第七十一話「逃亡将軍と廃エルフ」
「国内に新しいゲート・タワーは発見されてないですじゃん」
「そうか。ではリストル教徒共はどうしていた」
城の中、報告書を受け取ったアリマーンはその若いシスターに問いかけた。
彼女はリストル教の修道女だ。だが、今は六魔将が一人『虚偽のジドゥル』の宿主にされている傀儡である。
六魔将の宿主は不定期に変わる。
特に侵入工作を行うジドゥルはそれが顕著だった。シュレイクでケーニス姫の体を乗っ取っていたように、己を握らせて内部で工作を行うのは彼女の十八番だ。変身の魔法などを持つ彼女は騙すことに長けている。故にこの手の任務では重宝する神材であった。
また、六魔将は絶対にアリマーンを裏切らない。
虚偽の名を冠する悪魔とはいえ、彼女たちにとってはアリマーンは絶対の存在なのだ。
「既に停戦を機に国内に巡礼者に扮した連中が書を持ち込んでいる様子じゃーん、です」
「だが先手は打った。国内のパワースポットの封印はすぐに終ろるだろう」
おかげで六魔将は国内を秘密裏に転移魔法で飛び回っている。元々重要ではあるが、念神でパワースポットを使う連中は少なかった。少なくとも魔術や魔法に秀でている者でなければ活用しない場合も多い。
ネックになっているのはレベルホルダーの限界だ。
無尽蔵に力を使えるのはよほどの力量を持つ者だけ。その位階に到達した魔術師など数は知れている。結局のところ、神宿りの能力というのは宿主の限界からは逃れられないのだ。どれだけ神がサポートしたところで限界はある。
ならば必然。
聖人としてその限界が圧倒的高みにあるアスタムを超える者はいない。
けれどその常識を打ち砕いているのが魔導書の術式だ。アレには、魔術の初心者さえも召喚ができるように恐ろしくイージーに作られている。下手をすると、そこらの子供でさえもできてしまうような低難度。そこまで簡略化してなお結果を出すその完成度には、アリマーンさえも戦慄を抱くほどだった。
(あの女、本当にアスタムに会うためだけだったのか……)
一回殺すとまで言われた彼だが、現状では一回ぐらい死んだところで苦ではない。ただし、アスタムには感知できた力もアリマーンにはいまいち実感が無かった。それこそが戸惑いと、必要以上の警戒心を生み彼を困惑させていた。
そもそも魔物の召喚に代表する力は賢人も持っているはずである。逆に考えれば、あの書をクルスに与えたのは賢人ではないかということさえ考えられる。
当然、知っていて惚けられていた可能性も考慮しないわけにはいかない。
だが仕掛けない限りは放置するという言葉は嘘には聞えなかった。現に最後に見た顔からは興味の色は消え失せていたのを覚えている。無関心というよりは無頓着というべきか。
彼女の中でアリマーンはきっとそういう位置に置かれている。
結局、何を考えているのか分からない相手であり警戒するべき相手。そう評するしかない存在なのは変わらない。
「それで、魔法銃とやらはどうだ」
「どうにも困ってますじゃん」
ジドゥルは生産工場を調べ潜入した。しかしリストル教会へと納品されるまでの間に魔術的処理は一切されていなかった。ならばと、納品場所への潜入を試みようとしたのだが、その桁違いの警戒網の前には彼女をして二の足を踏まされていた。その中でも最も面倒なのは設置されていたとある結界である。
「馬鹿げてたじゃん。なんと覚醒したアーティファクトにのみ反応する結界がありますじゃん。一回引っかかったせいで、この貧弱な体を使うしかなかったじゃん」
「それはまた信じられんな」
「魔女の遺産でないのは明白じゃん。おかげで単独で侵入するのは厳しいじゃん、です」
「運んだ連中からは?」
「連中は持ち込んだだけで、やっぱりどうやっているのか知らないみたいじゃん。連中が知っていたのは神に祈ることで祝福を授かっているとかっていう嘘臭い話だけ」
当然、真っ赤な嘘であることは明白だ。
神魔再生会十三幹部にとって、連中の神が滅ぼされたことは周知の事実。そも復活もしていないのだから授けられる訳が無い。
「きっと、そうやってみみっちくも想念をかき集めようとしているじゃん」
「汝、人を騙すこと無かれ。奴の教えとかいうのも随分と軽いものだな」
失笑しながらアリマーンは考える。
あの善神はこれを知っていたのかと。
(否。奴如きが知っていたのなら、もっと余裕を見せたはずだ)
また、リスバイフを攻めるということも善神は知らぬようだったことを悪神は思い出す。街の新聞で知り、愕然としていたのは記憶にも新しい。結局、傭兵として立っているアフラーなど、クルスからすれば都合の良い駒でしかないのだろう。
――クルスとリストル教。
どちらも互いに利用することでそれぞれの野心のために動いていた。それがここに来て顕著になってきたというだけのこと。問題は、今まで制圧してきた国々と違って得体の知れない異質さが見え隠れし始めているということである。
