雀と青鷺 終
「青鷺さん!」
出立直前に突然倒れた青鷺に、雀が駆け寄る。
後から兄の白鷺、師匠である蓮も走ってきた。
「青鷺、おい、どうしたしっかりしろ!」
白鷺が青鷺を揺さぶるものの、青鷺はぐったりとして動かない。蓮が自身の手を青鷺の額に当ててみる。
「…すごい高熱だ」
「青鷺さん、しっかりしてください!」
「白鷺、出立は取り敢えず後回しだ!青鷺を中に入れて寝かせろ。雀ちゃんはまとめてある荷物の中から、黒い風呂敷の荷物を持ってきて、その中に治療器具が入ってるから」
「間違いない、風熱だ。しかもかなり重症らしい」
「そんな…」
出かけた屋敷に立ち戻り、寝かされた青鷺の診察を終えた蓮ははっきりと言った。雀の顔が青ざめる。
「本人の意識がないから正確なところは分からないが、これほどの高熱ならば病状はかなり進行しているとみてほぼ間違いないだろう。喉にも酷い炎症があるから喀血していた可能性が高い。本来なら声も出せないほどだろうが、強い薬で無理矢理抑えていたらしい」
雀は青鷺の部屋の畳に残された一箇所の真っ赤な染みを思い出した。激しい発作の中、夜中に喀血したものだろう。
「この馬鹿が!なんで隠してたんだよ!」
「こいつは昔から無駄に強い正義感をここでも発揮したんだろう。おそらくさらに風熱が広まることを恐れて、風熱で死ぬのを自分で最後にしようと思ったのだろうな」
「んな…この愚弟が…」
「本来ならいくら重症化してから気づいたとしても他の者に言ったとは思うが、おそらく雀ちゃんを風熱から守りたかったのだろう。青鷺が風熱だと聞けば、雀ちゃんが看護したがるのは本人も分かっていただろうし、単に雀ちゃんを守りたかったのかもしれない」
雀は力なく崩折れた。どうして側にいたのに気づかなかったのか。いつも青鷺を思っていたのに…
「青鷺さん…そんなの…」
「雀ちゃん…」
雀の頬を伝う雫に、蓮は口を閉じた。
「そんなの、私のためになんかならない。私は青鷺さんがいなきゃ生きていけないのに…意地悪ですよ…」
「雀ちゃん、俺のせいだ。あいつの血の繋がった唯一の家族なのに、あいつの異変に気づかなかった…」
雀はふるふると首を振る。
「白鷺さんのせいじゃありません。私のせいです。ずっと想っていたのに気づかなかった。それに、青鷺さんは私のためになんかに病気を隠した。青鷺さんをこんな目に遭わせたのは、私なんです…」
「いや、誰のせいでもない。青鷺が苦しんでいるのは、星輝のせいだ。風熱のせいだ。それに、青鷺はこの病の理由を見つけた男だ。自分がこれで死ぬはずない。しっかり治療すれば治るはずだ」
蓮の言葉に、雀が反応した。
「私、青鷺さんの看護をします。いや、させてください!!」
「雀ちゃん、嬉しいけど移るかもしれない病だ。それに青だってそれを懸念して病を隠したわけで」
「嫌です!青鷺さんが、青鷺さんが私のことを想ってこんなになるまで我慢していたんですよ?私だって青鷺さんに想いを伝えたいんです…愛してるって」
雀は躊躇いもなく言った。
雀の心からの叫びを聞いて、白鷺ははっとした。
「師匠?」
蓮も、一瞬迷いの表情を浮かべたもののゆっくりと頷いた。
「分かったよ、雀ちゃん。青鷺を…弟を助けてくれ。きっと、今の青鷺には雀ちゃんの気持ちが一番の薬になる。頼む」
白鷺は額を畳につけてまで深くこうべを垂れた。
雀も慌てて頭を下げる。
やがて頭を上げた白鷺は、再び言葉を続けた。
「でも」
「え?」
「あんなに内気だった青鷺が、雀ちゃんに出会ってからすっかり変わった。風熱の原因を突き止めるくらいに成長してさ…こんな愚弟だけど、俺の唯一の家族が雀ちゃんのような素敵な人の愛に包まれて誇らしく思う。ありがとう」
雀はもう一粒頬に涙を光らせて、頭を下げた。
その後から、雀による青鷺の懸命の看病が始まった。
蓮や白鷺、村の人々でさえ総出で薬草を探したりして青鷺を心配した。皆、風熱から村を救った青鷺の恩に報おうと考えていたのだ。
