第七十話「入団」
血の匂いがするリスバイフの王都『バレンザ』。
粛々と進む死体と瓦礫の処理の中、一際眼を見張るものがある。
それは城門前に陳列された四匹の竜の首。台座に乗せられたそれは、逃げ遅れたバレンザの民にとっての絶望の象徴だった。
竜を駆る見習い騎士トリアス・ルルブリア。
父を失いながらも竜の助力を得た彼女の存在は、王都で隠し通せるものではなかった。
何せ彼女は、移動の際には当然のように竜の編隊を率いてやってくる。ただの竜であれば恐怖の象徴だが、人が御するならばそれは心強い味方だ。
――だが、そんな彼女でさえも撤退した。
王都決戦の最終日。
援軍として登場した彼女たちに希望を抱いた民は多い。事実、奮戦してはいたのだろう。一時期盛り返すかに見えた戦況は、しかし彼女たちでさえも覆せるものではなかった。
それがダメ押しとなった。
祖国の敗北という重苦しい烙印は、彼女たちの撤退で決定的となってしまったのである。
その事実からはもう、晒し首にされた竜の首のおかげで逃避することができない。
「どうですグレイス様」
「悪くない。竜殺しの軍。これほどのインパクトは中々刻めるものではありません」
王都入りを果たしたグレイス枢機卿は微笑んだ。
仮に反抗勢力が生まれても、この事実の前には結束も鈍るからだ。逃げ延びたものたちはこぞって喧伝し、生き残りである各地の諸侯を震え上がらせることだろう。仮にまだ竜が残っていたのだとしても怯えない者はいない。
竜殺しとはそれほどの偉業なのである。
リストル教会ではそれを成したものは聖人であるとされて長く称えられてきた。だが、今回は聖人抜きだ。ただの人如きが、叡智の力でそれを成した意味は大きい。それも、教会が与えた武器で、である。
本来は異端と呼ばれかねないその武器は、しかしリストル教徒が神より賜った物とすれば話しも変わる。異端者が使えば邪悪な技だが、彼らが使うなら聖なる御業だ。
「空戦のために教皇直属の監視者の力を借りたのは少しアレですが、成果は出せたかと」
「構いませんよ。恩師メルヘブの成果を受け継ぐ者としての結果は出た。上々です」
教皇『ニルレド』も、そしてクルスの王『グレルギウス』もこの結果を無視はできない。
彼の地盤固めはもはや完璧と言ってもいい。
グレルギウスは若い頃グレイスと共にメルヘブの教えを受けた王であり、グレイスとは気心の知れた仲である。その縁でグレルギウスとのパイプ役を担っているのも彼である。蒸気機関車の運行や新武器の供与ではクルスの王も大層喜んでいた。竜殺しの軍という名声も、彼の心をくすぐったものである。
「他の枢機卿連中は皆、顔を真っ赤にして悔しがっているだろうぜ」
「かもしれませんね。では、このあたりで引きましょうか。これ以上は欲張りだ」
殊勝にも頷いて見せたグレイスは、サイラスを引きつれ占拠した王城へと足を運ぶ。
その際、敢えてこの広場で民間人への炊き出しを行っているリストル教徒たちへと目を向けた。
傷ついた者の手当ても含めて、甲斐甲斐しく面倒を見ながら人心を掌握するその手管は、ラグーンズ・ウォー以前から幾度と無く繰り返してきた伝統的な光景だ。
そうやって異教徒共を神の慈悲の名において取り込んでいくのだ。
確かにすぐには無理だ。しかし、人は敵意には敏感でも、善意を振り払うのは難しい。確実に少しずつ遅効性の毒のように信仰を蔓延させていく。末端の教徒は本気でそれが善行のための行動だと信じているからこそ、余計に度し難い。そのやり方で、かつてはユグレンジ大陸のほぼ半分は染め上げた歴史があった。
唯々諾々と弱者救済の名目で働く善良な教徒たちの姿を、内心でグレイスは嘲笑う。
(愚かな。人の心の弱さが神を作るのだ。縋りつけばつくほどに抜け出せなくなるだけだというのに、それでも縋り続けるしかないとは愚かに過ぎる)