「魔法銃の現物、入手はしたけど真似するには一から研究するしかないじゃん」
「そうか。後で余も確認してみよう」
大砲が気に入らないアリマーンからすれば、好ましくない流れを生み出しかねない代物だ。事実、どこからかぎつけたのか、それともリークされたのかは知らないがアヴァロニア国内で兵器研と一部軍部が怪しげな動きを見せているとも聞く。
元々はアフラーへの嫌がらせと怪しげな動きを炙り出すためにも観光に出ていたわけだが、結局予定より早く切り上げたことで中途半端な結果に終ってしまっていたのは痛手だった。ともすれば想定外の要素を口にした妖精神の関与を疑ってしまった程に。
(だがドテイはやり方を弁えている。表立って逆らいはすまい)
それに彼女は神魔再生会の会合にてリストル教を潰そうとまで言った。妖精は間違っても好戦的な種族ではない。悪戯に挑戦的ではあるが、彼女にそうまで言わしめたのは連中以外にはアリマーンもとんと覚えがない。
であれば、おそらくは白。
同士討ちを狙い、更にその過程で国力の疲弊と手の内を明かさせる。手堅いアリマーンはそのためにも会議では拒否をしたのだが、ここまで来ると考え方を改める必要があった。
「ところでアリマーン様。リスバイフとクルスの戦いに介入はしないですじゃん?」
「考えてはいる。だがもう消耗させてからで良かろう。馬鹿共が殺しあって自滅したいと言っているのだ。今は好きにさせておけ」
「ですが、敢えて一日でも早くリストル教徒と開戦することを具申するじゃん、です」
「ほう? クルスではなくか」
「クルス単体であれば、ちょっと国力が高いそこらの国と大して変わらないはずですじゃん」
問題は異世界の念神の召喚に魔法銃。
これ以上の不確定要素を出すのはアヴァロニアにとっても、アリマーンにとっても良くないと彼女は言い募る。彼の目指す覇道の先の夢。それにケチをつける者は、六魔将としてだけではなくジドゥル個人としても我慢ならない。
「フッ。貴公がそこまで言うならば考えぬわけにもいか――」
「アリマーン様!!」
と、そこに黒髪の侍女が執務室に飛び込んできた。
彼女はアスタムの幼馴染の体を使っている悪魔にして彼の愛人。ジャヒだった。
その後ろには、商神『ダラス』が使う子供サイズの人類種『ホビット』が布に包んだ棒状の物体を抱えて立っている。その目は泣き腫らしたかのように赤く、いつものような小さくも図太い商人の顔はなかった。
「顔を出すとは珍しいなダラス。その様子では商談というわけではなさそうだが……」
「ティタラスカルで大規模な動きがあったそうです」
「ほう?」
だが、それだけなら別に驚くに値しない。
何せ回帰神である霜の巨神『ヨトゥン』が居る。戦闘能力は神宿りの非ではない。むしろその事実を考えれば本格的に動き出すのが遅いぐらいである。
「違うよ悪魔のお姉さん。確かにそれも大事なことなんだけど。違うんだよ」
「……要領を得ないな。貴公らしくも無い」
ダラスは十三幹部の一柱である炎の巨神『ムスペル』と仲が良かった。竜と妖精が手を組んでいるように、ホビットは巨人と組んでいる。彼らが共生関係ともいうべきものを結んでいたことはアリマーンも知っている。
故に悟った。
ムスペルが逝ったのだと。
「――そうか。ムスペルがな」
「うん。だからお願いがあるんだ。君の下に僕もつく。だからあの地のホビットたちを貴方の民として加えて貰いたい」
ダラスはホビットたちの崇めた神の中でも盗神と同じく影響力が強い神。彼が恭順するのであれば、ホビットの半数を抑えられるといっても過言ではない。必然としてアリマーンにはその申し出を断る理由がなかった。
「良かろう。余は飼育されたいという者には寛容だ。貴公の嘘を見抜く力は有益だしな」
「ありがとう。アヴァロニアの覇王よ」
粛々と床に跪くダラスは、床石に額を擦り付ける。
ジーパングでは最大の礼とも、謝罪を体現するとも言われる土下座スタイルだった。
その潔い姿に、さしもの悪神も目を細めざるを得ない。それは、信仰を背負う者としての紛れも無い覚悟の顕れだった。
「面を上げよ。貴公の覚悟は覚えておく。以後は余のために励むが良い」
「うん。それと、これが大事なことの答えだよ」
床に置いていたそれの布を解き放つ。
それを見た瞬間、ジドゥルとアリマーンが目を見開いた。
「ヨトゥンの奴、盗神にそそのかされてリストル教の人間と手を組んでたんだ」
「馬鹿なっ!? そいつは正気なのじゃん?!」
布を取り払って彼が見せたのは魔法銃だった。アッシュがライフル型と命名したそれが確かに彼らの前に鎮座している。
「向こうに着いた盗神側のホビットにはこれを。そして巨人には、丸太で作ったらしい同じものが供与されていた。でも、ヨトゥンは馬鹿だから自分の首を絞めることになるってことが分かってないんだ」
(アフラー……ティタラスカルでもそこまで良い様に使われていたか!)
