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第七十六話「チュートリアルの終わりへ」


「……アバター再作成用の課金アイテムなんて使ってないぞ?」


 両手で頬を引っ張るが、鏡の向こうの俺の顔からはマスクなんて取れもしない。

 ついでに痛みがあるから夢でもないようだ。平凡な日本人顔が今、目の前で途方に暮れている。


うーむ。

エルフ顔に慣れていたからどうにもいきなりだと違和感があるな。


「俺が寝ている間に何かあったか?」


『あったといえばあったが、あれはもう天災のようなものだ。諦めた方が良いのう』


 答えになってねぇよ相棒。


「教えてくれと言えば教えてくれるか」


『聞きたいというならの』


「なんだ、また知らない方がいいことかよ」


『そういうことだのう。知ったところでどうにもならぬ』


「そうか――なんてさすがに言えるか! どうするんだこれ!? うわっ、ステータスの種族表記もちゃんと人間になってやがるっ!?」


 レベルや持ち物に変化は無さそうだが、この面だと森に戻れない。

 いや、そもそもどうやって説明すればいいんだ?




『朝起きたら俺、人間になってたんだ(キリッ)』


『アホかぁぁぁ!?』




 間違いない。

 絶対にリスベルクがそんな感じに吼える。フランベならアナで俺の正体を見破れるかもしれないが、ナターシャとか理解してくれるか? 


 ヤバイ。

 思った以上に深刻な問題だ。

 本当にもうなんて言えばいいんだよ。


「やぁ、ボクだけど起きたかい?」


 事情を悪魔に問い詰めるべく擬人化してやろうと考えたところで、ノックと共にクリエイターの声が聞こえてくる。

 急いで脱いでいた兜を装備し直すとドアを開けると、電波少女(偽)の肩に乗ったドテイが挨拶してきた。


「おっはよーアルスちゃーん」


「あ、ああ。おはよう」


 二人とも俺の変化には突っ込んでこないようだ。

 気づいていない……のか?


「や。連絡を送った竜が新しい指令を貰って戻ってきたようだよ」


「分かった。すぐに行く」


「きっと取り返されるまえに急いで占領に向かえって話しだよぉ」


「はっはっはー。撃墜王ユグドたんのおかげで無意味な警戒だけどなっ!」


 涼しい顔で意味深なことを言うクリエイターは、そのまま背を向けて去って行く。


「……そうか。彼女のチート能力はユグドたんっていうのか」


 いかん。

 寝起きのせいか脳味噌が腐ってやがるな。

 そこまでして俺は現実逃避をしたいのだろうか。

 重傷だなおい。


『アッシュ?』


「……はぁ。とりあえずミハルドのところに行くか」









「出航する度に船が空からの光で沈没する、だと?」


 グレルギウスは宰相の説明に再び頭を抱えた。


「蒸気機関を搭載した新型はどうです」


「四隻とも全て、天からの光で海に沈んだと報告が届いておりまする」


「なんと……」


 グレイスは黙考した。


(かつて大陸中の聖地を焼いたというアレですか。警告……ではないとすればリスバイフを守る必要がある? そんな必要はどこにもないはずだが――)


「ええい。いったい何が起きているのだ!?」


 リスバイフに向かった侵略軍が孤立してしまうため、クルス側では海路による補給が実行されようとしていた。しかしそれがことごとく失敗した。

 なんとなれば陸路をと考えるグレルギウスだが、今は地割れのせいでロロマを介さない限り不可能。しかもロロマ経由のルートはリスバイフに取り返されたという報告が届いていた。


 そもそも、今現在はロロマがそれを許さないようにと国境を封鎖している。兵の帰国ならばともかく、リスバイフへの攻撃に対しての抗議は止まっていない。今、この形勢でそれを通させるのは容易ではなかった。クルスは今孤立しているのだ。


「……橋の建設はどうなっている」


「急がせてはいますが、やはり今しばらく時間がかかるかと」


「出来うる限り急がせよ。でなければ兵たちの動揺が酷かろう」


 宰相が頷き、すぐさま部屋を出て行く。


「ええい! いったい何がどうなっているのだ!?」


 悪魔の騎士とやらが出てきてから全ての流れが変わっている。報告を遅らせた無能に頭を悩ませていたところに、巨人までもが攻めてきた。

 巨人はルーズドック・ウォリアーとアフラーでなんとか押さえこませようとしているが、それも芳しくない。


 確かにクルスには魔法銃がある。それは強力な力だ。

 しかし彼らの前面には巨人たちの神が居て、真正面から意に返さずに攻めてくるというのだ。しかも相手は魔法銃を知っていた。


 アヴァロニアに向けられるべきそれが、こちら側に向けられているのだ。

 確かに性能と数は劣っている。しかし巨人のしぶとさが完全に彼らの読みを超えていた。


 魔法銃の基本コンセプトは対人である。

 アヴァロニア戦を主眼にして作られており、リスバイフ攻めに大半をつぎ込んでいた。このままの状況が長引けば、アヴァロニアが動くのも時間の問題である。


 黙考したままのグレイスは、眉間に皺を寄せる王を見て同情した。

 何も知らない彼にとっては悪夢でしかないと分かるからだ。


「……ここまででしょう」


「グレイス?!」


「リスバイフの王子が手の内に居る間に早急に講和を終わらせて戦力を集中。それで巨人を迎え撃つべきです」


「馬鹿な!?」


「このままでは全てを失いかねません。北の兵力を戻しておかなければ危ういでしょう」


「ぐぬぅ……」


「念神と言えど決して無敵ではありません。戦力と魔法銃を集中させ、飽和攻撃を行うのが現状では最上のはず。これならアヴァロニアへの牽制にもなる」


 西のアヴァロニアと西南からの巨人の遠征軍。

 西側へと兵力を向けるならば、一応は牽制になる。


「それしかないのか」


「運が悪かった、としか言えませんね。何か超常の力が働いたとしか思えない」


「まさかリストル様がそれを望んでいるとでも言うのか?」


「もしくは試練かと。しかし、今ならばまだ有利に終れるのでは?」


「そう、だな。鉱脈で溜飲を下げるしかあるまい」 


 元より、それ以外には大した価値を見出していなかった。それ以上の土地など必要ではないのだ。随分と抵抗されたが、それさえ押さえれば辛うじて帳尻は合うはずだった。軍部が報告を誤魔化してさえ居なければ。そして、理不尽な支配者が動きさえしなければ。