しかし、青鷺の病状は決して良くなかった。
「やだ…こんなに冷やしてるのに、まだ燃えるみたいに額が熱い。白鷺さん、もっと氷と汗を拭く紙を下さい!」
「氷はいいけど、紙はもうないよ、どうしよう雀ちゃん」
「なら、私の部屋の奥から木箱を持ってきて下さい!」
しばらくして戻ってきた白鷺の腕には、古ぼけた木箱があった。
「雀ちゃん、これ?」
「そうです!確かいい紙があったと…」
「これは、まさか…あの、東風様からの手紙…?」
「そうですけど、何か?」
「何かって、あの東風様からだよ?!現兵部大臣の遠衛雁行の跡取り息子、遠衛東風!まさか、あの東風様から口説かれていたの?」
「そうですけど?」
「…」
「そんなに凄いことじゃないですよ。そもそもあの方は女好きですし。今この時も、私の従姉妹にあたる近衛鈴菜さんを口説いていると噂ですしね」
「でも…!もし雀ちゃんが承諾さえすれば、一生兵部の奥方として豪華な生活も名声も欲しいままにできるんだよ?!」
「今この一時は私を落とそうと夢中でも、私が首を縦に振ればすぐに私に飽きるでしょう。それに、もしもあの方が一生私を愛するといったとしても、私はあんな飽きやすい、傲慢な人と一緒になんかなりたくないんです。私が好きなのは、たとえ裕福でなくても、青鷺さんただ一人です」
「雀ちゃん…」
白鷺は、目の前の少女の弟への想いの強さを実感した。今この瞬間も、手紙箱の中の青鷺の手紙…東風の何倍も拙い、短い手紙の数々…は、大切にとっておこうとしているのだから。
(青のやつ、幸せ者だな)
白鷺はふっと笑みを浮かべて、青鷺の看病を再開した。
しかし、その日の夜になっても青鷺の病状は良くなかった。
「蓮さん、青鷺さんの熱が全然下がりません…」
「白鷺!解熱剤は飲ませたか?」
「もちろんです。でも、これ以上飲ませるとちょっと危険かもしれないですね」
「まずいな…」
青鷺の額には幾多もの汗が光り、呼吸も浅く、苦しげだ。雀はたまらず青鷺の手を握った。
「青鷺さん、頑張って下さい。一人にしないで…置いていかないで」
蓮は、風熱で白鷺と青鷺の母が死んだときの幼い兄弟を思い出した。必死にしがみつくのも構わず、風熱は容赦なく大切な人を奪い去っていく。
また一人、今度は風熱を根絶した者の命を奪い去っていくのか。
「今夜が、峠だな」
その夜、雀はひと時も青鷺から離れず、必死に看病した。白鷺や蓮も交代しながら、決死の治療を施した。
しかし、青鷺の病状はいよいよ悪くなった。
一際苦しげな青鷺に、三人は声をかける。
「青、頼むから目を開けてくれ!お前がいなくなったらとうとう俺は一人になるんだぞ!お前は俺なんかよりまだこっちでやることが山ほどあるだろ!雀ちゃんを悲しませていいと思ってんのか!」
「青鷺、頑張れ。風熱を根絶したのはお前がいたからだろ?自分自身がやられてどうする!」
「青鷺さん、お願いですから私を置いていかないでください!愛してますから…」
(私、今まで青鷺さんがここを離れて、離れ離れになるほど辛いことはないと思ってた。でも、違う。青鷺さんと永遠に会えなくなるなんて…恋愛感情を抜きにしても、青鷺さんが死ぬほど大切。せめて、せめて助かって欲しい…)
「青鷺の鍼があればどれだけ心強いことか…」
蓮の呟きに、雀は改めて青鷺という存在の大きさを感じた。
そして、青鷺を励ます人物がもう一人。
夜更け、青鷺の看護に疲れてそのまま青鷺の横で眠る少女の背中に布団がそっとかけられた。
「馬鹿娘が…」
ここ一帯を治める郷主は、愛しい娘とその娘が死ぬほど愛する男を見つめた。
「こんな馬鹿娘、いつだってくれてやる。だから負けるな…これ以上、娘を泣かせるんじゃない」
夜明けがやってきた。
ふと目が覚めた雀は、握った青鷺の手のひらがすっかり冷え切っていることに気づいた。
どきりとして、青鷺の頬を触ると、昨日までの熱はどこへやら、こちらも冷たい。
慌てて脈をみれば…