神は救いであり、彼からすれば麻薬であった。だが、その神が実は既に死んでいるということを知れば、彼らはどう思うのだろうか? 歴代の教皇や一部の者しか知らぬはずのその口伝を知る者として、彼は誰かに暴露してしまいたいという誘惑に駆られてしまう。
しかしそんな不敬なことは言わない。
言って良い訳がないと弁えていた。彼自身、あの日までは神を信じていた。その幸福を享受していたのだ。
だからその代わり、ただ一言評するのだった。
「無知なる者は幸福ですね」
「は?」
「知らないことは幸せなのです。知れば引き返せなくなり、生きることに苦しみさえ覚えてしまう。サイラス。このどうしようもないジレンマが貴方になら分かるでしょう」
「そりゃ、分からないでもないが……」
苦い顔で頷く部下を引き連れ、グレイスは庭園に向かう。
運び込まれた首無しの竜の死体は、その大半が解体されて本国へと輸送されることになっていた。そのうちの一匹分は研究用にとグレイスの元に届けられることになっているが、彼にはあまり興味が無かった。
「一応、ここで矛を収めるように進言してからプルアス山脈へと向かいましょうか」
「ゲート・タワーはどうします」
「放っておきなさい。ルルブリア公爵領のそれならともかく、この地のそれは余り役には立ちません。装置を頂くのも手ではありますが、それは他の方の手柄に残せば良い」
虫系の魔物ばかりで、食用にも素材用としても転用し辛いと調べはついている。
アイビーフやビックボアなどのような食肉として転用できる魔物や、鉱物資源に変わるゴーレム系が出現するならまだしも、そうでないからこそリスバイフは資源が少ない国だと言われるのだ。
その分保存食作りが盛んではある。しかし潤沢に食糧が生産できているジャングリアンからの輸出ルートを持つロロマとクルスにとっては、リスバイフのそれなど必要ではない。寧ろ両者を経由する食糧輸入網が無ければ相当な打撃を受ける立地なのがこの国だ。
そのため、リスバイフはロロマかクルスの輸入ルートを潰すわけには行かないという弱みがあった。
その中で、組むとしたらどちらか?
革命が起きたため、安定に欠けるロロマと今のクルスを比べれるのであれば、女王の決断を安易に間違いだと言うべきではないかもしれない。しかし、やるならばリスク分散のためにも中庸を維持するべきだったとグレイスは評価せざるを得ない。
確かに民主主義なる異質な主義への恐怖もあったのだろう。クルスがちらつかせたエルフの森という餌もあったかもしれない。また或いは、ルルブリア公爵家の件での弱みのためか。
どちらにせよ、潜在的な敵に当たるリストル教を有するクルスを信じるべきではなかった。でなければ、広場で無残な首を晒さずとも済んだだろう。まだ女王の息子が見つかっていないことは気に掛かるが、それは他の者の手柄にすればいい。彼には彼の目論見があるのだから。
と、そこで彼は思い出した。
「サイラス」
「はっ」
「任務で死んだ者たちの家族への手当てを厚くしましょう。命とは奇跡で、彼らの命は一つしかないのですからね――」
当然のことのように告げ、グレイスは城に入った。
その顔は何故か、少しだけ苦みばしっていた。
秋空の風の中、外套を纏ったアッシュはルーレルンと共にルルブリア公爵領へと侵入していた。空の上から見る領地は、なるほど秘境とでも呼ぶべきである。
「凄いな」
滝裏の洞窟から北西の地は、峻険な山々と深い森に囲まれていた。中でもアッシュをげんなりさせたのがその標高だ。連なる山々の高さは、山が多いペルネグーレルの平均的なそれさえも超えている。
ルルブリア公爵領は、その未開の秘境を含め最も領地を持っており、北の海と東側の秘境に隣接している領地である。秘境にはモンスター・ラグーンが有ると言われていたが、探索するには山と森をいくつも超えなければならないために中々進んでいなかった。また、かなり見つけ辛い谷にあったせいで空から竜翔が探しでもしなければそう簡単には侵入できない。長く放置されていたせいもあり、相当周囲に魔物が降りてきているのも理由だ。その一部はエルフの森にも侵入していたのだろう。