 王は知らない。

 リスバイフにはもう、クルスの兵など一人もいやしないことを。







 教会に戻ったグレイスは、すぐに考えを纏めると手駒を部屋に呼んだ。


「サイラス、一つ厄介ごとを頼まれてください」


「仕事か」


「人間を一人攫ってきて欲しいのです」


「いいぜ。今度はどんな罪状で捕まえる?」


「異端審問ではありません。向かう先はエルフの森。モンスター・ラグーンへと続くゲート・タワーの拠点です」


「なに?」


 さしものサイラスも驚いた。

 しかしふと、シュレイクの重鎮スイドルフ卿からの情報を思い出す。

 居たのだ。普通の人間ではたどり着けないその場所に人間が。


「廃エルフが黙っちゃいないだろう……アンタ、正気か?」


「勿論。私はいつだって正気でやりますよ。ですから筋書きはこうです。神には神をぶつける」


「クハッ! なるほどなるほどそれは重畳!」


 面白そうにサイラスは笑った。

 任務が失敗する心配など露ともしていないのは、相当に自信があるからだけではない。彼は自身の身体に流れるその血の半分さえ呪わしいほどに嫌悪しているからである。彼らの顔に泥を塗りたくれるなら喜んで仕事に赴ける。

 彼はそういう男だった。


「いいぜ。すぐに連中の間抜け面を拝んで来てやんよ」









「知ってるかいドテイ。いきなり意味不明なレベルの強者が出現するとさ、物語って途端に陳腐になるんだ」


「そうなの?」


「例えばアリマーンみたいな奴かな。伏線が無いと読者はついていけないんだぜ」


 大判の書籍をめくりながら少女は言った。

 ハードカバーの書籍かと思えばライトノベルだ。


――『別にチートな私がTUEEEしてもいいよね? 6.王都炎上編』


 おい。

 そのタイトルのあからさまな日本語表記はなんだ。

 これにはさすがに俺でも突っ込まずにはいられないぞ。


「おいそこの日本人」


「ふむん? それは誰のことだい」


「お前だクリエイター」


「はっはっはー。勘違いをしているぜアルス先輩。ボクは生粋のクロナグラっ娘だよ」


 会議には出ず、砦の屋上に居たクリエイターはのたまった。

 不思議なことに彼女の周囲には雪が積もっていない。

 いや、寒ささえ無い。


 魔法か魔術かで結界を張っているのだろう。イシュタロッテと同調しなければ分からないが、それぐらいしか考えられない。が、そんなことはどうでも良かった。


「お前、俺に何をした」


『アッシュ!?』


 単純な消去法だが、この砦の中で何かができそうな奴はこいつしかいない。そして最後に俺が話していたのも彼女だ。イシュタロッテかとも考えたが、このタイミングで何かをする理由が浮かばない。結果として不自然な異物である彼女しか候補が居なかった。


 そしてイシュタロッテのこの反応。

 やはり犯人はこいつか。

 思えば、あの王都制圧でもイシュタロッテはあの攻撃を知っていた節が有った。

 この二人は間違いなく知り合いだ。


「何をしたか……ね。敢えて大げさに『何もかも』と言ってあげようかな」


「隠さないのか」


「隠して欲しいのかい?」


「まさか。知りたいから尋ねているんだ」


「じゃ、聞きたいことを聞いてみなよ」


 少女はこちらを見ないままペラリとページをめくる。

 ドテイが彼女の顔色を伺っているが、結局はそのまま沈黙を選んだ。


 やはり彼女も知っていたということか。

 どいつもこいつも秘密主義だ。


 まぁいいさ。

 だったらここで聞き出してしまえばそれで一つスッキリする。


「何故こんなことをした」


「気に食わなかったからね」


「気に食わない? それだけなのか」


「うん。たったそれだけのことでしかないよ」


 ぺらり。


「でもおかげで頭がすっきりしているでしょ。寧ろ感謝して欲しいぐらいだ。ボクは君の不具合を軽減してあげたんだからね」


 不具合……だって?


「君は外側に対してはともかく、内側からの攻めにはとても無防備な未完成品だ。だから昨日、連中が悪さし難くなるように属性を少し変えさせてもらった」


「その連中っていうのは?」


「君を念神にした者たちだよ」


「訳が分からない」


「それでいいよ。説明したところで今の君は信じないだろうし」


 ページがめくられる。

 まったく微塵も分からないが、まだ会話は投げ出せない。俺は更に追及を試みる。


「元に戻せるのか」


「不可能だね」


「なに?」


「だって処置できるボクにその気がないんだから」


 面倒になったのか、栞を挟んでパタンと本を閉じたクリエイターが立ち上がる。


「でもまぁ、そうだね。ボクと戦って勝てるというのであれば考えてあげてもいいかな」


 「お約束展開って奴だね」、などと言いながら、無防備に背を向けて距離を取る黒髪少女。

 いったい何を考えているのかなんて俺には分からない。

 ただ、距離を取って振り返った少女の瞳は笑ってはいなかった。

 ギョッとして離れるドテイをそのままに、彼女は準備体操<アップ>を始める。


「挑戦料は一回分の命だ。幸い君に残された残機はギリギリ一回分だけ残っている。死に戻るための想念をここで無為にするかは君次第だ。さぁ――どうするアルス先輩?」


『止めよ! お主ではそやつに絶対に勝てぬ!』


「いいぜ。やってやろうじゃないか」


『アッシュ!?』


「止めた方がいいと思うけどなぁ……」


 イシュタロッテが悲鳴を上げ、ドテイが忠告してくるが敢えて無視。


「ルールはどうする」


「何でもありでいいよ。そうだな。二つだけ忠告しておいてあげよう。壊されたく無ければアーティファクトを武器や防具として使わないことだ。そして――」


 瞬間、体操中の彼女が紅に燃えた。

 炎に包まれながらの屈伸運動は酷くのんきに見える。

 けれどその光景に、俺は既視感<デジャブ>を感じた。


 知っている。

 識っている。

 シッテイルハズダ。


 俺は絶対に、これと似た光景をいつかどこかで見たことがある。

 どこだったかが思い出せない。

 どこかの街の裏通りだったような気がするし、荒野だった気もする。

 あるいは砂漠、もしかしたら山。いや、川や海だったかもしれないし、洞窟や空の上だったかもしれない。


――ボクの名前は■イエ■・■イ■。


 フラッシュバック。

 脳裏を過ぎる数多くのイメージの断片が、ノイズがかったたまで描写されていく。

 断続的に切り替わるそれで頭の中が埋め尽くされそうになる。

 なのに、思い出せそうなギリギリ紙一重で何かが脳裏に引っかかっている。


 それが中途半端に過ぎて嫌に気持ち悪い。

 けれど、不思議な確信だけがそこにはあった。

 イシュタロッテは止めるけれど、眼前に居る少女と戦えば、この知らないはずの光景の意味が分かるはずだと。

 

 真実を希求する衝動が抑えられない。

 知りたい。

 この幻影の先、そこにあるはずの答えを。


 命一つ分だって?