(嘘…)
青鷺の脈は、止まっていた。
「嫌!やだ、やだ!青鷺さん、青鷺さん!」
雀がその名を呼んで青鷺を揺さぶるも、青鷺はぴくり
とも動かない。
雀は崩折れて青鷺を抱きしめた。
「置いて、いかないで…」
一瞬とも永遠とも思える時が過ぎた時、雀はふと顔を上げて庭を見た。
そのとき、そこにいたのは、青鷺。
といっても、鳥の青鷺である。
そこには、美しい青鷺がすっと凛々しくたっていた。
鏡のような池の水面にその姿をうつし、雀は思わず見惚れた。
青鷺は屋敷の方向を見、大きな翼を広げた。
驚いて立ち上がった雀の頭上を、大きな青鷺が飛んでいく。息を飲んだ雀に残されたのは、一枚の羽根。
あっけにとられている間に、青鷺は青空へと飛び去っていった。
すると。
「ん…?」
雀の横で眠っていた青鷺が目を開けた。
「青鷺さんっ!」
「雀ちゃん…?」
「青鷺さんの馬鹿!心配したんですからね!死んじゃうかもって…どうして隠したりしたんですか!」
「雀ちゃんのことが、好きだから」
「えっ…?」
「目覚めることができたら、真っ先に言おうと思ってたんだ。雀ちゃん、僕と結婚してくれないか」
「青鷺さんっ…!」
「熱にうなされてたとき、雀ちゃんが励ましてくれてるの、分かってて。雀ちゃんのこと、愛してるんだって、気づいて。死ねないって、思った」
「当たり前じゃないですか!」
「雀ちゃん、僕の妻になってくれる?裕福じゃないし、この町を離れなきゃならないし、何より僕なんかを愛してくれる?」
「…もちろんですっ!もう、愛してます…!」
雀は青鷺を抱きしめた。
「しょうがないな」
その時、襖からこの屋敷の主人が顔を出した。
「お父様!」
「青鷺くんか。全く、東風様の話を聞けといったのに聞かない馬鹿娘め。ふっ、でも雀、今、幸せなのか?」
「もちろんです、お父様」
「ならいい。反対しようかとも思っていたが、雀が幸せなら。青鷺くん、お前にやろう」
「義父さん!」
「ただし、もう二度と戻ってくるんじゃないぞ。いつまでも我儘娘の面倒はみれないんだからな」
雀は、父のぶっきらぼうな言葉の裏に、深い愛情を知った。見てしまったのである…父が隠れてそっと涙を拭うのを。
奇跡的な回復をみせた青鷺と雀は、その一週間後、めでたく結納の儀を迎えた。
「いや、まさかあの青が俺より先に嫁をもらうとはね」
「すっかり遅れをとったな、白鷺」
不満そうな白鷺に、蓮は傷に塩を塗った。
「蓮の弟子かー、蓮も遅れないように頑張れよ」
「いつまでも初恋の『紅の姫君』なんかに夢中のお前に言われたくないな!」
さらに蓮の友人、白明もやってきて、三つ巴の塩塗り合戦が始まった。
そしてその時、白無垢姿の雀が現れ、青鷺だけでなく集まった人々全員が歓声を上げた。
その姿は可愛らしい、まさに幸福に溢れた小鳥のさえずりで包まれて祝福されているようにみえた。
それは馬鹿娘と言っていたはずの郷主が娘惜しさに泣き始めてしまうほど。
見慣れているはずの青鷺が惚れ直すほど。
「雀、愛してる」
「青鷺さん…私も、愛してます」
「ずっと一緒にいてくれる?」
「絶対、離れません。離しませんからね!」
こうして、雀と青鷺は若くして晴れて夫婦となったのである。
「そっかー、それで雀ちゃんはいつも髪に青鷺の羽根をさしてるんだね」
「そんなことがあったなんて、知らなかった」
「青鷺さん寝てましたもんねー」
「うわっ雀ちゃん怖い!」
「あれっ?患者さん来ました?」
「そうだね、ほら、行くぞ青鷺!白鷺が留学に行ってて忙しいんだから!」
「はいはい」
「青鷺さんっ!」
「何、雀ちゃん?」
「これからもよろしくお願いします…あの、愛してます」
「雀ちゃん…僕も愛してる」
青鷺は雀とそっと唇を重ねた。
拙作を最後までお読みいただきありがとうございました。取り敢えず書いた分はこれで終了ですが、後日番外編を一本くらい書くかも知れません。
また感想などお聞かせくださいませ。




