1章【shadow】
異世界という、リアルでは二次元的思考の中にある産物に打ちひしがれそうになる。
これが現実か、はたまたタチの悪い夢なのか定かでない。
しかし、私に向かって降り注ぐ矢は後者を全く否定する。画面の中でないではない、今いるここが紛れもないリアルなのだと。
「ゲームオーバー……」
咄嗟に出てきた言葉はその終わりか、知ってしまったことへの報いなのか、私には理解が追いつかなかった。
しかし、突如としてその矢は私の前に現れた影によって遮られた。
「え?」
影ではない、盾を持った人だ。
屈強な様は先ほど見たキールのものでないもう一つの軍勢のもの。つまり、
「無事か!」
「あなたは、ケイネスさん……?」
後方から迫る軍勢はさっき別れたばかりのケイネスだった。
その軍はキールの軍を援護するように盾を構え防御を固め始める。
「あなた、どうして」
「あなた方と別れた直後にこれだけの砂煙や叫び声を聞けば、気づくに決まってるだろう」
なんということ。
キールは敵であるはずのケイネスはその本人を守るべく参上したというの?彼らの関係って本当にややこしいわね。
そうこうしているうちに矢による攻撃はおさまり、盗賊団と思われる敵は姿を消した。
だけど、こちらの損傷は簡単な秤では測りきれないほど、とても大きかった。
「キールさん!しっかりしてください!」
安全を確認してすぐさま倒れた大将に駆け寄った。
「キール殿が、やられたのか?」
後ろに立ち尽くすケイネスの顔はなんとも無表情、そして青ざめていた。
見守られるキール本人は息もせず、見開いたままの目は過去の光景を映し、止まったままだった。
「キール殿が、そんな簡単にやられるわけがない。キール殿、目を覚まされよ!こんな矢の数本、貴方にとっては造作もなかろう!」
近づいてキールの体を揺らすケイネスは正気ではなかった。
そう、この時初めて感じた。
老大将、キールの死を。
結局この後、私はケイネスと共に彼の街に向かうこととなった。
キールの軍勢の残党を彼らの街に送り届け、その帰路にあった。
「あの、ケイネスさん」
「何か?」
返事をしてはいるがその声はすさんでいるように感じる。
「キールさんとは、どういった関係だったのかしら?」
やや込み入った話だが、この世界に来て、初めて出会った恩人でもある。私としてはまだ会って少ししか経っていなかったけど、忘れてはならない、そんな気がした。
そんな私を見て、ケイネスは遠くを見ながら重い口を開けた。
「キール殿は、私にとっての師であり、互いを競う良い好敵手であった。時には鍛錬を共にし、時には互いの剣を交わらせた。古くからの仲であったが、愚痴の一つも言い損ねてしまった……」
「そう、だったんですか……」
話していた彼の口は強く食いしばられ、唐突失ってしまった友人を慈しんでいるようにも見えた。
けど、きっと彼は再び敵討ちにと、この砂漠に赴くのでしょう。
そして、それを見るたびに思い出すことでしょう。
私自身、人の死をまともに体験したことなど一度もなかった。
だからこそ、戦場で散った命の尊さが痛く突き刺さる。
この世界で生きるためには、強くなくてはならないのかもしれない。力だけでなく、芯のある強い心が。
しばらく無言で馬に乗り続けていると、そこには建設中なのか、上部に鉄骨のような骨組みが見える城壁があった。
ケイネス曰く、ここが彼の街、『モーク』だという。
城壁をくぐるとでこぼこした石畳と、石造りの家のような建物がある。もちろんここに住んでいるのだろう人々も、そこにはいた。
ケイネスに『付いてこい』と言われるがままその早足を追った。
一応、それなりの準備はしてきたわけだし、野宿でもなんでもかかってきなさい、と思っていたけれど、彼は自宅だという小さな家に招いてくれた。
「ここになら、多くはないがリオアヒルムに関する資料が置いてある。好きに使うといい」
そう言ってケイネスは『主君に報告がある』と言い残し、またも早足で街の中心部にある城へと向かっていった。
「さて……」
どこから始めたらいいものかしら。そんな事しか頭になかったけど、ひとまず先にリオアヒルムの地図らしき資料を本棚から探してみる。
一番それらしい大きな羊皮紙のような巻物をテーブルに広げると、案の定、大陸地図のような絵と文字が描かれていた。それにしても、
「この文字、読めるわね……」
意外なことに、全くとは言わないが英語に近い文字の形。その上ローマ字のように日本語訳もやすやすとできてしまいそうな程、安直というかなんというか。
「リオアヒルムのほぼ中心にあるのが、『ガルロッテ公国』?」
なにせ『公国』という文字すら英語でなくローマ字で読めるとあって少し笑いがこみ上げてくる。
その後、私はこの本棚にある知識を広く浅くの要領で調べた。内容こそ料理本のようなものから兵法書までと様々。もちろんその中には読めない文字も存在したが、そのほとんどは奇妙な形をしたアルファベットの羅列だった。つまり、たいていの書物は読破できるわけね。
それでもここにあるものが万国共通なのかは定かでないけれど。
コンコンと入ってきたドアの方から音がした。すかさずそちらに振り向くと、開きっぱなしだった木製の戸をノックするケイネスがいた。そんなに時間がたっていたのかしら?