仮にも神魔再生会の幹部である彼は、自前の傭兵団『アメシャル・スペンタ』に魔法はかけても魔術を伝えてはいなかった。故に彼だとて魔法銃の拡散を推奨するとは思えない。しかし彼がクルスの一団を率い、ティタラスカル入りしていてたらしいという報告を受けたことがあるのをアリマーンは思い出す。
(見返りにこちらを攻めさせて金縛りにでもするつもりか)
おそらく、供与された武器はクルスのそれの劣化版。しかし十分に戦争に使える程度の力は有しているのだろう。実際、それを持ちいて統一を加速したのであれば、ダラスが所持して来たのも頷ける。
「ジドゥル、パワースポットの封印作業を六魔将に急がせよ。予が帰還次第軍義を開く」
「はいですじゃん」
「ジャヒは新しい民の受け入れ準備を頼む」
「かしこまりました」
「では行くぞダラス」
新しい部下を引き攣れ、アリマーンはすぐにティタラスカルへと跳んだ。
アルス・シュナイダーという架空の人物を名乗るアッシュには、不満があった。
(まさか風呂がサウナだったとは)
リスバイフの風呂は、彼が望むそれとはとてもかけ離れたスタイルである。焼いた石に水をかけて蒸気を発生させ、そうして葉がついたままの木の枝で体を叩いてマッサージするという様式だったのである。
ウォーレンハイトに誘われたアッシュは、渡された木の枝に酷く困惑したものの見よう見まねでサウナに興じた。夜は正体がバレないようにと森に風呂を浴びに戻っていたが、裸の付き合いも必要かと考えて参戦した結果がこれである。
「風呂が好きだと聞いていたが不満そうだな」
「湯船に浸かる方だと思ったんだ」
シュレイク城のような豪華な風呂を想像していたアッシュは、サウナだけという形式にまざまざと文化の違いを突きつけられていた。
体温を上げる蒸気は、じっとりと肌の上で汗を生む。
男性型の竜たちと共に汗を流す二人は、なんとはなしに張り合っていた。一人、また一人とサウナから消えていく中で、その二人だけは熱気と戦う。世界最強の人類種と、最新の回帰神の静かなる戦いである。
「どうせなら雪が降っていればよかったのだがな」
「まさか雪の中にダイブするとか言うんじゃないだろうな?」
「アレはアレで心地よいぞ。トリアスも好きだ」
それは、リスバイフの伝統的な風呂の楽しみ方であった。
圧倒的湯船派ではあったが、アッシュも少し興味がある。
シャワー、湯船、サウナ。それら全ての形式を楽しめる国出身の男として、一度ぐらいは試すのも悪くはないとアッシュは考えていたのだ。
――風呂に好みの差はあっても貴賎なし。
異世界の風呂の中、一人の男は真理に到達した。不満はやはりあったが。
「しかし良いのか。素顔を晒して」
「竜たちで貸切だからな。今は大丈夫だろ」
アッシュは少し前に侵略を阻んだ最大戦力だ。正体を隠しておく方が妙な軋轢も無い。タオルを頭にのせて耳元だけ隠した彼は、しばし団長殿と張り合いつつ友誼を深めた。
敵陣に動き有りと告げられたのは、その日の夜である。
ルーレルンに起こされたアッシュは、すぐさま装備を整え現地へと飛んだ。
リスバイフの王都バレンザの北。中央盆地の北口とも言える場所にスペンジ砦がある。
山道の出口を塞ぐ形で建造されたその砦は、北方諸侯の先発隊が押さえる前に既に落とされてしまっていた。駐留軍は少ない戦力で避難民を逃がそうと奮戦し、そして散った。
今その地には、敵国の旗が立ち王都奪還への障害となっている。
故に更にその北の地。グロウスター侯爵領との間にある城砦に諸侯軍の先発隊が集っていた。
そこには竜翔の無事な竜が派遣され、連絡役として定期的に上空から監視している。彼らはそこでスペンジ砦へと向かう一団を発見。ルルブリア公爵領へと飛んで敵の進軍の予兆を知らせたのである。
「……なんだあいつは」
ミハルド・グロウスターは到着した竜翔の中に不気味な傭兵を見つけた。
血のように紅いラインの装飾が施された全身鎧。
その上に外套を引っ掛けたその傭兵は、白銀の竜に騎乗していた。
竜翔は作戦でもなければ気に入った者しか背に乗せない。それどころか、作戦に正当性がなければ突っぱねることさえある連中だ。
ミハルドが何度乗せろといっても聞かぬ頑固者たちであり、エルフ共に負けて寝返りもした忌々しくも頼もしい戦力でもある。
しかし、そいつは当然といった様子で竜翔に受け入れられていた。
竜が竜に乗る必要はない。
つまり、アレは自分と同じく地べたを走り回らなければならない存在だというのにだ。そのどこの馬の骨とも分からぬ奴が、ミハルドには酷く羨ましい。
一瞬カッと頭に血が上りかけた男だったが、相手は公爵家から送られてきた新しい戦力。クルスに一泡吹かせるためにも必要である。
大きく息を吐いて堪えると、黒銀竜から降りる見習い騎士の出迎えに向かう。
ミハルドは今、逃亡将軍と揶揄される一貴族の人間でしかなく、ここに居る筈も無い異物だった。反侵略派、親ロロマ派であるルルブレア公爵家の兵たちと、その呼びかけに答えた諸侯たちの中にあっては肩身が狭い。女王が死に、後ろ盾となるのはもはや家だけであり、ここを抜かれては家の存続さえ危うい。当たり散らして彼らに機嫌を損ねられて軍を引かれては、何のために恥を忍んでそこに居るかが分からない。
(気に食わねぇ。気に食わねぇが……)
クルスにこれ以上してやられる方がもっと屈辱である。本心を胸の中に押し込み、彼は表情を引き締めた。
偵察によれば、一日休息した後にすぐに敵は出陣したという話だった。三日後にはスペンジ砦から一万もの侵略軍が来ると予測されている。