 上等だ。

 そんな程度でこの圧迫から解放されるというなら一回分ぐらいくれてやる。

 これ以上訳が分からないままで居る方が耐えられない。


「――ボクはやるといったらやる女だから途中で止めたりしない。それでいいならかかってきな。少し楽しみだよ。君とやりあうのはこれが初めてだから……かな?」


「そりゃ当然だろ。俺とお前は会ったはずがないんだから」


「……そうだね。ボクたちは初対面だった。うん、君の認識は悲しい程に間違ってない。こんな出会いはきっと、起こらない方が良かった」


 軽く数回ジャンプし、少女がコートを投げ捨てる。

 気温など知らぬとばかりに着ていたセーラー服が晒され、俺の中でフラッシュバックが酷くなる。


「ドテイ。それを頼むよ」


「う、うん」


 そして少女が拳を握る。

 炎を纏って徒手空拳。

 武器は無く、構えも無いただひたすらに自然体。



――どうせなら君も難しいことなんて考えなきゃいいんだ。

――君たちレベルの戦いなんてさ、大抵先にぶん殴れるかどうかの勝負になるからね。

――だからレベルを上げて反応速度と身体能力を上げな。

――イシュタロッテがあるし、まともにやるより君はそういう単純なのほうが多分早い。

――ただの一撃だ。

――技量を無視するオーバースペックで叩き込めばそれで終る。

――人なんて思っている以上に脆弱なんだからさ。



 どこかで誰かがそう言った。

 幻聴のはずの言葉は明朗だ。

 まるで直接聞いたかのようにはっきりと聞える。

 その先を聞こうと、おぼろげな幻影に意識を割く。

 けれど、はっきりと言った誰かの姿を脳裏に捉える暇はない。



『何故だ。何故そんなに拘るのだ! 知らないままで良いじゃろう!』


「そんな訳があるか。後悔するにしても終ってからだ」


『ええい、ならばもう好きにせい!!』


 知覚が広がる。

 力が膨れ上がる。


 纏う加護の燐光に、 取り出したレヴァンテインの炎が重なって周囲を燃やす。


「言っておくけどさ。勝利が視えないその瞳じゃあボク相手には無意味だぞ」


「無意味なんかじゃないさ。これは勝ちを狙うための眼だ」


 ただ未来が視えただけで勝てる訳が無い。

 視たら視たで望む未来を引き寄せるための行動が必要になる。

 そうと教えてくれたのは誰だ?


――可哀想に、もう詰んでいるのにね。


 そうして悪魔の加護を得てようやく気づけた。

 目の前の少女が、いったいどれほどのデタラメだったのかを。

 彼女は全てを超越していた。


 力の上限が読めない。


 特上の悪魔<イシュタロッテ>でさえ極限にまで感知しにくい程に薄い癖に、それでいて異常な力の塊として目の前に存在している。

 それだけでも途方も無い矛盾を抱えているというのに、こいつは絶えず力を集め続けていた。


 桁が違う。

 俺がただの蝋燭の炎なら、こいつは煮えたぎるマグマか太陽だ。

 こんな理不尽が存在しているなんて馬鹿げている。


 正気じゃない。

 こんなのに挑む自分も、あんな非常識を彼女に残して消えた糞ッタレ野郎共も。

 そして、もっとも理解しがたいのがこいつの力の一部が何故か俺に流れ込んでいるという事実だ。


「そうか。アナが視たのはこれか」


 でなければ説明が付かない。

 ならば。

 俺という存在の全てを目の前の少女は知っているのだろう。


「本当、何もかにもが狂ってやがる」


 身震いするような狂気<リアル>が目の前にあった。

 それでも心は戦いを放棄しようとはしない。

 寧ろ見慣れた光景に安堵してさえいた。

 この不思議な感覚はなんだ?


「何事ですか殿!」


 ルーレルンや他の竜たちが血相を変えて飛んでくる。


「なーに、ちょっとしたレクリエーションだよ」


「そういうことだ。邪魔しないでくれよ」


「し、しかし……」


「行くぜ」


「何時でもいいよ。返り討ちにしてあげようじゃないか」


 頷き、俺は駆け出した。

 目の前の少女は人間でさえない化け物だ。

 小細工なんて無用。タダひたすらに右手の魔剣を当てることだけを考えて振り下ろす。


――彼女は、垣間見た未来同様避けようともしなかった。


 当たる。

 間違いなく、この渾身の一撃は命中する。


「ッ――」


 全ては、悪魔の瞳通りの結果だ。

 だが、なんだこれは。

 振り下ろした腕に走るこの痺れはなんなんだ。人の斬ったとは到底思えない感触。まるで鉄板とゴムの複合素材でも叩いたかのような奇怪な反動。


 間違いない。

 アリマーンよりも、こいつの方が兆倍ヤバイ。

 こいつは、障壁さえ張らずに生身で一刀を受けきった。


「ここに来て小細工無しに真正面からとかさ。もう潔いのか馬鹿なのか分からないね。嗚呼、でも君はそういう馬鹿な奴だったかな。彼はそう、基本は馬鹿だった。うん。そうだった、そうだったねアッシュ――」


 振り下ろした剣の向こうで、斬撃を左手一本で受け止めた少女が笑う。

 ガッチリと刃を押さえつける指先は、万力のように刃を抑え込んで放さない。

 いや、そればかりか。


「馬鹿な!?」


 力を込めているとさえ思えない程に涼しい顔色なのに、不壊のはずのレヴァンテインからミシミシと信じられない音が聞こえて来ていた。

 幻聴なんかじゃない。間違いなく刀身にヒビが入っている。

 神造兵装<アーティファクト>とさえまともに打ち合える俺の剣が。


「確かに壊れ難いという認識は合ってるぜ。でも存在する限りどんなものでも壊れるものだよ。君もボクもそうだ。この世界の何もかもは終わりを内包しているんだからね」


 右手が引かれる。

 瞬きし、抗うために未来を視る。


――下から殴られる。


 咄嗟に身体は反応した。後退するべく膝を曲げ、地面を蹴っている。

 だがしかしそれは絶望的なまでに遅すぎた。


「飛べ」


 懐には何時の間にか彼女が居る。

 未来が詰んでいた。

 何度未来を模索しても、全ての未来で俺の末路が決まっていた。

 そして来たるは回避不能のアッパーカット。

 雷光さえ凌駕して、それはイシュタロッテの張った魔法障壁を薄紙のように貫き、鎧さえも馬鹿力で粉砕した。


「――ッ!?」


 俺の意識は確かに、一度そこで断絶した。







『――シュ! アッシュ!』


 気が付けば大気が燃えていた。

 空気の摩擦熱やら断熱圧縮やらで赤熱化する鎧を見ながら、俺は地上がとてつもない速度で遠ざかっていくのを見た。


――なんだこの状況は?