発見された今はあまりにも遠すぎるため公爵家の物にされたが、現状は竜の翼でその間の道を飛び越えなければ意味がない。
だがそのモンスター・ラグーンから出る魔物の種類はエルフの森のそれに近く、道さえきちんと整備できれば相当に有益であると見込まれていた。取り上げるにしても、公爵家の金で道を整備させてからという意図があったらしいが、女王が死んだ今となっては公爵家の物で収まるだろうとはルーレルンの話しだ。
今現在、ここは竜たちのためにも手放すわけにはいかない重要拠点でもある。竜たちはここで腹を膨らませ、帰りには出来うる限り食糧になりそうな獲物を空輸していく。
「前方に仲間が居ます。丁度いい、道中で話を聞きましょう」
更に北西へと向かう四匹の竜。
ルーレルンは一声吼えて合図をし、彼らと共にウォーレンハイトが居るだろう城へと急いだ。
ルルブリア公爵領の北端にある港町『ザブッセル』。
街を見下ろす地にある公爵家の城の中、負傷していた竜五匹の傷をウィスプに癒させたアッシュは、開口一番に謝罪してくるウォーレンハイトに肩を竦めた。
「話は聞いたが、どうも我の思惑以上にアレが手を回したようだな。煩わせてすまぬ」
「いいさ。リスバイフが落とされるとこっちも困るからな」
アッシュだとて、良い様に使われるのは面白くない。ただ、先に恩を売れるのも確かだと考えたのは確かである。
兜越しに頷いたアッシュはインベントリから紹介状を取り出した。すぐさま疲れた顔で目を通したウォーレンハイトは、唸りながら再度問う。
「こちらとしてはありがたいが……」
「先行投資でもあるさ。後で良い思いをさせてもらうのさ」
何もアッシュは慈善事業で来たわけではない。
「俺はリスバイフを防壁にしようとしているだけだ」
同時にクルスと戦う中で敵の武器を多く鹵獲する目論見もあった。
作れないなら手に入れれば良い。どこで手に入れるかといえば、クルスに直接潜入するか戦場しかない。クルス本国が論外ならお隣の戦場で。そんな建前で理論武装して来た男に、ウォーレンハイトはもう一度頭を下げた。
「重ねて礼を言おう。アッシュ殿……いや、アルス・シュナイダー。そなたの臨時編入、団長として喜んで認めさせて貰おう」
「へへ。しばらくはよろしく頼むみやすぜウォーレン団長」
嫌に畏まる彼に、アッシュはおどけてみせる。それは彼がイメージする、馴れ馴れしくも粗野な下っ端傭兵という態度だった。
彼が見たところ、城の空気は最悪だ。
竜が参戦して逃げ帰ったというのは、それほどまでに彼らの心をへし折っていたのである。その上で、生き残りの仲間の怪我を心配していただろう竜たちの余裕の無さも気に掛かる。確かに偉そうなことが言えるほど戦に精通しているわけではない。だが、肩の力を抜かせる程度はできるはずだと思っていた。
「……気持ち悪いぞ」
だが効果は微妙であった。
何ともいえない顔をするウォーレンハイト。アッシュはごほんと咳払いをすると、真面目な声で尋ねた。
「それでだ。どこまでやる?」
「それはどういう意味だ?」
「追い返すとか、最低限今の勢力を維持する程度にやるとか色々あるだろ。だから、竜翔が何を目標にしてどこまでやるつもりなのかを知りたい」
「それを決めるのは我ではないが」
「いや、それを決めるのはきっとあんただ」
竜翔は所詮傭兵に過ぎない。リスバイフ国内の戦力として最強の戦力集団ではあっても、それ以上ではない。良く言ってトリアス・ルルブリアの子飼い戦力だ。
しかし竜翔の戦力無くして奪還はありえない。だからこそ、その中核を担う男からアッシュは聞いておかねばらなかった。
「竜翔の肩書きは手に入れたからにはそれなりに働くつもりだ。けど俺は基本的にリスバイフの味方じゃあない。都合が悪くなったらとんずらする予定の薄情な男だ。だからそのギリギリを見極めるためにも新入りとして団の方針を知っておきたい」
