2章【gambing】
照りつける太陽はその勢いをとどめることこそないが、周囲の空気は少しずつ寒気が混ざりあって、あまり暑さは感じない。
黒の王、ギリアスとの修行も毎日欠かすことなく二週間。そのおかげなのか、体は疲労で溢れているものの精神的なところがそれを抑え込んでいた。
大陸でも最大の規模を誇る自然深緑地帯、アルーア大森林を抜けると、すぐの場所に小さな集落があるのが見えた。
「あそこで少しも休めるかしら」
つい口から漏れた本音は前を歩くギリアスやリレイアにも聞こえたらしく、
「さすがに私も疲れたよ」
「そうだな。疲労を溜めては戦いにも支障が出るだろう」
二人揃って私の意見に賛成してくれた様子。
モークの街を出てから大体三週間ほど。敵の襲撃に怯える毎日の中で、ロクに休めた日など一日たりともなかった。
改めて、よく自分の身体が五体満足無事にいられたこと。運が味方をしてくれているとでも言おうかしら。こんなありきたりでつまらない比喩をするなんて、やっぱり疲れてるのかもしれないわね。
相変わらず元気なリレイアは、ぴょんぴょんと跳ねながら草原の中を走っていく。
そして、ある程度の距離を保つべくギリアスは少し早足になり、結果として私は取り残される。
いや、森の中でもそうだったけれど、脹脛の辺りなんていつ攣ってもおかしくないわ。私とリレイアの違いって、もしかして小さいようで大きな『歳』の差じゃないかと思えてしまう。
たどり着いたのは『カリバーン』という、特に目立った特徴もない村だった。
村人もそこそこ、石造りの建物、周りを取り囲む畑。少数見受けられる旅人らしい人がいる、いかにも中継地点といった佇まい。
私からすれば、その名前だけが異常に特徴的なのだけれど。
「ここはそもそも、大陸中央と北方を結ぶ拠点としてガルロッテが造った村なんだ。こんな森奥だからか、戦争に巻き込まれることもなかったようだな」
「なるほどね。なんだか平和な風を感じるわ」
息を吸い込むと胸いっぱいに澄んだ空気が、草木や土の香りに混ざりあって入ってくる。
穏やかな風が稲穂や野菜の葉を揺らし、カサカサと小さな音を立てている。なんとも平和、なんとも安泰。
この世界に来て今までに見てきた中で最も時間がゆったりと流れている。
村に入る前、ギリアスは体に纏っていた黒の鎧を解き、その警戒心も解いた。
村人たちからすれば『黒の王』が来た時点で背筋が凍る想いをするのだろう。それが分かっているのか、彼の面持ちも、やれやれといった様子だ。
宿に入ると重い荷物を置き、やっと一息つくことができた。
「意外と広いのね。さすが旅人たちが集まるだけのことはあるわ」
二階建て、全二十五部屋を有する宿舎。二つのベッドと簡素な家具があるだけの部屋だが、それだけでもありがたみが湧いてくる。
「ギリアス、あなたは別の部屋で寝るのかしら?」
ベッドの数と人数を鑑みて私は尋ねてみた。
対するギリアスは小さく微笑みながら、そうだとだけ答えた。
やっぱり女の子と泊まるなんて騎士として色々あるのでしょう。私としてはどちらでも構わないのだけれど、彼としては気が気じゃないでしょうしね。
特に何が起こるわけでもなく、日がな一日が過ぎていく。
結局やることがなくて、この村、『カリバーン』の名前の由来について気になったから昼間、村中を歩き回った。
結果からいえばビンゴ。
大昔から、この村の中心には大岩に突き刺さった剣があり、またその昔、ここにあった村の窮地にその剣を引き抜き、戦ったひとりの青年がいたとか。
その剣の名前が『カリバーン』。災厄を跳ね除け、平和の象徴なのだそう。そこから名前を貰って、ガルロッテによって造られたこの村は『カリバーン』と呼ばれるようになったらしい。
このように地方の伝承は各地にあるらしいが、カリバーンの伝説はかなりメジャーらしく、後にギリアスに尋ねてみると、当然知っている、と鼻で笑われた。
まぁ、こういう知識を集めてリレイアに聴かせているのだろうから、当然といえば当然よね。
村の中を一通り歩き回り、村の中央、噴水近くにあるベンチに座り込んだ。
噴水がある隣に簡易的な柵で囲われた岩。そして、その上にさも普通に突き刺さったままの剣、カリバーン。模造品だったりしないのかしら、アレ。
年に一度の風習なのか、この村ではあの剣を引き抜く行事、『聖剣祭』が行われるという。
男女問わず、挑戦する者も多数いるようで、その日の村はかなりの盛況ぶりを見せるらしい。しかしながら、その剣を抜けた者は未だにいないというのだから、瞬間接着剤かなにかでくっついてるのよ、きっと。
