1章【departure】
意識が深淵に落ちる寸前。本当にギリギリのところで私はそれを保った。
「オリヒメ、大丈夫?」
隣の銀髪少女は心配そうに私の目の前に顔を近づけてくる。凄くいい匂いがする。
長めのおさげだけど、結わえている部分は髪が凝縮してふわふわしている。今はそんなに関係ないかしら。
「ええ。なんとか大丈夫だけど………」
完全に囲まれてしまった。
奥の部屋にいたリザードマンたちに先ほどの音で完璧に気づかれてしまった。
「万事休すってところかしら……でも、私がやらなきゃ」
左手に持つフリントロック銃を握りしめ、周囲の敵に目線を向ける。
「おい、そこの娘、お前が『赤の魔女』だな!」
「何のことよ…………というか日本語」
「騙そうったって無駄だ!そのドライアーツ、間違いなく噂の『アトミックアサルト』だろ!」
なんだか中二センスの感じられるネーミングが出てきたわね。核兵器かなにか?
リザードマンたちは興奮状態になると表面が変色するらしい。さっきまで緑だったのに今は朱色って感じの赤ね。
「そんな名前つけた覚えないわよ。恥ずかしい」
「構いやしねぇ、やっちまえ!」
その動きに隊列など存在しない。五匹のリザードマンによる全方向からの一斉攻撃。
撃たなきゃ殺られる、それはわかっている。それでも、その弾丸を撃つことはできなかった。
これはつまり、『恐怖』だ。
さっきのリザードマンを撃った一撃の反動は、私に恐怖を植え付けた。
もし、もう一度この弾丸がリザードマンたちに命中したら、また死の痛みに苦しむことになるのだろう。そう思えて仕方ない。
既にリザードマンは湾曲した剣を振り上げている。
隣のリレイアは目を見開き、その時がくる恐怖に追い詰められていた。
また選択を迫られる。命の選択を。キールの時と同じ、無理難題の一手を。
しかし、この選択は外からの来訪者によって打ち壊された。
ーーバァァァンッ!
私のものではない。しかし、その音の衝撃とほぼ同時に、私の正面にいたリザードマンが吹き飛ばされた。
その一撃はリザードマンの腹に巨大な穴を開けて貫いた。
「大砲…………?」
風が巻き起こされた方向を見やると、家屋の入口に一人の女性が立っていた。
その手に持たれるは深紅のフリントロック銃。私のものと似ているが、その禍々しさは見た相手に恐怖を与えるほど。
赤い火花のようなものがバチバチと銃口から溢れていた。つまり、弾が込められている。
「あららぁ、こんなに弱いのぉ?ゴディバルトの兵士をタダで鏖殺できるって聞いてわざわざルヒトから来たのにぃ………私的には残念極まりないわぁ」
特徴のある喋り方をする彼女は、口の端が吊り上げられたような笑みを浮かべている。
「貴様、何者だ!」
あまりに一瞬だった攻撃に激昂したリザードマンは敵意を彼女に向ける。
深紅のマントから片手だけ出す彼女はそれでも余裕綽々といった表情だ。
「私とこの子の名前がねぇ、呼ばれた気がしてぇ」
銃をさする彼女は問答無用で目の前まで近づいているリザードマンに目も向けていない。
「危なッ……!」
「ざぁんねん」
私の声が届くよりも前に、その先頭にいたリザードマンの上半身は下半身に別れを告げていた。
宙に舞うその上半身は顔と腕の一部しか残っていない。この人、間違いなく『殺戮』を楽しんでいる。
「あらら?まぁたすぐにイッちゃうのぉ?」
次々に襲い来るリザードマンをその一丁の銃で鮮やかに撃退していく。
これが本来あるべきドライアーツの力なのだとすれば、今の私にはできない芸当だ。
両足を消し去り、腹部を撃ち抜き、頭部を吹き飛ばす。
ゆったりとしたその口調からは考えられないほどの俊敏な動き。
背後から新たに侵入してくる人間と亜人たち。…………人間?