「……トリアスの身の安全を確保するまでだ」
「具体的には?」
「最低でもハルケブンの奪還と女王の息子の確保。その後にロロマに調停を申し込み停戦に持ち込ませたい。現状で言えるのはその程度だ」
「ふむ……」
具体的な手段はともかく、やりたいことが決まっているなら後は問題を一つ一つクリアしていくだけでいい。しかし一つだけ分からないことがあった。
「何故、トリアスを担ぎ上げないんだ。他に王位継承権を持つ奴が必要なのか?」
「アレが女王になれば三日で国が滅びようぞ」
「それ、冗談だよな?」
「八割以上本気だ。アレには、統治の才能が絶望的に存在しない」
淡々と語る黒銀竜は、冷や汗すら流しながら言い切った。
アッシュはウォーレンハイトとルーレルンの二人の後ろについて城内を案内されていた。用事が無い間に様子をみるためにも森に転移する予定だが、それ以外は新入りらしくない新入りとして動くことに決めていた。初めはパートタイマーな傭兵でもと考えて居たが、さすがに状況が状況だ。
案内ついでに軽く聞きながら働き方を軽く詰めておく。元より、ウォーレンハイトとしてはアッシュの参戦は埒外だ。最大限融通を利かせることを約束した。
そうやって一通り案内と雑談をしている内に、いよいよ公爵としての仕事を代行している先代公爵と、その手伝いをしているトリアスに紹介されることになる。
「我だ」
「入りたまえ」
ノックの後、少しばかりしわがれた声で返事が帰ってくる。
二人の後に続いたアッシュは、白髪の老人が羽ペンを動かしているのを見た。その隣には、トリアスが居て真剣な顔で書類とにらめっこしている。
「どうなされた」
切りの良いところでペンを止め、老人はウォーレンハイトに視線を送る。
「部下の復帰報告と、新入りの紹介に来た」
「ほう?」
値踏みするような視線が二つ、アッシュへと向けられる。
「ルーレルン!? 戻ってこれたんだ!」
「色々ありまして、またしばらく厄介になります」
「こちらこそよろしく。それでそちらは……知り合いなの?」
「そんなようなものだ。丁重に扱ってくれ」
「アルス・シュナイダーだ。一身上の都合により、素顔を晒さぬご無礼をお許し下さい」
一応はクライアントとなる相手である。頭を下げるアッシュに元公爵は告げた。
「アルツハイムだ。隠居していたがこうして担ぎ出されておる。ウォーレンハイト殿の紹介であれば詮索はせぬ。これからよろしく頼む」
「隣のがトリアスだ。一応は竜翔の雇い主ということになる」
「よろしくね。アルス」
アッシュの正体に気づいていないのか、トリアスは素直に握手を求めてくる。無理して笑っているようなその顔を勇気付けるために、アッシュは敢えて自分から力強くシェイクハンド(手を上下に揺らす握手)を繰り出す。
「わわっ」
「悪いようにはしない。ルーレルン共々よろしく頼む」
「君の部屋はすぐに用意させよう。しかし、厳しい状況だが良いのかね」
「と言いますと?」
「私の名で召集はかけ、先んじて到着した者たちを国土の防衛に向かわせている。だが、竜さえも落とされたと知って降伏を選ぶ諸侯も出てきている」
クルスの猛威が知れ渡っているだろうということだった。
ある種当然のようなその懸念を、アッシュはまだ振り払う術を持たない。
だから答えずに逆に問うた。
「敵の動きは?」
「王都の支配と、その北の城砦を修復していると聞いておる」
「アルス、奴らは次の進軍準備を整えている最中だ。もう一押ししてくると我らは考えている。だが時間制限はある。本格的に冬が来た場合、この国は寒さで戦争どころではなくなるのだ」
だからそれまで持ちこたえるのが当面の目標ということになる。
「だが、この時期に食糧の輸入ルートが封鎖されているのも捨て置けん」
「エルフの森への侵略のため、色々と供出させられちゃってたからね」