 ログにエラー発生が発生。

 ダメージが俺の最大HPよりも五桁は多い。

 まさかとは思うが、表現桁数の限界さえも超えているんじゃないだろうな。

 おまけにHPのゲージの色が無くなって数値が完全に文字化けしている。


「なんで……生きて……」


 思わず呟いた俺に 後方から声が投げかけられる。


「――サービスさ。たっぷりと受け取りな!」


 なんとか身体を振り仰げば、振り上げられたパンプスの踵で迎えられる。

 二度目の衝撃。

 纏った鎧の背面部が砕けたような音と共に、運動エネルギーが急速に捻じ曲げられた。

 背中が粉砕されたような錯覚の後に奔る激痛。一回死んだとそうはっきりと分かる責め苦の中、俺の身体はまたしても不自然に耐え切っていた。


 HPゲージの表記が変動するもやはり文字化け。不可解な値を示し続けている。

 状態は相変わらず意味不明。しかし現実は続投の気配を見せつけて止まない。もはや死に逃げることさえこの身には許されない。


『アッシュ!?』


 ピンボールに成り果てた体は止まらない。

 真上の雲が遠ざかる。

 酷い光景だった。まさか、一撃で雲の上にまで出ていたなんて。


「げ……そく……いと――」


 身体が満足に動かない中、なんとか翼を借りて運動エネルギーの相殺を試みる。

 レヴァンテインを取り落とさなかったことが奇跡のようだ。


『追撃が来るぞ!』

 

 彼方から魔力が膨れ上る気配。

 見上げれば、残光を残しながら尾を引く何か落ちて来ていた。


 その色は紅。

 網膜に焼きつくほどに紅い破滅の色だ。


 間違いない。

 それは念神たちが例外なく悲鳴を上げた彼女の――。


「喰らいな」


 回避機動を取るべく必死に翼を繰る。

 だがそれに合わせるように、容赦なく彼女は突っ込んできた。


「バーニン――」


 避けきれない。

 彼我の機動性までもが違いすぎる。


「――キィィィッッック!」


『ぐっ。転移が間に――』


 転移で躱そうとしたイシュタロッテの魔術行使よりも早く、俺の腹へと突き刺ささる必殺の一撃。それによって減速し掛けた体が斜め下へと最加速。四秒もせずに地表へと俺を誘った。


――三度目の衝撃は、盛大な落着音と共に来た。


「――」


 肺から搾り出される空気の向こう、舞い上がる雪と粉塵が見えた。

 しかしそれで終ることはない。


「そいやっ!」


 四度目の衝撃。

 地面にめり込んだはずの身体が、爪先一つで跳ね上げられる。

 ボロ雑巾のように旋回する体。

 視界がグルグルと回る中、胸部に回し蹴り炸裂し五度目の衝撃に見舞われる。


 悲鳴をあげる暇さえない。気が付けば俺は雪山の斜面へと転がされている。

 また一瞬、意識が飛んでいた。

 状況の認識が追いつかない。


――六度目の衝撃。


 地面をバウンドする俺の上に、そいつは両足で着地するや否や地面を蹴って無理矢理にもスノーボードへと突入していた。

 彼女が地面を蹴るたびに盛大に雪が舞っている。

 これは、本当に現実なのだろうか?


 もう分からない。

 夢と現の境目で、俺はもしかしたら幻覚でも見ているのかもしれない。

 

「夢? 幻覚? そんな訳があるもんか。これが君の現実だ」


 雪原を削りながらクリエイターの少女は滑り落ちていく。

 眼を動かせば、レヴァンテインはそれでもまだ俺の右手にあった。

 まだ反撃の意思はある。なのに、どうしても身体がついてこない。

 全身の骨という骨が粉みじんにされたかのように動いてくれないのだ。


 頭に衝撃。

 歯を食いしばって耐える向こうで、割れた岩石の破片が見えた。

 果たして、何キロ程地面を削らされた頃だったか。

 何のために挑んだかさえ分からなくなっていた頃、彼女は言った。


「なんだ。もう諦めるのかい」


 分かりやすい程の失望の声だった。

 それが、何故か無性に癪に障る。


「このままだと本当に無意味な死になるぞ。命はね、普通は一つしかない尊いものなんだ。だからほら。捨てる命に見合う物を取り戻してみせなよ」


「く……の……壊神めぇ――」


 力を振り絞るも、身体は答えない。

 HP残量から考えれば当然だった。

 どうしようもないほどに俺の身体はもう死んでいる。

 彼女が終らせようと思った瞬間に間違いなく終るだろう。だからこそ考えた。何か、何か無いのかと。


 しかし現実は非常だ。

 精神論では超えられない壁はそこに慄然と存在する。何もかもが非情な論理によって否定されてしまう。


 理解できない。

 何故こんなことができる? 

 どうしてこんな不条理が罷り通る?

 これならまだ、アリマーンの方がよほど理解できる。


「いいやそれは違う。君はこれが当然の結果だと知っているはずだ」


「な……に――」


「アッシュ、君が知らないなんて嘘なんだよ」


 直接頭に響くような声は、少しだけ哀しみに濡れている。

 やがて全ての雑音が消え、その声の主を見上げることしかできなくなる。

 そんな俺を見下ろし、少女は声色を誤魔化すかのようににっこりと表情を変えた。


「いいぃぃやっほう!」


 浮遊感。

 凄まじい勢いの中、崖上を飛んだであろう俺の上で少女がオレごと縦回転。空中で身を捻り、鮮やかなトリックを決めていく。


――八度目の衝撃。


 雪山に半ば埋もれるような格好で落着した俺の上から少女が消えた。

 スノーボードタイムは終了らしい。


 酷い有様だった。

 体は動かない。

 手も足もでないどころか、悔しささえ湧き上がってこない。


 不思議だった。

 これが当然なのだと納得している自分がどこかにいたのだ。


 やがてサクサクと雪を踏みしめる音が上から聞こえてきた。

 視界には、上からひょっこりと覗き込むクリエイターの顔がある。


「さっきも言ったけどさ。君は答えを知っている。思い出せないのは邪魔者共の妨害工作でしかない。でも、もう思い出せる所まで来たぞ。さぁ、後一息だ。それで楽になれんだからいい加減に思い出せ! 君がアーク・シュヴァイカーだった頃を! 彼女<ボク>のことを!」


 意識が朦朧とする。

 だってのに、何故。

 どうして。

 こいつの泣きそうな顔だけは、こんなにもしっかりと見えるんだろう。



――罪の意識一つ無いのだとしても、その分は俺が感じてやる。

――お前を一人ぼっちにだけはさせない。

――俺はお前の共犯者で、お前の男だ。それでいいだろっっ!