おかげで城砦の兵士たちの顔色が良くはない。
厳しい戦いになるだろうと考える者は多い。おかげで重苦しい空気が城砦内に漂っている。そんな中、ミハルドは南側の外壁から街道に向かって試射されている大型タイプの魔法銃を苦々しく見つめていた。
敵の武器の性能を理解するという名目で行われたそれは、その威力、そして最高射程距離で味方を当たり前のように怖がらせている。
兵たちの中には王都から逃げ延びてきた兵士もおり、爆音を聞くたびにガタガタと震えてさえ見せる者までいた。
(城攻めには敵兵力の三倍をつぎ込むのが常識だ。だが奴らにはもうそんな理屈は通用すまい。何せ、一方的に攻撃できる武器が有る)
対竜用の兵器は、そのまま攻城用の兵器にもなるようだと生き残りからの証言が取れていた。防衛拠点という恩恵があってこその三倍論だ。直接王都での戦いを見ていないミハルドにとってはそれだけでも悪夢だった。
「やっぱ射程距離が分かりずらいな。着弾点当たりに杭でも打っとくか」
「目印にするわけだな」
「そういうこと。無駄玉が減るだろうしな」
「では竜翔にやらせよう。あれだけ遠いなら、丸太でも突き刺した方が見やすかろう」
「ん、頼むぜ」
指揮官クラスの者たちへの説明を終えた竜翔の団長と鎧男は、そのまま解散を促し外壁の外を眺めながら会話を続けている。
「猶予が少ないな。食糧集めばっかりに気を取られ過ぎてたかもしれない。なんとか凌ぎきって貰うしかないわけだが……良い案はないか?」
「我も長いこと傭兵をやってきたが、ああいう兵器と戦うのはさすがに初めてでな」
「じゃあ思いつくことは全部やっといた方がいいな。まず、ここを強化しよう」
(馬鹿な)
なんとはなしに聞き耳を立てていたミハルドは、さすがにそれを聞いて黙ってはいられなかった。
「おい、今更そんなことをする時間的な余裕がどこにある」
「いやしかしな。できることは出来るうちにやっとくしかないだろう。ん、あんた暇そうだし、丁度良いから作戦会議に混ざってくれよ」
「……はあ?」
それは、ミハルドからすれば寝耳に水なことであった。
彼は諸侯軍からすれば疎ましがられていた存在だ。実際、竜翔の団長は何ともいえない顔をしており、歓迎している風には見えない。だが、その男は複雑な現地の力学など知らないらしく気にもしない。
「ウォーレンハイト。城壁の外に塹壕を作ったりしたいんだが許可はとれるか?」
「……強化の許可はその男が出せる。この領地の貴族だからな」
「じゃあ話しが早いな。さっそく許可をくれ」
「待て、その前に塹壕とはなんだ」
「実は俺もよくは知らないんだが、銃を相手にするときに作っとく堀みたいなものだって聞いたことがある」
鎧男は自身でもよく分かっていないようなものを、たどたどしく説明する。だが聞いているうちにミハルドは疑問に思った。
「おい待て」
「ん?」
鎧男は首を傾げる。
「確かに連中の武器を考えれば身を隠せる場所がある方がいい。掘り進んでいくというのも場合によっては賛成だ。だがその言いようだと塹壕とやらは攻める時に使うものなんじゃないのか?」
だいたい背後に城砦があるのだ。ならそれを最大限利用できるものであるべきだ。よしんば守りに使うのであれば、例えば奇襲用に堀って兵を潜ませておくという手の方がまだ現実的ではないかとミハルドは考える。
「そうなのか。じゃあ考え方を変えよう。攻め難くするために作る」
「具体的には?」
「攻め込める箇所を限定するように掘って敵の勢いを弱める」
「勢いも何も、連中の武器はこちらの射程を大幅に越えているだろうが。散々撃ち込まれた後の話しになる」
「だが結局連中だってここを占領するだろ?」
そのためには歩兵が居る。
それを迎撃するためには無いよりはマシだと鎧男は言う。
「お前たちは微妙に話がかみ合っておらぬな」
呆れるのはウォーレンハイトだ。二人の言い分はそれぞれ間違っていないが、想定する前提がそもそもに違っていたことに彼だけが気づいていた。
「アルスよ。そなたは夜襲を成功させた上で言っているだろう。その男、ミハルドは既存の装備での戦い方で考えて言っているのだ」
「あー、はいはい。そういうことか」
「俺の聞き間違いか? 夜襲など軍義に出ていなかったはずだが」
「言って無いからな。今夜仕掛けて、連中の武器をかっぱらってくる計画だ」
「……まさか竜翔だけでか?」
余計な被害を出さないためかと察するミハルドだったが、帰ってきた言葉は彼の想像の埒外さえも超えていた。
「そんなわけないだろう。俺だけで行くに決まってる」
当然、ミハルドは目の前の男の正気を疑った。
付き合いきれないと思った彼は、そのまま背を向けてその日は去った。
翌朝、ミハルドは部下からの奇妙な報告を聞いて現場へと駆けつけた。
目指す場所は城砦の入り口。そこにはなんと、魔法銃が山積みにされているというのだ。
(どうなってやがる!?)
はたして、それは確かに存在していた。
側には人化した竜翔の傭兵が二名ほどそれを見張っていて、勝手に持ち去られないようにと睨みを聞かせている。しかもよく見れば他にも樽や袋が大量に持ち込まれていて、公爵家の兵たちによって城砦内に運び込まれていた。
「あの樽や袋は?」
「なんでも、小麦やら塩漬けの野菜などの食糧だそうです。酒もあるそうです」
「……出所は何処だ」
「その、聞いた話しでは竜翔の黒鎧がいきなりぶちまけたとか……」
(アーティファクトの魔法……か?)