途方に暮れるトリアスは反対派は金と糧食などで参戦を回避していたと説明。
そのせいで蓄えに余裕が無いとも。
「諸侯が戦力を多く抽出できないのもそれが響いておってな。確かに、無理をすればそれなりに出せる。しかし兵站が維持できなければ意味が無い。本来、今頃は冬のために蓄える時期なのだが……」
季節が悪すぎると言外に告げ、アルツハイム元公爵は目を伏せた。竜翔に期待はしたいと思っているのは間違いない。だが、それでも竜翔の存在だけでひっくり返せるほどに今のクルスは甘くはないという諦観がそこから見て取れるようだった。それは、ポッとでの男に内情を包み隠さずに話すことからも察せられることである。けれど悲観に暮れられるままでは来た意味も無い。
「一度に全部考えたって難しくなるだけだ。問題点を一つ一つ挙げてから考えよう。まったりと熱いお茶でも飲みながら……な」
アッシュは側に居たルーレルンに、インベントリから取り出したジーパングのお茶を押し付けた。
「……不思議な男だ」
「お爺様?」
ルーレルンと共に部屋を出た傭兵、アルス・シュナイダーはとても覇気が無かった。
期待できぬかもしれないと考えていたアルツハイムは、しかしその態度が終始変わらないことにも気づいていた。
「何を考えているのかがまるで分からん」
「当然だな。アレは我等で推し量れるような存在ではない」
「ウォーレン?」
「確かに向こうにしか無い物はある。だが、こちらにしかいない者も居る。その差がこの戦いの名案を分けるやもしれぬな」
一つは竜。
一つは念神。
それらをどう使うかで、リスバイフの未来が変わる確信が彼にはある。
「彼は、竜殺しの軍が恐ろしくはないのだろうか? 彼も竜なのだろう?」
竜翔は竜で構成されるが故に勘違いをしたままの二人のそれを訂正せず、ウォーレンハイトは続ける。
「さてな。だが、我はこうも思っている」
窓辺へと向かい、少しでも多くの食糧を調達しておこうという竜たちのところに向かう人影を見る。しばらくすると、彼らは忽然と消え失せる。それを見たウォーレンハイトはトリアスたちに告げた。
「クルスの軍よりもあの男の方が恐ろしいと――」
夕方、竜たちと庭に転移してきた鎧男は庭に魔物の死体を大量にぶちまけた。
ビッグボアやアイビーフ、それにホワイトベアーなどの食せる魔物ばかりだ。アルツハイム元公爵は、それらを見せられて言葉を失った。
「……色々と聞きたいことはあるが、これが君の策かね」
竜たちの狩りよりも輸送効率が段違いだった。
急いで加工するための職人を執事に集めさせる彼に、鎧男は言う。
「いや、これじゃあ面倒に過ぎるから、もっと楽にするためにも貴方の力を貸してもらいたい。ロロマで足止めを喰らってるだろう商人たちから大量に買い付けたいんだ」
そのためには、公爵家の財力と交渉人が必要である。口だけでは信用は買えない。だからこうして結果で示したアッシュである。
「どうなってるの? アーティファクトの魔法か何かなのかな?」
「我に聞かれても答えられぬ。だが……」
ウォーレンハイトが唸る。
「確かにこの時期にリスバイフに売り来た商人は、売れずに困っているだろうな。その分を買えればかなり楽になるはず。悪くない手だと思うが……」
「輸送は俺がやる。後は公爵のツテで兵糧にするなり拡散してくれれば、足りない分の足しになるんじゃないか?」
『いや本当、お主は力押しだのう』
竜たちに魔物を狩らせ、死体を集めてドロップアイテム以上量を剥ぎ取らせる。毛皮も皮も、とにかく金になりそうなものから食糧まで隅々まで役立たせるのだ。
幸い、食糧の保存技術は優れているというのだから、その力は遺憾なく発揮してもらわなければ困る。
少なくともハルケブンを奪還し、ロロマとの貿易ルートを取り戻すまでは。インベントリと空間転移の魔術の合わせ技でごり押し、一先ず食糧の問題を解決する。廃エルフらしい力技である。