――クロナグラの怨嗟はお前に向かう。憎悪はお前に集束するっ。

――絶対、そんなになったら苦しいんだよ。生きるのが辛くなるんだよ。そうなるのが良いわけが無いんだよっっ!



 カチリと、何かが嵌ったような感覚。

 ただのフラッシュバックが記憶に変わる。

 その果てに、ようやく俺は思い出していた。

 真っ黒で透明な性根の、その女の顔を。



――ずっと、俺の側にいろよ。



「――レイエン……テイハ?」


「上出来だ。それさえ思い出してくれたら十分だ」


 右手が掲げられ、その手に長大な銃が実体化<マテリアライズ>。


『嬢ちゃん! おぬしは本当に?!』


「当然だエロ悪魔。テイハはそういう女だっただろう? さぁ、長過ぎたチュートリアルは終わりだ」


 灼熱を纏う銃口が眼前に向けて振り下ろされる。

 銃口は輝き、遊びの時間の終わりを告げようとしていた。

 俺は、最後の力を振り絞ってイシュタロッテをインベントリへと仕舞い込む。


 確信していた。

 アレを、レーギャルンの一撃を喰らったらきっと、アーティファクトでも跡形も残らないだろうと。


 そして思い出したから納得した。

 これは不条理ではなく、ただの当たり前の結果なのだと。


 何故なら、彼女はこの星の支配者だった。

 この星の誰もが知らず、認めず、その正体さえ知らない孤独な造物主の末裔様だ。


「おかえり」


「――ああ。ただいま」


 そして、容赦なく引き金が引き絞られた。

 零距離から灼熱が視界一杯に広がって懐かしい色で全てを染め上げる。

 それで今度こそ、俺は死んだ。








 クレーターの中、小山を一つ消し飛ばしたレーヴァテインは金貨の山に埋もれていた。


「懐かしいやりとりだったね。うん。だからこそ余計に思うんだ」


――オマエはキモチワルイ、と。


 決してそれだけではないけれど。

 その感慨からはもう彼女は逃れられない。

 転生幻想の限界に由来するその複雑な心境を胸に、少女は金貨の山を右手で掬い上げる。


「問題はこの後か。なんだか無茶苦茶になってきたけど……」


 雪と泥に汚れたそれは、ゲーム設定の模倣のためだけに用意されたゲーム通貨のレプリカだ。純金で作られているとはいえ、そんなものに彼女は大した感慨など抱かない。

 掌から零れ落ちたそれに頓着せず、多目的魔導ライフルを仕舞うと身支度を整えて転移する。


「帰還したぜ!」


「おかえりぃ。それで……その、アルスちゃんは?」


「その内に戻ってくるよ。んん? 竜たちの姿が見えないね」


「すれ違わなかったの?」


「うん。ま、別にいっか。どうせもう仕事は終わりだし」


 戦局は無理矢理振り出しに戻した。

 問題は一つ残っているが、そんなものは個人の我侭であり些細なものでしかない。

 コートを羽織り、ドテイを肩に乗せると彼女はリスバイフを去ることにする。


(ここまで来たらもう一回、荒療治を狙ってみるかなぁ。そっちの方が手っ取り早い気がするし。うーん。よし。どうせなら行き着くところまでやってやるか。それでダメなら……この実験は失敗だな。終らせよう……全てを)









「またここかよ」


 眼が覚めると、そこはあの場所だった。

 俺が覚醒し、アリマーンにやられた後で復活したあの家だ。

 正直、頭の中がまだこんがらがっている。


 だが、ふと思うのだ。

 どうして、それを認めなかったのかと。


 仮に転生という現象が在り得るというのなら、必然的に前世が有るというのは当然のことなのに。先が有る癖に前が無いなんて、そちらのほうが不自然じゃないかよ。

 結局、イシュタロッテの言葉は正しかったのだ。

 掛け値なしに、あいつの眼力に狂いは無かったということなのだ。


「参ったな……」


 もう逃れられない。

 記憶があるのだ。

 はぐれエルフ――アーク・シュヴァイカーとしての記憶が。

 こうなってくると自分が本当に日本人の学生だったのか、この世界を生きていたはぐれエルフだったのかさえ曖昧になる。


 まるで胡蝶の夢だ。

 二つの記憶の混在。

 それは少なくない混乱と、自分というものの定義を曖昧にした。

 アイデンティティが崩壊する。


「俺は誰だ? なんてな」


 腹が捩れそうだ。

 込み上げてくる失笑感が抑えられず、気が付けば大笑いしていた。


「ハハッ。でも、これで今までの不可解の大半に答えが出た」


 不思議と前世記憶とやらがはっきりと思い出せる。

 その中で、あいつが前に言っていたことを思い出した。

 転生とは、彼女たちからすれば脳という天然の魔導機械<バイオマシン>が行っているただの魔導現象に過ぎないのだと。


 当時は訳が分からなかったが、今の俺ならなんとなくだが理解できるような気がする。


――ループマンレポートさ。

――なんだそりゃ?