「調べはついたか……えーっと」
「天野織姫」
言葉につまるケイネスにさらっと自己紹介をしておく。まだしてなかったし、これぐらいは大目に見ましょう。
「あぁ、申し訳ない、アマノ殿」
頭を掻きながらケイネスは部屋の中に入ってきてテーブルの上に広げられた資料を見て『うっ』と鈍い声を出した。
「まだかかるようだな、それでは私は買出しにでも」
「待って、ケイネスさん」
何か不自然な気がして思わず呼び止めてしまった。
考えなさい私。彼は資料を見た途端にこの場から逃げようとした。読書が嫌い?いや、その程度でこんな反応はしないはず。もっと根本的な何か。
「ケイネスさん、もしかしてだけど、あなた字が読めないのかしら?」
「ふぐっ!」
あからさまに変な声が出たし、肩の上下で何も隠せていない。なんだかこの世界、現実じみているけれど、人の思考が安直過ぎるわ。
「もしかして、今まで本を読んだことがないの?」
「……あぁ、そうだ。この書物の数々はただのまやかしに過ぎぬ」
「この手の世界って、学校とかないこと多いのよね」
そういうことかと私は一人で納得してしまったが、彼は私に敵意というか、笑いたければ笑えとでも言いたそうな顔をしている。
「別におかしいことじゃないわ。そんなことよりも、ケイネスさんはお城に住んでいるわけじゃないのかしら?」
「私はこの国の軍を率いる大将であって、そこまで地位が高いわけではないのだ。もっとも、地位が高ければ字の一つや二つ、容易に覚えただろうがな」
相当な自信家なのね、この人は。
それにしても、竹井君のことが気になる。本当にこの世界に来ているのだとしたらどこにいるのか。
ゲームやアニメから考えられるパターンとしてはみっつ。
一つはヒロインと出会って共に旅をすることになる一般的ルート。二つ目は全く関係のなさそうな、はじまりの村に転移したRPGルート。そして三つ目はなにを隠そうバッドエンド。
細かいことを考えればもっとあるのだろうけど、この世界のイージーモードを初めに実感した私からすれば三番目はないわね。
「この街ってガルロッテ公国からすぐ北に位置しているのよね?」
「あぁ、そうだが?」
「ひとまず私はガルロッテに向かいたい。きっと彼もそこにいる気がするから……」
「なんだ、婚約者がいるのか。まぁ、その歳にもなればいるよな、一人や二人」
全然そういうのじゃないのだけれど、と言いかけたが、周囲を見渡すと他の住人がいるらしい痕跡はない。つまりは、
「ケイネスさんにはいないのかしら?」
「やかましい!あやつとは心が通じ合わなかっただけだ!私は決して悪くないぞ!」
逃げられたようね。なんともいじりがいのある大将だわ。
「それよりも、ガルロッテに行くとなると、道中、先のような賊に狙われるやもしれんのだぞ?」
「それでも手がかりを探さないといけないもの」
「それならアマノ殿、貴殿はドライアーツを知っているか?」
聞きなれない単語が初めて出てきたわ。いや、さっきいくつかの文献にそんな文字列があったような気がする。
「なにかを代償に力を与えてくれるって、そんな感じのものよね?」
「左様。自らの『何か』を神にささげ、内なる真の力を目覚めさせると言われる代物だ」
確かにさっきまで本を読んでいた時に考えていたけれど、『ドライアーツ』が万能の武具なのかどうかはその人次第という曖昧極まりない表現しか記述がなかった。
要するに『心の強さ』とかそういう話なのかしら。どうやらギルフォードとかいう作者はそういう抽象概念が相当好きなようね。
「ケイネスさんはドライアーツの契約を交わしたの?」
即決する前にひとまず率直な疑問を投げかけてみる。