「食い物がなければ戦争なんてできないからな。俺が前線に出たらこの手は頻繁には使えない。だから今のうちに色々と手配して欲しい。これは時間との勝負だ」
手の内を一つ見せた。
これにアルツハイムが乗らなければ始まらない。視線を元公爵に向けるアッシュは、彼の言葉を待った。
信用は行動でよってのみ示される。
眼前の結果に賭けるかどうかは彼の選択に委ねられた。
アルツハイムは迷わなかった。
「うむ。急いで手配させよう」
「よし。なら俺は今から森の上空を迂回してロロマ国境の様子を見てくる」
「む?」
「相談役としてルーレルンを借りてくぞ」
答えは聞かずに、アッシュはルーレルンの手を引いて消えた。
「……良いのですか? 一日ぐらい休んでからでも」
「良いも悪いもないさ。今必要なのは結果だろ」
竜翔とアッシュだけではリスバイフの領地を取り返しても維持ができない。個人の力ではできることには限界が在りすぎる。どちらにせよ兵力は必要なのだ。
そのために当分忙しくなったとしても、アッシュとしてはそれをするしかない。
イシュタロッテに適当に転移させたロロマの地。
年季の入った石畳の上で、脳裏に浮かぶワールドマップで位置を確認する。
そこからかつて踏破した場所へと竜の翼で翔破する。必要な場所にイシュタロッテの転移ポイントさえあれば、後はそれで誤魔化せる。
移動時間の圧倒的な短縮。
現在のクロナグラの物流速度を破壊的なまでに短縮し、その上で彼我の戦力差まで覆さなければならない。単体戦闘能力だけなら、アッシュはもう神宿りには負けないとまで豪語できるだけの自信があった。だが、恐れていることが一つある。
(中央四国の同盟が事実上崩壊した。だったら停戦はどうなる?)
アヴァロニアとアリマーン。
大陸の覇権を握るべくこれを機会に横槍を入れられたら最悪である。そして中央四国の動乱の引き金となりかねないクルスがどこまでやるかは未だに不明。となれば、やはり安全策としてリスバイフには生き残ってもらわなければエルフ側としても困るのだ。
(これでロロマ側に色々と要請するルートも開拓できる)
それをリスバイフ側が必要としたとき、すぐに移動できる布石にもなる。
「時間的に余裕があるならジャングリアンを見ておくのもいいかもな」
『その方が良いじゃろ』
「直接仕入れるルートも開拓するのですね?」
「そういうこと」
かつて世界を巡ったという悪魔はアッシュにとって頼もしい相棒だ。
そこに、傭兵としての見地を求めてルーレルンに相談し、それなりに形になるような案にしてから更に竜翔、公爵家へと繋げて戦略とする。
ただの傭兵風情にはできないことを、コネと自らの能力で打破する。
それしかまともな方法などアッシュには思いつかない。
来るべき次の戦いのためにどうすればいいかを考えながら、アッシュは時間が惜しいとばかりにルーレルンの上で鍛冶スキルを行使し続けた。
食糧の買い付けにはリスバイフの商人も加わった。
アルツハイムが懇意にしているというその大商人は、ロロマで立ち往生していたジャングリアンの商人たちから値切り交渉を行う。足元を見られないためにリスバイフの者とは名乗らず、ロロマでの相場で堂々と買う。
その噂はすぐに立ち往生していた他の商人たちにも広がった。誰だって売れない品を抱えたくはない。そこに付け込み、大商人は腕の見せ所とばかりに値切り続けた。
「祖国の危機となれば出血覚悟で動くしかないのです。はい」
ちゃっかりと自分の店の分まで買い付ける逞しさ。アッシュはこれが狸かと感心させられるばかりであった。
更に彼は、アッシュと共にジャングリアンまで足を伸ばし更に安く買いつけることにも成功した。しかも彼は、商売のルートを使いジャングリアンの商人にアッシュが持っていた魔物由来の素材も売りつけ、金に変えてくれたのである。
「素晴らしい。貴方のおかげで私も顔を売ることができます。これは是非とも勝ってもらわなければ」
