから離れてちょっと食後の運動に出かけることにした。
目の届くところで遊ぶのよ、と言われて元気よく返事をして、向かう先は当然川の方だ。
草刈りされたばかりのようで、視界は良好。心配させてしまうから川には入らない。かわりに、ゴロゴロと転がっている石ころで積み木の真似事だ。
これ、沢山並べたら不気味だったりするかな。三途の川の河原で子どもの霊が石積みするんだったよな、確か。
周りの石をひっくり返して土台になりそうな大きく平べったい石を選んでいると、視線の端に茶色い動くものが映った。
興味を引かれてそちらを振り返ると、長く細い尻尾が揺れていた。その尻尾は、明らかに猫だった。
「おー、にゃんこさん」
『んにゃ? 何にゃ?』
思わず声をかけたら、振り返った。人間語が分かるわけではないだろうから、俺の翻訳能力のせいだろう。さすが自動。
というか、猫は語尾が「にゃ」を付けるのは、やっぱり世界の定理的なお約束なんだろうか。先週会ったレッサーパンダはじめ動物園の動物たちは普通に話していたのだが。
『おかしいにゃ。ヒトの仔しかいないにゃ』
「おかしくねぇよ、よびとめたの、おれだし」
『にゃにゃっ!? ヒトの仔が猫語喋ったにゃ!』
ほう。翻訳されると猫語に聞こえるのか。本当に不思議能力だな、自動翻訳。
「しゃべっちゃわるいか」
『悪くないにゃ。でも猫語喋るなら最後は「にゃ」なのにゃ』
あ、そうなの? としか反応出来ない。なんだか、なんとなく納得してしまうこだわりだ。
しかし、それに従うのも何となく恥ずかしいし、どうしたものか。
付けられた注文に悩んでいる間に、その茶色い猫が近くによって来て、俺の周りをスルリと身体を擦りつけながら回りだした。匂いを嗅いでいるようなのだけど、少しゴワゴワした毛先がチクチクと擽ったい。
『んにゃ。悪い匂いはしないにゃ』
「そりゃよかった。よびとめてわるかったな。いそいでいたんだろう?」
『にゃにゃ! そうだったにゃ。遅刻だにゃ!』
謝ってやったらそれで思い出したらしいそそっかしい茶猫は、走り出しかけて数歩進んで立ち止まった。
『お前も行くにゃ?』
「おれ? どこに?」
『みっつ岩広場で野良猫会議にゃ』
こっちにゃ、と何度か振り返りながら先導するので、興味を引かれた。
振り返ればさっちゃんはさっきの場所でまったりしているし、大人が一抱えくらいの岩が転がっているちょっとした広場があるのもすぐそこだ。目の届く範囲にギリギリ入るだろう。
そもそも、こんなところで迷子にもならないけどな。外見に引きずられて子ども返りしているとはいえ、中身は前世と足してアラサーの大人だし。
茶猫に連れられて向かった件の広場には、様々な種類の猫が集まってゴロゴロしていた。俺が近寄っていったことで何匹か飛び起きて逃げだしかけ、それが3歳児のちびっ子なのに気づいて戻ってくる。
まぁ、人間とはいえここまで未成熟だと警戒の対象外だよな。
『おい、クッキー。遅刻した上、ヒトの仔まで連れてくるとは、何を考えてやがる』
頭に大きな傷痕の禿げを作ったトラ猫が代表して前に出てくる。それに、俺を案内してくれた茶猫がウロウロと忙しなく回って足踏みしながら言い訳を返している。
なんというか、セリフ付きで行動を観察していると面白い。
『ち、違うのにゃ。確かにヒトの仔にゃけど、変な仔なのにゃ。面白いから連れてきたにゃ。猫語喋るのにゃ』
『ああ?』
『ほ、ホントなのにゃ! ほら、なんか喋るのにゃ』
むしろ、助けてくれと言わんばかりに俺の足に絡まりながら言う茶猫の行動が、可愛くてどうしよう。
「おもしろいからつれてこられたんだ、おれ」
『そうにゃ! 面白いことはみんなで共有するにゃ!』
『縄張りを守るために近隣の変わった出来事を共有するのが趣旨なんだがな。お前、本当に猫語喋るんだな』
クッキーと呼ばれた茶猫を通り越してトラ猫が寄ってくる。その堂々とした態度と、守られるように後方に固まる猫たちに、彼がこの辺のボス猫なんだと分かった。
威張り散らすだけではなく、ちゃんと守るべき相手を守る頼れるボス猫らしい。そうでなかったら、後ろの猫たちもあんなに大人しく事の成り行きを見守っていたりはしないだろう。
『ふん、良いだろう。特別に参加させてやる』
「いや、べつにさんかしなくてもいい……」
『せっかく来たんだからゆっくりしていけ。俺は床屋のシザーだ。お前は?』
「はると。あそこにいるさっちゃんのむすこ。ってか、のらねこかいぎじゃないの?」
『基本は野良猫会議だが、飼い猫でも外を出歩く奴らは参加する。無駄な縄張り争いを防ぐ会議だからな。外に縄張りを主張する気なら参加は義務だ』
「さんかしなかったら?」
『縄張りを奪われても誰も助けん。それだけだ』
ふむ。猫による相互不可侵協定会議か。ちょっと驚いたな。
それから、猫の輪の外側に位置する岩の1つが丁度腰掛けやすい高さだったのでそこに座って、猫たちによる町内の噂話披露の会を眺める、という流れになった。
どこそこの婆ちゃんが転んで骨折した話とか、烏と雀の群れが電柱争いして雀が勝った話とか、児童公園の片隅に置かれた捨て猫段ボール箱が即日回収された話とか。関係のあるなしは気にせずに手当り次第の噂話が提供された。聞いていて飽きないね、これは。
そうして聞いているうちに、俺に慣れたらしい猫たちに擦り寄られて撫でろと集られたりもして。
そうしているうちに、堤防から下りてこちらへ向かいながらさっちゃんが呼ぶので、タイムアップになる。
「さっちゃんがよんでるからかえるね」
『また来いよ』
片手を挙げて、バイバイと手を振るシザーが、招き猫に見えて仕方なかった。