物を大量に運ぶ魔法があるかなど彼は知らなかったが、それ以外にはどうしても思いつかない。だが、それだけでは魔法銃は説明できない。
寝ぼけて夢を見ているのではないかという想像を振り払いながら、その新入りを探すも近くには見当たらない。その代わり、トリアス・ルルブリアを引き連れて城砦から出てきたウォーレンハイトへと詰め寄った。
「アレはいったいなんなんだ」
「彼の夜襲の成果に決まっている」
「冗談ではなかったのか!?」
実際に夜襲をするにしても、移動距離など様々な物理的限界に直面するはずなのだ。
よしんば距離を竜の翼で埋めたとしても、どちらにしても侵入してかっぱらって来るという仕事がある。
当然のように夜襲なども警戒しているだろう敵の拠点に行って帰ってくるだけでも大仕事だ。
「ねぇウォーレン。私は夢を見ているのかな」
「なら我がガブリと食ってやろうか」
「う、それはちょっと困る……って、違うよ! ありえないでしょこれっ!」
説明を求める公爵令嬢だが、黒銀竜は取り合わない。
「うろたえるな。お前はさも当然という顔をしておれば良いのだ」
「ええ!? 私が間違ってるの!?」
結局、その日の朝の軍義に鎧男は来なかった。
ミハルドが軍義の後に捜して回ると、その男は鎧を着たまま部屋で寝ていた。
「何者なんだこの男は」
狂人ではない。
狂人であれば、きっと生きて帰ってきてはいない。
そも竜翔の斥候の話では、敵軍がどうも減っているという。
見張りに確認しても、竜翔の傭兵が飛んでいったという報告もなかった。そこから連想される事実は余りにも少ない。
(信じられん。ただ盗んできたというわけでもないのか)
盗むだけでも大仕事になるが、更に敵兵力まで削ってきたというのであればもはや彼の常識では計り知れない。
「……」
せめて顔でも拝んでやろうかと思い兜に手を伸ばすも、寸前で彼は頭を振るった。
相手は傭兵だ。戦いで負った火傷や切り傷を隠すためなのかもしれない。そうでなければ全身鎧を着込んで寝なければならない程に危険な戦場に立っていたか。どちらにせよ、ミハルドはここでその男の素顔を暴くことを止めた。
「――とっとと起きて来い。気になって仕方が無いだろうが傭兵」
後で絶対に何をしたか聞き出してやると決め、ミハルドは部屋を出た。
「何をしているのです!」
「奴と話をしに来ただけだ。生憎と寝ていたが、な」
険しい顔で詰め寄ってくるルーレルンにぶっきらぼうに答えると、ミハルドはすまし顔で去る。結局、その日は鎧男とは話せなかった。
「またか。またなのかあの野郎!」
前日に引き続き、翌朝も物資がぶちまけられていた。当然大量の魔法銃と一緒にだ。
やはり鎧男は部屋で寝ているらしく、今日は竜翔の傭兵がドアの前で睨みを利かせていた。
益々機嫌を悪くしたミハルドは、素直には喜べなかった。
だが、今日はそれだけでは終らない。
昼に入った新しい情報では、敵軍に何故か進軍の様子が見られないというのである。諸侯軍は竜翔の関与を疑いながらも敵軍の停滞を喜んでいた。当然我慢できずに竜翔に尋ねる者も居たが、彼らが入手した魔法銃を貸与するといえば皆それ以上の追及を止めてしまった。
昼からは先に訓練していた公爵家の軍と混ざり、諸侯軍も魔法銃の運用訓練に没頭する。
もはやあの恐ろしい武器は、敵だけが持つものではない。それは小さな変化を彼らにもたらしていた。何せ条件が対等になれば、城砦で待ち構える自分たちが有利だと分かっているからである。錬度の差はあるものの、それでも無いのと有るのとではまるで違う。
「これならば一方的に攻撃されることはありませんな」
「左様。反撃できるのであれば、敵だとて二の足を踏むというもの。易々とは攻め込めますまい」
夕方にはこぞって彼らはどう運用するべきかで議論の花を咲かせた。
何せ新兵器。これまでの軍と同じように扱うにしてもノウハウがまるで足りない。けれど、何とかなるのではないかという希望の火が彼らの胸中に点り始めていた。
(……まだだ。少しばかり同じ力を手に入れたところで、竜殺しの武器を奴らはまだ持っているんだぞ。だいたい、こちらは同じものを量産できないんだ。楽観などできるか)
少しばかり楽にはなったが決定的ではない。先行きはまだまだ暗いのである。一方的な攻撃を受けて壊滅させられた経験を持つミハルドは、それを諌める発言をするが諸侯は損な彼に冷笑を向けるだけで取り合わない。
「君に意見など聞いていない」
「そうとも、君は黙っていたまえ」
「だが、また逃げるのは止めてくれよ逃亡将軍殿」
「ッ――」
唇を噛み、怒りを堪える。
彼は硬く拳を握り締めると、ひたすらに議論が終るのを待った。
「どうだフランベ」
「連中はどうやら、ワタシをただコケにするだけでは飽き足らないらしいね」
きっと意識してさえ居ないと思うが、などとアッシュは内心で思うも、フランベはふふふ、ふふふと不気味に笑うだけだった。
「アッシュ君の読み通りだと思うよ。おそらくはこれが、竜を殺した魔法銃だ」
第一の奇襲で手に入れていたそれは、やはりフランベのところに持ち込まれていた。
森の様子を見るついでに寄ってみたアッシュは、彼女を宥めながらもそれに目を向けた。
一見するとそれは大砲に似て居るのかもしれない。
鉄で出来た黒光りするその長大な銃身の下には、木で作られた台座と鉄でできた車輪がある。当然、重量のあるそれを運ぶための工夫だろう。だが、それを向けられたアッシュは連中が数人がかりで担いでいたのを見ていた。色々と臨機応変な運用が考えられているということだ。
「仕組みはほとんど魔法銃と同じだよ。違う点があるとすれば、それは複数人の魔力を利用するか、ワタシの銃のように弾丸を射出するかの違いだ」
フランベはそれに近づくと、銃身後部にあるレバーを引いてみせる。それは銃身の一部をスライドさせ、砲身内部にスリットを作り出す。それは個人携行用の魔法銃には無かった機構だ。
「つまり、物理的な弾丸も発射できる複合砲ってことか」
頷くフランベは、そうして彼が別に回収していた黒い物体をそこに装填する。
「そして君が一緒に回収してきたと言うコレが竜殺しの答えだ」