「それにしても、噴水に、岩に刺さった剣に………形はだいぶ違うけれど、アーサー王伝説そのものね」
ため息が漏れるほどにでき過ぎた光景に、思わず独り言を吐いた。
「そんな伝説は聞いたことがないな」
「ヒャッ!?」
急に後ろから聞こえてきた声に変な声が出てしまった。我ながら恥ずかしい。
火照る頬をそのままに、すぐさま振り向くと、日差しを隠すほどの巨体がそこにいた。
「なんだ、ギリアスだったの。女性に後ろからいきなり声をかけるなんて、騎士道としてどうなの?」
鎧を解いたとはいえ、騎士の正装のような格好をしている彼は低い声で笑うと、息を整えて話し出した。
「その言葉は痛いな、すまんすまん。それにしても、オリヒメの世界ではこれに似た伝承があるのか?」
「似たというか、酷似しているわね。湖の乙女のひとりやふたり出てきてもおかしくないんじゃないかしら」
腕を組み頭を傾けるギリアス。どのような話か聴かれたものだから、ざっくりとした概要だけを簡単に教えた。
説明が終わると、ふむと低い声で考え込み、納得したように再び腕を組んだ。
「そういえば、ギリアスはそのお祭りに参加したことはないの?」
「?なぜそんなことを聞く?」
「いや、あなただったら、たとえ剣が抜けなくても、岩ごと持ち上げるんじゃないかって」
思わずその光景を想像して笑ってしまった。彼ならやりかねないもの。
すると、その時だった。
「ギル君にできないことなんてないもん!」
彼のさらに後ろから影が飛び出したと思えば、それはガルロッテ公国が皇女、リレイアだった。
一体いつから彼女はいたのか、そんなことは言うまでもない、最初からだろう。
「ずっとギリアスにしがみついてたの?」
「ギル君ったら、いきなり腕組むんだもん。服が伸びちゃったかも」
マイペースなお姫様はどこか心配そうな目で彼を見つめる。
朴念仁ギリアスはそれを確認するように背中に手を回すが、大丈夫そうだと言って彼女に微笑み返した。
いつも二人は一緒にいるけど、その関係が進むことは正直言ってなさそう。リレイアが可哀想なのか、ギリアスが幼女趣味に走らない理性を讃えるべきか。
「そういえば、オリヒメの髪、前よりも黒くなってない?」
「え?私って白髪とかあったのかしら?」
「いや、そうじゃなくて、なんて言うか、黒艶がキレイになったような」
言われて髪を触って確かめると、確かに以前の薄ら茶色が混ざった色合いのものから、黒さがまして見える。
いきなりリレイアに、『若返ったね』ってよく分からない皮肉を言われたのかと思って内心ヒヤヒヤしたわ。
そんな不毛な考えを巡らせていると、私の目の前を子供たちが走り去っていく。
「次はオレが『青の勇者』な!」
「えーっ!次はボクだよ!」
そんな会話が聞こえてきて、思わずギリアスに問いかけた。
「アレは何?」
対する彼は、『あぁ……』と何とも言えない表情で話してくれた。
「アレは子供たちの間で流行している遊びだそうだ。『青の勇者』の冒険の再現、といったところか」
「まだ北の都までは遠いけれど、そんなに人気があるの、カインって?」
「ある時は竜族と戦い、ある時は魔族を退け、またある時は巨人族との和平を結んだ。そんな猛者が今も尚、生き続けているんだ。世界中に伝説として語られているのだろう」
やっぱりギリアス同様、カインも強いのでしょうね。実力主義的なこの世界で、これほど頼もしく思える仲間はそういないでしょうし。
だが、それ以上に、この世界で自分の実力のなさが目立って仕方がなかった。ずっと考えていたことなのだけれど、正直言って今の私には何をするにも力が足りない。
「ギリアス、今日も練習付き合ってくれるかしら?」
ぼんやりと噴水の周りを駆ける子供たちを見ながら、私はギリアスに話しかけていた。
それを聴いた彼は何かを聞くわけでもなく、ただ静かに返事をし、リレイアを連れて宿舎に戻っていった。
雲一つない空にため息がこぼれた。満天の星空は、元いた世界と違って明るく、空から降ってくるのではないかと思えるくらいに幻想的だった。
昼間に来ていた噴水前の広場は、要所要所に設置された松明の光でより一層、周囲よりも明るくなっている。
夜闇の中とまでは言わないが、私の背丈を超えるほどの得物を扱う彼の動きが、逆に昼間よりも鮮明に見えてくる。
「オリヒメが次にドライアーツの契約を結ぶ時、それはおそらく今持つそれとは違う傾向のものが顕現するだろう」
