2章【subordinate】
雪化粧に覆われた山脈、灼熱の砂地、底のない渓谷。このリオアヒルムの世界で最も国力のあったというガルロッテ公国の第二皇女であるリレイアは嬉嬉としてそれを話してくれる。
もちろん彼女の立場上、容易に外出などできないため図書に頼りきりの知識である。
それでもリオアヒルムについて何も知らない私にとって、それは異世界に来たという実感を与えてくれた。
一部の紛争地域を除いては私の世界は平和そのものなのだから。戦争とか人の死とか本当にリアリティに欠ける。
「それでね!その山からはドロドロの溶岩が溢れてるんだって!すっごく熱いんだよ!」
隣を歩くリレイアはぴょんぴょんと跳ねるものだから、どこからどう見ても可愛い小動物である。
「カイン君のところは雪で一面真っ白な国だって!雪ってどんなんだろう?」
「とっても冷たい氷の粒よ。それが沢山あつまると地面が真っ白になるの」
「そうなの!?すごいねギル君!こんなの教科書に載ってないもんね!」
少し前を歩くギリアスはこちらを見てはくれるもののなんだか困った顔をする。
「俺はあまり教養がなくてな、字は少し読めるが細かい知識はあまり………」
頭をボリボリと掻くギリアスのその顔の正体はそれか。やっぱり教育機関がしっかりと存在しないことが人々に知識の偏りを与えているようね。
「でもギル君、外の世界のこと、いーーーっぱい話してくれるよね?」
「俺は王様じゃないからな、沢山の国やそこの民を見てきた。その土産話で君が楽しんでくれるなら、ただ傭兵をやっていたことにも意味があったと思える」
ほのかに頬が上がる彼はリレイアの幼馴染みと聞いているけど、実のところどうなのかしら。歳も少し離れているし。
彼らの素性は道中、ある程度聞くことができた。
その話によれば、ギリアスの国の王位決定戦的な戦いで勝ったギリアスが国王になって、あまり向いていないからと弟であるカインにその座を明け渡した。その王位決定戦の勝者の特典にガルロッテ公国の皇女との結婚があり、王座から姿を消してもその権利だけが残ってしまったと。実にややこしい話だわ。
「そのカインさんってどんな人なのかしら?」
単刀直入な質問を彼に向けてみる。
「文武両道を絵に書いたようなやつだ。剣の腕は俺に引けをとらず、その知識は『紫の詩人』、リシュリューの目に留まるほど。そして何より義理堅い」
思っていたよりいい人なのかも。てっきりギリアスと一緒で頭まで武人なのかと。
「完璧な弟さん、なのね」
「いや、あいつは少し優しすぎるのだ」
そう言う彼の顔は少し曇っている。彼は彼なりにカインのことを考えているらしい。
何にせよ、兄弟喧嘩の最中とかじゃなくて一安心だわ。それこそ手がつけられないもの。
ケイネスのいた街、『モーク』を離れて早三日。どこまでも続く草原の間に踏み固められてできた道を歩き続けている。
別に体力がないというわけではないが、そこまで自信があるというわけでもない。詰まるところ、疲れた。
そんな中でもリレイアは元気いっぱいで、ギリアスは周囲に点々と生えた木々や地面から飛び出している岩に警戒している。おそらく伏兵がいないか気にしているのだろう。盗賊なんかも出るっていうし。
本当に、私のリアル世界からすればすごい時代錯誤ね。
日もすっかりと落ちた草原には夜風がゆったりと流れている。
テントなどの用意もなかったため、ギリアスは慣れた手つきで場所を作って焚き火を用意した。
「リレイアはいつもあんな感じなのかしら?」
私がギリアスに尋ねてみると、彼は少し離れたところにできた水溜まりをじっと見つめるリレイアを見た。
「ああ明るく振る舞われると、そう思うだろうな」
「それってどういうことかしら?」
ふぅと一息吐く彼の近くに座り込み、その続きを伺った。
「リレイアは昔から打たれ弱くて、泣き虫で、それでいて強引で………なんとも見ていて飽きないやつだと思っていたよ」
実のところ彼もリレイアのことを小動物かなにかと勘違いしているんじゃないかしら。異論はないけれど。
「いつもショコラティアの後について遊び回っていたが、今ではすっかり成長したものだ」
姉離れとでも言うべきかしら。なんだかギリアスの目線はさながら父親だわ。