その弾丸が向ける矛先に種族の壁など存在しなかった。
放たれた銀弾は銃とは思えないような轟音をあげ、玄関の壁ごと吹き飛ばしてみせたのだ。
「いや…………」
現実の光景とは思えない惨憺たる現場に隣にへたり込むリレイアの目はまたしても怯えていた。
地面や壁、さらには天井にまで彼ら『敵』の血であふれる家屋はすでに常軌を逸していた。
「あと何人かしらぁ……あらぁ?」
意識だけが残っているのか、先ほど撃たれた人やリザードマンたちが床を這いながら、暴走する彼女の足や、銃を持つ腕を掴んでいた。
彼らの目は血走っている。もう何も見えていないのかもしれない。だけど、憎悪するその目と、その力に嫉妬するように歯を食いしばり、彼らは満身創痍だった。
そこに新たな敵が出てくる。
そこで私は正直ほっとしてしまった。
これ以上この惨劇を見なくて済むと思ったから。ただそれだけだった。
「あたしに触れて……タダで済むと思ってるのかしらぁねぇ……!」
今までは見せなかった激昂の表情。そこにいたのは殺気の塊、禁忌に触れたものを逃さぬと言わぬばかりの『魔女』の姿だった。
正面から切りかかろうとした人間が消える光景を見た。
崩壊する体を。飛散する体の早さに追いつかず、人の形をした血の塊を。
ーー左手のフリントロック銃。
その場の誰もが、私ですら気づくことはなかった。
マントから出たもう片方の腕。そこにしっかりと握られていた深紅の銃身。
本当に一瞬のことだったから、私の口から出そうになった絶叫は畏怖の念に囚われ、奥の方で硬直していた。
その一発の衝撃で周囲を取り囲んでいた兵士たちは手を離し、彼女はそれらをくるくると回転しながら二丁の銃で掃討した。
私たちが攻撃されなかったのは、ある意味奇跡としか言いようがない、そんな戦場の爪痕。
これがドライアーツの真価。畏れを克服する精神力、心の痛みに耐え抜く忍耐、どれをとっても敵わない。だけど、彼女の表情を見て、決してそうはなりたくないと、私の心は拒んだ。
うっとりとした目で、その場に落ちた血液と体温の残る死体を見つめている。
それに、先ほどリザードマンが言っていた。『赤の魔女』や、『アトミックアサルト』といった単語。私の銃を見て。
見間違うとすればそう、彼女こそが『赤の魔女』なのだ。
「あららぁ?ごめんなさいねぇ、あなたたちの分、残すの忘れちゃったわぁ」
「え…………」
うまく言葉が出てこない。それは隣のリレイアも同じこと、もしくは私よりも衝撃が強かったかもしれない。
だからこそ、恐怖を押し殺し、私が口を開いた。
「た、助けていただき、ありがとうございます」
「あらぁ?あなたたちはいらなかったのぉ?感謝されるなんて思いもしなかったわぁ」
「いえ、私たちでは、とても対処できなかったので……」
「そう…………それにしてもあなたぁ……」
そう言って彼女は近づいてくる。
咄嗟に背後に隠していた銃を持つ手に力が入った。…………が、
「とっても可愛いわねぇ」
まさかの展開だった。
返り血を一滴も浴びなかったその手で、呆気にとられた私のあごを上げられる。これが『あごクイ』ってやつかしら。
そんなことより、なにこの百合展開。
「あなたはお持ち帰りしたいのだけれどぉ…………そっちの子は嫌な匂いがするわねぇ」
目を向けられるリレイアはガタガタと震えたままでいる。その目で直視されますます血の気が引いている様子だ。
「まぁいいわぁ、またどこかで会いましょう」
そう言う彼女は外の戦場へと歩いて行く。しかし、途中で立ち止まり、こちらに振り向くと、
「私はディアナ、じゃあね、可愛い仔猫ちゃん」
にたぁっと笑みを浮かべ、再び歩いて行った。
血塗られたという表現がよく似合う家の中、私はただリレイアを抱きしめていた。
もちろん、私も震えているのでしょう。けれど、この少女にこの光景はあまりにもいたたまれない。
「リレイアちゃん、大丈夫。ひとまずここから出ましょう」
無言のリレイアの目には流れはしないが涙が溢れている。おそらく、彼女も死を目の当たりにするのは初めてだったのだろう。
私は動けないリレイアを抱きかかえ、その家の裏口からゆっくりと出ていった。
外に出てまもなく、オモテの方から聞こえていた声は聞こえなくなった。つまり、戦いが終わったのだ。
私の服を離さないリレイアの手はまだ小さい。
「リレイア!オリヒメ!」
家の中からギリアスの声が聞こえてきた。彼はおそらく無傷なんだろう。身体も、心も。
「ギリアスさん!裏口です!」
とりあえず彼に呼びかける。私は気が抜けたせいかうまく足に力が入らなかったから。
ドタドタという音とともに扉が開き、すぐ脇にいた私たちを見つけると、ギリアスはほっとした感じを見せる。鎧のせいで顔が見えないからよくわからないけれど。
それでも、私たちは生き延びたのだという実感に私の意識はまた落ちてしまった。
人間の心というのは意外と簡単に限界を迎えるらしい。
一日に二回、しかもたった一時間ほどのスパンで私は気を失っている。
もちろん過去に経験したことのない、いろんな、本当にいろんなものに出会ったからで。つまりキャパシティーがもたなかったわけね。
目を覚ました時にはふかふかとしたベッドの上。知らない天井を眺めている。
「……なんだか気分が悪いわね」
「オリヒメ!」
ベッドの脇には木製のイスにちょこんと座るリレイアがいた。安全地帯ってことで間違いなさそうね。
ほっと一息つき、私は体を起こした。
「私ったら、みっともないわね。……着替えさせてくれたの?」
「うん……」
リレイアはなんだか不機嫌そうだ。そして自分の胸をぺたぺたと触っている。
「ギル君は私のものなんだから……」
「へ?」
「まだ私はちっちゃいけど、オリヒメになんか負けないんだからッ!」
「えっと……えぇ〜……」
なぜか起床直後に恋敵に任命されたらしいのだけれど。リレイアはギリアスのことが……?