剣を振り回すギリアスは修行の中で、私にこの世界の情報を教えてくれる。
「それって、理由が、あるのかしら?」
アレほどの大剣にもかかわらず、彼の動きはその辺の亜人種よりも素早い。『鬼神』なんて呼ばれるのも納得がいくというか。
「ドライアーツはそもそも、その一つ一つが唯一無二の存在なのだ。故に、同じものができることはそうない」
「今の、表現だと、できることも、あるみたいな、言い方じゃない、かしらっ!」
一瞬の隙をついて、彼の鳩尾に銃のグリップを叩き込むが、半歩下がられ一歩及ばず。そう易々と入れさせてはくれない。
「左様。『赤の魔女』ディアナのように、銃を二つ操る者もいる。だがそれはごく稀にも見ることのないものだ。対して、二刀流剣士は稀に見かけるがな」
やはりこの世界で『銃火器』はそれほどにイレギュラーなものなのだろう。出た時点でチート、そんな立ち位置みたいね。
確かに、ディアナのように、それに特化した戦い方ができれば問題はない。
だけれど、アニメやゲームでも銃を持つキャラクターが、近接戦闘ばっかするものなんて、私の見てきた作品には一つもなかったわ。
せめて少しでも立ち回りが分かればと思うけれど、参考になる人物さえいない。ある意味、チートどころかノーマル装備以下ね。
悶々とする脳内をそのままに、この日の修行は終わった。
宿舎の中、私はリレイアの待つ相部屋の戸を開こうとした時、ギリアスの姿が突然見えなくなった。
思わず戸に伸ばした手を引っ込めて、来た道を戻ってみる。
「何も言わずに部屋に入っちゃったのかしら?」
思い返せば彼の部屋の場所を聞いていなかった。もしもの時はどうする気だったのかしら。彼も私もリレイアも。
しかし、宿舎の外まで来てようやくそれに気づいた。
「ギリアス、あなたそんな所で何をしているの?」
街中へと歩いて行く彼の姿がそこにあったのだから。
彼は声に気づき振り返ると、困ったように笑いながら首元を掻いた。
「俺は宿じゃなく、近くの河原で寝るとする」
「なんでそんな」
「金がないわけじゃない。たまたまそこに、以前の知り合いが来ているようでな。挨拶してくるだけだ」
彼の言葉から嘘の臭いは漂ってこない。どうやら本当のようね。
ただでさえ今は戦時下。つまり、次はいつ会えなくなるかわからないんだもの。それ位、心の余裕を持ってもらった方が彼の為ね。
「分かったわ。でも、次からそういうことするなら先に言ってちょうだい。リレイアも心配するわ」
あぁ、と言い残すと彼は軽く手を挙げて歩いていった。
この村の朝はかなり早い。
なぜなら、冒険者や旅人たちの中継地点というだけあって、商人の護衛があるとか、遠くの村まで一日で行かなければならないとか。理由は様々だけれど、日が登る前からかなりの賑わいが見て取れる。
その音に気づいて部屋の窓を開けると、陽も昇らぬうちから馬車やら牛車やらが行ったり来たりしていた。
「すごいね!私のお城と同じくらいみんな早起きだね!」
いつの間にか起きて、隣から窓の外を眺めているリレイア。
その表情はなんとも楽しげ。外の世界がどのような仕組みで動いているのか、人々の営みはどうなのか、この少女はまだ見たこともなかったのでしょう。
今後、もしかするとこの子は大陸を統べる王になるかもしれない。だとすれば、この旅が終わりを迎えた時、きっといい王女になるのでしょうね。
「どうしたの、オリヒメ?」
「なんでもないわ。おはようございます、リレイア姫殿下」
「ん?」
きょとんとする彼女に微笑みながら、私はその成長を楽しみに仕度を始めた。
宿舎の一階にあるエントランスに行くと、他の人々と比べて頭二つほど飛び出た男が外を眺めていた。
「おはよう、ギリアス。どうしたの?」
「あぁ、外が騒がしいものでな。おそらく、冒険者同士が腕を競い合っているのだろう」
その視線を追うように外を見ると、人だかりの中心に亜人種が二匹いた。
それらはドライアーツらしき剣を振り回して、砂煙をあげるほどの激闘を繰り広げていた。
「亜人とはいえ、生きとし生けるもの。偏見や差別的意識はそうないのね」
「ここが特別なだけさ。街や国によっては、亜人種を毛嫌いする者もいる。人間という高等種の出来損ないとか、魔族の差し向けた魔人だとか」
この世界にもそういったトラブルは起こるらしい。
こんなの、どこの世界でもそう変わりはしないのね。
それを観戦するように外に出ると、
「なんだお嬢ちゃん、貴族の出か何かか?」
制服姿をジロジロ見てくる人間と亜人コンビ。他国では夢の共演って感じなのかしら?