レバーを戻し、銃身内に先が丸い黒い楕円形の弾丸らしきものを入れるとフランベは背面へと周り込む。そうして、しゃがみ込むと照準用のスコープを覗き込んで構えてみせる。
その手には当然、引き金がある。
ここは細部が他と違っていて、潜望鏡の握りにも似た部分の左右に引き金が付いていた。弾丸を片方で作り、もう片方で射出する形式なのはすぐにアッシュにも察せられるが、中々ユニークな形状をしている。
「アナが言うには、これも恐ろしくシンプルで強力な魔術処置がされているそうだ。銃身に触れている人間が多ければ多いほど威力を高めるらしい。それと、これは発射用の引き金に発射と同時に弾丸を回転させるようになっているようだよ」
「改良されてるってことだな」
(しっかし、なんか戦隊ヒーローの必殺武器みたいだな)
子供の頃に見た特撮アニメにありそうな武器であった。
何故か全員揃わないと撃てないとか、五人揃わないと威力が足りないとか、全員の武器を合体させて作るとかそういうギミックがあったのをアッシュは思い出す。
けれど懐かしさに浸り続けることはできない。
発射する振りをして砲身から手を離したフランベは、もう一度弾丸の装填口開閉用のレバーを引いて弾丸を取り出してみせる。差し出してくるので受け取ると、ズッシリとした重量感が伺える。だが不思議と金属のような感触はしない。
「その材質が何か知っているかい?」
「金属……じゃない気がするな」
鑑定して当てることはせず、思いつくままに答える。
「魔物の甲殻とかを削ったとか?」
「惜しい。魔物の素材というのは当たりだよ。それはね、おそらく竜の爪だ」
「なるほど。それが竜殺しの原理の一端か」
魔物の竜と竜が戦った時、強靭なはずの鱗も皮も彼らの爪によって引き裂かれていたのを彼は思い出した。
「竜を殺すために竜の素材を弾丸とする。忌々しい程に理屈に合っているね」
「魔力弾では倒せないのか?」
「できなくはないよ。こいつは触れた人間の魔力をギリギリまで使って弾丸を撃つ仕様だ。軍で運用するなら十分に高威力を引き出せる。幸い、台座にも申し訳程度の射撃角度の調節機能が備わっているようだしね」
連続で発射し続けると砲身が持ちそうにない気がするが、とだけ告げてフランベはアッシュが持っていた竜殺しの弾丸を床に置く。
「当然だけど、飛ばすだけならそこらの石や矢でもいい」
「うへぇ。汎用性が高いな」
「欠点は魔力の消費量とその重量。そして取り回しの悪さかな」
だが、動かない的に対しては破格の威力を出すことは想像にかたくない。
「やっぱり城門ぐらいは壊すか」
「おそらく、弾丸によっては可能だろうね」
肩を竦めたフランベは、おもむろに一丁の魔法銃を取り出した。
普通のそれとは違うのは、引き金が前にしかないことで分かる。後ろの引き金があった部位は分解され、新しくマガジンのようなパーツが付け加えられていたのだ。
「機関銃だったか。君のアイデアを再現するために、魔法銃で試作してみたんだ」
おもむろに部屋の壁に銃口を向けると、シュッという軽い音と共に弾丸を射出する。
「うぉぉぉ!?」
弾丸は木を削って作った模擬弾のようだが、連射して飛んでいくので少なくとも形にはなっていた。感嘆の声を漏らしてしまった彼の様子に気を良くしたフランベは、後ろにあるスイッチのよう突起を押す。すると、空になったマガジンが床にストンと落ちる。
「おおっ!」
「見ての通り形にできたよ」
「凄いな。俺のイメージにかなり近いぞっ!」
「なら良かった。君がそう言ってくれるならワタシも嬉しい」
他にもするべき研究はあるが、敢えて先にマガジンの機構を再現したのはフランベの意地である。ドワーフはペルネグーレルから大砲の受注を受けて動いているが、まだ後詰式の大砲は完成していない。それというのも、薬莢の仕組みにかなり梃子摺っているからだ。
火縄銃は元々小型化の構想があったので試作は早かった。しかし大砲や銃を真に強力な武器にするために必要な連射力についてはまだまだ手付かずだった。
亡命の受け入れから始まり、アイデアの提案に己の発明への理解。予定を変更し、先に出来そうなものを形にしたのは、色々と返すべきものが多いと考えた上でのこと。それは彼女なりの感謝の印であり、自分とアッシュが求めるものの方向性の確認の意味もあった。
「持って行きたまえ」
マガジンが五個と、先端を削った鉄の棒が沢山入った木箱を追加で渡される。
「使えるのか?」
「ただの鎧程度なら貫く威力はある。魔法銃ほどの飛距離はないし殺傷せも低いが……連中なら脅し程度にはなるはずだよ」
「それでも助かる。俺自身は魔法が使えないしさ」
イシュタロッテと別行動することがあったとき、何かの役に立つかもしれない。そのまま魔法銃を使えばいいということさえ忘れ、アッシュは嬉しそうに銃を構えてみせる。
そして気づいた。
これは、普通の魔法銃とは違い、片手で発射できるのだということに。
武器を片手で振り回すアッシュにとって、銃だけで両手を塞がれるのは好ましくない。
しかしその銃ならその制約から解放される。
気づいたアッシュににフランベは機嫌よく頷く。
「どうだろうアッシュ君。一つ頼みがあるんだが」
「なんだ。もっと魔法銃をかっぱらってくればいいのか?」
「いやいや、ずっとお預けにしていたことがあるだろう」
ズズイッと距離を詰めたフランベは、アッシュに頼み込む。
「そろそろ念神である君を本格的に調査してみたいと思うんだ。ついては、少しばかり脱いでくれないかね」
「……下着はそのままでいいか?」
「何をつまらないことを聞いているんだね君は」
「そ、そうだよな。さすがに全裸になる必要はないよな!」
どこかホッとするアッシュである。
だが、フランベは首を傾げた。
「何を言っているんだい。こういう時は全裸が基本だろう」
その日、アッシュはフルオープンを強要され隅々まで身体検査されてしまった。
「ん、やはり触った感触なんかはどこも人と変わらないね。エルフ系の神だから近いのかな。むむっ。これは意外と……」
(意外と? 意外とってなんだ? そこで言葉を切る意図が知りたいぞ!)