「それって今も昔も変わらなくない?」
「いや、彼女は一国の姫としてだけでなく、人として強くなったと、俺は思っているよ」
「もしかして、リレイアもドライアーツを使えたりするの?」
今さらながらに浮上した疑問をそのまま彼に伝えると、彼はクスクスと笑い、
「いや、どの種族であれドライアーツは使うことができる。それはリレイアにも同じこと。しかし、彼女には契約がない」
そう言って焚き火に木の枝を二、三本追加した。
契約がないということは、リレイア自身にはドライアーツを使う意思が無いということだろうか。
「この世界を生きていて、それって不便じゃないの?」
私の言葉に動じることなく、ギリアスは焚き火の炎を見つめている。
「確かに、それも一理ある。この世界にはドライアーツを忌むべきものと嫌う者たちも決して少なくはない。しかし、これは契約なのだ。七色の王は三つの契約を強制的に結ばれる、これは致し方ない。だが、その他の者は選択をすることができる。犠牲を払ってまで叶えたい願望があるのか知らないが、そういう連中だけでいいんだ」
そう話すギリアスの顔は微笑んでいるように見えるが、その目はどこか浮かない。
ドライアーツの選択は七色の王を除いて個人に委ねられる。この不可思議な世界の権利はなににしても己に圧倒的な『利』がない。反ドライアーツ勢力はきっと、そのことを悟った人々のことなのかもしれない。
「リレイアに犠牲を強いることは断じてしない。もしそれが手に届かぬというのであれば、俺がその願いに彼女を導く、そう誓ったのだ」
「………ロリコン……いや、リレイアコンプレックスね」
「なんだ?」
「なんでもないわ。さ、ウチのお姫様呼んでご飯にしましょうか」
ギリアスは腑に落ちない顔を向けてくるがあえてスルーの方向で。
リレイア一人ではきっとここまでさえ来ることができなかっただろう。ギリアスという絶対の存在があってこそだ。
その形こそ違えど、相思相愛、思いつ思われつの関係で私としてはなによりだわ。リレイアに変な嫉妬されなくて済むもの。
明日はいよいよこの旅一つ目の難所、アルーア大森林へと足を踏み入れる。
ハイキングには絶好の晴れ方をしているのだけれど、私の服はそれには向いていないわね。
制服のブレザーがムシムシして全身汗だらけ。ついにはそれを腰に巻いて腹部で袖を縛る始末。高校でこんなことやってたら、間違いなく生徒指導室直行ルートだわ。
なんとか靴は運動もできるタイプのスニーカーだけれど、それでも森の道なき道を進むには準備が足りていないように思える。
アルーア大森林は大陸で最も大きい森林地帯だという。全体の規模を換算すると、東京ドームがいくつあっても足りない。
木々の間をスルスルと走って行くリレイアは本当に元気だ。私もまだ子供ではあるけど年の差を感じずにはいられない。
「なにもかも世界が違うのが悪いのよ」
思わず口から出てしまった疲れに、少し前を巨大な荷物を持って歩いていたギリアスが立ち止まる。
「オリヒメ、まだ先は長いが時間もない。それにここでは獣が出る。十分に注意してくれ」
「注意してって言われても、私兵士じゃなくて民間人なのよ?」
「…………少々、鍛錬が必要かもしれんな」
その言葉の意味は分かるけど分かりたくなかった。
要するに、修行ですね。誰と?皆まで言うな。
この日の夕刻、早速それは始まった。
ギリアスに言われるがまま、戦う上での所作を叩き込まれる。
しかしながら、私のドライアーツが銃というこの世界での特殊兵装であるため、剣を主体としたギリアスの指導はどうも上手くいかない様子。
剣など、近距離戦闘型の武器が多くを占めるこの世界で、中距離から長距離の攻撃を可能とする銃は正しくイレギュラーそのものだった。
だからこそ戦闘での立ち回りや基本概念が存在しないのだ。
そういえば、モークの街で会った赤の魔女、ディアナといっただろうか。彼女の戦闘スキルは常人のものではないものの、形態が同じであることからある意味で参考にできる。もちろん近距離で風穴を開けるなんて芸当はまだまだできそうにないのだけれど。
ひとまずのところ、近距離で攻められた時の対処法だけ教わり、この日の修行は幕を下ろした。
