なんなの
「……ふう」
一息ついて、彼の淹れて煎れてくれたコーヒーをゆっくりと口に運ぶ。95℃くらいの温度だと、コーヒーは美味しいって聞いたことがあるけど、ここはそれと比べると少しぬるめ。
諸説あるはずだから、どれが正解ってわけでもないのだろうけど、猫舌な私には丁度良い。だけど、釘は熱いうちに打て、が私の料理に対する心情だから、美味しいものに辿り着くためならば、と上顎の火傷を負った回数など数える気にもならないほどだ。
(それにしても……)
そう感慨にふけて、木製のナチュラル色の背もたれに背中を預ける。ちょうど鼻腔をまだくすぐっている香りの正体は、さっきまで彼が挽いてくれていたコーヒー豆の匂い。
さっきまで香っていたバターとミルクの香りを消すことなく、落ち着く雰囲気を引き出してくれている。死んだ父が好んでコーヒーを飲んでいたことを、ふと思い出す。
「足りましたか?」
あ、と声を出すのも遅れるほど、私は感慨にふけていた。カップを包み込むように持ち、湯気の先を眺める。真白い天井。でも、病院のそれとは全く違う。温もり感じる白。
「……」
「……あ」
ようやく出たぞ、私の声。催促されたわけではなかったが、彼の目が私に向いていることに気づいて、そこに偶然私が気づいただけだ。
「あ、えっと」
「大丈夫ですよ。急がなくても」
思わず背もたれから起き上がった拍子にコーヒーをこぼすしそうになる。
「あ、あの…」
『……グゥ』
そう言いかけて出てきた音は腹の虫。もうなんでこんな時に。
「……実は昨日から何も」
「昨日? 何かあったですか?」
「う、うそ! ほんとは一昨日から……」
「一昨日……って、取材に来てくれたあの日からずっとじゃないですか!?」
どうして、と言わんばかりの表情で彼が見てくる。
「どうして、そんなことに」
言ってもきたわ。
「ま、まぁ、簡単なお菓子とかは簡単に摘んでたんだけど、いわゆるちゃんとした食事は、食べる気が起きなくて」
「何か、僕の出したケーキでお腹壊したりしてないですか?」
「いや、それは絶対にないですよ。あのケーキ自体は、欠点のない完成された一品でしたし……」
「だけど、満足はされてなかったですよね?」
「そ、それは……」
「僕のジ…師匠から教えてもらったんです。ごちそうさま、その言葉が出てようやくお客さんは満足してくれたんだよ、って」
え。
「……椿姫さん?」
「その、方の、名前は?」
「あ、えっと」
「……?」
「実は、師匠、僕の義理の保護者でもあって……昔から『ジイさん』って呼び方しかして来なかったので、恥ずかしい」
義理の保護者……? 名前を知らない……?
「雑誌に顔が出てたんですけど、この人なんです」
見やると、そこには『吉原喜作』と書かれた髭の長いおじいさんが写っていた。ここに、名前書いてあるけど……
そう意味を込めた目線を彼に向ける。
「なんか作りますね!」
「は、はい」
彼は、わざとらしく厨房へ行ってしまうのだった。