1章【armor】
目を開くとそこは先ほどまでいた部屋の白っぽい天井が見えた。
「おぉ、目を覚ましたか、アマノ殿」
「ケイネス、さん?」
どうやら完全に気絶してしまったらしい。一瞬のことだったのか、ケイネスの立ち位置にも変化は見られない。
「急にどうした、アマノ殿?たかがドライアーツの契約をしただけで」
さっき起きたことは鮮明に覚えている。白銀の空間、真っ黒な影、そして、彼の声。
けれど、ケイネスの言葉からはそんな苦労をするようなものでないとでも言うようなニュアンスを感じる。私がこの世界にとってイレギュラーだから、と考えるのが妥当かしらね。
「いいえ、何でもないの。ちゃんと契約は済ませたわ」
「そうか?ならばいいのだが」
契約が失敗したわけじゃない。それを裏付けるように左腕が熱い。中から力が溢れ出るように。
何となくなその実感を確かめるように左腕をさする。
「能力がどのようなものかはわからんが、ひとまずこれで旅路の気休めになるだろう」
まだ使ったこともない、使ったことすらない能力に気休めもなにもないのだけれど。
「「敵襲ーッ!敵襲ーッ!」」
突如として外から響いてくる声に身が固まった。
何が起こったのか、私にはまるで分からなかった。巨大な城壁越しに聞こえる大声疾呼。
ケイネスの家から出た時点でその城壁の上からその一部が欠け落ちていた。
「一体どうしたの!?」
「わからん。しかし、あの巨大な壁を揺るがすとなれば、ヨトゥンヘイムの巨人族か……」
聞けば、この大陸の西に巨人族と呼ばれる種族が生活している街があるのだという。巨人族は戦闘を好まないとも言われたけれど、前言撤回ってことかしら?
そんなことをしている内にも街を取り囲む壁の一部が大きく崩れた。「ウォォォォ!」という声とともに壁の正門から押し寄せてくる大軍は先ほど見たものと同じ、
「あれは、先刻の盗賊!」
見間違えることもない、キールを討った盗賊団だ。しかも先ほどとは比べ物にならない数をそろえて。
「アマノ殿、私は壁に向かう。前線で戦う友たちの元へ向かわねば」
ケイネスは右手をかざし、ドライアーツを顕現させるとすかさず大通りを駆けていく。
「私は……!?」
「いざとなればドライアーツを使え!」
それだけ言い残したケイネスの姿はもう見えなかった。
「ドライアーツ……使ったこともないのに」
試しに契約を交わした左手をかざし、右手を胸に当てる。
それだけでなぜか使い方がわかった。どんな形でどんな能力を持つのかまで。
「我が名の元に顕現なさい、我が器を満たす糧となれ」
頭に浮かんだままの言葉をそのまま復唱する。
一陣の風が周囲に吹き荒れ、それと同時にその全容が光とともに現れる。
灰色のフリントロック銃。
小さな見た目に反してずっしりとした鉄の重さを感じる。それでいて磨き抜かれたかように鈍い光を発していた。
「これが私の……」
弾丸は入っていない。しかし使い方はわかる。
「想いの弾丸……実に私らしいわね」
おそらくこれは予想だけど、この武器は限りなく実戦向きではない。
心に左右されて生成される弾丸のパワーバランスまで左右されてしまう。
逆にいえば力の上限値がないともいえる。しかしその状態をキープするのは不可能でしょう。
試しに一発の銀弾を生成してみる。
淡い光を全体から発しながら周囲に溢れる小さな光がその筒の中に集結していく。
私はとりあえず撃鉄をゆっくりと起こし、近場の壁に撃ち込もうとした、のだけれど。
「ウガァァァアァァアァァ!!」
いきなりケイネスの家の向かいの壁が破壊され、異様な巨体が姿を現したのだ。
人間じゃない、緑のような茶色のような体に布一枚と丸太のような木製の棍棒。いわゆるこれはトロールというやつかしら。
人間だけがのうのうと暮らしているだけならここまで巨大な壁や、未知数の力を持つドライアーツなんて代物をこの盤上に用意しないでしょう。
どこまでもファンタジーが尽きないけれど、これはやらなきゃわたしがやられるパターンね。
初回戦闘にしてはハードルが高い気もするけど、味方になってくれる雰囲気もないし、やるしかないわね。
それはそうと、この足の震えってどうやったら止まるのかしら?