しかし、陽が上がれば森を進み、夜になれば修行。これをひたすらに繰り返した。
ギリアスの教えは武人として文句のないほど正確無比なものではあるけれど、その分ハードである。
これでも私は十八の高校生なのよ。少し前までの平凡な日常がなんて素晴らしいものだったのか、余計に実感するわ。
「ハァッ!」
ブォンと横方向に空を切る彼の大剣をかがむようにしてかわす。
少しずつだけど、目が慣れてきたのかしら。こんな考え事をしながらでもきちんと太刀筋を見定めることができる。
「オリヒメには天より授かりし才があるのかもしれんな」
「運動はあまりしてなかったのだけれど、あなたに言われるとなれば誉れね」
「その言の葉から感じ取れる騎士としての心構えも十分」
ただそういうラノベとかを読んだだけなのだけれど。本物の騎士道を歩む彼にはそう聞こえるのかしら。
その後、しばらく稽古に励み、深夜の森の中で寝静まったリレイアのもとへ戻った。
焚き火の火は既に消えかけていたが、ギリアスの巧みな技術で息を吹き返した。
私はそれを見ながら近くに腰掛ける。
「オリヒメのドライアーツの名は何と言ったか?」
彼も焚き火の近くに腰掛けると唐突に質問を投げかけてきた。
「言ってないわ」
「そうか」
「名前ってそんな大事なものなの?」
「ドライアーツの真名を告げることでその真価を発揮することができる。だが、滅多なことで他言するものでもないが」
「そうなの……」
私のフリントロック式の銃の形をしたドライアーツ。その名はとうに知っていた。
契約時にその扱い方と共に頭の中に流れ込んできたのだから。
「ダンタリアン……」
「……?」
「私のドライアーツの真名よ」
はてな顔でこちらを見てくるギリアスは、そうかとだけ言って焚き火の火を木の枝でつつく。
あんまり興味なかったのかしら。というよりも他言するものでもないって言っていたし、深く聞かないだけかしら。
そんなことを考えながらぼぉっと火を見つめていると、オリヒメと彼が呼びかけてきた。
「今度は何かしら?」
「いや、これは一つの提案だが、俺の眷属になる気はないか」
「え?」
何でしょう、この天乃織姫、胸が高まってまいりましたわ。決してそういうタイミングではないのだけれど、そういうプレイにしか聞こえませんでしたよ?
とはいえ、一応その辺のことも資料を読んでいて予習済みなのだけれど。
「つまり、黒の王の下で戦う意志を示せと?」
「それは半分正解だ。しかし、俺は王である前にリレイアという姫を守る騎士でもある。真に忠誠を誓うべきはその姫君だ」
つまり、リレイアを守るために協力してほしいってことかしら。
彼としてはリレイアを何としても守らないといけない理由があるのだろう。でもそれは彼女の想うそれとは違う。なんだかもどかしくなってきたわ。
「眷属としての、言い方は悪いが、主従契約を行うことでオリヒメにも俺の力の一部を使うことができる」
「何それ!そういうのもっと序盤でいうことじゃないの!?」
要するにこうだ。仮にギリアスの眷属になれば、絶対防御の鎧や、万物粉砕の大剣なんかを使えたり使えなかったり、お得感極まりないわ。
「契約に細かい条件はない。そして、このリオアヒルムに生きる多くのドライアーツ保持者はその恩恵を授けられている」
「街に住むような人たちもってこと?」
「然り。だが彼らは直接的に契約を行うわけでなく、信仰によって成り立つものだ。その分、直接的に契約した者の方が強く、優先的にその力を授かることができる」
王の統べる国に住んでいれば自然となれるのね、眷属。ということは間接的な契約より直接的な契約の方が強くなれるってことかしら。まるで国の税金のような気がしてならないのだけれど。
「だいたいわかったわ。このままではこの先やっていけそうにないもの。その契約、結びましょう」
私の言葉に、よかろう、と相変わらずの低音ボイスで応え、ギリアスは立ち上がった。
この先のことなんてわからない。でも、人や様々な種族が死ぬ様を何度も見てきて、それは今でも脳裏に焼き付いて離れない。
横でぐっすり眠るリレイアの無垢な心を、この世界の平和に繋がらんことを祈って、私は黒の王、ギリアス・ブラッドフィールドの眷属となった。