3章【enforcement】
晴れ渡る青い空に真っ白な銀世界。そこをひたすらに歩き続ける。
時折、どこからともなく現れる白狼や巨大な白毛の猿などとの戦闘になる。
しかし、ドライアーツの痛みにも慣れてきたのか、ある程度なら耐えることができるようになった。
「私、少しも強くなっているのかしら……」
両手を握りしめたり緩めてみたり。実感こそないし、この世界に来てからさほど時間も経っていないと思う。
「ドライアーツとの同調が良くなったのだろう。それは心の強さによって変化する」
「心の強さ、ね……」
ギリアスの言う通り、ドライアーツの反動に耐えうる力が心なのだとすれば、この世界の人間の心は、既に壊れているのかもしれない。
私がすべきこと、それを明確にしなければならないだろう。
世界の救済への道しるべとなるか、神のように傍観者となるか。
雲行きによって急に吹きすさぶ、立ち尽くせばたちまちに雪だるまにでもなりそうな猛吹雪。それに耐えながら徐々に歩を進める。
私たち五人が目指すグリッツキングダムはこの雪山の頂上付近にあるという小国だ。
ギリアスに流通の中心と聞いた国のハズだったが、その真意は、グリッツの保有する貿易商組合がリオアヒルム全土の流通を担っているというだけで、グリッツ自体を中心に商人が行き来するわけではないらしい。
その上、お国柄というやつか、武人が多いことで知られている所以がこの雪山だ。
極限の環境下で己を鍛え上げ、国の長を目指すシステム。カインが王になってからもその風習は根強く残っているとか。
「それにしても、まだ着かないのかしら?」
「それには俺も同感だぜ」
私の愚痴に賛同するエルキア。
彼は両腕に魔女二人を抱えたまま歩みを進めている。サラシのような包帯を所々に巻いて入るもののその上半身はほぼ裸だ。
「エルキア、あなたそんな格好で寒くないの?」
「あ?そうだな………こんな肉体労働してる真っ最中だし、ここの近くにある別の雪山で山篭りしたこともあっからよ。こういうのは慣れってやつだ」
いや絶対寒いでしょ。
そう言いかけたけれど、言葉にも詰まらず身体の震えも見て取れないあたり、本当に大丈夫のようだ。
「あと半日も歩けば着く」
さらっと答えるギリアスの声はどこか平坦だ。
リレイアが連れ去られてほぼ一日。食事の時でさえ、彼はほとんど口を開くことをしなかった。
それだけ彼にもストレスが溜まっているのだろう。突然現れるモンスターに八つ当たりの如き猛攻を叩き込んでは、そのまま切り捨てて先へ進んでいく。
その無機質な戦いぶりを私としてはあまりよろしくないものだと思う。対してエルキアは、両腕に魔女を抱えているせいで前線に出れないことに苛立ちを見せていた。
雪山の頂上に位置するだけあって、その城は外も中も氷が根を生やして成長しているかのように凍てついていた。
凍りつく城内の最上階にしてグリッツキングダムが誇る最強の騎士、青の王が玉座に構える王の間。
その玉座の近くで天井から降りる氷柱が小刻みに揺れる。
「…………」
鞘に収めた状態の剣を自分の目の前に突き立てて座ったまま、その人物は微動だにせず、その時を待っていた。
静寂の中、慌てた様子の兵士が門を開けて入ってくる。
「報告します!城の一階にて侵入者あり!数は一!現在、城内の兵が交戦中ですが、損害多数!いかがいたしますかッ!」
その兵士の動揺した顔つきを見ると、事態はかなり深刻な様子。
「近衛を出す。至急、現存の兵を三階まで撤退させよ。そこで迎撃する」
「ハッ!」
先ほどと同じようにバタバタと部屋をあとにする兵士を見送る。
再びの静寂を取り戻した室内だったが、氷柱の揺れだけが一向に止む気配がない。
「近衛では足りぬかもしれん………」
竜をかたどった兜の中で目を閉じ、そのただならぬ狂気を感じ取る。
この気配は人間のそれとは違う。魔族にも似た殺意、『赤の魔女』ディアナだ。
そしてしばらくもしない間に、門が再び重々しい音とともに開いた。
「オイオイ、カイン。それは俺たちが負けるって言いてぇのかよ?」
「口の聞き方に気をつけなさい、バルザ卿。貴様には近衛の騎士としての自覚が足りません」
「私はどうです!?私はちゃんとできてますか、まりゅべ……マルベリッヂ卿!」
ゾロゾロと門を開けて入ってくる多種多様な種族たち。
グリッツキングダムが誇る近衛騎士にして青の王直属の眷属である。
それを見て玉座にたたずむ人物、カインは口を開いた。
