譲れないの
カタカタ、と律動的な音が深夜のオフィスに響いている。終電はなくなり、同僚のほとんどが帰宅し、私だけがこの音を響かせている。理由は、私のいる会社がブラックだからというわけではない。単に、私が頑固なだけなのだ。
今回の春日井さんのお店の料理は、確かに良くできたものだった。見栄え、味に至るまで確かな技術と経験から生み出されたものである事に違いはない。だからこそ、デスクが勧めた理由にも納得するし、正直当たりの店だと思った。今回こそ、良い記事が書けると信じていた。
「……」
でも、そうはならなかった。今日も、何度デスクと喧嘩したのか分からない。その言い合いの内容もハッキリと覚えてる。
『だから、お前は1つの味に固執しすぎなんだよ! だから、いつまで経っても読者の参考になるような記事がかけないんじゃないか!』
『それでも、私は納得できません! 彼の料理には……決定的に欠けてるものが』
『だから! そんな事にいちいち拘っていても、何の得にもならないんだよ! 少しは俺の意見も聞け!』
『聞いてますよ! だから、認めてるじゃないですか! 味とか技術とか!』
『それで書き上げてきたのがこれか! ……類稀なる技術の元に作り上げられた奇跡の一品』
『ほら! 褒めてるじゃないですか!』
『……満足感に関してはもう少し。こんな事書いといて、偉ぶれるわけないだろ!』
『いつもよりは甘口ですよ!』
『何様だお前は!』
……とまぁ、こんな感じの言い合いを周囲が冷たい視線を向ける中で繰り広げていたのですよ。軽く小一時間ほど。
軽く伸びをして、周囲を見渡す。もう一度言うけど、職場には私1人だ。明かりは
自分の机で作業ができる程度の照明を点けている。暗いなぁ。
空の指で、タバコをふかす仕草をしてみる。そういえば、ずっと何も食べてないな。パソコンのキーボードを叩きながらお菓子は食べてたけど。満足な食事は、昨日の取材で食べた一口のケーキから一切摂ってない。
「……仕方ない、かな」
そう呟き、走らせて書かれていく記事には、まるで私の言葉ではないような文字ばかりが羅列されていく。
読者の需要に合わせた文章を書いていく。私の神経はすり減っていく。でも、これで帰ることはできる。
「あー、タバコ吸いたい」
やっぱりいくら私が言葉を発しても、何も返ってこない。それと同じように……。
きっと、彼の味はどうしようもないくらいに変わりようがないのだろう。