帰ってくる返答によっては男の尊厳に関わってくることは間違いない。
それ以上は怖くて聞けない廃エルフだった。
早めの食事と風呂を森で済ませ、城砦の部屋に戻ったアッシュはさっそくフランベの改造した魔法銃にマガジンを詰め込んだ。当然、予備のマガジンにも弾丸を詰め込んでおく。
「こいつはニードルガンとでも呼ぶべきかな」
先端が鋭く削られた、人差し指程度の鉄の棒を飛ばすのだからとシンプルに命名。ショートカットに登録し、インベントリから取り出してすぐに使えるようにしておく。さすがに実戦で使う前に訓練がしたかったが、もう既に日も暮れた。イシュタロッテの呆れ声に渋々仕舞うと、部屋の外へと出ることにする。
「変わりないか?」
「特にはありません」
ドアの前で待機していたルーレルンがすぐに答える。
「殿は今日も?」
「実は少し迷ってるんだ」
さすがに三日続けて夜襲をかけるのはどうか、とも思うのだった。
「行くなら時間帯を夜明け前に変えるのがよろしいかと」
二日続けての夜襲により、当然相手も警戒しているはずだというのである。尤もな話であるため、アッシュとしてもしばし迷う。
「ん、じゃあそうしようか」
「……休まれるのも良いかと思いますが」
「手に入れられるうちに取っとかないと、後が苦しいと思うんだよ」
心配するような声に努めて明るく返すと、アッシュはブラブラと散歩に出かけた。
その後ろを自然とルーレルンが付き従う。
早めに眠っておくべきだったが、夜は始まったばかり。すぐに寝付けるとも思えずないので燭台の明りを頼りに歩いていく。すると、南のテラスで黄昏ている男を見つけた。
「誰だったかな。えーと……」
「ミハルド・グロウスターですね。侯爵家の長男かと」
「そうそう、この城砦の改造許可を出せる貴族だ」
丁度良い、とばかりにアッシュは彼へと近づいていく。
足音で気づいたのか、男は胡乱気に振り返る。それに会釈して隣に立つと何故か相手の方がギョッとしていた。
「少し聞きたいんだがいいか?」
「……いいだろう。俺もお前に尋ねたいことがある」
顎をしゃくるので、先にアッシュは問いかける。
「攻城兵器を城壁に設置したいんだが置いて良いか?」
「……今度は投石機でも出すつもりか」
「いや、敵からかっぱらったどでかい魔法銃があってな」
ミハルドは辟易した顔で「勝手にしろ」とだけ返答する。
「助かる」
「ふん。それより答えろ。お前は今日も行くのか」
「ん? ああ。敵の神宿りがまだ出てきてないからな」
対竜兵器と竜を捕縛できる神宿り。
これさえ排除できれば随分と流れが変わる。何も魔法銃の鹵獲だけが彼の目的ではないのだ。自らを囮にして誘ってはみたものの、あの中には居なかった。意図は分からないが、これ幸いとその間に魔法銃をかっぱらい戦力を低下させてきた。そろそろ出てくるのではないかとイシュタロッテと二人で睨んでいて、軍でぶつかる前に一人でも多く片付けておきたかった。
「神宿りだと?」
「敵がクルスだから絶対に出てくると思うんだが、温存されてるみたいなんだ」
この際アフラーでも良かった。早いうちに仕留めて置きたいのだ。現状、クルス最大の戦力と言えば神宿りを超える戦力はありえない。それを粉砕しておけば、連中だとて攻めることを躊躇するのではないかと期待していた。そうなれば、後の停戦や講和もやりやすくなる。しかしそれはアッシュの都合だ。聞かされるほうはたまったものではなかった。
(何故こいつはこんなにも簡単なことのように言えるんだ!)
ミハルドは嫉妬した。
その自信の源泉となるものは、今の彼には何も無いからだ。
強大な兵力も、後ろ盾も、彼自信の持ち得る力も何もかにもが足りない。
クルスと同じ力が手に入れば早々負けないと自惚れることはできる。だが、目の前の男が現実にやっていることはどうしても模倣できないし、やりたくも無い。ただただ化かされているだけならば一笑するだけで終るが現実は違う。
目の前の男は敵の武器を鹵獲し、実際に大軍に出血を強いているのだ。
「お前は、まさか死ぬのが怖くないとでも言うのか?」
「はぁ? 怖いに決まってるだろ」
「だったら何故一人で戦える!」
「それは他に被害を抑える方法が思いつかないからだが……」
念神としての力がある。
全てはそれがあってのことでしかない。ただの学生ゲーマーのままだったなら、アッシュはきっとこんなことはしなかった。
だが現実として今の彼には力があった。
人の枠を超え、人でさえなくなったことでその力を当てにされているのを知っている。確かにそれが鬱陶しいと思わないでもない。だが、どんな形であっても必要とされることは少しだけ嬉しくもあって。
――それが偶々先々で少しでも自分の役に立つかもしれないのであれば、■■たちのために無茶をするべきではないか。
その単純な論理が彼を動かす。
複雑怪奇な論理では息苦しいから、適当に納得できる単純な理由でこそ動く。
「何か良い手があったら教えてくれ。楽ができるなら俺はそうするよ」
別に苦しみで快楽を得るような被虐的感性などは無い。話を切り上げ、アッシュはテラスを後にしようとする。その背に向かって、もう一つだけミハルドは問うた。
「まさかお前、青臭い英雄願望でもあるのか?」
「冗談じゃない。あんなの無理矢理パレードやらパーティーに参加させられて面倒臭いだけだっっての」
オマケにフードで顔を隠していても、身内に悪戯好きが一人でもいたら晒し者にされてしまう。この国では絶対に参加しないぞと心に決め、アッシュは散歩を切り上げる。
その日も襲撃は成功した。
結局、この日も神宿りは出てこなかった。