「バルザ卿、此度の相手はあなたでも手こずりますよ。断言します」
「アアァ!?俺がやれねぇってんなら、テメェか黒の鬼神ぐれぇなもんだろうが!」
今回のガルロッテ陥落で各国の情勢は一変した。
ルヒトにいた赤の魔女がここに来たのも、平和という均衡が崩れたものの現れだ。だがなぜ今、このグリッツを攻める必要があるのか、それだけが分からなかった。
「七色の王であろうとなかろうと、侵入者には裁きが必要でしょう」
十一人の騎士たちの後ろからゆっくりと歩を進めてきた男。
グリッツ青十字騎士団の長にして一騎当千の将、ジル・ブラムス・グリッツ。
その名の通り、元グリッツ王家の末裔という家柄の出であり、王位決定戦においてあと二勝というところでギリアス・ブラッドフィールドに敗北した騎士。
しかしながら、彼も相当の実力者であることに変わりはなく、ここにいる誰もがその腕をかっている。
「我らグリッツ青十字騎士団、ここに参上しました」
胸に右手を当ててその場に跪くジルに続き、他の十一人全員が恭しく膝を折った。
人間に獣人、竜族と人間のハーフの竜人族にエルフ、ドワーフなど、その見た目や人種は様々だ。しかし、その一人一人の技量はこの城に仕える屈強な兵士よりも頭ひとつ以上抜けている。
ブラムス卿。彼は言わずもがな、この近衛騎士団の長であり、剣の腕では『黒の鬼神』、ギリアスと渡り合ったほど。
バルザ卿。根っからの戦闘狂で、そのドライアーツも鎖で繋がれた三つの棒を自由自在に振り回すフリーダムっぷり。しかし、獣人であるゆえに、愛らしい虎の耳や尻尾が国中の子供を中心に人気を高めている。
マルベリッヂ卿。エルフ族の美しい女性であり、他の種族にも慈愛の心を持って接することができる、エルフにしては特異な存在。本来は弓使いなのだが、実のところは近接斬撃が得意だとか。
ハルメリア卿。ドワーフ族ゆえに幼い少女の姿をしているが、その実力はかなりのもの。マルベリッヂ卿に懐いており、彼女のような騎士でありたいといつもくっついている。
十二人それぞれが超一流の騎士であり、七色の王の選出メンバーがグリッツに集中する日も遠くないと言われるほど、群を抜いた集まりなのだ。
「よろしい。卿らには侵入者の排除を頼みたい。既に三階まで兵を撤退させてありますので、そこへ急行してください。他の者では足止めにもなりませんから」
カインはため息にも似た声で命じ、頭を抱えた。
「敵は『赤の魔女』、ディアナただ一人。卿らの奮戦を期待します」
「「ハッ!!」」
「おい、カイン!このゴミ処理が終わったら俺と手合わせ願うぜ!」
「楽しみにしていますよ、バルザ卿」
ゾロゾロと門の外へ向かっていく騎士たちを見て、再びカインは口を開いた。
「ブラムス卿、あなたは少し残りなさい。他の者はマルベリッヂ卿の指示で行動するように」
その場にいたカイン以外の全員が疑問の顔つきだったが、統制を乱すことなく、そのまま退室していった。
扉が閉まりきり、もう一度ジルがカインの目の前にやってくる。
「私に何用ですかな、王よ」
恭しく膝を折る彼。
「我が目を欺くことはできませんよ、ジル。赤の魔女に唆された……いや、ゴディバルトですか」
「はて、何のこと……」
「あなたは先ほど、七色の王が攻めてきていると、自ら語っていたではありませんか。内通者としての才覚はあなたにはないらしい。それに、言ったはずです。我が目を欺くことはできないと」
顔を上げてカインの目を見る。だが兜越しに見えたその眼に圧倒され、彼はすぐに目を逸らした。
「ククク………ハッハッハッハッ、さすがは『青の勇者』カイン・ブラッドフィールド………相手の全てを見通すドライアーツとは恐れ入った。よもやそんなものが存在するとは」
高々と笑う彼はゆっくりと立ち上がり、背中に顕現させた大剣を引き抜いた。
眷属に与えられる力ゆえにその大剣は青い光を纏っているが、それはどこか純粋さを欠いていた。
「バルザ卿に殺られては私の武勲がなくなりますからな。この好機、逃すわけには参りませぬ」
「ゴディバルトに何を吹き込まれたのかは分かりませんが、一つだけ忠告をします。あなたは私には勝てない、ジル」
「ぬかせぇッ!」
マントを翻しながら玉座への階段を駆け上がり、ジルは大きくその剣を振りかぶった。
が、その攻撃は強大な力によって弾き返される。
「青の王……いや、カイン・ブラッドフィールド。貴様、何をした……」
反動で階段の下まで飛ばされたジルは体勢を立て直し、目の前に剣を構え直す。