勝てなければ敗戦国としての末路が待っている。
自ら愛国者だと名乗る胡散臭い男だったが、その精力的な働きには疑いを挟む余地は無い。アッシュはそれに便乗し、限界まで不要な物資を供出することに決めた。
特に金属素材が良く売れた。ジャングリアンは食糧は豊富だが、鉱物資源の産出量はそれほど多いわけではなかったのだ。クルスからの輸出に頼っていたが、クルスの国内需要が増えたせいで近年高騰していた。
それを聞いたアッシュは、連中への嫌がらせも兼ねてより安値で放出。ジャングリアンの商人ともコネを作った。ただ、その過程で眩暈を覚えるような話を聞いた。
「蒸気機関に列車……だって?」
「ええ。あの輸送能力は羨ましいものです」
(魔法銃だけでも相当厄介なのにそんなものまで……)
アッシュはインベントリと転移で個人ではありえないほどの輸送能力を実現できる。
だが、連中は個人ではなく組織の力で人と物資を大量に輸送する手段を確立していることになる。その事実は決して捨て置けるものではなかった。
利用したことが有るというその商人から、出来た金で食糧の買い付けを頼むついでに時刻表の予備を譲ってもらい店を去る。そんな彼の頭では、今まで見てきた国々とは違うクルスへの警鐘で一杯だった。
王都の制圧と支配。そして補給に敵が時間をかけている間に、とにかく食糧の問題に並走していたアッシュはアルツハイムとウォーレンハイトに呼び出されていた。
「諸侯の動きが更に悪くなった?」
「一部が切り崩し工作を仕掛けられているようでね」
「戦後の身を保証するなどの餌に釣られているわけだ」
「戦争ではよくあることだ」
アルツハイムは嘆かわしいとばかりに息を吐いた。だがそこには、嫌悪するだけではない理解の色が伺えた。
生き恥を晒しながらでも生きるか、祖国の土に帰る覚悟で挑むか。
一概に悪しきことのように断ずるのは簡単だが、その背に民の命まで背負っているという事実の前では聖邪の天秤さえ狂ってしまう。抗うべきだと声高に叫ぶだけならば簡単なのだ。だが、その先はどうか。そんな保証などアルツハイムにさえできない。
「せめて希望として機能できる何かがあれば、抱き込めるかもしれぬが……」
「実際、王都を占領して竜殺しを成した上でのことでもあるからな。反抗すればするほどに戦後の立場が悪くなるのも事実。勝つと思う方につくのはあながち間違いではない」
傭兵らしい意見ではあるが、ウォーレンハイトの顔には煩わしさが見て取れる。
「故に、私たちには勝利が必要だ」
「抗えるのだと証明しなければ、戦うごとに我等は勝機を失っていくことになるだろう」
二人は地図を配置した卓上にアッシュたちを誘う。
「説明したと思うが、我らはひとまず冬まで持ちこたえることを目標としている」
リスバイフの冬は桁違いに厳しい。
土地の者であれば、冬の行軍などまず考えない。慣れないクルスの者たちであれば、余計に無理に攻めることはしないだろうというのが二人の考えだ。
「その上で、だ。冬の間にロロマと交渉をすることを考えている」
峻険な雪山の行軍は危険だが、こちらには竜の翼とアッシュの転移がある。
防衛戦が始まれば戦力を無駄に動かせないが、冬ならばなんとかなるという見立てだ。
「向こうも直接クルスと戦うのは嫌なはず」
「だからこそ我等は調停の申し込みと同時に、ロロマ、ジャングリアン、リスバイフの三国での三国同盟を秘密裏に提案する」
卓上に新たに置かれた駒。これにより東西南北の駒のうち、東、南、北で包囲網ができ上がる。クルスの西はもうアヴァロニアしかない。
結果としてクルスは、三国からすればアヴァロニアの防壁のままで孤立する。
「そうやってクルスを押さえられるなら二国も乗ってくる……か?」
逆にこの外圧で押さえ込めなければ、戦後にロロマとジャングリアンにクルスの牙が向けられる可能性が高くなる。
クルスは勝負に出た、というのが彼らの見立てだ。中央四国を統括し、アヴァロニアとの停戦中に国力を増加する。