リスバイフの王都バレンザがある中央盆地。その南にあるプルアス山脈は、既にクルスの占領下であった。
ハルケブンへと向かう山脈南を通る街道の途中から山脈へと向かったグレイスは、サイラスの部下たちと共にとある場所の調査に赴いていた。
麓の村では、住民が占領されたことを知って略奪などの恐怖に戦々恐々としていた。
一応、枢機卿としての立場で注意はしたが、辺境でのことだ。その後どうなったかは彼としては知る由も無い。ただし、あの村に教会を建てるのは悪くないと考えていた。それもこれも、目的の場所が発見できたからであった。
「グレイス様ぁぁぁ。村の連中が行っていた通りの縦穴を見つけました!」
「素晴らしい。これも主の導きでしょう」
若いシスター・バルは、彼の言葉を聞いてうっとりと頬を赤らめる。サイラスはその新人の代わり身の速さに辟易していた。異端審問官としての仕事を投げ出さなかったのは褒めてやるものの、最近では一々疑問を挟んでくるようになった。確かに敬虔ではあるがどこか使いにくい。
異端審問官とは、ようするに汚れ仕事をする部署だ。だというのに、スレることもなく付いてきている。今まで彼が見てきた者達からすれば、極めて順応性が高いと言わざるを得ない。それもこれも、グレイスを見てからだ。
(……素か、それとも教皇辺りの差し金か)
上官を裏切れば即座に斬り捨てる必要が有る。
だが当のグレイスは心配いらないと楽観している。寧ろ、楽しんでいる風でもあった。
「こちらです!」
「おお、これは確かに深そうだ」
直径五メートル程の大穴。
太陽の光さえ底に届かぬのではないかというその場所に、グレイスは躊躇無く飛び降りる。
「グレイス様!?」
「一々吼えるな馬鹿。あの方は異端審問官のトップだ。それより、テメェは他の連中を呼んでここで待機してろ」
「は、はい!」
後ろ髪引かれる思いを隠しもせず、未練たらたらの顔で新人は去っていく。
「グレイス、貴方も降りなさい」
「はっ」
魔術を扱える彼は当然として、枢機卿もまた魔女の遺産の恩恵を受けている。苦も無く浮遊魔術で底で降りると妙な空洞を見つけた。
魔法障壁を纏い、その明りで周囲を確認していたグレイスは適当な鉱物を拾う。
「間違いない。やはりそうだ。神の記憶が確かならば――」
サイラスは保管しておくように言われた石炭らしきものを革袋に入れて後を追う。
そのままふらふらと暗闇を歩く上官殿は、やがて奥にある巨大な岩の前で歩みを止めた。
「サイラス、これを動かしてくれますか」
「了解」
神宿りに到ると、レベルホルダーとしての力を遺憾なく発揮する。さすがに一人では無理だったが、グレイスと二人で押しのけるとその下に梯子を見つけた。サビ付き、今にも崩れそうだったが浮遊できる二人には関係が無い。
一気に五十メートルほど下に降りれば、地下水が流れているのが見つかった。その手前にある横穴。その奥を進んだ二人は、遂に目的の場所へと辿りつく。
「すげぇ。これ全部がそうだってのかよ……」
「はい。ここはダイヤモンド鉱脈なのです」
魔法障壁の光を反射するそれが、光の粒のように空洞の中にある。淡い光を伴うその輝きは、夜空に瞬く星たちのように煌いている。
(めぼしい資源が無いと思われていたリスバイフに、こんなものがあったとは……)
サイラスは半信半疑だった。
だが現実はどうだ。グレイスだけが持つ情報にはどれもこれも間違いが無い。
「やっぱりだ。アンタこそが神の後継に相応しい!」
荒唐無稽な与太話のはずだった。
しかしグレイスに拾われてからというもの、サイラスは驚かされてばかり。レグレンシア帰り、内気魔法、蒸気機関、魔法銃。それら全てがグレイスの存在を肯定しているかのようだ。額に傷を持つハーフエルフも、さすがに感嘆を隠し切れない。
「気が早いね。どちらにしろ彼女に出会えなければどうしようもないというのに」
待つだけでは当然邂逅などできはしない。かといってあの場所に足を踏み入れることはできない。転移の制約は、ただ知っているというだけの彼を阻み続ける。
だったら、会いに来て貰うしかない。
「そのために、魔法銃やら蒸気機関を広めるんだろう?」
「女性の気を引くには、まず興味を持たせるところから始めるべきだ。それが我が友グレルギウスのアドバイスなのでね」
その果てに、神の御使いはきっとクルスに降りてくる。
彼に会う為だけに降りてくる。
異物を取り除くために。
箱庭を正常に管理するそのために。
「嗚呼、これでグレルギウスに吉報を届けることができそうだ。きっと彼は国の発展のためにここを使ってくれるに違いない」
資金が増えればできることは増えていく。
武力が必要なら資金を使って新しい武器を量産すればいい。
そうして技術力さえ研磨されれば、更に更に用意できるものは増えていく。
それがきっと、神の力の怒りを呼び覚ますとさえ知らずに。
「素晴らしい友情だな。俺も一人ぐらい信頼できる友人が欲しいもんだ」
「おや、私では不満ですか」
「アンタはこの世界の頂点に立つべき男だ。俺なんかが対等に在れるものかよ」
「……さぁ、どうでしょうか。呪われた記憶を持つだけの夢想家かもしれませんよ」
二人は上階に戻ると岩を戻し、通路を隠した上で帰還した。
「ど、どうだったんですか」
「石炭がちゃんと取れそうでしたよシスター・バル」
「では、もっと沢山走らせることができるんですね!」
凄いです、とばかりに目をキラキラとさせる彼女に苦笑しながら、グレイスは部下共々クルスへと転移。すぐさまクルス王との謁見を望んだ。
――全ては神へと至る為の道程。
その身に宿す忌まわしき呪いを福音へと変えるそのために、異端の輩は種を蒔く。
夢の実験場に有るはずのない破滅の種子を。