対するカインは玉座に腰掛けたまま、その手にある剣の持ち手にさえ手をつけていなかった。
「あなたはとても大きな誤解をしています、ジル。私の兄のギリアスと戦った時、何もおかしいと思いませんでしたか?」
「なにを……」
「彼は左手で剣を持ち、利き手である右手は添えるだけで一切の力を加えていなかった。そんなことも知らずに自分は強いと思い違いをしてきたのでしょう」
カインの言葉は侮辱というよりも哀れみのニュアンスが強かった。
ジルは驚いた様子ではあったが、それがどうしたと言わんばかりの顔で口を開いた。
「私は世界に名を轟かすグリッツの将だ!そのような事実があろうとなかろうと、我が剣にかなう者はいないッ!黒の王とて、かの王の力の一部を手にした私ならば、もはや敵ではない!そしてそれは、貴様も同じだッ!」
小さく溜め息を吐いた。
そしてカインはゆっくりとその場に立ち上がり、鞘の部分を掴み、剣を持ち上げる。
「あなたの邪悪極まりない瘴気の正体はゴディバルトの研究成果といったところでしょうか。まあいいでしょう」
自らの剣の柄を握り、その刃をあらわにする。
青く輝くそれは王にのみ許された絶対のドライアーツである証だ。その光が部屋中の氷に反射して空気中の微粒子さえも見えるほど。
「王位戦の時は模擬刀でしたからな………なんと猛々しい輝きか」
「眷属の失態は主君たる私の落ち度に変わりありません。ここで粛正をくだします」
ぶんと振るわれた刀身は纏っていた光を弾き、剣としての形に収まる。
同時にジルの身体は自然と強ばった。
剣の勝負は大抵、目が合った時に決まる。
これはカインの兄、ギリアスの言葉であり、グリッツにおける強者の心得でもあった。
この国に生きる者ならば心に刻まれたそれを忘れることはなく、その真意を理解している。
「ハハッ………ハッハッハッハッ!………何ということかッ!まるで蛇に睨まれた蛙!絶対の力を前に奇しくも心躍るこの愉悦!敗北を免れないこの状況で、武者震いすら止められぬこの絶望で!戦士としての狂気が初陣の兵士のように躍り出てくるッ!」
彼の握る大剣はカタカタと音を立てて震え続けている。その鈍い光を必死に留めながら。
「あなたの行動の全てを理解できていなかった私の不徳諸共、この一刀で断罪します」
ゆっくりとしたモーションで剣を体の横にピタリとつけて構える。そのゆったりした動きとは裏腹に、次の瞬間には階下のジルの正面に立っていた。
「ッ!!このォォォォオオッ……グッ………」
彼の咆哮は途絶え、部屋に広がるのは声でなく、その足元にできた血溜まりだった。
「神速の剣技………剣技の頂を見た気分ですな………」
「それは白の王のことだが、彼女に引けを取らぬだけの修練を積んだつもりです」
ジルの腹部に剣を突き刺したまま会話を交わす。
少しずつジルの体から力が抜け、その手から剣を落とし、体重をあずけるようにカインに寄りかかる。
「我が騎士道……どこで、踏み違えたのでしょうな………」
「力を手にしても、その使い方を見誤ればただの枷でしかありません。しかし、あなたはそれを理解していた。それでも足りなかったもの、それはただ一つ…………騎士としての心そのものです」
その言葉を言い放つと、カインに寄りかかっていたジルは小さく笑い、
「なんと………憐れな……………」
声がしなくなるとそのままカインは剣を引き抜き、彼の身体は冷たい床に叩きつけられた。
さらに広がる血の池は途端に凍りつき、そのまま彼に残る体温を奪い続けた。
剣を鞘に収めると先ほどまでの明るさが穏やかに落ち着いていく。
「ゴディバルトの目的が世界征服などといった幼稚なもののハズがない。ジルの眼からはそれ以上の情報が出てこないとなれば………彼はただの駒だった、ということですか」
その場に転がっているジルの死体は既に、周囲の氷と同じ温度になっている頃だろう。
「兵はいるか!」
カインの大声に門の外にいたのだろう兵が一人入室する。無論、カインの足元に転がるジルを見て腰を抜かしていたが。
「前線の者全員に伝えよ。近衛に被害が出た場合、即座に上階へ前線を下げるように、と」
「ハ………ハハッ!直ちに!」
氷に足を取られるかのようにバタバタ急ぐ兵士が走り去っていく様子を見届け、カインは再び玉座まで戻り、静かに腰を下ろした。
「ゴディバルト帝国………何にしても、我が国の騎士を誑かした大罪、償ってもらわねばなりませんね」