容赦なく振り下ろされた棍棒を横に飛んですれすれでかわす。
全身で受身をとり、先ほど自分がいた場所にクレーターができているのを見て改めて確信した。当たったら即死ってことかしらね。
老将キールの死に際を目の当たりにしてまだ数時間といったところ。死の現場にはちあわせるなんてことまずないからか、死を実感したことがなかったからか。キールの死に顔が脳裏に焼きついて離れてくれそうにない。
次のトロールの一撃が迫ってきたが、さすがに今度こそ私の足はいうことを聞いてはくれなかった。
思わず目をつむり、その瞬間を覚悟した。
その後、ドォォォンという音が聞こえた。きっと私は死んでしまったのだろう。
しかしながら、即死というだけあってその痛みを感じない。そんなことを考える間もなく死ぬから即死っていうんだろうけど。
「そこの者、無事か!」
トロールじゃなく人間の低い声が聞こえる。
もしかして、私まだ死んでないの?
その疑問を解消するかのようにつむった目をゆっくりと開くと、私とトロールの間に割って入った黒の巨人がいた。
私が座っているから余計に大きく見えるだけだろうけど、その低い声は私の意識を呼び戻すのには充分だったようね。
「リレイア!その者を頼む!」
黒の鎧男の声に応えるかのように私の後ろからパタパタと足音が聞こえた。
リレイアと呼ばれた銀髪の少女は「大丈夫ですか!?」と声をかけ、私の腕を引っぱる。私も言われるがままに後ろにあった建物が崩れてできたであろう壁の影に隠れた。
隣にいる少女、リアルではまず見ることのない銀髪の二つ縛りのおさげスタイル。身長にしたら百四十くらいだろうか、小柄でまだ幼げだ。
「ギル君、やっちゃって!」
「主君の仰せのままに……」
鎧男は少女の声が届くと同時に両手用と思われる幅も長さもある大剣を片手で振るい、トロールの棍棒を一刀両断してみせた。
「ググァァアァァアアァア!」
激昂したトロールは棍棒を捨て、その巨体を活かし突進攻撃をしかける。思っていたよりも素早い。
悠長に鎧男は両手を使い、剣の先から柄にかけて自分の顔の高さほどまで地面と平行に構える。
「ガルロッテ流剣術奥義、キサラギ……!」
その刹那、私にはほとんど見えていなかった。正面への二段突きの直後、剣を四度は振るった。
トロールにその全てが直撃し、その反動で巨体が吹き飛ばされた。
「何かしら、あのチート……」
「ちぃと?違うよ、ギル君は強いんだから!」
横にいる少女は興奮気味に両手をぶんぶんと振っている。可愛い。
あれがドライアーツ本来の力ってことなのね。おそらくあの黒の大剣も彼を纏うフルプレートのアーマーだってそうなんでしょう。
数軒先の家屋まで吹っ飛ばされたトロールは気絶している様子。どうやらまた助かったらしいわね。
安全を確認する間もなく少女は鎧男の元へと走っていく。彼は彼女を抱きとめるとその剣を背中におさめ、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
「この街もそう長くは持たないだろう。君もすぐにここを離れた方がいい……」
「な、なにか?」
ヘルム越しで表情が見えないけどあごの辺りに手を当ててこちらを見てくる鎧男。異文化交流ってやつかしら。
「君は彼と同じたたずまいをしている」
「彼って?」
「カグヤといって、聖人ギルフォードによって選定された黙示録の担い手だ」
直後、私も無意識だったのだけれど鎧男にすかさず駆け寄った。
「竹井君を知っているの!?」
「おぉ、やはり知り合いだったか。彼なら今ごろガルロッテを発ったところではないだろうか」
「ガルロッテには、いないの……」
万策尽きたというにはまだ早すぎるかもしれない。たしかに彼はこの世界、リオアヒルムへとやってきたようだ。
「そんなことより、今は逃げることを考えろ。その武器、ドライアーツだろう」
「えぇ、まだ使ったことないけど」
「ふむ……」
彼はまた考えるようにあごの辺りをさする。そしてその隣にいた少女はこちらをじっと見ながらも彼の肩からのびるマントをしっかり掴んで警戒モード。
私はしゃがんで少女の目線に合わせるように低い体勢になる。
「こんにちは。私は天野織姫、あなたの名前は?」
少しムッとした表情こそしているものの鎧の彼よりは顔が見えるだけ幾分マシに感じる。
「リレイア……リレイア・ビタニア・リリメイジ・ガルロッテ」
「リレイアちゃんね………ガルロッテ?」
ここに来てから聞き覚えしかない単語が突如名前から飛び出した。
「そうか、カグヤと同じで何も知らないわけか。彼女はガルロッテ公国、国王の嫡子にして第二皇女、リレイア・ビタニア・ガルロッテ皇女殿下だ」
「へ?…………えぇ!?」
鎧の男、ギリアスにケイネスのことを話すと応援に向かうと言って壁の方へと向かっていった。もちろん私も皇女様も同伴で。
皇女様は年齢的にもどこかに隠れていたほうがいい気もするけど彼もそれを止めようとしない。従者だから?
