イニシャル KtoH
ご想像にお任せ小説です。
ある日、酷い大喧嘩をした。
きっかけは本当に些細な事で、
その綻びから今まで押し込めてきたものが
次から次に漏れ出てきた。
なんで、どうしてから始まって、
だから、じゃあで掴み合い、
そしてもう嫌だ、もう良いよで家を出ていき
喧嘩は中断。
茜空が黒くなるまで、
僕らは形の違うパズルのピースを、
無理矢理当てはめる様に争った。
大抵投げ出すのは僕の方で、
ネオンの灯り出した街を、
今にも消えそうな星を数えながら宛もなく歩いた。
友達を誘ってみようかと思って、
スマホをポケットから取り出すと、
LINEと電話の通知が縦にうんざりする程
長い列を成していて、
すぐにそれをポケットに戻した。
落とした視線を上げると、
いつの間にかブランド店が建ち並ぶ通りに
迷い込んでいたらしい。
場違いにやさぐれていた僕がくるりと踵を返すと、
車のヘッドライトに何かが反射して
僕の行く手を邪魔した。
ショーウィンドウに飾られていたアクセサリーが、
何故かとても安物に見えた。
広告の文字は
『言葉に勇気を、誓いに愛を。』
フッ、と鼻で笑った途端に、
バチが当たった様に雨が降り出した。
急いで近くにあったコーヒーショップに入り、
勢いでキャラメルラテを頼んだ。
カウンターの女性が、
カップを渡す時
「暖まって下さいね。」と言ってくれて、
少し心が温もった。
通りに面したテーブルで気を付けながら
服の雫を払い、
スマホは無事だろうかと取り出すと、
通知が増えていなかった。
アイツの事だから、
こちらが出るまで執念深く
発信し続けていると
思ったが、最後の「待ってる」で通知は
終わっていた。
ラテが冷めきった頃、
ようやく僕はそれを一気に飲み干し、
その後雨が小雨程度になった頃、
店を出た。
身体はもう温めた、
待たせる訳にはいかない。
思えば僕は、
いつも大切な面倒事を放り出し、
その挙げ句天罰が下り、
後悔するという事がお決まりになっていた。
そしてその原因の大半がアイツで、
逃げ出した僕を見つけて謝るのもいつも
アイツだった。
毎回そうだ。いや、そうだった。
今度も逃げはしたが、
この後はもう、
前までの卑怯で天邪鬼な僕じゃない。
大股で歩いて少し弾んだ息で、
さっき嘲笑った言葉をつぶやく。
「言葉に勇気を、誓いに愛を。」
今ではそれが、魔法の言葉のように思えた。
目当ての、煌めくそれが見えた。
街灯を伝って帰路を急いだが、
家には鍵が掛かっていた。
どうやらアイツは居ないようだ。
「待ってるって言った癖に…。」
駆け上がってきた階段を駆け下り、
電話を掛ける。
身体はもはや熱く火照っていた。
何回か掛けたものの、
アイツは一向に出なかった。
いつもは早押しクイズの如き速さで出る
アイツらしくなくて、
それがなんだか不安で、
僕は何処にいるかも分からない
アイツの元へ走った。
片手は大きく振り、
もう片方の手はスマホを耳に押し付けは離し、
タップしてはまた耳に押し付けた。
発信履歴がアイツの名前で埋まりそうになった時、
プツッと僕とアイツが繋がる音がした。
深夜の公園前で、
僕らは同時に言葉を送った。
「今何処にいる?!」
「待ってるって行ったじゃん!」
重なった声は聞き取れず、
何秒か気まずく僕の息だけが鳴っていた。
どっちもなかなか話し出さないので、
先に僕がまた直前の言葉をそのままに言った。
するとアイツは震える声で一言、
ごめん、と謝った。
僕は今はいいから居場所を教えろと言うと、
アイツは少し不機嫌そうに
「今から帰る。」
とだけ言い、電話を切った。
数分後、階段に座って待っていた僕の元に、
アイツが帰ってきた。
バツが悪そうに目を逸らして目の前に立ったまま、
何か言おうと言葉を探している姿が、
とても愛おしく見えた。
なんだか立場が逆転したね、
と僕が立ち上がりながら言うと、
アイツは少し笑った。
その後僕らは揃って家に帰り、
とりあえずソファに並んで腰掛けた。
また気まずい沈黙が二人の間に壁を作っている、
さあ、今から壁をぶち壊さなければならない。
僕は密かに一つ深呼吸をすると、
アイツの方に向き直り、
勇気を言葉に乗せた。
「ごめん、それから、ありがと。」
「ん。」
アイツは喧嘩していたのを今思い出したかのように
眉間に皺を寄せた。
怒ってる?と聞くと、怒ってると言い返し、
だよね、と言うと、当たり前と返すものだから、
埒が明かない。
数十分前の計画は脆く崩れた、
でもまぁ元々キャラメルラテの甘さに
浮かされて作った計画だ、
いっそとっぱらった方が自分らしい。
僕はアイツの手を取り、
目を見て誓った。
「いつも探してくれて、許してくれて、
ご飯作ってくれて、掃除してくれて、ありがとう。」
アイツはきょとんとして言葉を失ってる、
ちょっと不服だが、チャンスと見てさらに続ける。
「気遣ってくれたり、甘やかしてくれたり、
ホント…お節介だけど、ありがとう。」
アイツの見開いた目が細められ、
頬が赤くなっていく。
「考えたんだ、お前の事…真剣に、だよ?
もう、逃げるのはやめるから、だから…。」
ここまで来て上手く言葉が出てこない、
焦ってまた誤魔化す前に、
またあの魔法の言葉を心の中で唱えた。
勇気を出せ、愛を誓え。
「こんな馬鹿で、意地っ張りで、
浮気性で泣かせてばっかな僕だけど…
お前を愛してるから、ずっと大切にしたいって…
一緒にいたいって思ったから、だから…
この指輪を受け取ってくれますか?」
勇気を出して、指輪をアイツの左の手の平に乗せた。
笑って泣きながら、アイツはゆっくり頷いた。