「起きたか、オリヒメ」
「ギリアスさ……ん……?」
ドアから入ってきた青年は私と同い年くらいに見える。だけど声はたしかに彼から。
「あぁ、鎧を外した姿を見せてなかったな。間違いなく、俺はギリアスだが」
「そう、なんですか」
なんだかSNSで知らない人と会話しているような気分だわ。いざ会ってみたら、思っていた年齢層と違った、みたいな。
「戦いはどうなったんですか、ケイネスさんは……」
「彼は、死んだよ」
「……ッ!?」
「だが彼の死は無駄ではない。この街の戦士の長としていち早く戦場へ赴き、誰よりもあの戦場を駆けた。その功績や武勲は称賛に値する」
死んでしまった?またここに来たあの時のキールと同じように?私の力があれば状況は変わった?そんなことはない、どう足掻いてもそれが運命なのよ。きっとそう。だけど、
「功績って……なによ……」
「オリヒメ?」
「なにが功績よッ!なにが武勲よッ!死は無駄じゃないですって!?冗談じゃないわ!」
自制が効かない。心が、その痛みのダムが決壊したように。
「死んで得られるものなんてありはしないわ!なんでこの世界の人はみんなそんなのばったりなの!」
「それは違うぞ、オリヒメ」
「えっ…………」
ギリアスの急な制止に思わず言葉が止まった。
彼は組んでいた腕を解き、一息おいて口を開く。
「戦士然り、騎士然り、国の民もまた然り。この世に生きる者の死に無駄なものなど一つもない。リオアヒルムの歴史は、戦いの歴史でもある。故に、死が歴史を築いてきたのだ。英霊たちの死が無駄であったとしないため、その生き様が誇れるものであったと、あとの者に伝えていくために、生きる者はそれをその身に刻まなければならない」
「そんなの…………辛くないの?」
「………………」
ギリアスは口ごもった。
胸が痛い。戦いがこれほどまでに非情な人間を生み出してしまうのかと。
彼が『強い』というのなら、私は強くなくていい。人としての心を失ってしまうくらいなら。
「生物の死は、何であろうと軽んずる気はない。オリヒメが俺の言葉をどう受け取っているのかもわからん。しかし、死を受け入れ、立ち止まらないことこそが、我ら生者の義務なのだ」
「生者の……義務………」
彼の言うことは正しかった。この世界で右も左も分からないけれど、その考えは隔てなく同じものだった。
私が子供だからわからないの?考えが幼稚なだけ?
脇にいるリレイアは心配そうな目で私とギリアスを交互に見ている。
彼女は幼くてわからないのか。それとも、私よりもずっと『強い』のか。
けれど、こんなにも小さい子に、一国の王族にそんな考えをもってほしくはない。
「………わかったわ。私は強くない」
「オリヒメ」
「だからッ………だから、こんな戦いを終わらせるために、私にできることをする。誰もが強くなくていい、平和な世界をつくるために、私にできることを……」
「………そうか」
ギリアスはドアの前から歩き出し、リレイアの隣まで歩いてきた。
リレイアは彼の手を取り満足げな表情を浮かべている。
「君はカグヤに会いたいんだったな」
「ええ、とりあえず彼と合流しないと今後の目処が立たないでしょうから」
彼がどこにいるかはわからない。ガルロッテ公国を出てからしばらく経つようだからその周辺の国を回っている可能性が高い。
「俺とリレイアはこれから北へ向かう。『青の勇者』、カインの元へ。オリヒメもカグヤに会いたいというのなら、すぐにとはいかぬが、俺たちは最終的に彼らと合流する手はずだ。問題なければ俺たちと共に行くか?」
この国に残ったところで竹井君には会えない。その上、戦闘後の街の被害を見るかぎりここは危険ともいえるだろう。
「そうさせてもらうわ。この世界を回ることも今の私には重要な仕事だもの」
私のその言葉にリレイアはぱぁっと目を光らせるがすぐにギリアスにしがみつく。だから、そういうのじゃないのだけれど。
「承知した。では行こう、オリヒメ。北へ、『青』の王の元へ」
そうして私と、皇女リレイア、その従者であるギリアスの旅が始まったのだった。
長いようでとても短い、『強く』なっていく私の冒険譚が。