『世の中にはね、死ぬとか必ず過去の自分にループするって人が居たんだってさ。でも、調べていくとそれはループじゃなくて並行世界の自分への無限転生だったって分かったんだ。で、そこから研究が進んで転生コードっていうのが発見されたわけ』


 話の種としてか、珍しい話として話題に上り、実際に転生コードとかリインカネーションコードとかいう電波(?)を採取されていた記憶が有る。

 今の俺の正体は、恐らくその転生理論を応用した存在なのだろう。


 生物は遺伝子で存在を次代へと繋ぐ。

 だがそれで繋げられるのは肉体的な情報だけ。

 だから、転生とはその逆。つまり魂の繁殖行為なのだとあいつは言っていた。


『もしくは弱肉強食で淘汰されるべき弱者の最後の足掻きだって説もある。リア充は転生し難い統計があるんだ。そうやって弱者は霊的に進化する。満足して死ぬために。裏付けることになるかどうかはわからないけれど、前世に未練がある人が転生者に多いんだ。そして転生した人は、生前の技能により技術習得が早い傾向にあるそうだよ。どうやら才能に転生が重大な要素として起因してもいるらしい』

  

 馬鹿馬鹿しい話だ。それじゃあまるで、満足して死ぬために転生なんてものがあることになる。胡散臭すぎて信じるにさえ値しない与太話だ。

 何が魔導科学だ、なんて思う。でも、だったら今をどうやって否定すればいいのかが俺には分からない。だから結局、そういうものだと受け入れるしかなかった。


「なんだ。分かったら大したことないじゃないか」


 それはそれで世紀の大発見かもしれないけれど。そういうものがあるという前提で考えれば大した話ではない。だって、もう生まれてしまった俺にはどうしようもないレベルの話だ。俺の現実は始まっているのだから嘆くにしても遅すぎる。


『ドリームメイカーはね。現在過去未来並行世界。時間と空間を越えた先に居る者の中からネットワークに無作為に選らばれた、マイノリティ的な思想の持ち主さ。ボクのように親に接続された例外はあるけれど、彼らはそれぞれの世界での情報と知識を集積し、必要とあれば連絡を取り合ってプロジェクトを進めるんだ。例えば『召喚幻想』なんてのがある。異世界召喚されたいけど、僕は、私はいつまで経っても召喚されない。もうただ座して待つなんて、口を開けて待つだけの人生は真っ平だ。だったら、異世界人を召喚するような世界を作って呼ばれちゃおうぜ! なんて発想で実際に作り上げてしまう連中なんだよ』


 無いなら自分たちで作ってしまおうという者たちなのだとか。

 ねだるのではなくて、勝ち取り行くはた迷惑な行動派。

 転生のからくりが証明されたなら、後はただ実装していればいつかプレイヤーとしてたどり着ける。もしくは、そのまま誰かが作った夢の世界に旅立って、そこでプレイヤーとしてリアル人生ゲームを遊び尽くせばいい。


――今、そこに無いはずのものが欲しいのさ。

――隣の芝生が青く見えるように、幻想の向こう側は夢のような世界に見えるから。


 手にしたくてもできない体験<ユメ>を。

 それらを求めて彼らは動いたという。

 空を飛びたいからと飛行機を作った誰かのように。

 宇宙を目指してロケットが開発されたように。


 ただ前へ。

 それは一般大衆ではなくて、突き抜けたマイノリティたちが現実に持ち込んだ夢の形でしかないのだろう。その結果の一つがこの世界『クロナグラ』。


『彼らの中には星を改造するのも居る。中には自分の生まれた星で金儲けに走るのもいるけど、動き出したら技術的ブレイクスルーってレベルじゃ済まさない。無いはずの物が実装されるんだから当然だよね。バタフライエフェクトが生じないわけがない。そうやって少しずつ世界は夢で侵されていく。クロナグラはそのための実験場の一つなんだ』


 未来のネコ型ロボットが無いなら作ろうと挑み、現代社会に魔法が無ければ新発見と証してネットにばら撒き普及させることさえする。

 どんなナンセンスだろうと形にしようと足掻き続けて、現実を夢で犯すためならスタンドアローンでさえ動く狂気のクリエイター集団。


――それが、夢を創造する者<ドリームメイカー>。


『ボクもその一人だ。でもなんていうかなぁ。ボクはどうもプレイヤーって立場にはあまり魅力を感じないんだよね。ただ彼らを喜ばすのは結構好きだからさ。それなりにやりがいを感じてもいるよ。この三千世界を呆れるほどの夢で満たす手伝いをするお仕事。なんともロマッチックで、やりがいがありすぎる仕事じゃないか!』


 結局、お前はやりきったんだろうよ。

 チトテス8『クロナグラ』で、あの最低最悪なA計画を。

 サンプルを間引くことによる、念神の自発的アーティファクト化及び量産化計画のその実証とやらを。


 そうか。

 だからこそのラグーンズ・ウォーか。


「何が神滅の呪いだ。最初からそのつもりだっただけの話じゃないか」


 ただの勘違いだった。

 誰も知らないからこその。

 結局、それはアーク・シュヴァイカーのためではない。

 まったくの別件で、それを知ったアークが嘆願して遅延していたにすぎないただの計画だ。


 逆に、だからこそ背筋が凍る。

 いったい、そのためにお前は何人殺した。

 いったいどれだけの罪を、怨嗟を、ネットワークに情報を還元するためだけに一人で背負った。

 お前は彼らを実験体<サンプル>だと言うけれど、そいつらだって生きているんだぞ。

 

 前世の記憶と感情がとりとめもないほどに溢れ出して来る。

 その大半はたった一人の孤独な造物主様のことばかり。所詮は他人の記憶なのに、それを知る度に歯痒さが付きまとう。


「――そうか。結局アーク・シュヴァイカーが守れなかったからか」


 その罪の半分も背負えず、全てを裏切ってでも何もしてやれなかった。

 その後悔が忘れられないのだ。

 そこまで考え、俺はようやく思い出した。

 いつまでも前世の記憶に浸り続けても意味が無いと。


 壊れかけた装備をスキルで修繕。砕けたように感じた鎧も、ヒビが入ったレヴァンテインも完全に修復された。そうして完全に修復を終えればイシュタロッテを取り出して身に着ける。


『無事か!』


「心配をかけたな相棒」


 だが、その甲斐はあったと信じたい。

 この世界と、俺自身の真実の一端には辿り着けたのだ。これでもう、かすかに残っていただろう地球への未練は完全に消えた。


 俺はただの作品<ツクリモノ>で、初めから故郷なんて何処にも無い。強いて言えば、あの何処とも知れぬシリンダーの中が故郷だったのだ。

 そしてきっと、あの娘たちも彼女の作品か。

 結局初めから騙されていた、ということか。


「相棒。多分、俺は前のことをだいたい思い出したと思う」


『そう……か。ならばどうする。思い出したお主は』


「どうもしないさ。砦へ戻ろう。まだ聞くべき事はあるし仕事の途中だ」


 リスバイフにあいつは興味などないだろう。

 きっとあいつは俺に思い出させるためだけに来た。


 だが疑問が残る。

 何故今頃になって来た。

 この姿、地球人としての灰原はいばら 修二しゅうじの姿の意味はなんだ。

 アーク・シュヴァイカーを求めるためだったらこの姿は論外だ。


 ならあいつが今の俺に望むモノはなんだ?