遠く壁の方に見える砂煙。文献によれば巨人族の身長はそれぞれだけど、大きいものだと三十メートルほどはあるという。端から勝ち目なんてものはない、そう感じていたのだけれど。
「ハァッ!!」
道中で現れるトロールやトカゲのような、リザードマンってやつかしら、あんなのを一撃で吹っ飛ばし続けて道を切り開くギリアス。あんなもの見せられてチート以外のなんだっていうの?
「そろそろ私もドライアーツとやらの真価を確かめてみたいところね」
私の不意のつぶやきにギリアスは走りながら顔を一瞬こちらに向けて私に伝える。
「使い方は君次第だが、相手を殺すな。ドライアーツの特性で、敵の痛みの一部を感覚的にこちらも受けることとなるからな」
なにそのデメリットの高さ!?というか相手の死の痛みの一部もなにも、一発でこっちまでおかしくなるわよ。
ぶんぶんと剣を振り回して敵を掃討していく彼はどうなのかしら。『死の痛み』をあれだけ人間が蓄積してどうにかなるものなの?
基本は剣の平の部分で相手を吹き飛ばしているけど、何度も切りつけては、時折真っ二つに両断していたりする。彼は人間なのかしら。素顔を見ていないから何とも言えないけれど、もしかしたら鬼なのかもしれない。
そうこうしている間にも戦場のど真ん中。敵味方は混戦していて何がなんだかわからない。
巨人族は大きい正門を壊して入口を広めようと必死に叩いたりしているけれど、さすがにそう簡単には壊れないようだ。
「リレイア、ここではまずい。彼女と一緒にあの家屋へ」
「うん、わかった!」
私はまたもリレイアに手を引かれて近くにある二階建ての家屋へと避難する。
ドアが開いているところを見ると中の住人は逃げたか隠れているのか。どちらにせよ敵が紛れ込んでいるかもしれない。
私は左手にある銃を握り直し、慎重に奥へと足を踏み入れる。
中は石造りでケイネスの家と大差ない。家具をはじめとする調度品の数を見たところ四、五人の家族の家ってところかしら。
その部屋のさらに奥にヤツらはいた。
紛れもなく人間だ。言葉も話している。ここからなら充分に狙える距離。
でも待って。人を撃つの?私が、自分自身で?
銃を持つ手が震えている、恐怖しているのだ。私の芯のところでは命を奪う可能性があるとためらっているせい。
「きゃぁぁぁぁぁぁあ!」
悲鳴が聞こえたのは右後方、見たときにはもう手遅れ。敵リザードマンに首元を掴まれ、小さな体を持ち上げられる少女の姿。
「リレイアちゃんッ! 」
湾曲した剣を振りかざすリザードマン。すかさず銃口をリザードマンに向ける。
この瞬間にためらいはなかった。いや、消えてしまったと言った方がいいかもしれない。
撃鉄を起こし、照準を合わせ、自然にその指でトリガーを引く。
落ちた撃鉄は火花を散らし、銃口から勢いよく一発の銀弾が射出された。
リザードマンの左肩に当たったそれはそのまま肉を突き抜け、背中の右側から這い出てきた。
「きゃっ!」
リザードマンの手の力が抜け、リレイアは床に落ちる。助かった、助けられた。そう思っていたら私の足も力が入らなくなり、その場にへたり込む。
「はぁ……はぁ…………うぐっ!?」
痛い。なんで?体に外傷はない。けれど、身体の中が、胸が、それでも、心が締め付けられるように痛い。
息が途切れる。苦しい。死ぬの、私?
「オリヒメ!?どうしたの!」
リレイアちゃんの声が聞こえる。あぁ、銀髪おさげ、触りたいなぁ、もふもふしたいなぁ。
遠のく意識はそのまま私を闇にいざなった。