「いいえ、ただの旅人よ」
「つーことはよ、腕っ節にも自信あんだろ?少しも相手してくれよ」
何気なく発した一言にやけに食いついてくるチンピラもどき。
どうすればいいかわからず、ギリアスの方を見ると、
「オリヒメも十分に戦える力は身につけているはずだ。今後のためにも、少し腕試ししてみたらどうだ?」
そう言って近くの露店でシンプルなデザインの剣を買ってきたギリアス。
それを渡されると、引くに引けず、その輪の中心へと誘われた。
「私、剣なんてまだ持ったこともないんだけど。剣道は小学生の頃までやっていたけど。アニメとかの真似すれば……」
そう思ったが、夜の鍛錬のことをふと思い出した。
彼の太刀筋を真似するんだ。
頭の中には、毎晩かわし続けてきたギリアスの剣技が刻み込まれている。その通りにできれば、あるいは。
「よっしゃあ!賭け金はオレに傾くし、オレが勝てば儲かりモンだぜ!」
どうやらチンピラの言葉に私もギリアスもまんまと乗せられてしまった様子。
ギリアスは周囲の観客に紛れて、リレイアを肩車しながら賭け金を渡している。一体どっちに賭けてるのかしら。
「それじゃあ、始めっとすっか!」
一度深呼吸をして呼吸を整える。
剣は正面に、脇は閉めすぎず、肘にゆとりを持たせ、左足を半歩後ろへ下げる。
私の中のイメージをそのままに再現してみせると、観客から拍手や指笛の音が聞こえてきた。
「騎士見習い、天乃織姫。参ります」
自称するのはどこかこそばゆいけれど、彼の騎士道とやらを見習った結果がこれね。『騎士見習い』と言ったけれど、実際はどんな立ち位置なのかしら、私って?
そうこうしている間に、チンピラが十五メートルほどの距離を走ってくる。
その手からは光が放たれ、刀身七十センチくらいの剣が現れた。
接敵まで約二秒。右からくるか、左からくるか。ギリギリまで見極める。力は込めすぎず、利き手は絞めるように。
「左ッ!」
キィンと子気味良い音と共に剣同士がぶつかり合った。
ほぼ正面からきた剣戟を捉えることはできたものの、休む暇を与えず、右へ左へと攻撃が飛んでくる。
足の軸を変えながらかわしたり、剣を振って当てたり。そうしている間に、目が慣れているのだろうか、剣戟がゆっくり見えるうえに、相手の心が読めてくる。
体力が落ちている?一振りした次の剣はどこか弱々しく感じられる。
勝機が見えるわけじゃないけれど、どこに打ち込めばいいのか、おのずと見えてくるのだ。
「あなた、それが本気なのかしら?」
「う、うるせぇ!テメェ、何がッ、騎士見習いだッ!」
正面からの大振りをするりとかわすと、チンピラはその勢いで体勢を崩した。
その隙に背後へ接近、振り向いたところを剣の柄で一突きした。
「私はもっと強くなるの。こんなところで、立ち止まってはいられないから」
そう言ってやると、チンピラはグハァッと綺麗なやられっぷりを見せて、呆気なくその場に倒れた。
観客のスタンディングオベーションに囲まれながら、剣を鞘に戻し、一礼してギリアスの元へと戻っていく。
「………舐めてんじゃねぇぞ、このアマッ!」
背後から急速に接近するチンピラに気がつけなかったのは、私自身が未熟だったから。勝ちを確信したからだ。
だから、彼の懐にあったナイフや、同時に横からくる亜人のカットラスに反応できなかった。が、
ーーガッ!
という物音とともに、私へ向かう二つの刃はその勢いを殺した。
そう、私の正面にいた彼がその剛腕で二人の腕を瞬時に受け止めたのだから。
「ギリアス………」
「なんだテメェ!?」
「オマエ、コイツの仲間ダナ!」
がっしりと手首を掴まれた二人はそれを振りほどこうとするが、上下左右、どの方向にも動かすことができずにいる。
腕を鷲掴みにする当の本人は、ハァと息を漏らして、
「勝負はあった。そして、貴殿らの行為は彼女の武勇への侮辱も同然だ。これ以上の暴挙は見過ごせぬ。恥を知れ」
その両手を振り上げ、軽々とチンピラ亜人コンビを宙へ放り投げた。
吹っ飛ばされた彼らの『ヒェェェ』という声も加えて、あまりの光景に、危機感からきた恐怖が彼らへの哀れみへと変わっていることに、私自身気づいてしまった。
「行くぞ、オリヒメ。長居は無用だ。あぁ、あと………」
勝負の賭けの主導者のもとから、みっちりと硬貨が入った、サイズ的には小さな革袋を掴み取り、
「俺の勝ちだな。こいつは貰っていくぞ」
と、何食わぬ顔で少なくない金をせしめたのである。