形振り構わぬ方策とはいえ、そんな戦略だろうと二人は読む。
「長い目で考えるならこれしかあるまいよ」
「タイミングも重要だ。最低でもハルケブンを奪還し、ロロマと連携が取れるようにルートを確保していなければその後が辛い。そして当然、向こうが乗ってくるのも難しくなる」
「……王都の奪還は狙わないの?」
黙って聞いていたトリアスが憂う。
国の中心でもある王都を取り返したいという気持ち。それはアルツハイムにも痛いほどに分かる。だが彼は首を横に振るうしかなかった。
「ならぬ。安易にそれをすれば取り返しの付かない犠牲が出る」
王都のある盆地を塞ぐ北の城砦は、現在大急ぎで修復がなされているという。王都もそうだが、時間をかければかけるほどに防衛能力は上がっていく。冬までに王都を取り戻すなど現状の戦力では心もとなく時間的にも厳しい。
さらに竜殺しの軍は当然のように駐留していることを忘れてはならない。それが分かっているなら無理に王都に攻め入ることはできない。
「実際、ハルケブンを落とす方が楽だからな」
アルツハイムとしては少しでもリスクを下げるため、王都よりもハルケブンで我慢せざるを得ないのが現状だ。それはウォーレンハイトとも同じ考えである。
「故に、冬が開けると同時に即座にハルケブンへ仕掛け、それが済み次第ロロマに動いてもらう」
後は停戦が成るまで守りきる。
有る意味無難な未来絵図だが、どうにもアッシュには引っかかることがあった。
「向こうが乗らなかったら?」
「そうさせないためにも、ロロマとジャングリアンの兵をクルスとの国境へ集めてもらうように頼むつもりだ」
実際に進軍するかはともかく、それだけで十分に脅しにはなる。
「理想的な展開はそれで残りの二つを攻めさせることだ。けれどそこまで事がうまく運ぶとは思えない。チャンスではあるのだがな」
クルスは今リスバイフ攻めに国内の兵力をつぎ込んでおり、アヴァロニアに面する国境の兵を動かすことができないというどうしようもない弱みがある。ならば当然のように戦力は分断されている状態。この状況は今しかない。それを念頭に両国が重い腰を上げてくれるのであれば、王都の守りが手薄になり奪還への希望は残る。
ただ、それは余りにも可能性が低そうだった。
元よりロロマとジャングリアン。リスバイフとクルスという構図で分裂しかけていた中央四国の関係だ。都合が悪くなったからといって、すぐさまその関係を変えることができるかは親ロロマ派であったアルツハイムにとっても賭けである。
もしロロマとジャングリアンが断ったとしたら、その時はリスバイフ単体で戦わなくてはならなくなる。しかしもうそこにしか活路が無いのがリスバイフの現状だ。
「彼らへの戦後の見返りなども考えると頭が痛い」
「そこはご老体に頑張ってもらうしかないことだ」
「ははっ。ウォーレンハイト殿は無茶を言ってくれる」
言葉とは裏腹に、竜翔の団長に頷くアルツハイムの瞳には強い覚悟が伺えるようだった。
(彼女もあの川辺の空でこんな眼をしていたんだろうか?)
アッシュはチラリとトリアスを盗み見る。
最後の一人になっても戦おうとしていた見習い騎士は、悔しそうに唇を噛んでいる。
「――だが、場合によってはそれさえも次善策になるやもしれぬぞ」
「ウォーレン?」
「どういうことかね」
「アルス・シュナイダー。これはあくまでもそなたが居ない状態で考えた策だった」
二人の疑問には答えず、ウォーレンハイトはアッシュに視線を送った。
竜殺しを成したのがクルスの軍ならば、単独でそれを成せるだけの力を持ち、それどころか竜翔を殲滅できるのが彼らの目の前に居る男である。これで完全な守勢に徹するのはいささか臆病に過ぎやしないかと彼は考えていた。
「どうだろう。冬が来るまでに盆地の蓋たる北の砦。スペンジ砦まで取り返すというのは」
その発言に、返答を求められた新入りは頭を抱えた。