「私はこの剣を授かった」
そう言うケイネスが何も持たない手を正面にかざすと、一瞬そこに光が収束し、鞘に収められたロングソードが現れた。
「これがドライアーツ……」
ついまじまじと眺めてしまう。
見た目だけでいえばただの剣。だけど、どこか感覚的なところで明らかにそれとは違う。
「契約自体は簡単だ。ただ術式を用意して魔女の如く呪文を詠唱すればよい」
さて、それだけ聞くとすぐやろうとするのが一般的かもしれない。けどドライアーツの契約には『代償』が必要となる。代償なんて、仮にこの世界から戻ることができたとしたら、そのドライアーツの影響はリアルでどうなってしまうのかしら。考えてみれば恐ろしくもあるわね。
ドライアーツの契約は三回までできる。しかし、元々この世界の住人でない私にもそれができるのかしら。少し興味が出てきたわね。
「やるわ、その契約」
郷に入れば郷に従えと言うし、ここで生きる手段として考えましょう。
「わかった。契約の術式ならその本棚の脇にある。それを使うといい」
ケイネスの言う方向には、蓋のない木箱から大きな羊皮紙の巻物がいくつか頭を出していた。
その一つを手に取り広げてみる。
丸い円に六芒星、そしてその外枠を取り囲む呪文のような文字の羅列。さすがにこれは読むものじゃないわね。
それをケイネスに言われるまま床に敷き、詠唱する文字の書かれた小さな羊皮紙を手渡される。ケイネスさんには読めないのよね。それでよくドライアーツの契約ができたこと。
細かいことは気にしない。ただ読むだけだもの、すぐに終わらせましょう。
「我、内なる力を欲する者。自らを供物とし、その代償とせん。願わくば生に抗う望みを与えよ。我が器を満たす糧となれ……」
私の呪文詠唱とともにその意識は暗闇へと飲み込まれていった。
目を開かずともどこか明るい場所に出たのがわかった。
薄ぼんやりとする頭の中を整理しながら目を開くとそこは何もない真っ白な空間だった。
「文献にこんなものは載っていなかったわ……」
どこまで続いているのかもわからない白銀の世界。歩き出せば元の場所には永遠に戻れないような錯覚に陥りそうになる。
「こいつはイレギュラーにも程があんだろ」
立ち尽くしたままの私の後ろから声がした。聞きなれたはずのその声にすかさず振り向くと、そこには人型の黒い影のような物体が足を崩して座っていた。
「あなた、その声……」
「おっと、質問は受け付けないルールなんだ。それに、今回に限ってなんでお前がここにいるのか、俺にもさっぱりわからねぇ」
私の言葉を遮った影は首の後ろを掻く。
「まぁ、俺もお前もこの世界のイレギュラーって点では同じようなもんだ。さぁ、契約といこうか」
何がなんだかわからない。それなのに影から契約を催促された私の頭の中はいたって冷静だった。
「私はこの左腕を代償にするわ」
「なぜそうする?」
「この力がどういうものかわかっていないから。利き腕が使えなくなったら大変でしょう?」
なるほど、と感心するように頷いてみせる影はその手をこちらに伸ばす。数メートルほどの距離があったけど、左腕がなにかに反応しているのがわかった。
「契約は完了した。ドライアーツの契約はあと二回、代償はその力と交換に返してやることもできるから安心しろ。それじゃあな」
「ちょっと待ちなさい!あなたは……!」
熱くなる左腕を抑えながらその影に訴えた。しかし視界が真っ白な光に包まれ、影の姿が薄れていく。
「あなたは無事なの!?なんでこんなところに!」
私の叫びは彼に届かなかった。
なぜあの影が彼、竹井カグヤの声をしていたのか、今の私には分からなかった。