 残り一回分のこの命だけ残して、俺に何をさせたいんだ?

 なぁ、テイハ。







「――臭う。臭うぞ。ここ数年で一番臭う」


 コールタールのような黒い異形の塊が震えた。

 その身体から何故か、狼のような黒い頭が生え出してスンスンと鼻を鳴らし出す。

 やがてその頭は北西で止まった。

 それは、彼が居るビストルギグズから考えればユグレンジ大陸の有る方角だった。 


「逃れえぬ破滅の匂い。死臭さえ芳しくなる煉獄の息吹。今度は何をするつもりだ小娘」


 ありもしない死臭が、クロナグラ全域へと広がっているような錯覚があった。

そしてそれは消えずに残っている。まるで何かの予兆のように。


――何かが起こる。


 力をこれほどはっきりと観測できたのだから、その動きに彼は注視せずには居られない。

 確信だけが嫌に膨れ上がり、煩わしい程に彼の野生に危機感を煽り続ける。


「誰ぞここへ」


「はっ」


 獅子の顔を持つ獣人が一人、急いで馳せ参じる。


「人間共の大陸へ出向く。ビストルギグズ全域に触れを出して守りを固めよ。留守は任せる。何があろうとも戻るまで耐え忍ぶのだ」


「はっ。……はうぁ!?」


 言うなり獣神『ビスト』の身体が変わる。

 液体にも似た黒の異形からは細く、しなやかなで強靭な足が生え出す。かとおもえば、その身体もまた俊敏性の高い胴体へと変わっていく。

 胴体から生えていた狼の頭は引っ込み、猫科と思わしき顔に生え変わる。

 身体の大きさは竜にも劣らないほどに巨大だっただろうか。だがそれも、少しずつ圧縮されて縮んだ。けれどその存在感は決して損なわれはしない。


 獅子面の男がその覇気に自然とひれ伏す中でゆっくりと変態。やがて出来上がったのは、一匹の黒き獣であった。

 猫よりも速く、獅子よりも獰猛。

 それに近い生物を言えばチーターが近いだろうか。だが、大きさは三倍は確実にある。寝床から起き出した彼は、一声吼えると後を任せて館を出た。


 四足歩行の大地を蹴り、空さえも蹴って走る。

 やがて彼は自然と当たり前のように音さえも置き去りにした。


 その速度。

 その存在力。

 それらは全て、彼こそが回帰神の一柱であることを証明している。

 纏う燐光が眼下で彼の信者たちを震わせる中、一直線にその方角へとひた走るのは一重に、恐怖からだった。








――爆音が引っ切り無しに耳に届く。


 平均身長四メートルほどの巨人族と、人の子供程度の大きさのホビットの混成軍が銃火の中を走って進む。


「これが、こんなものが戦場だというのか」


 これまでのそれとはまったく違っていた。

 兵士の質ではなく、ただの武器の質が戦場を支配するなどアフラーには到底信じられない。密集陣形など、もはや許される時代ではなかった。

 そんなことをすれば、雨の用に降り注ぐ爆裂弾でまとめて吹き飛ばされる。古い時代の記憶を色濃く残すからこそ尚更に、人の命を著しく軽量化するそれらへの違和感が拭えない。


「命の価値とは、ここまで下がるものなのか……」


 廃エルフのプルアス山脈付近への進行を阻むよう仕事を請けていたが、クライアントの急な命令変更でとんぼ返り。その果てに彼を待っていたのは、侵略者からの防衛任務だった。

 兵を治療し、戦線を支えろと言われてそれっきり司令部からの返答はない。

 巨神は違う場所に部下を連れて進軍しているようだったが、それにしても采配が酷すぎた。


「アスタール様!」


 自らの傭兵団『アメシャル・スペンタ』の男が、怪我人を肩に担いで走り寄って来る。

 だがアフラーは一目見て悟っていた。


「――ダメだ。彼はもう死んでいる」


「そんな。つい、さっきまで生きて――」


 男の顔が吹き飛んだ。

 飛び散る脳漿がアフラーの眼前でむせ返るような血臭へと変わる。


「ええい!」


 振り返り、跳んで来た魔法の弾丸を盾で防ぎ魔法を紡ぎ長剣のアシャールを振るった。

 剣の切っ先から炎が飛ぶ。


「ぎゃぁぁ!?」


 魔法の炎に包まれたホビットが、魔法銃を取り落として地面を転がるも火は消えない。 そのままもがき苦しむようにして焼かれ、その生に終止符を打たれる。

 それを確認せず、アフラーは振り返り魔法を紡ぐ。 

 

「――戻れ戦士よ。死とは最低最悪の悪で有るが故に」


 背中に担いでいる大剣が輝く。

 すると、頭を吹き飛ばされたはずの男の頭部が見る見る復元されていく。


――アーティファクト魔法『死が死せる天の園』。


 それは最後には勝ち、死の存在しない世界へと教徒を誘う善神アフラーの魔法である。

 先に掛けておくことで死ねなくなる呪い染みた効果を持っており、アリマーンが宿主をを殺しきれない最大の強みであった。死んでいなければアフラーは癒すことができる。故に、アメシャル・スペンタでは戦死者など出たことは無い。


「――はぁ、はぁ。すんません」


「気にするな。それより住民の避難を支援するぞ。ここは直に落ちる」


 言った途端、爆音が遠くから聞えた。

 司令部の方角だった。

 元々防衛設備の整っていない小さな町だったとはいえ、こうも呆気ないことにアフラーは愕然とするしかない。


 投入された新兵器は強力だ。

 しかしそれに対する防衛戦術の研磨はどうだったか?


 確かに攻撃力はインフレし強力になった。

 だがその戦場の進化に、戦術や戦略がまったく追いついてはいない。

 開発国でさえそうなのだ。その滑稽さに、アフラーは彼らの驕りを見て取った。


「やはり私がやるしかない」


 ここに来てアフラーは、廃エルフがリスバイフで単独で行動に出ていた意味が分かる気がした。

 そうでなくては守れないのだ。


 巨人は回復力を武器にホビットの盾になりながら突っ込んでくる。

 ライフル型の一発や二発では死なず、丸太で出来た魔法銃で防衛拠点ごと吹き飛ばす。

 かなり荒っぽいが、彼らはそれができるほどに頑強な種族だ。


 そしてホビットも厄介だった。

 小さい分的が小さい。

 つまり、命中率が低い。

 上手く連携し、互いに共生している。


 対して自軍は違った。

 魔法銃という武器に驕り、戦い方を誤った。

 それが、アリマーンとの邂逅故の研磨だと知らぬまま、アフラーは撤退支援のために殿へと躍り出る。


「神宿りだ!」


「か、火力を集中しろ!」


 戦死した兵士から魔法銃を回収していたホビット二人が荷を捨てて発砲。

 それを大盾クシャスラインで阻むと、接近してアシャールで斬り伏せる。


「ロッキー!?」


 ホビットの一人が決死の顔で銃口を向けながら下がる。

 一発、二発、三発。

 接近に擁する弾丸を物ともせず、アフラーは長剣を一閃する。

 容易く首を撥ねられたホビットが、もんどりうって倒れるのも束の間。

 すぐさま別の兵士が狙い打ってくる。


「舐めるなぁぁッ――」


 大勢はもはや決している。

 せめて一人でも多く逃がそうと善神は奮戦する。

 だが、彼はそれを感知してしまった。


――近づいてくる。


 莫大な想念の塊が町の東口方向へと。


「――ヨトゥンか!?」


 巨人を一人斬り伏せ、すぐさま飛翔。

 避難民が逃げる東へと急ぐ。

 そこでアフラーは見た。

 軍勢の前を先行し、町へと迫る回帰神の姿を。


(上の下。さすがにこの脆弱な身体では……)


 成人した巨人の平均が四メートル前後とすれば、それは六メートルはあっただろうか。

 纏うのは粗末な腰巻と、手足を覆う手甲と脚甲のみ。

 口元から吐き出されるその吐息は全てを凍てつかせ、その豪腕豪脚で全てを破壊する巨人たちの神の一柱。


 彼が疾走するその周囲では、眼に見えて全てが凍てついていた。

 枯れ葉も枯れ草も区別無く凍り、地面には霜が降りている。

 纏う燐光の密度も、息を吸うように纏っている魔法障壁の密度も相当だ。

 七重の神宿りで無理矢理に下の下から中程度の戦闘能力を誇るといえど、今の彼には荷が重い相手であることは間違いない。


 ジワリと汗ばむ額のそれを拭い、兜へと変化させたクシャスラインを被る。

 今、ここで足止めができそうな戦力は彼しか居ない。


「――む?」


 しかしヨトゥンが突如として静止した。そしていきなり明後日の方角を見たかと思えば、軍勢を押し止めたのである。

 遠目には、部下と何かを話しているらしいことだけが分かった。今のうちにアフラーは降下。避難民の離脱を急がせる。

 と、暫くしてヨトゥンに再び動きが見られた。


 様子を伺っていたアフラーは、ホッと息を吐き出した。

 巨神は何故か軍団と別れ、一人だけ猛然と東へ疾走したのである。


「単独行動だと?」


 残った軍団は町へと進撃してくる。

 だが、避難民が狙いではないのはすぐに分かった。

 眼もくれずに町の制圧へと向かおうとしているのだ。


「団長!」


「行くぞ。連中は今、こちらに興味を失っている。一人でも多く逃がす」


 けれどアフラーの心中は穏やかではなかった。


(単独で活動しなければならない理由。そんなものがあるのか?)


 殿を勤めながらアフラーは思う。

 最悪の場合、クルスを切り捨てる必要が出てくるか、と。






「――む?」


 アリマーンが玉座から立ち上がる。


「ヨトゥンだけではなく獣神までもが不可解な動きを見せている。なんだこれは――」


 不自然に過ぎた。

 何かに引き寄せられるように、回帰神二柱の動きが突如として変わっている。


(移動方向は廃エルフか。奴の想念でも欲した……か? いや。だとしても何故あの二柱が同時に動く。まったく理由が分からぬ)


「アリマーン様?」


 脇で控えていたジャヒが何事かと問うてくるのに頷き、彼はすぐに六魔将を招集するように触れを出させた。


(何かは知らんが、集うというなら出し物に遅れる訳にも行かんな)


 当然、神宿りや兵は使えない。

 回帰神には回帰神を。

 結局のところ、その選択肢しか現実味が無いからだ。


(三柱まとめてこの機会に叩いておくのも一興ではあるがな。何が始まるのだ?)


 いきなりのことであり作為的に過ぎた。

 しかしこうなると悪神もまた腰を上げる他に無い。仮にこの三柱が結託するなどという驚天動地の出来事があれば、また色々と話が変わってくるからである。どちらにしても、彼もまた動かざるを得なかった。









「クリエイターが竜翔を抜けた?」


「元よりそういう契約だったのだ。この地である目的を果たすまでは、我等の手助けをすると」


「どこへ行ったか分かるか」


 ウォーレンハイトに詰め寄るも、彼は首を横に振るう。


「そうか。こうなったらジーパングに探しに行くしかないか」


『嬢ちゃんはドテイのところに居座るような女でもなかろうて。それにあやつはきっと……いや、なんでもない』


 イシュタロッテが何かを言いかけて止めた。

 不信に思って聞き返そうとすると、その前にウォーレンハイトが尋ねてくる。


「何か彼女に用でもあったのか?」


「少しな。まぁ、終らせてからでもいいか」


 リスバイフは戦争中で、俺は今竜翔の一員である。

 既に今朝方、敵兵の全滅を確認しつつ方々の街を竜と共に抑えるように命令が降りていた。クロナグラに居る限り彼女には会えるはずだ。なら、先に雑事を済ませた方が面倒はない。


「時にアルスよ。命令に変更があったことは聞いたか」


「いや?」


 話も聞かずにミハルドのところから消えたからな。

 いかん。さすがに彼を怒らせたかもしれない。


「では我から伝えよう。我々竜翔はこれより王子奪還作戦を決行する」


「見つかったのか!?」


「彼女と妖精神様が出て行く前に教えてくれたのだ。クリエイターが常軌を逸する戦果を叩き出したおかげで余裕がある。この機は逃せぬ」


「場所は?」


「リスバイフの王都だ。少数精鋭での作戦になるな」


 どうやらプライベートの問題の前に派手な戦いをやるハメになりそうだ。


「分かった。ならとっとと終らせよう」


 どうせ俺には隠密作戦など不可能だ。

 精々派手にやってやろうじゃないか。


「いつから動く」


「今すぐにでも」


 性急に過ぎるとは思った。しかし王子の居場所が変わらないとも限らない。

 俺は頷き、作戦準備に取り掛かった。


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